恋愛に価値を置く、とも言われるフランス人。フランス映画でも必ずといっていいほど恋愛が描かれ、これ以上ないほどロマンチックだった2人が突如道端で泣き怒り喧嘩をするなど、色彩豊かな映像とともに繊細な感情を表出させた恋愛模様が描かれる作品が多くあります。
「人生や哲学を描こうとすると、自然と恋愛の話が組み込まれてしまう」と語るのは、漫画家の売野機子さん。自身も、恋愛を扱った漫画を描かれていますが、それは自然発生的なことだと話します。売野さんは過去にフランス語を5年以上学び、フランス人の価値観や文化、すべてに恋をしている熱烈なフランスラバー。古典作品やミニシアター系など幅広い作品を配信するストリーミングサービス『ザ・シネマメンバーズ』が巨匠エリック・ロメールを特集するにあたって、フランス映画の魅力をたっぷりと伺いました。「恋愛映画」と一括りにしてはもったいない。人間の機微がつぶさに描かれる美しい作品たちを、もう一度見つめ直す機会になりました。
日本に住みながらフランス成分を少しでも摂取したい。辛いときは、Googleストリートビューでフランスを見ます
―売野さんがそもそもフランスをお好きになったきっかけは、どういった理由だったのでしょうか?
売野:昔は私も、多くの日本人と同じように、フランス映画は漠然としていて終わり方もふわっとしていると思っていました。その価値観が変わったきっかけは、フランス語を学んだこと。私が幼少期に日本の教育や生活に馴染めず苦労したので、自分の子どもは日本以外で育てるつもりで移住できる国を探していたんです。
その中で、唯一移住できそうだった国がフランス。フランスなら私のような職業でもビジタービザで住めることがわかって、「今からフランス語か……」と躊躇しましたが、腹を決めて語学学校に通い始めました。ただ、あくまでもフランス語は移住するための手段であって、フランスのことをなにも知らなかった。
ですが、そのフランス語学校で、完全に恋に落ちました。5年ほど真面目に通って勉強をしていく過程で、フランス人の価値観や文化など、すべてひっくるめて好きになってしまったんです。
―入りは前向きではなかったのに、どんどんフランスの虜になっていったんですね。
売野:フランスに夢中でしたね。日本に住みながらフランス成分を少しでも摂取するために、フランス映画を観たり、本を読んだり、フランス料理を作ったり。本当に辛いときは、最終手段として現地のバスの時刻表やGoogleのストリートビューでフランスの街を見ることもあります(笑)。
―それは、相当ぞっこんですね(笑)。売野さんが惹かれたフランスの価値観や文化というのは具体的にどういったところなんでしょうか?
売野:私が好きなフランス人の性質は、そのひと懐っこさです。そこに居合わせただけの人が、ぐいぐいと人生に関わってくる。たとえば、娘と2人でフランス旅行をしていると、こちらがフランス語を喋れるとわかれば道端でもガンガン話しかけられる。さまざまな人がお節介をしてきます。
動物園に行けば、突然後ろから警備員の人が走ってきて「正規のルートじゃなくて、鳥のコーナーから回ったほうがいい。途中にコウモリの小屋がある。子どもは絶対にそっちのほうが驚くから」ってわざわざ耳打ちしたり。レストランへの道に迷って、歩いていた女性に尋ねたら、「その店は高すぎる、もっと安くて美味しい店がある」と別の店に誘導されたり。服を買うときにも、聞いてもいないのに店員さんは平気で「その色は似合わない!」と叫んで別の色を持ってきました。
―知らない人だろうと、伝えたいことがあるならば他人でも身内でも関係ないんでしょうね。
売野:しゃべることが好きですよね。他人に話しかける権利があると誰もが思っているし、勿論それに対し反論する権利もある。それは相手を個人として認めていることの証左だと思っています。この議論の文化が、自分には合っていました。日本だとルールが絶対で、理不尽なことに対して訴えても、ルールに則っていなければ基本的は認めてもらえないですよね。でも、フランスはいい意味でも悪い意味でも話し合いが通用する。自分の意見をはっきりと伝えれば、それがたとえルールから外れていても「たしかにそうだね」と言ってすんなり認めてもらえることがよくあります。
身近なことでも、たとえば飛行機の座席の裏で誰かが大声で喋り始めたら「私は眠りたいよ」と伝えるだけでサッと解散してくれる。「ここは静かにしなきゃいけない場所です」とルールで説明しても伝わりません。本来人間とはこうあるべきなんじゃないかというコミュニケーションがとれるように思います。
―レギュレーションではなく、そのときの相手の状況や気持ちに即して対応することが求められているんですね。
売野:悪い側面としては、各々の機嫌で決まることでしょうか。どれだけ自分が悪くても、イライラしていれば負けを認めませんし、ひどい言葉を吐きます。早くバカンスに行きたい先生がすぐに授業を終わらせたり、郵便局や宅配が遅かったり、よくないこともありますよ(笑)。フランス人にもいろんな人がいるので一概には言えないですけど、喜怒哀楽を平気で他人に見せる姿は本当に愛おしいなと思います。
どうしようもない人はどうしようもないまま。そうしたことにフランス映画の愛おしさを感じます
―フランス映画でも、しょっちゅうカップルが喧嘩したり泣いたりしていますよね。理由は些細なことなんですが、2人にとっては大小関係なく、自分の気持ちを思い切りさらけ出しているシーンをよく見かけます。
売野:ありますね。生きていく上ではカロリーが高い国だと思いますけど、そういうやりとりに心を感じます。きっと、私が求めていることなんだと思うんです。だから、フランス映画を観て、その文化や価値観を浴びる時間が大好きです。
―たしかにフランス映画には、そうした文化や価値観のエッセンスがつまっていますね。文化的な背景や彼らの習慣を知っていると、より楽しんで観ることができそうです。
売野:昔はフランス映画を観ても疑問に思うことが多かったのですが、今はどこが疑問だったのかわからないくらい、フランス文化が身体に馴染んでしまいました。なるべくエッセンスがたっぷり反映されている作品だと見終わった後に嬉しくなりますね。
―フランス映画はどのくらいの頻度で観られますか?
売野:今年はこの状況でしたので中々観られていないのですが、普段は月に1~2回劇場に行きます。上映されているフランス映画の中から、観たいものを絞って。ミニシアターも好きなので、ジャンルは幅広いと思います。最近は配信でも大量に観ています。
―お好きな監督はいますか?
売野:アルノー・デプレシャンが、やっぱり好きですね。本当に好きで……彼の作品は、いいところしかないです。特に『そして僕は恋をする』(1996年)という映画は、私の好きなフランス文化が凝縮されています。思ったことをそのまま言って相手を傷つけたりして、全員ダメな人しか出てこない。
でも、そこにはフランス人の青春の輝きがおさめられていて、決して綺麗事にしないんですよね。どうしようもない女性は、どうしようもないままなんですが、そこが私は大好きだし、愛おしいと感じます。3時間という長編映画ですが、没入できるんですよね。あと突然、カメラに向かって始まる独白シーンは、デプレシャンの醍醐味だと思います。『あの頃のエッフェル塔の下で』(2015年)という続編も最高です。
―ルールや社会の規範といった観点から見たらダメな人間かもしれませんが、過剰に美談にされていない人間らしくて愛すべき人たちがたくさん出てきますよね。
売野:そう思います。フランスを舞台にした作品はたくさんありますけど、私が好きなのはどちらかと言えば他国の製作陣がパリを舞台に作るタイプの作品ではなく、フランスの文化や価値観を知っている内側の人間が作っている作品ですね。
「3行でおもしろいキャプションを書けない作品は売れない」と言われるけど、ロメール作品は3行におさめられない魅力があります
―フランス映画では、古い作品もご覧になるのでしょうか?
売野:父親が長年フランスに住んでいたこともあって、実家ではヌーヴェルヴァーグの作品がよく流れていました。でも、当時は退屈に感じていました。価値観が古いし、ダサく感じていた。名作よりも、現代作品を見るほうが好きでした。でも今回、あらためてエリック・ロメールの作品を観返したんですけど、どれも今ではすっかりおもしろく見られた。ロメール作品は大概が、恋愛の絡んだ人間関係を軸に進むだけの会話劇で、人にあらすじだけを説明しようとするとまるでつまらない作品かのようになり、苦労しますよね。
よく漫画の世界では、「3行でおもしろいキャプションを書ける作品でなければ売れない」と言われるんです。私はその価値観に疑問を持っているから、そうではない漫画を描いているつもりですが、ロメールもまさにあらすじには収められない魅力がある作品ばかりです。出だしの会話劇から引き込まれて、ずっと物語に夢中になれる。会話だけなのに緊張感を保ちながら展開するので驚きます。毎晩どれか観たいと思うような作品たちでした。
―特に好きな作品はありますか?
売野:3組のカップルの短編を収めたオムニバス映画『パリのランデブー』(1994年)は、初見の方にお勧めしたいです。大好き。3つとも、このデートの行方が一体どうなるのか、ワクワクしながら見ていられる。また、日本の少女漫画ってロメールのような作り方なんだなとも思いました。
あと、『満月の夜』(1984年)も好きでした。「そんなこと、いま言っちゃいけない」っていう場面が出てくるのが、ロメールの作品は顕著ですよね。でも、本当は相手の顔色なんて伺わずに思ったことはそのまま言ってもいいし、脇目も振らずに泣いたり怒ったりしてもいい。人間ってそういうものだと思うんです。これまでと意見が突然変わることもあってもいいですよね。その場その場で自分の気持ちに素直になる自由さを、獲得していける映画だと思いました。
―「自分らしさ」とは、また違った話ですよね。周りの目から離れて、自分の気持ちに敏感になっていくような。
売野:そういうことを目の当たりにすると、自分の心も解放されていくなって思いました。
―ロメールは「恋愛映画の旗手」としても名高いですが、売野さんの作品も多くが恋愛を描いていますね。
売野:フランス映画=恋愛って言われますけど、そうではなくないですか? 私もそうですし、ロメールの作品を見ても感じますけど、人生や個人の哲学、人間関係を描く上で、恋愛が組み込まれているだけ。恋愛はしないといけないものではありませんし、物語の作り手としては、人間を描く上で恋愛感情は他のさまざまな心の機微と並んで重要な要素の1つでしかありません。
―たしかにロメールも、恋愛を主題に作品を作っているわけではなく、彼らの人生を描こうとすると恋愛が自然と関わってくるということなんでしょうね。
売野:そうだと思います。フランスは、日本の旧来の価値観とは違う種類の男女の役割が根強くあると思います。基本的にカップル文化で、どこでもパートナーを帯同しますしね。
無意識レベルで男女の役割が存在していて、それはカップルでいることが自然という価値観からきている部分もある。もちろん、フランスにもそういった考えに反対する人も普通にいて、その考えも尊重されます。それでも、人と関わり合うことが大好きな彼らにとって、恋愛は人生を大きく占めるものであり、また人生を謳歌する自由を体現するものなのかもしれません。この「愛こそすべて」という態度は「心こそすべて」という、より本質的なものに私には見えます。その価値観は、人間を人間たらしめるものであると思い、個人的に共感を覚えるのです。
『ザ・シネマメンバーズ』のエリック・ロメール特集 / 「飛行士の妻」©1981 LES FILMS DU LOSANGE. / 「美しき結婚」©1982 LES FILMS DU LOSANGE-LA C.E.R. / 「海辺のポーリーヌ」©1983 LES FILMS DU LOSANGE-LA C.E.R. / (サイトを見る)
―売野さんの作品も、決して恋愛をただ賛美するような物語ではなく、多様な考えを持った登場人物に、読者それぞれが感情移入できるようになっていると思います。
売野:ありがとうございます。私も恋愛を描こうとは意識していなくて、心が揺れ動く瞬間の1つとして、自然と物語の中に入ってきているんだと思います。
根本的な悩みは100年前から変わらないことを知って、孤独じゃないって思う
―フランス映画の虜になってから、作風が変わることはありましたか?
売野:変わりはないですね。むしろ、自分のままでいいことを認めてもらったような気がします。日本だと、私らしさってあまり受け入れてもらえなかったんです。私は意見をはっきり言うし、批判もしますし、喜怒哀楽も激しい。日本では異質だったアイデンティティが、フランス文化だとむしろ合致して、生きやすくなったと感じます。あと、フランス語を学ぶ中で知ったことや価値観の広がりは、経験として私の作品全体に染み渡っていると思います。
―なにかを学ぶことは、自分の軸を強くして、拡張してくれる喜びがありますよね。それは作品ににじみ出てくるものだと思います。
売野:フランス語の学校に通って嬉しかったのは、ロールモデルができたことですね。私は平日に通っていたので、だんだん上級クラスになると周りは70~80代の人ばかりになります。そこにいる人は留学や仕事のためではなく、勉強したいからしよう、という人たちなんです。フランス語を習得した先になにか目的があるのではなく、ただ勉強が楽しいから勉強する。役に立たないことだろうが学んでいい、いつ始めたって構わない。おばあさんになっても勉強し続けていいんだと思える光景は、私にとって救いになりました。学生の頃は勉強が大好きなのに授業が苦手で苦労しましたが、それは授業のあり方が合わなかったのだと大人になってわかりました。
フランス語の授業ではいくらでも手をあげて、自分の意見を言っていい。「意欲がある学生」をやっても、誰にも揶揄されないし、むしろ歓迎されてとてもうれしかった。政治の話題など意見がわかれる話題も、いろんな立場の人がいていいというスタイルが心地いいですね。小中高の教育では、正しい答えが必要とされたけれど、フランス語の授業や教科書からは、それぞれの立場を表明して自分の意見を言うことが尊重されています。違う意見でも、その人が断罪されることはない。別の議題になったら、さっきまで意見が異なっていた人が同じ意見を発信していたり。フランス映画でもよく見る光景ですよね。
それまで私の漫画は窮屈な世界を描くことが多かったのですが、彼らのそういうあり方に影響を受けて、もう少し希望のある広い世界を描けるようになったかもしれません。
―フランスに行かれたときも、現地でそういった希望を感じる瞬間はありましたか。
売野:日本で、シングルマザーとして子どもを育てていると、絶句するようなことがたびたび起きるんですね。でも、フランスでは自分が尊重されていると初めて思えた。それは成熟した1人の人間として認められている嬉しさを感じます。
―最後に、そうしたフランスの文化が色濃く反映されたロメールの作品が特集されている『ザ・シネマメンバーズ』ですが、実際にご覧になってみていかがでしたか。
売野:なかなか他のストリーミングサービスに入ってない、ミニシアター作品もラインナップにあるのが、嬉しいですね。人生を描いた素晴らしい作品である『サンドラの週末』(2014年)が好きなので、ダルデンヌ兄弟の作品もあるのがうれしいです。あと、マチュー・アマルリックが好きなので、『皆さま、ごきげんよう』(2015年)が配信されているのもいいですね。
―映画を見るときに参考にされているサイトや批評家の方などいらっしゃいますか?
売野:自分の感覚で選ぶんですけど、観終わった後にいい映画でも悪い映画でも「AlloCine(アロシネ)」というフランス語で書かれた映画の批評サイトをよく読んでいます。フランス人って、レビューが異様に長いんですよ(笑)。ひどい作品に対してはものすごく辛辣だし、いい作品だと言葉を尽くして褒めるんですよね。
―以前までは現代の作品を観られることが多いとおっしゃっていましたが、過去の作品に触れる面白さとはどういったところにあると思いますか?
売野:若い頃って、古典作品が耐えられないことがありますよね。音楽も服も、ひと昔前のものだからダサく感じてしまう。でも、今はそういった価値観を乗り越えました。昔と今とはジェンダー観も、なにを大事にされているかの価値観も違っています。でも、根本的な悩みや心の動きは今と変わらない。相変わらず人と論じ合っているし、恋愛をしているんですよね。100年以上前の人も、今の私と同じことで頭を抱えているんだと思うと、孤独じゃないなって感じます。
『ザ・シネマメンバーズ』ABOUT画面(サイトを見る)
―たくさんフランスへの愛を語っていただき、今回はありがとうございました。
売野:(『ザ・シネマメンバーズ』担当者に向けて)あの、1点だけ最後にお願いがあって……デプレシャンの『イスマエルの亡霊たち』(2017年)を配信できるようにしてもらえませんか? 映画祭でしか上映されなかったんですが、そのときにちょうど観られなくて。このまま『イスマエル~』見られないで死ぬのかなと思って(笑)。『ザ・シネマメンバーズ』でぜひ配信してください、お願いします!
(ザ・シネマメンバーズ担当の方):時間はかかるかもしれませんが、なんとか頑張ります!
- リリース情報
-
- 『ザ・シネマメンバーズ』
-
ミニシアター・単館系作品を中心に、 大手配信サービスでは見られない作品を「映画が本当に好きな人」へお届けする配信サービス。毎月お届けする作品は、 ごく限られた本数だが、 しっかりとセレクトした作品のみを提供。 500円(税別)で1カ月、 好きな時に好きな場所で見られる、 デジタル上のミニシアター。
- プロフィール
-
- 売野機子 (うりの きこ)
-
漫画家。東京都出身。乙女座、O型。2009年「楽園 Le Paradis」(白泉社)にて、『薔薇だって書けるよ』『日曜日に自殺』の2作品で同時掲載デビュー。『薔薇だって書けるよ―売野機子作品集』(白泉社)、『ロンリープラネット』(講談社)、『MAMA』全6巻(新潮社)、『かんぺきな街』(新書館)、『売野機子のハート・ビート』(祥伝社)、『ルポルタージュ』(幻冬舎)ほか、著書多数。
- フィードバック 0
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-