長く親しまれてきたブリヂストン美術館が建て替えのために2015年に休館し、アーティゾン美術館として新しく誕生したのは2020年1月のこと。アイドル、女優、そして文筆家としても活躍する和田彩花さんは、この美術館のファンの1人。新しい展覧会が始まるたびにプライベートで訪れているそうです。
そんな和田さんをお誘いして向かったのは、2月13日から始まった『STEPS AHEAD: Recent Acquisitions 新収蔵作品展示』。その名のとおり、アーティゾンが新たに収蔵したコレクションを中心にした内容は、これからの美術館の向かう一歩先(=STEPS AHEAD)を予見するもの。この未来への歩みを、和田さんはどう見るでしょうか?
描かれた当時の時代背景や描いた人、描かれた人の気持ちを作品から想像する
和田:一つ前の展覧会(『琳派と印象派 東⻄都市文化が生んだ美術』)も見に来たので、アーティゾン美術館には一方的に親近感を持ってます(笑)。今日も楽しみにしてました!
展示会場の入り口で、すでに鑑賞のテンションを上げている和田さん。じつはもうこの場所から『STEPS AHEAD』展は始まっているのですが、和田さん、その「気配」にさっそく気づきます。
和田:ソファがふだん置かれているのと違いますね? たしかいつもは網々な感じのソファだったはず。
さすがの観察力! 今日のガイドである学芸員の島本英明さんによると、エントランスに置かれていたソファ『ハウ・ハイ・ザ・ムーン』は今回「作品」として展示室内に移動。ガラスのベンチは通常通りエントランスに置かれており、自由に腰かけることができます。これにはある由縁があるのだとか。
島本:このガラス製のベンチはデザイナーの倉俣史朗による作品で、1986年にブリヂストン美術館時代に同じ建物内にあったブリヂストン本社ロビーの改装時のデザインを倉俣が手がけて以来、会社の表玄関で使われてきたものなんです。
また、隣にある大理石のオブジェ『ソノトキ音楽ガキコエハジメタ』は倉俣の盟友といえる造形作家の田中信太郎の作品で、これも1986年の改装時に構想・制作され、同じロビーに設置されたものです。今回の展覧会は新たに展開していくコレクションの姿もお見せしますが、同時にそれを支えているこれまでの歴史の厚みを紹介するものでもあります。倉俣と田中の作品は、それを象徴するものです。
和田:これまでは「なんだかかっこいいベンチがあるな」くらいに思っていたんですけど、歴史を知るとますます楽しみ方が豊かになりますね。
第1のセクション「藤島武二の『東洋振り』と日本、西洋の近代絵画」。ここでは、青木繁、黒田清輝、ルノワール、ピカソといったアーティゾン美術館の代表的な収蔵作品が集められていますが、メインの場所に置かれているのがタイトルにもある藤島武二の『東洋振り』。今回の展示で初めて公開される新収蔵作品です。
和田:日本人のモデルに東洋風の衣装を着せて描いた……とありますね。西洋から見た東洋はエキゾチックな対象として眼差されてきたと思いますが、この作品は日本側から東洋に向けて、それに近い視線を向けている感じがします。モデルさんがどんな気持ちで描かれていたのか気になっちゃいます。
島本:この絵は大正期に描かれました。日本国内の西洋化が進み、客観的に東洋を見、その一部が自国でもある、という視点で描かれているのだと思います。
描かれている衣装や小物は画家自身のコレクションで、おしゃれなもの、可愛らしいものとして東洋を理解している面もあります。現代から見ると美しいと感じるものに対する複雑な眼差しを感じさせますが、これもまた日本が辿ってきた成熟までの歴史の道筋でもあるんですよね。
和田:私自身、西洋の絵画が好きで、生活や趣味でも西洋由来のものに親しんで暮らしてます。それって、日本人なのにヨーロッパから日本を見るようなセンスを私が持っているということでもあって、なんだか複雑。普段、意識していないことを気づかせてくれる絵だと思いました。
さらにこのセクションには、和田さんにとって思い入れのあるベルト・モリゾの『バルコニーの女と子ども』も展示されています。マネが描いたモリゾ像が美術の世界に足を踏み入れるきっかけだったと、和田さんは過去のインタビューで発言していますが(関連記事:和田彩花「わからない」から始める美術の楽しみ方、その奥深さ)、ではモリゾ本人の作品をどう見るでしょうか?
和田:この絵が描かれた19世紀って、パリがとてもきらびやかだった時代ですよね。でもモリゾはそれに距離を置いたような描き方をしている。その視点が面白いですね。
島本:『バルコニーの女と子ども』は1872年の作品ですが、その前年には市民運動から始まったパリ・コミューンがあり、内戦状態を経て、パリは荒廃していました。かつての華やかさからはかけ離れてしまったパリの状況にモリゾは思いを馳せて描いたのかもしれません。
和田:まさにその時代なんですね。女性や子どもはパリ市内から避難していたそうですから、実際にモリゾは距離を感じてこの絵を描いたように思います。
カンディンスキーとクレー、理論と感覚のはざまで魅力を放つ作品たち
歴史との距離や厚みを感じさせる空間を離れて、続いて訪ねたのは「カンディンスキーとクレー」のセクションです。ここでの注目作は40代のヴァシリー・カンディンスキーが描いた初期の作品『3本の菩提樹』。これも新収蔵作品です。
和田:すごく好きな絵。とくに色が素敵です。フォーヴィズム的な重さがあるけど、マティスほど軽くもない。この後にカンディンスキーは抽象画の可能性を開いて、ある種の軽やかさを得ていきますよね。でも、そこにはまだたどり着いていない若々しさに惹かれます。
島本:ここではカンディンスキーの『二本の線』(1940年)、『自らが輝く』(1924年)も展示されていて、1908年の『3本の菩提樹』から晩年へと至る画家の変遷を感じられるようになっています。
和田:私のこれまでの好みは、色やマチエールがしっかりとした、いかにも「描いてるぞ!」という感じのする作品でした。でも最近は、例えばマティスの軽やかさのよさがわかるようになってきた。肩の力が抜けた渋さにグッとくるというか。
そんな和田さんに感想を聞いてみたいのが、パウル・クレーの作品。カンディンスキーと同じく20世紀前半に活動した画家で、かたちや色の実験をさまざまに行った人物です。
和田:クレーはまだまだわからないところが多くて、理解するために修行中です! かわいさがあると思うんですけど、この『数学的なヴィジョン』なんかを見ると、記号的だったり数学的だったりして、謎めいているように感じます。
画家の多くは自分のなかで理論化されてなくても、感覚的につかんで描こうとしますよね。でもクレーを見ていると理論が先に立っているような。
島本:絵画の基本的な要素を理論的に考えているから、クレーはいくらでも表現を応用したり展開できたんじゃないかと思います。なおかつそれで作品がチャーミングなところが憎い。クレーはバランス感覚に秀でた画家なんです。
互いに影響を受け合う、抽象表現主義の男女の画家たち
続いてのセクションは「抽象表現主義の女性画家たちを中心に」。1940年代後半のニューヨークを中心に盛り上がった抽象表現主義運動とそれ以降の作品を紹介していますが、そこにあるのは人気のジャクソン・ポロックやマーク・ロスコたちだけではありません。
島本:これまで抽象表現主義のキープレイヤーは男性の画家たちとされてきましたが、近年の調査・研究によって女性画家たちの重要性が再認識されるようになっています。当館では新たにリー・クラズナー、エレイン・デ・クーニング、ヘレン・フランケンサーラーら、抽象表現主義の女性画家の作品を新収蔵しましたが、そうした動向と呼応しています。
和田:抽象表現主義=ポロックという理解をこれまではしていて、絵の具をキャンバスの上に垂らして描くドリッピングやアクションペインティングの、画家の「行為」に注目してました。でもクラズナーの『ムーンタイド』は描くことを意識してるように感じます。色とかたちが織りなしていくコンポジションが心地いいですね。
クラズナーとポロックは、1956年にポロックが自動車事故で亡くなるまで生活と制作活動を共にしたパートナーでした。人生の時間の多くを共有した2人の間にはさまざまな影響関係があったことでしょう。
このセクションで意識されているのは画家同士の影響関係。エレイン・デ・クーニングはウィレム・デ・クーニングと師弟関係を結び、後年結婚。クラズナーとポロック同様に、2人の作品もこのセクションに飾られています。
また、変則的な関係としてはフランケンサーラーのキャリア初期のパートナーは、抽象表現主義を言説面で牽引した批評家のクレメント・グリーンバーグです。クラズナーら3人の画家たちは、パートナーからの影響を受けつつも抽象表現主義以降の絵画の展開に大きな役割を果たしました。
和田:フェミニズムの研究のアップデートもあると思うのですが、作品を見ていても影響関係が一方的なものではなかったんだろうなと思います。なによりも作品が力強い。
エレインの『無題(闘牛)』は、最初は周囲の鮮やかな色彩に目が奪われますが、次第に中央あたりの牛らしきフォルムにも意識が向かっていく。その行ったり来たりするイメージの変化が刺激的ですね。
デュシャンが変えたアート。でも大事なのは、伝説的なエピソードではない。
続いてやってきたのが「デュシャンとニューヨーク」のセクション。現在の現代美術に多大な影響を与えたマルセル・デュシャンの箱型の作品がなんと3点も。これらももちろん新収蔵です。
和田:箱を開けるとたくさんの作品らしきものが入っていて……。まるで作品集。持ち運びもできるように作られていて、動く美術館みたいですね。
島本:おっしゃるとおり、カバンのなかにすべてが収まるように作られた作品で、言ってみれば1人で展覧会を作ってしまったようなもの。20世紀初頭はデュシャンの活躍とともに、作品自体の意味合いも大きく変わっていきます。
和田:ここにも美術史の足跡があるんですね。複製品でありながらも、「これが作品なんだ」と作家自身が言うことで、美術品が持つオリジナリティーが揺さぶられる。理屈っぽくあるようで、遊び心もある気がします。デュシャンってどんな人だったんでしょうね。
島本:つかみどころのない人ですよね(笑)。芸術家の野心というだけでは測れないような意図を持っていて、作品を見ていると、その解釈は私たちに委ねられているように感じます。
和田:あけっぴろげで、同時に謎めいているというか。美術に楽しく接するとき、わりとフォーカスされがちなのがアーティストらしい伝説的なエピソードですよね。展覧会に便器を出品してセンセーションを巻き起こしただとか。
でも、大事なのはそこじゃない。センセーションを巻き起こした先で、デュシャンはアートをどのように変えたのか。そして、変わったものはなんなのか?
そういうことを考えないとな、って思います。箱の中にたくさんの謎が詰まっているように、考えるための材料は作品のなかにたくさん潜んでいるんですね。
マティスのドローイングから感じる、感覚が抽出されてるような、生き生きとした魅力
鑑賞もいよいよラストスパート。国際的に評価の高い具体の作品を集めた「具体の絵画」のセクションでは、足で絵を描いていた白髪一雄らの身体性に驚き、「オーストラリア美術―アボリジナル・アート」や「日本の抽象絵画」では、これまで見てきた近現代絵画の世界的な広がりを感じます。
そして最後にたどり着いたのは「アンリ・マティスの素描」。和田さんが、どんどん好きになっていると言っていたマティスのドローイングが並ぶセクションです。
和田:この『自画像』めっちゃいいですよね。いままで私が見てきた油絵を得意とする画家たちの素描ってだいたい描きこまれてるデッサンが多かったですけど、マティスのドローイングからは、作家自身のテーマや問題意識にすっと導かれていくような説得力を感じます。
これまで以上にじっと線の一つひとつに目を凝らす和田さん。SNSのアイコンもマティスにしていた時があったそうです。
島本:19世紀のアカデミックなドローイングと違いますよね。あとで描かれる油彩のための下絵としてではなく、ドローイングそのものが独立した創作になっている。あるいは画家の内発的な意識がそのままかたちになっている。
和田:ただの準備段階ってわけじゃないですもんね。感覚が抽出されてるような、生き生きとした魅力を感じます。
たっぷり2時間をかけた鑑賞もここで終了。閉館後の夜の美術館を自由に見て回る贅沢な時間でした。
和田:すごい楽しかったです。美術館の歴史、コレクションの歴史、作品の歴史に同時に触れることができた気がします。最初に「STEPS AHEAD」の説明を受けて、なるほど「一歩前へ」向かおうとしてるんだな、と思いました。
でもSTEPSは複数形の「S」がついている。だから一方向に向かうわけでもないし、一つだけの前進でもないんですよね。美術のいろんな側面から、その前進を見ることができた気がします。
- 展覧会情報
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- 『STEPS AHEAD: Recent Acquisitions 新収蔵作品展示』
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2021年2月13日(土)~9月5日(日)
会場:東京都 京橋 アーティゾン美術館
- プロフィール
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- 和田彩花 (わだ あやか)
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1994年8月1日生まれ。群馬県出身。アイドル。2009年4月アイドルグループ「スマイレージ」(後に「アンジュルム」に改名)の初期メンバーに選出。リーダーに就任。2010年5月『夢見る15歳』でメジャーデビューを果たし、同年『第52回日本レコード大賞』最優秀新人賞を受賞。2019年6月18日をもって、アンジュルム、およびHello! Projectを卒業。アイドル活動を続ける傍ら、大学院でも学んだ美術にも強い関心を寄せる。特技は美術について話すこと。特に好きな画家は、エドゥアール・マネ。好きな作品は『菫の花束をつけたベルト・モリゾ』。特に好きな(得意な)美術の分野は、西洋近代絵画、現代美術、仏像。趣味は美術に触れること。
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