1890年代の孤島。2人の灯台守が極限状態で狂気と幻想に蝕まれていく──。映画ファンに愛されるアメリカの製作・配給会社「A24」が製作を手がけたスリラー『ライトハウス』が日本公開される。
閉鎖的な空間のなかで力を誇示しあい、衝突したかと思えば、肩を組んで酒を飲み、歌い踊る2人。前作『ウィッチ』でも狂気に駆り立てられていく人間の姿を描いたロバート・エガース監督は、長編2作目である本作をどのように構想し、美しくも恐ろしい物語をつくり上げたのだろうか。
次回作に、アレクサンダー・スカルスガルド、アニャ・テイラー=ジョイ、ニコール・キッドマンらをキャストに起用した自身初の大作『The Northman』の公開も控えるエガース。注目の新鋭監督に『ライトハウス』における男2人のパワーダイナミクスや、映画のもとになった悲劇の実話、画面アスペクト比のこだわりなどについて聞いた。
※本記事は映画『ライトハウス』の内容に関する記述が含まれています。あらかじめご了承下さい。
「私自身は、本作のように相手の男らしさを低めることで自分の男らしさを主張したいとは思いません」
アニャ・テイラー=ジョイを初主演に抜擢した魔女狩りホラー『ウィッチ』(2015)で一躍注目を集めた監督、ロバート・エガース。彼が描く恐怖とは、モンスターや悪魔のような架空の存在よりも、迷信や妄想から醸成される現実の人間の心理 / パラノイアにある。
荒々しい海のそばでウィレム・デフォーとロバート・パティンソンがほぼ2人芝居を繰り広げる新作『ライトハウス』でも彼が探求しているのは、孤立した空間で人々に生まれる圧力や疑念であるようだ。Zoomインタビューに応じた彼は、そんな推察に対して「イエス」と即答する。
エガース:私は、仮にこの世に悪魔やモンスターが存在したとしても、それはおそらく人間のなかから出てきていると思っています。また、私が孤立した場所に興味を持っているのは、2作ともあまり予算がなく多くのロケーションが使えなかったから。1か所で済むストーリーを考えた結果、どちらも孤立した舞台になったのです。
『ライトハウス』では、年配のトーマス・ウェイク(デフォー)と若いイーフレイム・ウィンズロー(パティンソン)が神秘的な灯台を管理するためにアメリカ・ニューイングランドの孤島で1か月間、奇妙な共同生活を送ることになる。
そこでベテラン灯台守のウェイクは、新人のウィンズローを下働きに追いやり、任務が守られなければ憤慨する。ウェイクが目を眩ませるほどの灯台の輝きを占有する一方で、ウィンズローはあたかも「主婦」や「奴隷」のように家事や雑務ばかりを任され、隷属的な立場に押し込まれていく(ウェイクは家のなかで、まるで無神経な夫のようにしばしば放屁する)。
正方形に近い圧迫されたようなアスペクト比(画面サイズ)のなか、彼らは同じフレーム内に登場するたびに、支配権を得るために灯台をめぐって権力闘争を行う。
「『有害な男らしさ』と呼ばれるものは、私だけでなく、みんなが馴染み深いものだと思う」とエガースは語る。「でも私自身は、本作のように相手の男らしさを低めることで自分の男らしさを主張したいとは思いません」
兄弟の力関係の変化を描いた短編『Brothers』と通じる、「男性同士の衝突」というテーマ
脚本ではウェイクとウィンズローはそれぞれ「オールド」「ヤング」と記載されているが、権威的な年長者と従属的な年少者が力を誇示し合うという意味では、森の奥深くに暮らす2人の若い兄弟を描いたエガースの短編『Brothers』(2015)と通じるだろう。どちらもホモソーシャルな空間で巻き起こる男同士の力関係の変化──征服と衝突──を見据えている。
エガース:『Brothers』は、西洋文化における兄弟の物語の礎であるカインとアベルに基づいています。私はこのようなアーキタイプ的な物語に関心があるのです。まず探究したいコンセプトや雰囲気があって、それからそれに合うストーリーを考えていくつくり方をします。
『Brothers』は『ウィッチ』の制作前にプロデューサーからまず短編をつくるよう提案されたことから始まりました。『ウィッチ』のように子どもたちの自然な演技を引き出すことができ、そのうえで森の怖さを表現した作品をつくれることを証明する必要があったのです。
私はニューイングランドの農家育ちです。育った場所の近くには素晴らしい森があり、アンドリュー・ワイエス(ニューイングランド地方の原風景を描いた20世紀の画家)の絵画のような風景が広がっていました。
また、詩人のグレゴリー・オア(ニューヨーク出身の詩人)が小さいときに狩猟中にアクシデントで弟を殺してしまったという話を数年前に聞いたことがありました。育ったロケーションとグレゴリー・オアの逸話のふたつが相まって『Brothers』ができあがりました。
『Brothers』と同様に『ライトハウス』も、始めから男同士の衝突や、マスキュリニティ(男性性)のテーマを探求しようと想定して制作したわけではなく、設定やコンセプトから物語が構想された。
エガース:『ライトハウス』については、私の弟(マックス・エガース。本作で共同脚本を務め、長編脚本デビューを果たした)が灯台を舞台にしたゴーストストーリーをやりたいと言っていたのが着想のきっかけでした。それを聞いたときに、まず私のなかでビジュアルの雰囲気が浮かんできました。
クレイパイプや巻きタバコなどがあって、とても暗く、埃っぽくて霧が立ち込めている。そして2人の男が巨大なファルスに閉じ込められていることで、男性的な衝突が生じていくというものです。なので、作品の性質上、自然とマスキュリニティの話になったのだと思います。
実話の「灯台の悲劇」に着想。外的世界から閉じられた空間で、欲望やエゴイズムが発露する
粗暴で利己的なウェイクは、ウィンズローを逐一批判しては彼の仕事ぶりを責め立て、男根を去勢されたかのような劣等感を植え続けていく一方で、毎晩酔っ払うと一転友好的に接する。過剰に煽られるアルコールとともにガスライティングされたウィンズローは次第に錯乱を起こしていく。
そのなかで、物語にはいつしかアイデンティティの問題が浮かび上がってくる。その意味で、『ライトハウス』には、イングマール・ベルイマン(20世紀のスウェーデンを代表する監督)がユング心理学をテーマにしたとされる『仮面/ペルソナ』(1966)を彷彿とさせるところがある。
エガースは、自身と同じくA24の秘蔵っ子である監督アリ・アスター(『ミッドサマー』(2019)、『へレディタリー/継承』(2018))とともにベルイマンの信者であることを公言しているが、『ライトハウス』ではこのスウェーデンの巨匠の映画のように、陰影を強調したライティングなど1920年代のドイツ表現主義の美学を取り入れながら、室内劇としての緊張感を保持している。外的世界から閉じられた特殊な空間が、社会的な「仮面」を取り外した人間の欲望やエゴイズムの発露の場として機能していくのである。
エガース:ベルイマンの大ファンとしては、『ライトハウス』の島の設定とモノクロの映像はストーリーが決まる前から構想していたものでした。意識しようともせずとも彼の影響からは逃れられないでしょう。
ただ、今回は「スモールズ灯台の悲劇」という実話からインスピレーションを得ました。ウェールズで19世紀の初頭に2人の灯台守に起こった話なのですが、2人とも名前がトーマスで、1人は老人で、1人は若者でした。事故で若者が誤って老人を殺してしまったことで、彼は狂気に陥ってしまった。
リサーチの初期にこの逸話を知って、これは良い物語の枠組みになると考えました。名前が同じなのでアイデンティティについての話になるであろうし、願わくば曖昧な物語の領域にも入っていけるかもしれないと思ったのです。
2人のあいだのパワーダイナミクスと性的な緊張感
2人の間に起こることは、物語が進むにつれてさらなる曖昧さを増していく。女性との接触を絶たれた状況下で、特にウィンズローにはセクシュアリティの混乱が見受けられる。人魚やタコの触手などの性的なイメージに囚われる彼は、あたかも同性愛に冒されまいとするかのように酒に溺れ、女性の幻影に固執してはマスターベーションによって自分を慰める。彼は自身に巣食うホモフォビアと葛藤しているかのようだ。
あるいは、酒に酔っ払った2人がスローダンスを交わして最も親密になった瞬間、接近した彼らは途端にお互いを拒絶する。本作の参照元のひとつであるハーマン・メルヴィルの小説『白鯨』(1851)は、クィアな文脈でも解釈されているが、『ライトハウス』も男性同士の親密な関係をホモエロティックな欲望として暗示させているように見える。
本作ではこのような描写を通して、物語の舞台となっている19世紀の強大な異性愛規範に挑戦する意図があったのだろうか。そう問うと、エガースは「確かにそういう部分はあるかもしれない」と認めつつ、こう続けた。
エガース:このような性的な緊張感は19世紀にも存在していたと思います。実際に書かれた記録はあまりないけれど、起こっていたに違いない。
ウェイクとウィンズローのあいだのパワーダイナミクスの一部は、セクシュアリティにおいてもあります。例えばウェイクがウィンズローに乱暴な態度を取ったり、『絵のようにきれいだね』と言いますよね。あれはステレオタイプな男らしさというより、同性愛への関心をほのめかすことで、それが力関係にもつながっていくのです。
エガース:それからたぶん私が指摘しなくても明らかなのは、ウィンズローがウェイクの首に縄をかけて犬のように吠えさせる場面。彼らのあいだには、仲間意識と同時に性的な緊張感が生まれているのです。ウィンズローがかつての同僚であるブロンドの木こりとどのような関係性を築いていたのか、はっきりとは描いていませんが、そういうところにもパワーダイナミクスは出ていると思う。
でも、だからと言って必ずしもこのキャラクターが同性愛者だと言っているわけではない。19世紀では状況が異なっていたため、同性愛者という言葉が今日ほど明確に定義されていなかったことも影響していると思います。
パワーゲームの巧者であるウェイクは、ホモソサエティのなかで相手の容姿を褒めることが時に主導権を掌握する術となりうることを知っているのかもしれない。一方で、同性愛の緊張をサブテキストとして示しているとすれば、劇中で、男性の身体を欲望の対象として讃えたドイツのゲイ・アーティストであるサシャ・シュナイダーの絵画『催眠術』(1904)のリファレンスが含まれていることも示唆的である。
エガース:この映画は、物語の舞台と同時代の象徴主義(19世紀後半のヨーロッパで起きた芸術運動。人間の内面的な世界を象徴的に表現しようとした)の絵画の一部から影響を受けています。あの登場人物たちは当時のヨーロッパ芸術の文脈において明らかに同性愛のイメージを描いたサシャ・シュナイダーやジャン・デルヴィル(ベルギー象徴主義の画家)の存在をもちろん知らないわけですが、彼らの身に起こっていることはそのような同時代の集合的無意識のなかに入っていたのだと思います。
優れたストーリーテラーへの関心。ケン・ローチの自然主義から受けた影響
前作『ウィッチ』ではアメリカ史上最も名高い17世紀のセイラム魔女裁判を前提として世界観をつくりあげていたように、エガースは、歴史的な資料や文献を研究し、衣装やセットから言葉遣いに至るまで綿密に対象となる時代の調査を行うことも特徴的だ。当時の民族文化や慣習を徹底的に再現することで、特定の時代のなかで起こった奇怪な事件、恐怖やヒステリーの根源を検証する。
『ライトハウス』でも、さまざまな文学や絵画作品に加え、19世紀の航海辞書、船乗りや木こりに関する本、昔の船乗りへのインタビューなどを参照したという。一見、雰囲気やビジュアルを重視しているように見えるが、細部にリアリティへのこだわりが見られるという意味では、彼が現実の労働者の暮らしを忠実に紡ぎ続ける英国の映画作家ケン・ローチのファンであることも見逃せない。
エガース:おっしゃる通り、私はケン・ローチが大好きですが、それは彼が優れたストーリーテラーだからです。私自身は幽霊やお城が出てくるようなストーリーが好きではありますが、良いストーリーテラーはジャンルにかかわらず魅力的な人だと思います。
例えば、バーを経営している私の友人は話術に長けていて、自分が足の指をぶつけたということだけでも50分ぐらい面白おかしく、壮大な叙事詩に仕立て上げて話をしてくれます。
エガース:もし私がケン・ローチから映画づくりにおいて影響を受けたとすれば──そんなことが可能だとしたら──それは自然主義(ありのままの自然や現実を忠実に描こうとする芸術形式)の点だと思います。
私はストーリーテリングのため、『ライトハウス』では意図的に良くも悪くも派手なカメラワークを行いましたが、彼のカメラワークは万能的というか、カメラを置く位置もシンプルで、カメラワークにあまり注目がいかないように努めています。
ケン・ローチの地に足のついた自然主義は、訓練された俳優が自分の生来の方言ではない特別なアクセントを使って演技をするうえで基準にしたいものです。つくり上げられた世界でそれを実現させるのは困難なことだけれど、彼のように自然主義的であることが可能であれば、目標にしたいと考えています。
また、私がこういう風に言うとケン・ローチは嫌がるかもしれないけれど、彼の映画はある種エスノグラフィック的(民族学・文化人類学などの領域で用いられる「行動観察」のアプローチ)なところがある。そこも憧れている部分ですね。
画面サイズへのこだわり。正方形に近いサイズは、閉所恐怖症的な感覚を生みだせる
1983年生まれのエガースは、過去の時代に関心を寄せているようだが、『Brothers』は画面比率を1.33:1(スタンダードサイズ)、『ウィッチ』は1.66:1(ヨーロッパビスタ)、『ライトハウス』は1.19:1(1926年から1932年までトーキー時代にドイツ表現主義映画などで使われたサイズ)で設定するなど、撮影監督ジャリン・ブラシュケとともに短編から一貫してワイドではない画面サイズを採用していることも興味深い。
近年は、『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』(2017)や『魂のゆくえ』(2017)をはじめ古典的なスタンダードサイズへの回顧、あるいは『WAVES/ウェイブス』(2019)のトレイ・エドワード・シュルツのように物語と画面の形を連動させる動きも見られるが、エガースはアスペクト比をどのように考えているのだろうか。
「多くの映画館はシネマスコープ(ワイドスクリーン)用に設計されているから、もし映画ごとに新しい劇場を建てることができたら観客はもっといろいろなアスペクト比のものを楽しめると思う」という回答からは、確実にフォーマットへの強い意識が感じられる。
エガース:『ライトハウス』では、確かに過去の時代に連れて行くために、箱型のアスペクト比を採用しました。しかしそれ以上に、狭い室内に閉所恐怖症的な感覚を生み出すことができ、クローズアップに適したアスペクト比だと考えました。
映画史を見ても、ワイドスクリーンでも良いクローズアップの例はたくさんありますが、個人的には両端の部分がいつも気になってしまうのです。また、灯台が高々とそびえ立っている感覚を表現するのにも最適でした。
エガースは、アニャ・テイラー=ジョイやウィレム・デフォーがふたたび出演する大作『The Northman』の全米公開を2022年に控える。10世紀のアイスランドを舞台に、父親を殺されたバイキングの王子が復讐に乗り出す時代劇だという。ここでも、やはり細部にまでこだわり抜いて過去の伝承をスクリーンに表出させることを継続して試みるようだ。
エガース:現在、私はバイキングの映画(『The Northman』)を編集中ですが、その作品は2:1で撮影しました。当初はバイキングの建物の縦長の内装を強調するためにスタンダードサイズも考えていたのですが、風景や人の多さはもうちょっとワイドなサイズを必要としていた。なのであいだをとって2:1を採用することにしたのです。
黒澤明の『七人の侍』(1954)のように、スタンダードサイズでも壮大なものを撮ることはできる。でも私はあの映画でも時々ちょっと画面が狭いと感じてしまいます。
それぞれのストーリーによって、映画によって、スクリーンの比率は変わるのだと考えています。どんなストーリーなのか、なぜそれを伝えたいのか、どういうものを表したいのか、そのためにはどういう方法が必要なのかを考えることが重要なのです。
彼の言葉の端々からは、人間の深層心理を探究した心理学者カール・グスタフ・ユングへの傾倒と古典芸術への愛着が窺えた。物語の祖型を踏まえたうえで、アスペクト比を活かして新しい文体を模索するあり方、そして古代を掘り起こしながら家父長制の下で抑圧された性を暴き出す視線にロバート・エガースの映画作家としての現代性を見出すことができるだろう。
- 作品情報
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- 『ライトハウス』
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2021年7月9日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国で公開
監督:ロバート・エガース
脚本:ロバート・エガース、マックス・エガース
出演:
ウィレム・デフォー
ロバート・パティンソン
上映時間:109分
配給:トランスフォーマー
- プロフィール
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- ロバート・エガース
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ブルックリンを拠点とする監督・脚本家。ニューハンプシャー出身。ニューヨーク市で監督兼デザイナーとして演劇制作のキャリアをスタート。やがて映画に移行し、いくつかの短編映画を監督した後、映画、テレビ、出版物、演劇、ダンスの分野で幅広く活動した。監督兼脚本として長編映画デビューを果たした『ウィッチ』は、2015年『サンダンス映画祭』でUSドラマ部門の監督賞を受賞し、高い評価を得た。同作は、『インディペンデント・スピリット賞』の最優秀新人作品賞と最優秀新人脚本賞の2つを受賞。続く『ライトハウス』では、『アカデミー賞』撮影賞にノミネートされた他、『カンヌ国際映画祭』FIPRESCI賞など数多くの映画賞を受賞。その才能を世に知らしめた。現在は、F.W. ムルナウの古典映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』(2022)のリメイクを含むいくつかのプロジェクトが進行中。
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