40代の新人アーティスト、HANCEが初めてのアルバム『between the night』を完成させた。ジャズ、ソウル、ラテン、フォークなど様々なサウンドが複合的に鳴り響く今作は、「大人の、大人による、大人のためのノスタルジーミュージック」をテーマに掲げ制作されたもの。最新の楽曲はもちろん、20代の頃に制作した楽曲も歌詞を全て書き直すなど、「大人の音楽」へのアップデートを試みている。
20代の頃大手事務所に所属しつつも3か月で退所し、会社経営の道へと進んだHANCE。「本業は会社」と語る彼が、いま、このタイミングで自身の音楽活動を本格化させたのはなぜなのか? ミュージシャンとして、経営者として、デュアルワークで人生を楽しむ彼が考える、心地いい環境のつくり方とは。経歴を追いながらじっくり聞いた。
20代で一度は大手事務所に所属するも、「逃げるようにやめた」理由
―アルバムを聴かせていただきましたが、異国情緒のあるサウンドと日本語の歌詞が溶け合っていて、1枚通していろいろな場所に連れて行ってもらえるような感覚がありました。今作が1stアルバムということですが、HANCEさんはいつ頃から音楽制作や演奏を始められたのですか?
HANCE:私の祖父が、医者でありながら広島交響楽団の創立メンバーのひとりで、指揮者をしていたんですよ。なので、家にグランドピアノやバイオリン、アコーディオンやギターなど、本当にいろいろな楽器やレコードがあって。
そんな祖父から小学校高学年のときにクラシックギターを譲り受けたんです。弾くことができなかったので家に飾っていたのですが、毎日見ているうちに弾いてみたいなという気持ちになったのが最初のきっかけです。
―当初はどのような音楽を演奏していたのですか?
HANCE:母が敬虔なクリスチャンで教会学校に行かされていたこともあり、ギターも教会の牧師さんに教わっていました。最初に弾いていたのはほとんど賛美歌です。だからルーツは教会音楽ですね。それはいまの音楽につながっているかなと思います。ぼくは島根県の田舎出身なので、原風景みたいな感覚はもちろん日本の音楽に対しても持っています。
―お祖父さんやお母さん、幼少期の頃の感覚や影響が色濃いんですね。
HANCE:そうですね。あと、祖父は開業医で、本業と並行しながら音楽活動をしていて、ぼくも自分で会社をやりながら兼業ミュージシャンとしてやっているので、スタンスも一緒だなと思います。
―本格的に音楽活動を始めたのは、大学に入ってからですか?
HANCE:いまの流れだと正当な音楽教育を受けてそうな感じですけど、音大も出ていなければ音楽専門学校も行っていなくて。
―音楽体系や理論を学んだうえでの、現在のサウンドなのかと思っていました。
HANCE:いえ、習うっていうのがとにかくダメだったんですよ。小さい頃は親に連れられてピアノとか習っていたんですけど、幼稚園くらいで早々と挫折して。学校の音楽の授業も好きじゃなかったです。だから音楽に対して苦手意識があったんです。
いまも楽譜は読めないですし、専門知識もそんなにないんですよ。牧師さんからは子どもでも歌えるような曲を教わっていましたが、ギターの基礎をしっかり学んだというわけではなくて。いまはある程度、複雑なコードもおさえられるようになりましたが、アレンジの核になる部分は、プロデューサーの石垣(健太郎)さんに担っていただいています。
―20代の頃には大手事務所に所属したということですが、どういう経緯で契約に至ったんですか?
HANCE:20代前半に、ぼくともうひとりでユニットをやっていて、デモMDをいろんなところに送っていたんです。そこで声をかけていただいた大手事務所に3か月くらい所属していたことがあるっていうくらいです。結果的に逃げるようにやめたんですけどね。
―なぜ逃げるようにやめたんですか?
HANCE:いやあ~……辛かったからですね(笑)。社長直々にとにかく曲をつくってこいと毎日言われて。1週間に1度曲を持って行って、「×」「△」「◯」をつけられるんです。1曲1曲、自分の感情を込めてつくっているわけですけど、「◯」なんてほとんどつかないし、持って行っては「×」をつけられて、自分自身を否定され続けるような感覚になりました。
―キャリアの初期で事務所に所属するってアドバンテージのような気もしますが、それでもやめようと思うくらい辛かったのですね。
HANCE:事務所に入ることで可能性が広がるイメージを持つ方が多いと思うのですが、ぼくの場合はその逆に感じたんです。会社組織があって、いろいろな人が関わっているなかで、制作部や社長が求めるものに対して、針の穴を通すようにやっていくっていうことが……思い描いているものとすごく違うなと。大人になった自分からすると、そのやり方に納得できる部分もあるんですけど、当時は窮屈さを感じていました。
―スパルタで成長する人もいるとは思うのですが、HANCEさんにとっては環境が合わなかったんですね。
HANCE:そうですね。正直若かった部分もありますが、結局音楽をつくる人にとって大事なのは、自分がつくりやすい環境を整えるということだと思うんです。事務所からはいろんなアドバイスをいただけたので、いまは感謝のほうが大きいですけど、当時のぼくはプライドを傷つけられたように感じて、「自信を持ってつくる」ことができなくなっていく感覚がありました。
1stアルバムに込めたのは、懐古主義ではないノスタルジー
―若さゆえのプライドって多くの人が持っている、あるいは持っていたものだと思うのですが、HANCEさんがそのプライドに固執せず、自由になれたのはなぜだったのでしょう?
HANCE:やっぱり自分で会社を経営するようになったことが大きいです。事務所に入って音楽をやっていた頃は、「自分の歌を聴いてほしい」「自分の気持ちをわかってほしい」という目線でしたが、会社の仕事ではお客さまありきで、そのニーズに対して何を提供したらいいのかを一生懸命考える日々です。だから真逆ですよね。そういう毎日を過ごしていたら、感覚がどんどん変わっていきました。
―会社を始めてからも、音楽活動はずっと続けていたんですか?
HANCE:仲間内でバンドを組んだり、小さいお店でアコースティックライブをやったりはずっとしていました。
―これまでもいろんなタイミングがあったと思いますが、いまご自身の音楽をまとめて、アルバムとしてリリースしようと思ったのはなぜでしょう?
HANCE:やっぱり40代になったのが大きいですね。人生の半分だと考えたときに、自分がやってきた音楽をちゃんとかたちにできていないと思ったんです。そこで、個人的にギターを教わっていたプロデューサーの石垣さんに相談したのがきっかけです。
40代、50代で新人デビューする人ってあまりいないですよね。若い子のキラキラした恋愛の歌もすごく素敵ですが、僕らくらいの年齢になると結婚したり、離婚したり、子どもがいたり、そのなかで新しい恋をしようとしていたり。そんな複雑な思いも歌にして、同年代の人に「そうそう」と思ってもらえると嬉しいです。
HANCE『between the night』を聴く(Apple Musicはこちら)
―自分のやってきたことをかたちにする、ということでしたが、過去の楽曲も収録されているのでしょうか? パーカッシブな楽曲もありますが、全体的にはメロウで落ち着いたトーンにまとめられていますね。
HANCE:そうなんです。今作には昨年にHANCEとしての活動を始めてからつくった曲もありますし、事務所をやめた20代後半から30代にかけてつくった曲もあります。いまの自分のフィルターを通して違和感を感じた昔の曲は、コードを変えたり、歌詞を全部書き直したりしています。
―今作のコンセプトが「大人の、大人による、大人のためのノスタルジーミュージック」ですが、いまの感覚にアップデートしながらもノスタルジーって、どういうことなのでしょう?
HANCE:ノスタルジーって、過去に固執して懐かしむみたいなイメージがあると思うのですが、ぼくのなかではまったくそうではなくて。
ぼくにとってのノスタルジーは、ちゃんと前を向いて、地に足をつけて生きていくために必要な感覚なんです。自分のルーツを直感的に感じるためのもの。デトックスに近いかもしれません。
―懐古主義みたいなことではまったくない。着実に前に進むために、あえて原点回帰することがノスタルジーということでしょうか?
HANCE:そうですね、懐古主義とはまったく違います。ずっと忘れられないことや、何かしら痛みとして残っていることって誰しもあると思う。それを無理に引き剥がしていくというよりは引き連れていく。そういうものも大事にしながら生きていくためのひとつの手段として、ノスタルジーがあるんじゃないかと思います。
HANCEの活動は「終活」。欲張っていいし、やりたいことは全部選んでいい
―HANCEさんがこのアルバムでつくられているのは、いろんな感情や思いがあるという現実を受け止めたうえで、先に進むための音楽という感じですね。
HANCE:そうですね。大人になるって言っても、図体が大きくなるだけだったりするじゃないですか(笑)。子どものときと比べて本質的なことは何も変わっていない。
でも大人であるがゆえの大変さ、子どもにはない辛さ、人に言えない思いを抱えていて。日常でそれを全部解き放つことはできなくても、ぼくの音楽を聴いていただくときに一瞬でもそういうものから解放されたり、共感できる気持ちが芽生えたりしたら、やっていてよかったなと思います。
―だから「大人のための」っていうことなんですね。
HANCE:はい。昔の曲を聴き直すと、若かったからこそ言い切れた言葉や、できた表現があると思います。いまは歳を重ねて感覚が変わって、そういうものはつくれないと思うし、そもそもつくりたいと思わなくなった。やっぱりいまは、いまの感覚でつくりたいという気持ちが強いです。
―そう考えてみると、HANCEさんのいまの感覚、つまりHANCEさんと同年代の方が共感するような曲を歌う「新人」ってたしかに思い浮かばないかもしれないです。
HANCE:なんでいないんだろう? って思うんですよ。料理人の世界だと、20代、30代で修行して、やりたいことがだんだんわかってきて、40代で独立する方っていっぱいいらっしゃるじゃないですか。その料理人に「なんで40代になってお店を開いたんですか?」とは誰も聞かないですよね。
音楽業界って、構造上若くないと投資を回収しづらいのかもしれないですが、だからといって、歳をとっているからいい音楽をつくれないとか、若い人よりも劣っているっていうことではなくて。
ぼく自身は20代の頃よりもいろんなことを経験して感覚が研ぎ澄まされたぶん、いいものを出せるという気持ちが強くなってきているんです。いまは人間100歳まで生きると言われているから、30代でも40代でも全然若いと思うし、チャレンジできる世の中になったほうが、若い人から見ても希望があるんじゃないかと思います。
―でも、20代の頃は事務所をやめたあとも音楽活動を続けていたとはいえ、音楽業界には戻らなかったわけですよね。それはなぜでしょう?
HANCE:当時は、音楽を諦めたというより、ビジネスもやってみたかったという感じです。欲張っていいし、やりたいことは全部選んでいいと思っていて。いまも仕事が楽しいですし、やめるつもりはないので仕事もやります。でも音楽も一生懸命やりたい。海外旅行も好きなので、全部同じ比率でやっていきたいです。
―なぜだかわからないですけど、あまり欲張ってはいけないという感覚を持っている人って少なくないと思います。
HANCE:たしかに。どう生きていくかということにつながるのかもしれないですけど、周りがどうかではなく、自分がどうしている状態がいちばん心地いいか、わくわくするかが大事だと思います。ぼくの心地いい状態というのは、少なくとも音楽だけをやっていくことではなかった。
多くの方が欲張れない理由って、失敗したときに人生がダメになってしまうんじゃないかというリスクとの天秤だと思うんですよ。こういう言い方するのはよくないかもしれないけど、ぼくは本業があるので、音楽で売れなければならないというプレッシャーはあまり意識していません。仕事も音楽も全部楽しんで、一生懸命取り組みながら、それぞれの活動が互いにいい影響を与えている気がしています。ぼく、仕事って「蚊」みたいなものだと思ってるんですよ。
―蚊ですか?
HANCE:そう、飛んでる蚊。蚊って明るいところに集まるじゃないですか。人も同じで、楽しいことをやっている人のところに人が集まって、人がいるからお金が集まる、つまり仕事になっていくと思います。そうなると、自分がいちばんいい状態でいることが、生活の安定にもつながるんじゃないかなと。そういう意味でも、自分のバランスを取るためにはぼくにとっては全部が大事なものですね。
―HANCEさんは、すごく自由に40代を謳歌されているなと感じたのですが、歳を重ねることは怖くはなかったですか?
HANCE:若いときはものすごく怖かったです。ぼくの母は40代で亡くなっていて、がん家系でわりと早くに親戚が亡くなったりもしているので、40超えたらいつどこで死んでもおかしくないという感覚があって。
死に対しての怖さと、それでも生きていかないといけないという恐怖心がありました。それに昔は40歳なんておじさんだし、もう何もやることないんだろうなと思っていましたよ。
―実際なってみるとどうですか?
HANCE:20代の頃に描いたようなネガティブな感覚を持って暮らしてはいないです。歳を重ねていくなかで、だんだんと感情や感覚に対して素直だった子どもの頃のような状態に戻っていっているんじゃないかとも思うんです。
だから楽観的すぎるのかもしれないですが、いまは歳を重ねていくことで、この先もっと楽になるんだろうなと思っています。ぼくにとってHANCEの活動って終活なんですよ。仮に明日死ぬとして、何をやっておきたかったか考えて、それをやっていく。だからすごく自由なんです。
- リリース情報
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- HANCE
『between the night』 -
2021年5月26日(水)配信
1. 序章
2. 夜と嘘
3. SMOKE
4. マーブルの旅人
5. Suzy
6. COLOR
7. escape
8. SUNNY
9. Making Shadow
10. バレンシアの空
11. ミッドナイト・イン・カフェ
12. Rain
- HANCE
- プロフィール
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- HANCE (はんす)
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2020年9月、1stシングル『夜と嘘』でデビュー。デビュー曲『夜と嘘』は3ヶ月でYouTubeで100万再生を記録。台湾のiTunes Store・R&Bソウルトップソングで6位。Apple Music R&B/ソウルトップミュージックビデオランキングで、モンゴルで2位、ボリビアで5位にチャートイン。2ndシングル『バレンシアの空』はキルギスタンのJ-POPチャートで1位、マカオ、アルメニアで4位。4thシングル『Rain』はボリビア、アルメニアのJ-POPチャートで2位、4位を記録。その他、カザフスタン、ウクライナ、香港なども続き、急速に海外リスナーを獲得している。サウンドプロデュースは、元ピチカートファイブの野宮真貴のツアーサポート、中島美嘉、青木カレン等、レコーディング参加で活躍する石垣健太郎が担当。ソウル、フォーク、ラテン、ジャズなど、グローバルな質感をミニマルなアコースティックサウンドにブレンド。今後の活躍が注目されるシンガーソングライター。2021年5月26日、待望のファーストアルバム『between the night』をリリース。
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