漫画家・浅野いにお。初の連載漫画『素晴らしい世界』から最新作『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』まで、一貫して日常をベースにした漫画を描いてきた。浅野が紡ぐのは、半径数メートルの世界で繰り広げられる物語。そこに、いかにも主人公然としたヒーローは登場しない。出てくるのは、言い知れぬ不安や怒り、あるいは卑屈さやドス黒い陰を抱えた「普通の人々」だ。
そうした人間の複雑な内面を描くにあたり、大きな役割を果たしているのが緻密で美しい背景。見落とされがちな細部までの表現が、言葉よりも雄弁にキャラクターの心情と、その場所の質感を映し出している。
空間を豊かにするLIXILの壁材商品「エコカラット」のプロジェクト、LIXIL「PEOPLE & WALLS MAGAZINE」とCINRA.NETのコラボレーションにより、空間と人との関係にフォーカスし、インタビューを行っていくこの連載。第三回目となる今回は、漫画の背景描写に対するこだわり、さらには漫画家としてのバックボーンに至るまで、広い意味での「背景」をテーマにお話を伺った。
浅野いにおの「背景」。緻密な描写によって変化する、キャラクターの人物像
―浅野さんの作品には、それぞれに印象的な背景が登場しますが、背景というのは浅野さんの漫画にとってどういうものなのでしょうか?
浅野:漫画というのはとにかく「省略」と「記号化」を巧みに使い分けて作るものなんですね。登場人物の人となりを全部説明するわけにはいかないので、なるべく言葉じゃないところで説明しなきゃいけないんです。この人は何歳くらいなのか想像できるようなセリフを入れておくのと同じように、景色や背景で、この人はどういう文化圏で生活している人なのかわかるようにしていますね。
例えば東京の街に対するイメージって、ある程度共有されているので、実在する街並みをリアルに描くことで、どんな文化圏で生活しているキャラクターなのか想像しやすい。同じ東京でも、どの区に住んでいるかによって、キャラクターの性格まで変わってきます。街だけじゃなく、電車の沿線ごとでもカラーが異なりますよね。小田急線には小田急線の、中央線には中央線のカラーがあるから、描く物語によって舞台を使い分けています。リアリティが生まれるだけでなく、僕自身もそのほうが描いていて楽しいので。
―1つの風景を出発点にして、物語を想起することもあるのでしょうか?
浅野:そのパターンもありますね。例えば、住宅地ばかり描いていると、たまに工場地帯の風景を描きたくなる。じゃあ、工場地帯ならどういうストーリーが向いているかな? と、そういうアプローチをすることもあります。
「この人、おしゃれに気を使ってるけど、最近ゴキブリ出たんだな」
―街の情景だけでなく、キャラクターが暮らしている部屋の、「描く必要があるのか?」と思えるような電化製品の配線なども仔細に描き込まれていますよね。
浅野:風景と同じように、部屋が整頓されているか、散らかっているかで性格ってなんとなく分かりますよね。そこに置いてあるもので大体の年齢や趣味嗜好も想像できると思います。それをわざわざモノローグで、「この人は何歳で~」とか「ズボラな性格で~」なんて書くのは野暮なんですよね。
漫画はページ数が限られているので、全部を説明するわけにはいきません。特に読み切りの短編はとにかく無駄なものを削ぎ落としていかないといけない。主人公の出自とか年齢とか、極端にいえば名前すらも邪魔なんですよね。
―それを言葉で説明するのではなく、背景に情報やメッセージを盛り込み、読者の想像に委ねると。
浅野:はい。例えばおしゃれな部屋の片隅にバルサンが置いてあったりしたら、「この人、おしゃれに気を使ってるけど、最近ゴキブリ出たんだな」とか、エピソードとして描かれていない部分まで想像できると思うんです。「え? この人の部屋にこんなの置いてあるんだ」といった細部や見落としそうなものにこそその部屋の質感が現れますし、それがリアリティにつながると思っているので。
―そうした「見落としそうなもの」へのこだわりが、人物や作品全体のリアルな質感を生み出しているんですね。
浅野:いくらリアルな漫画でも、基本的にはフィクションなんですよね。つまりウソなんです。そこでディテールを疎かにすると、ウソが増えてしまう。そうすると、作品そのものがぶれてしまう気がするんですよ。ウソの物語だからこそ、背景は正確に描きたい。生活感や空気の質感といったリアリティは、そこからしか生まれないと思っています。
「一部の人だけにでも安心感を与えられるなら、描く意味はあるのかなと」
―浅野さんご自身の背景についてもお伺いします。高校時代から漫画を描き始め、17歳で早くも雑誌デビューしていますが、子供の頃から漫画をかなり読み込んでいたのでしょうか?
浅野:いえ、もともと漫画っ子というほどではなく、『ジャンプ』も中学で卒業しましたね。本格的に興味を持ったのは、高校に入ってからです。友達の影響で1960年代、1970年代の漫画に触れる機会があったんですけど、それまで自分が読んでた漫画と全然違う手触りがあって。
いわゆるヒーローではなく、自分と地続きの場所にいるようなキャラクターが主人公で。憧れよりも、不満や鬱屈としたネガティブな感情も含めた、共感をベースとした作品を面白いと感じて、それからそういう漫画をよく読むようになりました。
―当時、よく読んでいた漫画のひとつが、桜玉吉さんの作品だったそうですね。
浅野:桜玉吉さんの日記漫画って、とにかく卑屈なんです。卑屈な人間の内面がしっかり描かれている。20代くらいって自分のことをあれこれ考える時期だと思うんですけど、僕自身も当時鬱屈した時期を過ごしていたので、桜さんの漫画を読んでいると「こういう考え方をするのは自分だけじゃないんだな」という安心感がありました。作風というよりも精神的な部分で影響を受けた一人ですね。
―ヒーローではなく、自分と地続きの「普通」な主人公の、心の内を隠さず描くというのは、浅野さんの漫画にも共通する部分ですよね。
浅野:実は僕、デビュー当時はギャグ漫画家志望だったんですけど、当時の担当編集者に評価されたのはギャグではなく、「自分の身辺で起きた出来事」を落とし込んだ漫画でした。それで、身の回りのことだったり、僕自身の根暗さに起因する物語を描くのが自分には向いているんだろうなと。
そうした根暗さや鬱屈した人の心情というのは、20代の僕にはいちばん自然なことで、いちばんの関心ごとだったんです。でもそれは大ヒットするような漫画ではないので、描くからには、なにかしら意味がほしいなと思っていて。それこそ僕自身が桜玉吉さんの作品を読んだ時のように、一部の人だけにでも安心感を与えることが、僕が描く意味なんだろうと。20代のころは、そういう気持ちで漫画を描いていましたね。
―どこかに深い苦しみや葛藤、あるいは卑屈さなどネガティブな部分を抱えている人。それが、浅野さんから見た人間のリアルなのでしょうか?
浅野:そうではない人ももちろんいるでしょうし、卑屈さがない人がウソっぽいということではないんです。でも、人というのは掘り下げていけば、絶対にどこか変な部分があると思うんですよね。その中で僕が考える「人間らしさ」というのは、理不尽であるとか矛盾している部分だったりするので、どうしてもそういう部分を探して描いてしまうんだと思います。
僕が考える「人間らしさ」がバンバン全開で出ている人は、もしかしたら実質社会ではすごく迷惑な人なのかもしれないですが、綺麗に隠している人もいるんですよね。そういう人は本人で完結できているから、僕が描く意味はないなと思うんです。そうじゃなくて、やっぱり僕も入り込むような余地をもってる人。それは一般的には「間違っている」という要素を持っているということなのかもしれないけど、そこを認め合う、許し合うということで、僕の人間関係には信頼関係が生まれてきたから、どうしてもそういう「人間らしい」部分を持った人にしか注目できないというか。そういう矛盾を抱えて生きている人物を主人公にしたくなってしまうのだと思います。
LIXIL「PEOPLE & WALLS MAGAZINE」では、浅野いにおさんのインタビュー後半を掲載。 普段主役になり得ないものが、いかにその場所の質感を物語るのか、漫画における技術的な面や、ご自身の部屋を紹介しながら語っています。
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壁は間取りを作るためのものだけではなく、空間を作り、空気感を彩る大切な存在。その中でインテリアや照明が溶け込み、人へのインスピレーションを与えてくれる。
LIXIL「PEOPLE & WALLS MAGAZINE」は、LIXILとCINRA.NETがコラボし、7名のアーティストにインタビューを行う連載企画。その人の価値観を反映する空間とクリエイティビティについてお話を伺います。
- プロフィール
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- 浅野いにお (あさの いにお)
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1980年生まれ、茨城県出身。2001年『宇宙からコンニチワ』で第1回GX新人賞に入賞。主な作品に『素晴らしい世界』『ソラニン』『おやすみプンプン』など。現在「週刊ビッグコミックスピリッツ」で『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』を連載中。
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