眠りがもたらすものは、ただの休息や空白ではない。それは夢への入り口であり、感情と記憶の整理であり、「覚醒」や「死」へのステップでもある。時代やジャンルを超えた作品を通して、そんな眠りとアートの関係性に迫る展覧会『眠り展:アートと生きること ゴヤ、ルーベンスから塩田千春まで』が、東京国立近代美術館で開催されている。
今回は本展を、オーストラリアの伝統楽器「ディジュリドゥ」の奏者で、2009年の交通事故のあと記憶障害とともに生きてきたGOMAさん、そして、脳科学者の茂木健一郎さんとまわった。人間の生命維持にとっての基本要素でありながら、その不思議な魅力で数多くの作り手を刺激してきた眠り。日々に潜む、「もうひとつの現実」に足を踏み入れよう。
眠りを巡る、深淵な世界へ
本展の背景には、全国の国立美術館の豊富なコレクションを、新鮮な視点で編み直してその価値を再発見する「国立美術館による合同展」という企画がある。この日、会場を案内してくれた東京国立近代美術館研究員の古舘遼さんは、本展の企画案を考えるなかで、過去に「夢」をテーマとした展示は多いが、「眠り」を扱った展覧会がほとんどないことに気がついた。この意外な事実が、本展の出発点になった。
古舘:人は平均、1日の1/3~1/4ほど寝ていると言われます。それほど日常的な行為にもかかわらず、これまで展覧会のテーマに上がらなかった。新しい切り口として意味があるのでないか、と。また、「睡眠」ではなく「眠り」と題することで、単純な「寝ること」以外にも、人間に関わるさまざまな視点を入れられると考えました。
会場に集まったゲスト2人も、この展覧会名に想像を膨らませている様子だ。
GOMA:「眠り」は入るとき覚めるときで、世界を切り替える一つのスイッチになる。眠る人の姿を描いたのか、眠りのなかにある夢のイメージを描いたのか。いろいろと想像できるタイトルですよね。
茂木:シュルレアリスムが夢を重視したのは有名ですが、実際、眠りと創造性はとても関係があるんです。脳科学的に面白いのは、夜の「夢」と未来の「夢」が「DREAM」という同じ言葉で表現されること。定説はないですが、前者が記憶の整理の途上で見られるのに対し、後者は過去の記憶の将来への投影と言えます。AI時代の今こそ、眠りという人間的な行為から生まれるものに注目することは、面白いテーマだと思います。
展覧会の導入となる序章の部屋には、クールベからルドン、藤田嗣治まで、幅広い年代の作家による、眠る人や目を閉じる人を描いた絵画が並ぶ。「目を瞑る」という共通点で集められた作品群からは、無防備な対象に向けられた描き手の視線が見えてくる。
古舘:目を瞑ることは、他者の視線に一方的に晒されることを意味します。そこに、描き手の対象に対する視点が浮かび上がる。たとえばルーベンスの『眠る二人の子供』は、とくに優しい視線を感じさせる作品です。モデルは画家の甥と姪と言われています。
GOMA:癒されますね。描いている画家の愛を感じます。一緒に眠りたいくらい。
茂木:この子たちは、現実の子供であると同時に、自然の豊穣さのアレゴリーでもあるように感じます。ほっぺの膨らみや赤み、髪のふくよかさも、ちょっと過剰。半目を開いているのも含め、作為のない寝姿を通じて、より大きなものを感じさせる絵ですね。
絵画が並ぶこの部屋で異質な存在感を放つのが、河口龍夫の『DARK BOX 2009』だ。固くボルトで閉じられた鉄製の箱の表面には、「DARK BOX」と「2009」の刻印がある。
古舘:これは作者が2009年に夜の闇を閉じ込めた箱です。古くから続くシリーズで、いろんな制作年があります。
面白いのは、年数が刻まれることで、それがどんどん「過去の闇」になること。目を閉じるより、さらに深い闇を感じる作品です。
すると、説明を聞いていたGOMAさんの表情が変わった。というのも、2009年は、GOMAさんが交通事故に遭い、高次脳機能障害を抱えた年。この年よりGOMAさんは、睡眠から覚めた際、過去の記憶が失われる不安とともに生きてきた。
GOMA:年数を見て、驚きました。僕には事故当時の記憶がなく、自分のなかであの当時の出来事はまさにこの箱のようなんです。自分の辛い過去が闇としてここに閉じ込められていると感じるし、同時に、これだけ頑丈に閉じられていることに安心感も抱きます。
もちろん、この符合は偶然だ。しかし、中身の見えない箱に、数字という開かれた記号が刻まれたこの作品のあり方が、見る人それぞれの思いの投影を可能にしている。思えば他者の寝姿に抱くさまざまな思いも、結局は見る人間の想像でしかない。「外から見ると誰のなかにも無限の広がりがある。この箱自体が人の似姿ですね」と茂木さんは指摘する。
「眠りは、僕にとって創作のエネルギー」(GOMA)
「夢かうつつか」と題された第1章には、夢と現実、非現実と現実の行き来のなかに創造性を求めた作家たちの作品がある。入口にあるゴヤの版画『理性の眠りは怪物を生む』は、まさにこの章を象徴する一作であり、本展の起点ともなった重要な作品だ。
古舘:夜、机に突っ伏した人物の周りに、コウモリやフクロウが集まっています。よく見るとフクロウが針、つまり銅版画に使うニードルを差し出している。これは、この人が眠りや夢によって芸術を生み出すことを示し、眠りと芸術の関係を象徴的に表しています。
茂木:『理性の眠りは怪物を生む』という題名が、創造の本質を見事に言い当てていますね。理性は往々にして創造の邪魔になる。創造性は、理性の重しが外れたときに出てくるんです。優れた芸術家はみんな「怪物」ですから。
描かれた動物も面白くて、知恵のあり方を示したヘーゲルの「ミネルヴァのフクロウは黄昏に飛び立つ」という言葉や、人の経験の外部としてコウモリを描いたトマス・ネーゲルの論文『コウモリであるとはどのようなことか』を想起しました。
一方、GOMAさんは、事故後の眠りと創作のつながりについて話してくれた。
GOMA:僕は事故で意識を失ったあと、それまで描いたこともなかった絵を突然描き始めました。寝て覚めたとき、前日の記憶がないかもしれない自分にとって、それは記憶の代わりであり、昨日を生きた証です。多くの人にとって、眠りはブランクや記憶の整理の時間かもしれないけれど、僕にとってはそれがあることで創作のエネルギーを得ています。
続く通路には、夢や無意識の世界を追求したシュルレアリストの作品のほか、夢と現実の関係性を意外なかたちで示した現代の作品も並ぶ。楢橋朝子の『half awake and half asleep in the water』は、日本各地の海や湖に浮かび、水面ぎりぎりを撮影した写真作品だ。
古舘:このシリーズ名は、「水の中で半ば目覚め、半ば眠っている(状態)」の意味。楢橋さんは日常に潜む奇妙な光景を写した『NU・E』(鵺)シリーズでも有名ですが、本作も夢と現実や、生と死の境界を連想させます。生と死も、本展の重要なテーマです。
GOMA:水中と水上のどちらにも属しているような、不思議な浮遊感がありますね。
茂木:水面を撮った点で杉本博司さんの『海景』シリーズも連想しますが、風景を抽象化したそれに対し、こちらは波が揺れ、陸地の人工物が収められている。水中が異界的なのは明らかだけど、陸の風景も日常のすぐそばにある異界に見えますね。意識と無意識のあいだで見られる「入眠時幻覚」というものがありますが、どこかその感覚もあります。
饒加恩(ジャオ・チアエン)の映像作品『レム睡眠』では、台湾で働く18人の外国人労働者が、1人ずつ眠りから目を覚まし、見た夢について語る。その多くは、亡き肉親をめぐる話や幽霊に追われる話など、悪夢のような内容だ。そこに彼女らの遠い故郷への想いや、過酷な現実が滲む。
茂木:夢には記憶の整理のほかに、感情やストレスの発散の役割もあります。眠りは休息のときだけど、ゆえに人生の悪夢的なものが現れやすい。外国人労働者の置かれた過酷な状況を語るために夢にフォーカスするのは洗練されたやり方で、批評性がありますね。
眠りとは「小さな死」である
第2章「生のかなしみ」は、眠りが孕む「死」の予感と、それとの対比で輝く「生」の切実さや尊さを感じさせる作品が集められている。章名の「かなしみ」は、「悲しみ」であると同時に「愛しみ」、すなわち生の時間をいとおしむ感情も意味している。
犬や子どもといった身近なモチーフを、独特の柔らかさを持つタッチで描いた絵画で知られる小林孝亘は、ベッドの上の枕を、やや仰ぎ見る視点で正面に捉えた作品を展示する。
GOMA:普段はあまり意識していないですが、小林さんの絵を見ると、眠りへのスイッチを入れるための道具としての、枕の象徴性を感じます。神聖な感じすらありますね。
古舘:小林さんは、「人は、眠ることと目覚めることを繰り返して、だんだん死に向かっていく」と話しています。つまり、眠りとは「小さな死」だと。実際、最初のルーベンスの絵にも似た構図を持つこの絵では、眠る人間の不在を通して、死が暗示されています。
小林の絵画の横には、メッシュ状の生地で作られた、見るからに儚い内藤礼の小さな枕の作品が並ぶ。さらに、対面の壁には、棺を思わせる荒川修作のオブジェや、ベッド上で女性の存在と不在が繰り返される塩田千春の映像作品も飾られている。「この部屋は、とくに作品同士のあいだに有機的なつながりが生まれていて、好きです」と茂木さん。
GOMAさんは、堂本右美の『Kanashi-11』がとくに気になった様子。滲んだ背景の上に大胆に描かれた黒い線の形態は、癌の闘病中に作者が見た、萎れて地面につきそうになりながらも懸命に頭を上げようとする、チューリップの花をモチーフとしているという。
GOMA:背景だけでも成立しそうなのに、あえてこの黒い線を大きく描いている。そこに作者の強い意思を感じます。僕は自分の絵で、記憶のない時間から意識が戻るときに見る光を描いているのですが、この背景の発光具合には、その光と似たものを感じました。
「自分のなかに眠ったものが、思わぬ回路で浮かび上がってくることがある」(GOMA)
眠りは個人を超えて、社会との関係によってさまざまな意味を持つ。また、眠りはその先にある覚醒の予感によって、一種の可能性の喩えともなる。続く第3章と第4章には、そうした眠りの多義的な意味や、未来に向けた潜在性を示す作品が並んでいる。
第3章「私はただ眠っているわけではない」は、戦時中の日本の絵画を中心に、時代状況と照らしたときに見える、眠りの意味を問う。たとえば、阿部合成の『百姓の昼寝』は、一見百姓の何気ない昼寝姿を描いたように見える。ただ、それが日中戦争の時期に描かれたことを思えば、そこに国家の号令に従わない「反抗」の態度を見ることもできる。
三島由紀夫の演説をモチーフにした森村泰昌の映像作品では、作家の熱弁にまるで耳を貸さない聴衆の姿を通して、政治や文化に関心を示さない社会の眠りが浮かび上がる。
第4章「目覚めを待つ」には、本来の力を温存した、可能性を秘めた存在に焦点を当てた作品が揃う。なかでも、序章の『DARK BOX 2009』と同じ河口龍夫による『関係—種子、土、水、空気』は、茂木さんが本展でもっとも感銘を受けたと語るインスタレーションだ。
1986年のチェルノブイリの原発事故を機に制作された本作。壁にかかった30枚の鉛の板には、それぞれ異なる野菜や果物、ハーブの種子が閉じ込められており、床に置かれたアルミ、真鍮、銅の筒のなかには、その種を育てるための空気、土、水が詰まっている。
古舘:原発事故による生命の危機を受け、河口さんは種を閉じ込め眠らせることで、危機が去ったときに発芽できるようにしたんです。
茂木:コンセプトも、視覚的にも美しいですね。東日本大震災以後の日本にも、強い批評性がある。古代蓮のように、何千年も前の種子が発芽することがありますが、植物の種は比喩ではなく本当に発芽を待っているそうで、コンクリートの下にある無数の種子も、そのときがくれば目覚めるんです。更地に見える場所にも、いくつもの可能性が眠っている。
GOMA:時代を超えて残るワクワク感がありますね。タイムカプセルみたい。『DARK BOX 2009』もそうでしたが、河口さんの作品には時空を超えた広がりを感じます。
続くダヤニータ・シンの『ファイル・ルーム』は、膨大な資料が山積みになったインドの公文書館を撮影し、書籍の形状にまとめた作品だ。読まれることを待つ資料の束は、いまだ意識化されていない歴史の死角を想像させると同時に、個人の潜在性の比喩にも映る。
茂木:人の脳の記憶もこの写真とよく似ています。無数の記憶が眠っていて、いつ使うかわからないけれど、あるとき何かのタイミングで取り出される。アートはそのきっかけを作るものの1つで、この作品はそんな創造のプロセス自体を示しているようにも見えます。
GOMA:僕もあるとき記憶が引き出せなくなりましたが、今日のようにいろんな場所に行くことで徐々に思い出しました。その経験を通して感じたのは、記憶は五感と強く結びついていること。
僕は味覚と臭覚が麻痺していたのですが、味覚が戻ると、ある味に付随する温度や光景も思い出すようになった。そんな風に、自分のなかに眠ったものが、思わぬ回路で浮かび上がってくることがある。現代はどちらかというと、不要なものや役に立たないものは積極的に捨てる風潮だけど、この作品を見ると、いろいろ考えさせられます。
「生と死の間には祈りがある」(GOMA)
展覧会もいよいよ終盤。第5章は本展で唯一、単独作家に焦点を当てたパートとして、河原温を紹介する。河原は渡米した1960年代からその死まで、一切、公に姿を現さず過ごした特異な活動スタイルで知られた。
制作日を記しただけの『Today』、自身の生存を知人に電報で知らせる『I Am Still Alive』、起床時間を友人に絵葉書で送る『I Got Up』などのシリーズは、それゆえ、ほかの人間にとって河原がその日を生きた唯一の証となる。
古舘:河原さんは『Today』シリーズのある一作の副題で、同シリーズの制作を「昼寝」に喩えています。僕らは彼の生存を直接見ることはできず、目の前にあるのは数字や文字などの記号にすぎません。しかし、見えない眠りと目覚めによって「一日」の営為をミニマルに提示し続けたその作品からは、河原さんの生そのものの広がりが見えてきます。
茂木:すごく抑制的な表現なのに、人生のすべてが込められている。生物のシグナルとして強烈なものがありますよね。
茂木:同時に、あらためて作品を見て思うのは、僕らにとって70億人の人類のほとんどは、河原さんと同じ「いるのかどうかわからない人」であること。単純な記号を使いながらも、とても強い批評性と射程を持った作品だと思います。
GOMA:僕は河原さんの作品を初めて知ったとき、自分と近いものを感じたんです。僕も消えていく記憶の代わりに、日記と絵を描いてきたから。
空白の時間が怖くて一日一日と積み重ねてきたけど、事故から10年経ったいま振り返ると、それが生きた証として残っている。だから、生涯をかけてそれをやった河原さんの作品を見ると、どこか安心します。
終章「もう一度、目を閉じて」には、序章と同じく、ふたたび目を閉じた人物を描いた2つの絵画が並んでいる。ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの絵画には、静謐な海辺の風景のなかで目を伏せた、どこかキリストを想起させる漁夫が描かれる。
一方、金明淑(キム・ミョンスク)が描いているのは瞑想する僧侶の姿だ。「いろんな眠りを見てきた本展の最後に、内面に目を向ける人の姿を通して、観客の方にも静かな瞑想の時間を持ってもらえたら」と古舘さん。
GOMA:祈りと眠りの姿はよく似ているんですね。この展覧会には生と死の狭間を扱う作品が多かったけれど、その間には祈りがある。究極の眠りは祈りなのかもしれません。
茂木:「写真に撮りながら展覧会を回ると記憶に残らない」という研究もありますが、美術鑑賞の本質は、作品と出会った人の心に立ち上がるものの中にあると思うんです。本展では視覚芸術を扱いながらも、その最後に、宗教的な祈りの光景を通して、「あらためて目を閉じて見えてくるものは何か?」と問うている。とてもいい結末ですね。
さまざまな切り口によって、眠りという日常的な営為の多様な側面を浮かび上がらせてきた本展。じつは企画当初の3年前、古舘さんの念頭にあったのは、「『東京オリンピック・パラリンピック』という大きな祭典のあと、訪れた休みのときに何を考えるのか?」という問いだったという。その後の予期せぬコロナ禍は、この展示の前提に問い直しを迫った。けれど、すべての人が「生」に向き合うこの時間は、本展にも新たな意義を与えている。
GOMA:コロナ禍で、あらためて自分の身体に目を向けた人は多いと思うんです。「こんな生活がいつまで続くんやろ」「オリンピックなんてできるのか」と、不安が長引いている状況でもあるけど、それゆえ一回ニュートラルに戻って、個人の身体や心、社会を見直すタイミングに来ているのではないか。本展にはそのヒントがたくさんあると思います。
茂木:ルネサンスは、ペストの蔓延を一因に生まれたと言われますよね。こうした危機のあとには、芸術が生まれる。去年の夏、『ヨコハマトリエンナーレ2020』でひさしぶりに美術館を訪れ、美術作品と直に向き合うことがいかに大切な魂の栄養かを知りました。
今回も回りながら、心理学者のウィリアム・ジェイムズが言った「意識の流れ(stream of consciousness)」の豊かさは、実際の会場を回らないと得られないと感じました。古典から現代までが揃ったとても本格派の展覧会なので、ぜひ生で見てほしいですね。
現実が不安定に揺れ、これまで通りの文化体験を楽しむことが難しい現在。だからこそ、本展が見せる、普段の生活のなかに潜んだ「眠り」という行為の可能性は、見る人に勇気を与えるはずだ。未知の世界への入口は、きっと、とても身近な場所にも開かれている。
- イベント情報
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- 『眠り展:アートと生きること ゴヤ、ルーベンスから塩田千春まで』
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2020年11月25日(水)~2021年2月23日(火・祝)
会場:東京都 竹橋 東京国立近代美術館 1階 企画展ギャラリー
- プロフィール
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- GOMA (ごま)
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オーストラリア先住民族アボリジニーの伝統楽器ディジュリドゥの奏者・画家。98年アボリジニーの聖地アーネムランドにて開催された「バルンガディジュリドゥコンペティション」にて準優勝。ノンアボリジニープレイヤーとして初受賞という快挙を果たす。帰国後全国の野外フェスティバルや海外にも活動の幅を拡げ勢いに乗っていた09年交通事故に遭い「外傷性脳損傷による高次脳機能障害」と診断され活動を休止。事故後間もなく描き始めた点描画が評判となり、全国各地で展覧会を開催。11年には再起不能と言われた音楽活動も苦難を乗り越え再開した。GOMAの復帰を描いた映画「フラッシュバックメモリーズ3D」が第25回東京国際映画祭にて観客賞を受賞。現在は音楽、絵画、講演会と多岐に渡り活動中。
- 茂木健一郎 (もぎ けんいちろう)
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1962年東京都生まれ。脳科学者。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。東京大学大学院物理学専攻課程を修了、理学博士。〈クオリア〉をキーワードとして、脳と心の関係を探究している。著書に『脳と仮想』『東京藝大物語』『クオリアと人工意識』など。『IKIGAI―日本人だけの長く幸せな人生を送る秘訣―』は、著者が英語で執筆した最初の書籍となる。
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