1972年から1973年にかけて『週刊マーガレット』誌上で連載され、フランス革命の時代を生きた女性たちの姿を描いた作品『ベルサイユのばら』。漫画史上に残る名作として知られ、舞台は18世紀、描かれたのはおよそ50年前でありながら、華麗に生々しく歴史と人間に迫るその筆致で、いまもなお、新たな読者を惹きつけてやまない普遍的な魅力を放っている。
このたび集英社がスタートしたプロジェクト『SHUEISHA MANGA-ART HERITAGE』では「マンガを、受け継がれていくべきアートに」というビジョンを掲げ、ブロックチェーンを含む最新の技術によって、漫画作品を永続的に継承可能な美術品とする「マンガアート」を販売する。その幕開けに並んだのが、池田理代子『ベルサイユのばら』、尾田栄一郎『ONE PIECE』、坂本眞一『イノサン』の3作品だ。
今回は『ベルサイユのばら』を愛読するアーティストのあっこゴリラが、「マンガアート」に触れ、額装して自宅に飾るまでの一連の流れを体験。アルバム『GRRRLISM』の発表以降、「オスカル的な存在であることを求められる場面が多かった」という彼女から見た『ベルサイユのばら』の魅力についても話を聞いた。
『ベルサイユのばら』作者・池田理代子の時を超えた偉大さ
あっこゴリラ:私は自由を求めて戦っているものが好きだから、フランス革命も、「初めて人権について訴えた革命」というところで単純に興味があって。とはいえ、そこで権利の対象として想定されていたのは実は白人の成人男性だけで、女性や移民は含まれていなかったんだけど。『ベルばら』を読むまでは、少女漫画の文脈で女性の社会的な在り方の変化や時代の流れについて考えたことがなかったので、池田先生のすごさに驚いたんです。
『ベルサイユのばら』の偉大さについて、あっこゴリラは、そのように語る。歴史の大きなうねりの中で生きる人々を鮮烈に描いたストーリーや、華やかで美しい作画が魅力的な『ベルサイユのばら』。同作が選出された『SHUEISHA MANGA-ART HERITAGE』プロジェクトの説明を受けるべく、あっこゴリラが集英社を訪ねた。
スピード重視の世界で描かれた漫画原画を、後世に残すべく生まれた集英社の新プロジェクト
『ベルばら』をはじめ、漫画は身近なエンターテイメントであるとともに、ストーリーテリングや画法において独自の発展を遂げ、一つの成熟した文化として、アートの文脈においても語られるようになった。しかしその一方で、漫画作品の原画は、適切な保管が難しい状況に置かれているのだと、集英社で『SHUEISHA MANGA-ART HERITAGE』プロジェクトのディレクターを務める岡本正史さんは言う。
岡本:雑誌連載はスピードが求められるうえに、そもそも原画は中間制作物の位置付けで、耐久性が重視されていなくて。漫画を描く原稿用紙って、特に高度成長期に生産されたものなど、酸性度が高くて長くは保たないものが多いと言われているんです。そのうえ、2010年頃まで、ふきだしの文字の写植を貼るために使われていた接着剤も、紙にダメージを与えます。見開きの絵をつなげたり、印刷の指定を書き込んだトレーシングペーパーを貼るときに使うセロハンテープも、すごく劣化する。漫画家さんによっては描きおえた作品の原画にあまりこだわりがない方もいらっしゃるので、保存状態も異なります。
岡本:集英社では、2008年から漫画の原画を高精度でスキャンして、データをアーカイブするプロジェクトを行なっているんです。原画を大切にする流れも作りつつ、膨大なアーカイブ資産を使い、永続的に残せる形で継承していく取り組みとして、『SHUEISHA MANGA-ART HERITAGE』は始まりました。
原画そのものやデータを適切に保管しつつ、保存性の高いコットン100%の紙に良質な印刷を施したプリント作品を制作し、美術品として、末永く残していく。そんな今回のプロジェクトにあたって、さまざまな時代に描かれ、異なる保存状態にあった原画のデジタル上での補正は欠かせないものだった。
岡本:池田先生の時代は、水彩絵具でカラーページを描かれているので、絵具そのものの退色はそれほど進んでいないものの、紙の変色や劣化は進んでいました。1980年代以降は、染料系のマーカーがよく使われるようになって、漫画表現が非常に豊かになったのですが、一方で、染料インクはすごく変色しやすいんです。だから、それぞれの作品をできる限り描かれた当時の状態に近づけるために、当時の印刷物などをもとに色補正を行ったり、劣化・変色部分のレタッチを行なっています。
「マンガアート」では、雑誌や単行本では気づき得なかった細部まで目を向けることができる
『SHUEISHA MANGA-ART HERITAGE』では、カラー原画を高精細に印刷した「REAL COLOR COLLECTION」、大判活版平台印刷による「THE PRESS」、描き下ろしや作家自らが手を施した一点ものとなる「THE ORIGINAL」の3つのシリーズが販売される。
早速、その現物を見せてもらうことに。まずはカラー原画の「REAL COLOR COLLECTION」から。
あっこゴリラ:やばい、めちゃめちゃすごいです! 印刷とは思えない。筆遣いまではっきり見えて、絵画みたい。
岡本:漫画の原画って、実は意外と小さいんです。今回は大判サイズと、原画の実寸サイズをセットで販売することで、先生方の絵を細部も含めて見ていただけるようにしています。
続いては活版印刷をした「THE PRESS」シリーズ。
岡本:よかったら手袋をして触ってみてください。
あっこゴリラ:あ、でこぼこしてる。
岡本:活版は印刷の圧力が強いから、ほかの印刷方法と違って紙がへこむんです。これは尾田先生の作品ですが、尾田先生って雑誌として印刷する際には裁ち落としてしまうコマの外まで絵を描きこまれるんです。つまり、これまで多くの読者の方も見たことがない絵が実はあるわけですが、今回の「マンガアート」では、そうした部分も見ていただけるようになっています。
「マンガアート」は、あえて額装をせず、収蔵ケースに入った状態で購入者のもとに発送される。
岡本:日本ではよく複製原画が額付きで販売されますが、アートの文脈では作品が既成の額とセットで売られることってあまりないと思います。そもそも日本だと、作品に合う額を自分で選んで額装することに馴染みがないかもしれない。でも、どんな額を選ぶかで、作品の見え方も変わってくるんですよね。今回はその魅力や面白さも伝わればと思っています。
こだわり出すと沼。「額装」の世界をあっこゴリラと覗き見る
ということで、ここからは「マンガアート」の中から、あっこゴリラが作品を一点選び、実際に額屋さんで額装体験をすることに。一行が訪れたのは明治20年に創業された神保町の老舗画材店、文房堂。文房堂で長年額装を担当してきた上野三次さんが、初めて額装を体験するあっこゴリラに、基本を説明してくれる。
上野:額縁はお洋服みたいなものなんです。もちろん額自体の好みもありますが、作品に合う、合わないがありますので、その作品が何を言おうとしてるのかを、まずは見極めます。さらに、額縁がメインのお洋服だとしたら、マット台紙はブラウスやシャツのようなものです。額とマット台紙がうまくつながってこそ、作品がよく見えてきます。
額装を行うにあたってはまず、規格サイズの既製品か、サイズや組み合わせを自由に選べるオーダーフレームのいずれかを予算などの希望に応じて選択するが、今回は奮発してオーダーで行うことに。店内の壁にずらりと並んだ額を見渡して、「これがいい!」とあっという間に額を選んだあっこゴリラに対し、文房堂に置かれている5000種類以上の額のすべてが頭に入っているという上野さんは、さらなる提案を行う。
上野:あっこさんが選んだのは日本製の額なのですが、フランスの歴史を題材にした作品なので、フランスの額を使う方法もありますよ。あるいは、マット台紙同士を重ねたり、額縁の内側にさらに細い額を入れることもできます。着物の伊達襟と同じような手法ですね。
上野さんが「これも合うのでは」と見繕ってくれた額を当ててみたり、額同士やマット台紙の組み合わせ、ちょっとした余白の取り方を変えることで、作品の印象がかなり変化する。またオーダーフレームの場合、額のサンプルはコーナー部分しかないため「全体に額がついたあとをイメージするのが難しい」と、あっこゴリラも悩み始める。最終的に、自宅内の作品を飾る場所を思い浮かべながら、最初に直感で選んだ額に、上野さんのアドバイスによって内側に細い額を重ね、V字の溝が入ったマット紙を合わせることに決定した。
上野:大体みなさん初めに選んだものにされます(笑)。でも、それが本当に合っているか確認する意味でも、いくつもの額を見ていくことが大切で、最終的にお客様に満足してもらうために、我々は口出しをさせてもらうんです。
額装に対する上野さんの誇りと心意気に「アナログな感じがよかった。職人さんっていいなあ」と、文房堂をあとにし、呟いたあっこゴリラ。
「額をかけることでアートとして存在感が増す」――マンガアートを家に飾るまでの一連の体験を経て語る
額装の完成後、作品は一時的なレンタルという形であっこゴリラの自宅へ。数日後、『ベルばら』への思いをあらためて伺うべく、あっこゴリラの自宅にお邪魔した。
―額装した「マンガアート」をしばらく自宅に飾って過ごしてもらいました。飾ってみてどういう感想を持ちましたか?
あっこゴリラ:とにかく迫力が違うなと思いました。うちみたいになんの変哲もない家にあると、集英社や額屋さんで見るのとはまた印象が違って、いい意味で違和感がある。その違和感を大きく担っているのが間違いなく額で。漫画の絵自体は日常の中でよく目にするものでもあるから、そういう意味でも、額をかけることでアートとして存在感が増すんだなと思いました。
―漫画を読むときってストーリーを追うことに夢中になっていて、一つひとつの絵をまじまじと見る機会がなかったことに気付かされます。こういう形になることで、あらためて絵としての魅力を再発見できるかもしれないですね。
あっこゴリラ:うん、確かに。物心ついた頃には漫画はアートとして認められているものだと思っていたから、こういう形でアートとして販売されることにはまったく違和感がなくて。でも今回このプロジェクトを知って、漫画界の中にいる人たちは、まだまだやるべきことがあると感じているんだなと思いました。
―額屋さんで額装するというのもなかなか珍しい体験でした。
あっこゴリラ:面白かった! 私はそもそも額屋さんというものがあることを知らなくて。集英社の岡本さんが、「額はこだわり出すと沼だ」と言っていたけど、あまりにも種類が多くて、これは確かに沼だなと。
―でも最初にお店の中から気になる額を選び出すのがすごく早かったですね。
あっこゴリラ:私、なんでも決断が早いんです。でもマット紙を重ねたり、額をダブルにする発想は自分にはなかったから、お店の人が教えてくれてよかった。正直、自分の好みだけで選ぶほうが簡単で、「作品にフランス革命の文脈があるから、フランスの額もいいと思う」みたいな話を聞くと、奥が深すぎてどうしよう! と思ったけど(笑)、それもまた一興でしたね。
「壁に何かを貼るのは昔から大好きで、子どもの頃はモー娘。のブロマイドをめっちゃ貼っていて」
―絵を飾る習慣はこれまであまりなかった?
あっこゴリラ:全然なかった。でも壁に何かを貼るのは昔から大好きで、子どもの頃はモー娘。のブロマイドをめっちゃ貼っていて。あと私はメモ魔で、前に住んでいた家は倉庫みたいなところだったんだけど、覚えたい英単語やアイデアを書いたメモを壁中に貼っていて、部屋がメモだらけで結構やばかった(笑)。
―想像するとなかなかすごそう(笑)。
あっこゴリラ:コロナ禍以降は、アーティストを支援するクラウドファンディングでリターンとして絵が返ってくるものが結構あって。いくつかドネーションしたから、そのときにもらった絵を最近はちょっとだけ飾るようになりました。額がないから飾れていない絵がまだいっぱいあるんだけど、ああいうお店で額を買えばいいのかっていうのも勉強になった。
令和時代の『ベルばら』の読み方。人の愚かさや未熟さを否定しない、「オスカルだけを崇めるのは簡単」という視点が現代を生きるうえでは重要
―今回いくつか『ベルばら』の作品があったなかで、あの絵を選んだのは?
あっこゴリラ:やっぱり『ベルばら』の登場人物の中ではオスカルに一番憧れるんです。それ以外の登場人物たちに対しては、「業」込みの共感があったり、ムカついたりもする。もちろん池田先生の作品はそういう部分も込みですばらしいんだけど、私にとっては、飾るってちょっと背筋を伸ばしたいものに対して行う行為だから、飾るならオスカルだなって。
―たしかに、オスカル以外の登場人物は、よくも悪くも人間くさい。
あっこゴリラ:オスカルは心がきれいすぎるくらいきれいだよね。ただ、最近思うのは、オスカルだけを崇めるのはよくないってこと。ほかの登場人物たちは、オスカルに比べたら人間くさいし、愚かだし、未熟で、安易に見下すこともできるけど、彼女たちはそうならざるを得ない環境で生きてきただけであって。
マリー・アントワネットはただ愛されたかっただけだし、アントワネットに取り入っていたポリニャック夫人だって、生きるためにサバイブしなきゃいけなかった。時代の渦に飲み込まれながら、それぞれ一生懸命生きただけなんです。読み方次第では悪役的に見えるキャラもいるけれど、いろいろな女性の生き方をきちんと描いてくれているからこそ、『ベルばら』は現代も読む意味があると思います。
―あっこちゃんは、おそらくオスカル的な役割を求められることもありますよね。
あっこゴリラ:『GRRRLISM』を出したあと、そういうことを求められてしまったんだけど、オスカル的な発言以外許されないことがしんどかったりもしました。最近って、オスカル7人組のアベンジャーズみたいな存在が求められがちだと感じていて。オスカルはもちろん素晴らしいけど、ヒーローを作るだけだと世の中は変わらないから、みんながヒーローでよくない? っていうのもコロナ禍以降、自分の中で変わったことかもしれない。
―“TOKYO BANANA 2021”は、まさにそういうモードで作られた歌なのかなと。
あっこゴリラ:それがいまの自分の気分で。誰しもオスカルになる瞬間もあれば、ポリニャック夫人になる瞬間もある。私たち人間ってそういう矛盾に引き裂かれちゃうんだよね。でも一見矛盾しているように見えても、自分の中では一貫していたりするし、オスカル的な自分も、ポリニャック夫人的な自分も、両方認められると、もっといろんな他人のことが想像できるようになるはず。なかなか難しいですけどね。
―最近、矛盾ってわりと許されづらいものになっている気がして。
あっこゴリラ:すごく息苦しい。こういう話をいろんな現場でしているんだけど、あまりわかってもらえないから、時間がかかるなって。本当は徒党を組んだほうが楽だし、何も言わずにどのポジションぽくも見えるように振る舞うのが一番手を汚さずにすむ。でも、泥を被ることもやっぱり必要で。オスカル的じゃない自分がいたっていいけれど、オスカルをやれる勇気もときには必要だと思う。
―そのうえで、当たり前だけどフランス革命も、オスカルが一人で成し遂げたわけではないし、いろいろな生き方の人がいて、少しずつ時代は変化していくんだなと感じます。
あっこゴリラ:なんならオスカルは途中で敗れるしね。オスカルは美しい・儚い・かっこいいでずるい(笑)。やっぱ崇めちゃうし、飾りますよね。
―作品中でも、たとえばマリー・アントワネットは逃亡中に白髪になったり、監獄で出血したりしながら、生々しく死ぬけれど、オスカルはそういう生身の重さも背負っていないですよね。
あっこゴリラ:私たちって生きていると当たり前にぐちゃぐちゃすぎるから、きれいなものを見たくなるんだよね。だからオスカルを尊いと感じる。その一方で、私はオスカル以外の人の生き方を簡単に悪にしないで、もっと掘り下げて考えたい。そういうときに日常からだけでは学べないことを教えてくれるのが、音楽とか漫画、芸術文化で。そこから学んだものを日常に落とし込むことで、物事の見方がさらに豊かになると思うんです。
- サービス情報
-
- 『SHUEISHA MANGA-ART HERITAGE』
-
集英社が2008年から実施しているマンガ原画のデジタルアーカイブを活用。日本と世界にマンガアートを販売する新事業。最良の印刷技術とマテリアルで、クオリティの高い「マンガアート」作品を制作。また、その価値を保証し、次の世代へと引き継いでいくために、ブロックチェーン証明書を発行し、来歴を永続的に記録していく。2021年3月1日、尾田栄一郎『ONE PIECE』、池田理代子『ベルサイユのばら』、坂本眞一『イノサン』より販売を開始。
- プロフィール
-
- あっこゴリラ
-
ドラマーとしてメジャーデビューを果たし、バンド解散後、ラッパーとしてゼロから下積みを重ねる。2017年には、日本初のフィメール(女性)のみのMCバトル『CINDERELLA MCBATTLE』で優勝。2018年12月、1stフルアルバム『GRRRLISM』をリリース。J-WAVE『SONAR MUSIC』でメインナビゲーターとして様々な発信、立教大学にて「現代文化活動におけるジェンダー論」講義など、性別・国籍・年齢・業界の壁を超えた表現活動をしている。
- フィードバック 2
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-