夜8時を過ぎたJR新橋駅前は、もう大概の店が閉まって静かだった。ゆりかもめの新橋駅と汐留駅へとをつなぐ立体歩道。その隅の方には若者たちが溜まっていて、いくつかの小さい輪ができている。
無造作に置かれたスピーカーからはビートが流れ、どこからともなく徐々に人が集まってきた。輪の中心を向いて、各々が音に乗せてマスク越しにラップを繰り出す。そう、彼らは「サイファー」をしているのだ。
ヒップホップ文化の1つであり、複数人が輪になって即興でラップをするサイファー。その中で、頻度高く継続的に開催されているのが新橋サイファーだ。
見たところ誰でも参加できそうだが、とはいえフリースタイルラップ。勝手がわからず尻込みしてしまう人も少なくないだろう。こうしたサイファーの輪に加わるにはどうしたらいいのだろう? 新橋サイファーの主催者であるラッパー、error version(エラーバージョン)、OSAGARI(オサガリ)、VIP KID(ビップキッド)の3名に、路上で話を伺った。
※本記事は2021年2月24日に実施された取材をもとに制作しています。
意地でも毎週やる。ラップでディスられたのがきっかけで生まれた新橋サイファー
―新橋サイファーはerrorさんが始められたそうですが、いつごろ、どんなきっかけでスタートしたのでしょうか?
error:2016年11月に始めたので、今年で5年目ですね。もともとフリースタイルラップは2010年代のブーム初期から好きで、いざ自分でもやってみようと思い立ったのが2016年で26歳くらい。
それでTwitterで見つけた地元、大森の平和島サイファーに参加してみたんです。そうしたら、高校生が多くて僕だけちょっと年上だったんですね。
OSAGARI:ちょうど『高校生RAP選手権』(BAZOOKA!!!)が流行ってましたもんね。2015年には『フリースタイルダンジョン』(テレビ朝日)も始まって。
VIP KID:そのころからサイファー自体の母数がかなり増えましたよね。
error:そうそう、当時はローカルなサイファーが各地にあって。で、平和島サイファーでバトルをやってた時に「90年生まれなら90年代でサイファーしてろよ」ってラップでディスられたんです(笑)。
それがきっかけで、自分たち世代が集まってるサイファーってあるのかなって探したけど、なかった。じゃあ自分で立ち上げよう、と。
―ディスがきっかけっていうのはいいですね(笑)。新橋をチョイスしたのは?
error:やっぱり一番大きかったのは「サラリーマンの町」というイメージです。僕自身の通勤ルートでもあったし、桜田公園といういい場所もあって、社会人が集まりやすい。
そこでTwitterで情報を発信したり、その前に参加していたフリースタイルバトルのイベント『社会人ラップ選手権』で知り合った人に声をかけたりして、一番最初は7人集まりましたね。そこから週1回水曜日に開催を重ねてきました。
OSAGARI:僕とerrorさんが出会ったのも『社会人ラップ選手権』なんですよ。「名刺交換からはじまるフリースタイルバトル」と謳っているように、社会人がそれぞれの仕事を武器にラップで競い合う(笑)。新橋サイファーには2017年の夏くらいからほぼ毎週参加してますね。そうしたら、自然に「主催を手伝いませんか?」と。
―サイファーを運営し続けるのはけっこう勇気がいるし大変だと思うんですが、どうやって開催しているんでしょうか?
error:当時は横浜や早稲田など別のいろんなサイファーに参加していて、運営の流れはある程度わかってたので特に不安はなかったです。地元のサイファーは不定期開催だったので、いつ行けるかもわからなかったし、自分のペースでやりたかったというのもあります。
今は主催も合計で4人いますし、仕事の兼ね合いで来られない時に責任を分担できる仲間がいるので、だいぶ助かってます。
OSAGARI:基本スタンスは、意地でも毎週やる(笑)。全国どのサイファーを見ても、毎週やってるところはないんじゃないかなと思います。サイファーって小さいスピーカーが1台あれば始められるから、乱立はするんですけど、安定して続けてるところはなかなか珍しい。
VIP KID:とにかく開催率が高いですよね、新橋サイファーは。
―VIP KIDさんはお2人よりさらに若いそうですが、どのような経緯で主催に加わったんですか?
VIP KID:高校を卒業して働いてたんですが、去年の夏に本格的にヒップホップに注力したいと思って仕事を辞めました。それからアルバイトしながら自分で曲を作ったり、サイファーをしたりする日々を送ってます。新橋に合流したのは2019年の冬から。毎週火曜日には上野サイファーも主催してます。
―精力的ですね。
VIP KID:もともとラップを始めたのは高2。それこそ『フリースタイルダンジョン』がブームで、学校で友達にフリースタイルを仕掛けられたのがきっかけです(笑)。
地元が足立区なんですけど、近所の舎人公園でサイファーがあって参加してました。ただ中高生しかいなかったから、もっといろんな人がいるところで韻やフロウを学びたいと思って、松戸のサイファーに参加したり、高校卒業を機に上野サイファーを開いたり。
VIP KID:新橋サイファーはすでに有名だったので、新橋に来てみたらめちゃくちゃ社会人が多くて、社会人としてもラッパーとしてもいい刺激がある。それから毎週通うようになって、気付いたら2020年の秋に主催メンバーに加わってました。
―サイファーの捉え方やヒップホップ体験も三者三様なんですね。
OSAGARI:僕は大学生の時にラップを始めて、サイファーにも参加するようになりました。時期によってその捉え方は変わっていってます。
最初はラップスキルを伸ばしたくてサイファーに参加してたんですが、社会人3、4年目になると若い人と関われる機会ってあんまりないから、この文化は大事だと思うようになった。少なくともこの活動がずっと続けばいいと思って主催に関わるようになりました。
error:そう。主催のメンバーも含めて、参加者の世代がバラけてるのはすごくいいなと思ってますね。
マナーやモラルを守り、去る者追わず、来る者拒まず。新橋サイファーのポリシー
―『社会人ラップ選手権』が新橋サイファーの1つの種だったように、皆さん社会人として働きつつ、ある意味でサイファーという非営利な活動を続けてるわけですが、そこにはどんなモチベーションがあるんでしょう?
VIP KID:お金にはならないけど、いい意味でコネクションができますよね。
OSAGARI:サイファーの参加者同士でどんどんつながりが生まれます。僕はいろんなサイファーに顔を出してきたので、東久留米のサイファーで知り合った高校生が、新橋まで遊びにきてくれたり。
error:たしかに平和島サイファーの参加者は、一通り新橋にも来てくれてますね。僕のスタンスは、最近あまりプレイヤー志向ではないんです。
ラップを始めた当初はプレイヤー志向も強かったし、バトルで勝ちたいという気持ちもありました。でも今はどちらかというと、「出会いの場」としてのサイファーに重きを置いています。
いろんなMCが出会ったり、イベントやクルーが生まれたりする。僕自身もいろんな人と知り合えるのが普通に楽しいんですよ。
―コミュニティー運営に近い感覚ですね。
error:そうそう。しかも、それが価値のあるコミュニティーになっていると実感できる。
VIP KID:一緒に曲を作ったり、フィーチャリングで参加する人は多いですね。僕も新橋サイファーで出会ったヤツと意気投合して、一緒に音楽活動してます。
OSAGARI:サイファーをしに来ているのはもちろんですが、お酒を飲みに来ている部分もあります(笑)。新橋サイファーってめちゃくちゃお酒が飛び交うんですよ。
errorさんがシャンパンを数本持ってきて、バンバン空けてたりする。緊急事態宣言が明けたばかりの今でこそ終電前には解散しますが、以前はみんな終電逃してましたよね。
error:正直、お酒は切っても切り離せないですね……。
―なにせ新橋といったら、サラリーマンの聖地ですからね(笑)。
OSAGARI:桜田公園には会社帰りの人も多いんですが、新橋という土地柄か、関係ない酔った人が寄ってきて一緒にラップしちゃったり。
VIP KID:ラップしなくても至近距離で聞いてくれてたりしますよね。
error:写真とか動画を撮り出す人は全然いるので、「一緒にやりましょうよ」って声かけて誘います。
―ちなみに、公園でサイファーするのは問題があったりしないですか?
error:多くの人が利用する公園なので、集うにあたって最低限のルールは守るように活動しています。その甲斐あってか文句を言ってくる人や周囲の利用者とのトラブルは無いですね。
OSAGARI:今日もerrorさんが持ってきてくれましたけど、慣習としてあるのは、ゴミ袋を持ってきてちゃんとゴミを分別して持ち帰ること。あと公園内は禁煙なのでタバコは喫煙所とか、法に触れるものは持ってこないとか、errorさんの人望もあってか、参加しているラッパーたちはみんな協力的ですね。
error:僕の人望というより、「迷惑をかけないようにしよう」っていう意識や姿勢が参加しているラッパーたちにちゃんと根付いてますね。サイファー開始する前に公園を利用されている方に、「これから音楽流すのでうるさかったら教えてください」と声掛けもします。
―自分たちの場を維持するために、そこはちゃんとマナーを守る。
OSAGARI:大人がやってるわけですし、公園は公共の場ですから。
VIP KID:新橋サイファーは「マナーやモラルを守る」学びにもなる場ですね。ヒップホップではよく「ルールを破る」とか言いますし、個々が悪さをしたとしても、周りに迷惑をかけないことは大切かな。
―(笑)。でも、それこそ場の維持という面で、ヒップホップ的かもしれないですね。改めて、サイファーでは人と人がフラットにつながれる感覚がありそうです。
error:それは本当にあります。文字通りランダムにいろんな人とラップするし、「しがらみ」がゼロなんです。僕もほとんどの参加者の本名は知りませんから。わかるのはMCネームだけ(笑)。
―普段の職場の肩書きや立場から自由になって、ラッパーネームというまた異なる人格で集える気楽さもあるでしょうね。
error:だからコミュニティーとはいえ、だいぶしがらみのない「半コミュニティー」みたいなものなんじゃないかな。僕はそこが好きですね。
OSAGARI:新橋サイファーのスタンスは「去る者追わず、来る者拒まず」で、あくまで場所であるというのを貫いている。このコロナ禍で、小さい子供や家族がいるからサイファーに来られなくなったおじさんもけっこういるんです。だからこそ、逆にそういう人たちがいつでも戻ってこられるように、自分はこの場所を維持し続けていきたいなと思いますね。
サイファーってどうやるの? 初心者がラップをはじめるには
―サイファーやフリースタイルに興味があって自分も表現したいんだけど、どうやって始めたらいいかわからない初心者の人たちに対して、何かアドバイスはありますか?
OSAGARI:新橋流だと「とりあえずお酒飲んだら?」ということになるかも(笑)。
VIP KID:サイファー全般で言えば、最初は見てるだけでもいいですけど、まずは人数が少ない輪に入っていくのがベストです。普段の会話っぽく入れるので。
はじめはビートがどこで切れるんだろうとか、どこで韻を踏めばいいんだろうっていう雑念が多くて、構えちゃう。でもだからこそ、まずは輪に入ってみよう、というところからがスタート。
error:事前知識として共有しておきたいのは、輪があっても、その輪でメンバーが固定されているわけじゃなくて、そこでラップしてる人は全員、別に誰が追加で入ってこようと何も気にしないということです。別に勝手に入っていっても、邪魔だとか思われない。
OSAGARI:新橋サイファーが広まっていったのも、主催のerrorさんがちょっと話してから「やってみようよ」って一緒に入ってくれるというのがあるからじゃないですかね。
―おお、トレーナーみたいな役割をするんですね。「本当にラップ初めてです」という方は来るんですか?
error:あ、もうめちゃくちゃ来ますよ。
VIP KID:見学で来たんですけど入ってみていいですか、とか。逆にどんどん来てくださいという感じです。
error:あと、サイファーって8小節を割り当てられてるのが慣習なんです。なので、ド下手だろうと無音だろうと、8小節が過ぎれば、どうせ次の人に回っちゃうから、みんな気にしないんですよ。
だから回ってきた8小節を好きに使って、また次の番がきたら自由にトライしてみる、でいいんです。それは誰も咎めませんから。
VIP KID:バトルや曲と違ってサイファーのいいところは、ただの会話だけでフリースタイルが成立するところ。無理に韻を踏もうとする必要はないんです。もちろんスキルがある人たちは韻を意識してやってるけど、初心者だったり気乗りしない人は、すべてを会話で占めたって全然平気。今日の出来事だったり、最近こういうことがあって上司マジでムカつく、みたいな話だったり。
error:ラップだから韻を踏まなきゃいけない、音に乗らなきゃいけないっていう固定観念がありますが、それは大間違い。別に全く音に乗らず、8小節好きなことを喋るだけで完全に成立します。
OSAGARI:少なくとも新橋ではそうですね。例えばR-指定(Creepy Nuts)さんを輩出した梅田サイファーとかだと、「マイク持ってカマせる腕がなければ、たとえラッパーであっても輪には入れない」みたいなイカつい文化のあるところもあります。もちろんスタンスはいろいろありますが、新橋は初心者には優しいですよ。
VIP KID:要約すると、サイファーは楽しむ場であって、決して難しいものじゃない。
error:そうした意識は新橋に間違いなくあります。初心者が急に入ってきても迷惑だとか思わないし、上手い人と初心者が1対1でやってるような光景はしょっちゅうある。それを見ると、新橋は自由だなって思いますね。
―その一歩を踏み出せたとして、それからどうやってスキルアップしていけばいいんでしょう?
OSAGARI:大前提、まず8小節を蹴れるようになることですかね。それが入り口で、そこからは各々が追求していけばいいんじゃないかな。
error:輪の中で順番が回ってきたとする。そこで、自分の前の人のラップの内容に反応しようとすると、即興性が必要になったり頭が回らなかったり、8小節分言うことが足りなかったりすると思うんです。
だからオススメは、自分の2つ前の人がラップした内容について、1バース(8小節、1人分)置いてコメントや感想を考えて返してみること。まだホットな話題でもあるから、みんなから共感が得やすい。
VIP KID:韻を踏むことを意識する人が多いと思うんですが、最初の内は長い韻を踏むのは難しいので、聞き取れた短い単語を拾って文字数を合わせてみたりすればいいと思うんです。たとえ音に乗れなくても、それもまた変わったフロウになって盛り上がることもありますよね。あとはやっぱり、恥ずかしがらずに楽しむことが一番大事なんじゃないかな。
―その意味で、サイファーって要はコミュニケーションですよね。バトルはディスり合うことでコミットするけど、サイファーはおしゃべりに近いというか。
OSAGARI:そもそもヒップホップというジャンル柄、自分の感情を吐き出す面が大きい。多分最初にあるのは恥ずかしさなので、最近あった嫌なことでも何でも、感情を吐き出してもらうだけで充分だと思いますよ。
コロナ禍に改めて見つめる、サイファーという行為
―では最後ですが、さっきまで新橋サイファーを見ていて、マスク越しにみんなでラップしている光景って、やっぱりすごく重要なんじゃないかと思えたんです。コロナになって新橋サイファーが変わったり、あるいは工夫してきたことってありますか?
error:東京都の感染防止ガイドラインを読んで、一応それに則った形にしてます。マスクはしてもらって、マイクをアルコール除菌したり、消毒液を用意したり。
ただ世間の目もあるから、現状は自粛ということで、公園ではなくあまり人目につかない場所でやっています。でも、そもそも屋外ですし、実際に感染者は出ていません。
―サイファーでクラスター発生というニュースはまださすがに目にしてませんね。
error:コロナ後はオンラインのコミュニケーションが圧倒的に増えて、直接的なコミュニケーションがガクンと減りましたよね。サイファーは面と面を合わせる活動なので、その価値は相対的に上がった。ちゃんと人と対面して会話できる場として重要だと、改めて感じてます。
サイファーには経済的なプラスもマイナスもないんですよ。ここにはマイクやライブで稼いでる人もいれば、クラブを運営している人もいます。コロナ禍で大打撃を受ける中、そういう人たちが言いたいことを言えるのがサイファーなんです。みんなでこの文化を衰退させないようにやっていこうという想いがあって、今日まで続けてこられたんですよね。
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小学生から社会人、老若男女、初心者から玄人。様々なMCの交流の場
毎週水曜日 20:00~終電まで開催開催場所の詳細は下記、Twitterを参照
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