数年前、フェミニズムに救われた経験から「ラッパー / フェミニスト」と名乗り、活動を続けてきたあっこゴリラ。自身がフェミニストであることに変わりはないものの、最近ではあえて「フェミニスト」と説明することをやめているのだという。
他方、参加する16作家全員が女性の『アナザーエナジー展:挑戦しつづける力―世界の女性アーティスト16人』は、白人男性中心主義の色が強かった美術界でキャリアを築いてきた作家たちの作品を紹介しているが、その宣伝や展示において「フェミニズム」という言葉を積極的に使用していない。
両者は決して「フェミニズムと向き合わなくていい」と発信したり、「フェミニズムを前面に打ち出さないほうがいい」と断定しているわけではない。あっこゴリラや作家たちが抱えてきたそれぞれの課題意識の複雑さや作品の持つエネルギーに、鑑賞者が想像力をもって対峙してくれるよう問いかけているのだ。
『アナザーエナジー展』の会場で、あっこゴリラと森美術館アソシエイト・キュレーターの德山拓一に話を訊くとともに、「一人であること」と連帯の関係についても思いを巡らせた。
聞き手は「自分らしく生きる女性を祝福するライフ&カルチャーコミュニティ」She isで編集長を務め、現在はme and you, inc.の取締役を務める編集者の野村由芽。あっこゴリラが書いたリリック<I’m あっこゴリちゃん / さんづけとか無理>を尊重し、「あっこちゃん」呼びで実施された取材の様子をお届けする。
ラッパー以上でも以下でもない。あっこゴリラがフェミニストを名乗らなくなったわけ
―あっこちゃんが自分のことを「ラッパー / フェミニスト」と名乗り始めたのは、どんな理由からだったのでしょうか?
あっこゴリラ:もともと自分は「フェミニズム」とか「フェミニスト」という言葉に対して、あまり良くない印象を抱いていたんです。それはたぶん、フェミニストやフェミニズムを腫れ物のように扱うメディアや作品を見て育ってきたことが原因で。
でも楽曲をつくる過程で生きていくなかでの違和感に向き合ったとき、フェミニズムをしっかり勉強したら、救われている自分がいて。「肌は白くないと」とか「女は子どもを産まないと」とか、社会が決めた「こうであるべき」という価値観に苦しめられていたけれど、問題は私自身ではなく社会構造にあったんだと気づかせてくれたのがフェミニズムだったんです。
あっこゴリラ:そこからは、フェミニストやフェミニズムに対して勝手にネガティブなイメージを抱いていた自分自身を変えていきたくて「フェミニスト」を名乗るようになりました。呪いを解きたかったというか。
―そんなふうにして「フェミニスト」を名乗り始めたあっこちゃんですが、最近は「フェミニスト」をあえて名乗らなくなったとおっしゃっていました。それはなぜですか?
あっこゴリラ:ラッパーよりも先に、フェミニストとして扱われることが増えたんですよね。人から「フェミニズムをラップで表現している人ですよね」と言われたりして。「違う違う」って(笑)。
―ヒップホップが、フェミニズムを表現するための手段のように捉えられてしまった。
あっこゴリラ:そうそう。私の肩書きは何だろうと考えると、自分はラッパー以上でも以下でもないんです。個人としてフェミニストであることに変わりはないけれど、もはやそれは言わなくてもいいなと感じて。
―周囲の人があっこちゃんの「フェミニストである」という部分を先行して捉えていたのは、なぜだと思いますか?
あっこゴリラ:「フェミニズム」とか「フェミニスト」とラベリングすると、わかりやすいんだと思います。私はそのわかりやすさをあえて利用するというのも一つの手だと思っているのですが、それによって周囲の思考停止を促してしまうんじゃないかと考える瞬間もあって。
―思考停止というのはどういう状態か、もう少し詳しくうかがえますか?
あっこゴリラ:たとえば「間違っているものは間違っている」とか、思考が頑なになってしまうことが思考停止だなと思います。「明らかにこの人は間違ったことを言っているな」と思っても、よく背景や文脈を知ると、その判断が変化することってあるじゃないですか。
―ありますね。
あっこゴリラ:もっと人と話し合いたいし、失敗を許容し合えるようなつながりを増やしたい。だから進んで失敗しながら、自分の音楽がそれを促す装置になるよう試行錯誤しています。「私たちは本来もっと複雑なはずだ」ということに、つねに葛藤しているんですよね。
バラバラのままで一緒にいるZoomgals、孤独が引き合わせてくれたMoment Joon
―音楽活動のお話もうかがえたらと思います。最近はソロだけでなく、valkneeさん、田島ハルコさん、なみちえさん、ASOBOiSMさん、Marukidoさんとともに「Zoomgals」としての活動もされていますよね。
あっこゴリラ:Zoomgalsは「みんなで活動している」というより、一人ひとりがバラバラのままで一緒にやっている感覚が強いですね。わかり合えないことも大量にあるなかで、それでも音楽を一緒にやっていくことができたのが、自分にとっても勉強になりましたし、刺激的でした。
―「バラバラのままで一緒にやっていく」というスタンスは、どんな部分に現れているのでしょうか?
あっこゴリラ:例えば、他の人のリリックに対して「正しい / 正しくない」ということをお互いに言わないんです。自分も人のリリックの意味がわからない部分がたくさんあるし、向こうもそうだろうし。だからこそ面白いんですよね。
―人の表現に口を出さないのは、シンプルなようでいて、難しいことなのではないかと思います。
あっこゴリラ:それぞれが自分の表現に誇りを持っているからこそかもしれないですね。
あっこゴリラのInstagramより
―メンバーのみなさんそれぞれが「一人でいること」を知っているからこそ、バラバラのままでも一緒にいられる部分があるのかなと思いました。あっこちゃんは「一人」であることと連帯することの関係性についてどう考えていますか?
あっこゴリラ:私は基本的にあまり人と群れないスタンスなんですが、そうすると時々「それって誰とも連帯しないってこと?」と反感を買われてしまうことがあって。私はむしろその逆で、人は一人だから連帯できると考えているんです。
一人ひとりがそれぞれに根を張って生きていれば、他人と自分が違っても楽しめるんですよ。その感覚が大きな意味での連帯につながるんじゃないかと思っています。
あと、私は「一人だな」という感覚が強いけれど、その孤独感が同じ孤独を感じる仲間を集めているような感覚もあって。例えばMoment Joonというラッパーに出会ったときには「ああ、孤独友達ができた!」と思ったんです(笑)。
「孤独が引き合わせてくれたんだな、孤独も悪いもんじゃないな」と感じました。そういう面白さはもっと人に伝えたいなと思います。「連帯しよう」とストレートに伝えることも大切だけど「一人でいても仲間ができるよ」と言ったほうが、気が楽になる人もいるんじゃないかな。
―一人ひとりがそれぞれに根を張って生きていくことはとても大切だと感じつつ、生きていくなかでは自分を保つことが難しい場面もあるかと思います。あっこちゃん自身は、そういった難しさを感じることはありますか?
あっこゴリラ:つねに人からの視線に晒されながら「自分でいること」ってすごく勇気がいることだと思います。「自分でいること」は、言ってみれば戦いなんですよ。
でもだからこそ、私は「自分でありたい」と願っている人にエールを送りたい気持ちがありますし、私自身も強い気持ちで自分を歌いたい。険しい道のりだけど、そこに挑まずに周囲に流されていたときの自分の苦しみからは解放されると思うから。
―最近では「自己肯定感」という言葉もよく耳にしますが、自分を保ち、認めることはそんなに簡単なことではないですよね。自分を肯定できない社会の状況や環境についても、考えていく必要がありますし。
あっこゴリラ:「自分でいること」すら難しいのに、さらに「自分を愛そう」だなんて、どれだけ修羅の道を歩もうとしてるの!? って感じですよね。
物心がついた頃から「可愛い」だの「ブス」だの言われながら育ってきて、それでも自分を肯定していこうと頑張っている私たちの生きざまって、どう考えても謙虚で可愛すぎるんですよ。可愛いし、かっこいい。「なめんなよ」と思います(笑)。
行き過ぎた個人主義は危険? ロビン・ホワイトの作品を観て思うこと
―さて、今回はそんなあっこちゃんに森美術館で開催中の『アナザーエナジー展』をご覧いただきました。この展示は50年以上のキャリアを誇るアーティストたちの作品を紹介していて、参加している16作家は全員が女性です。長いあいだ欧米の白人男性中心主義社会だった美術界にありながらも、自らの信念や願いを追求して作品をつくり続けてきた作家たちの姿勢と、あっこちゃんの活動には、どこか通じる部分があるのではないかなと感じているのですが。展示をご覧になっていかがでしたか?
あっこゴリラ:本当に素晴らしかったです。パンデミック以降はずっと家にいたから、ネットで情報を得る機会が以前よりも多くなったと思うんです。でも今日は現場でダイレクトに熱と情報を浴びて、かなり疲れましたね(笑)。疲れたけど、何回でも観に行きたいです。
―今回の美術展を担当されている森美術館アソシエイトキュレーターの德山拓一さんは、あっこちゃんの感想を受けていかがですか?
德山:ライブ感や現場感についての感想を、一番に挙げていただけたことがとても嬉しいです。コロナ禍になってからは、よくスタッフどうしで「美術館の存在意義って何だろう」と話していたのですが、やはり作品とリアルに触れ合える熱こそが一番の存在意義なんじゃないかと感じることができました。
―今回、あっこちゃんが特に気になった作家さんや作品について教えていただけますか?
あっこゴリラ:ロビン・ホワイトさんの作品がすごく好きでした。木の樹皮の繊維を叩いてつくる、タパという大きな布の作品が展示されていたのですが、まず布が完成したら、みんなその上でご飯を食べたりダンスを踊ったりするそうなんです。
できあがったものを汚すというのが素敵だなと思って。デニムを履き潰す感覚に似ているというか、人生だなと思いました(笑)。
德山:いま言及していただいた『大通り沿いで目にしたもの』という作品は、ロビン・ホワイトが30~40人の女性たちと協働してつくりあげた作品です。
あっこゴリラ:それも含めていいなと思いました。私は前半でも話していたように、一人ひとりが「自分でいること」がすごく大切だと思っているけれど、一方で、個人主義とか自己責任の考え方が行き過ぎてしまうのも危ないことだと思っていて。そういう意味でロビン・ホワイトの作品のことをもっと知りたいという感覚がすごくありますね。
―ロビン・ホワイトは展示されていたインタビューのなかでも「個人主義はあまり重要ではありません。人間の価値は他人と親しくなり、ともに働く能力によって測られます」とおっしゃっていましたよね。
あっこゴリラ:私はアフリカ大陸のマラウイに行ったとき、自分がいかに個人主義的なのかということを痛感したんです。その村にいくと毎朝、礼儀として村の全員に挨拶しなくてはいけなくて。
あっこゴリラ:「ボ」と言うのが挨拶なんですけど、毎日「ボボボボボボボボ」って3,000回ぐらい言ったんです。「疲れた、だるい」と思っても、それがその場所のルールなので、ずっと一人になれない。
私は「バラバラなままで連帯していく」ということに一つの光を見出していますけど、人と人との関わり方には、ほかにもさまざまな方法があるのかなとマラウイの村で体感しました。
村の人たちが自分と他者の境界を溶かすことによって社会を生み出していることも、それはそれですごく美しいなと思ったし。自分のなかでも、はっきりとした答えは出ていないんですけど。
―現代アートの文脈のなかでは、一人が一つの作品をつくるという考え方も根強いように思いますが、ロビン・ホワイトのように他者と作品をつくっていくことは、美術界にすんなりと受け入れらたのでしょうか?
德山:芸術は作家自身の自己表現やアイデンティティーと深く結びついているものなので、美術作品が成立する前提として、個人の作家性は欠かせない要素でした。しかし最近になって、個人という枠に囚われず、より広い視点から美術作品、あるいは表現というものを捉えたほうがいいのではないかという反省も増えてきています。
ロビン・ホワイトは始め、故郷のニュージーランドで画家として活動していたのですが、キリバス諸島という、無人島のような島に家族で引っ越した際に画材が簡単に手に入らず、そのときに自分が表現として何を選ぶべきかということを模索し始めたんです。
そうして広い視点で社会や文化に興味を持ち始めた結果、たった一人の人生よりも、何百年も何千年も続いてきたその地域の記憶に注目しようとした。もともと地域主義者だった彼女が、結果的に30~40人で一つの作品をつくりあげたことと、個人主義的な側面も強い現代社会で観客がホワイトの作品に惹かれることには、重なる部分があるように思います。
ある種の権威・新聞を割れる素材で表現した三島喜美代
あっこゴリラ:三島喜美代さんの作品も気になりました。
德山:いいですよね。ぼくも三島さんの作品は大好きです。
あっこゴリラ:私は三島さんが新聞や広告チラシを「陶」という素材で表現したことに驚いて。このシリーズがつくり始められた1970年代って、新聞がいまよりも重要な情報源だったと思うんです。それを三島さんは、衝撃を与えたら割れてしまう「陶」の素材で表現した。
あっこゴリラ:今年の1月、『朝日新聞』の夕刊で「脱・脱毛時代」というメッセージとともに私の脇毛の写真が紙面に掲載されたことがあったんです。そうしたらうちの親が「娘の脇毛が新聞に載ったぞ」と喜んで(笑)。
両親にとっては「娘の脇毛が載った」というよりも「新聞に載った」ということが意味を持つみたいなんです。それを見て、親の世代にとっての「新聞」の威力を思い知りました。だからなおさら、そのある種の権威を割れる素材で表現した三島さんはすごいなと。
德山:陶器の新聞は、三島さんの代名詞とも呼べる作品です。日常に深く根づいたメディアが権威化することで、世論を先導する危険性を孕んでいることを、三島さんは割れた新聞が肌を傷つけるイメージに結びつけて表現されました。
ただ、三島さんは絶対にコンセプトを先につくらない作家でもあるんです。割れる新聞についても、ほかの作品でたまたま使っていた新聞と、洗っていたお茶碗が割れてしまったことが偶然重なったアイデアなのだそうで。純粋なひらめきから作品をつくられているんです。
あっこゴリラ:ますますすごい(笑)。
『アナザーエナジー展』を満たす「一つにくくれないエネルギー」とは
―今回『アナザーエナジー展』に参加されている作家さんは16名全員が女性ということですが、そうした展示をいま企画された経緯や、タイトルの示す部分について、德山さんからお話しいただけますか?
德山:今回の展示を企画し、キュレーションしたのは森美術館の館長である片岡真実と、ドイツのキュレーターであるマーティン・ゲルマンの二人です。彼女たちはこれまでさまざまな場面で70歳以上の女性の作品に出会い、惚れ込んでいたので、いつかそれらをまとめて紹介する機会を設けたいと考えていました。
二人のなかには、欧米の白人男性主義の色が強い美術の世界で、女性の作家たちが長いキャリアを築いてきたことへの敬意もあると思います。しかし同時に、作家たちの作品を「フェミニズム」という言葉でカテゴライズしたくない想いもあったようです。
德山:『アナザーエナジー展』の開催にあたり、一人ひとりのアーティストにインタビューをした際の実感としても、フェミニズムの話題について話を振ると、会話が長続きしないということがありました。その理由として多く挙げられたのは、作家たちの活動のもとになっているのが「フェミニズムだけではない」ということ。
そうして何か一つに括れないエネルギーこそが、16作家に共通するものであり、彼女たちが長く作品をつくり続けられた原動力なのではないかということで、今回の展覧会を『アナザーエナジー展』と名づけることになりました。すごく抽象的で、なかなか説明しづらいコンセプトなのですが。
―あっこちゃんがすごく頷いていましたが、德山さんのお話を聞いていかがですか?
あっこゴリラ:私が冒頭でお話ししたことにも通じるんですが、フェミニズムとかフェミニストって、わざわざ口に出さずとも当事者として向き合わざるを得ないテーマなんだと思います。だからそれを前面に打ち出さなかったとしても、自然とそうした情報が組み込まれている。
もちろんなかにはフェミニズムを前に出して発信されている作家さんもいますけど。
―今回の展示ではあくまで一人ひとりの世の中の捉え方や興味の対象が前面に出ていましたね。あっこちゃんは展示から、何か感じとる部分はありましたか?
あっこゴリラ:全体的に「それな」とか「わかるー」といった、共感の気持ちが大きかったです。「私も頑張らなきゃ」と、内側からたぎってくるものもありました。
―自分の思考を促してくれるような存在なんですね。
あっこゴリラ:そうそう。あくまで自分の解釈で作品を観ていたから、アーティスト本人たちからしたら「何だそれ」という感じかもしれないけど(笑)。
でも戦ってきた人の作品には、ちゃんとそのことが表れるんだなと感じられて嬉しかったです。「自分はまだまだだけど、これからも表現の道を進んでいこう」という、前向きな苦しさも感じました。
都市生活を楽しむためのアイデアを提案するメディア・HILLS LIFE DAILYによるポッドキャストでも、あっこゴリラと野村由芽、德山拓一による対話を配信中。よりディープな対話を楽しみたい方は、ぜひ音声版もあわせてチェックしてほしい(Spotifyで聴く)
- イベント情報
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- 『アナザーエナジー展:挑戦しつづける力―世界の女性アーティスト16人』
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2021年4月22日(木)~9月26日(日)
会場:東京都 六本木 森美術館
時間:10:00~20:00(※当面、時間を短縮して営業。火曜は17:00まで)
- 作品情報
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- あっこゴリラ
『NINGEN GOKAKU』 -
2021年6月23日(水)配信
1. TOKYO BANANA 2021
2. TRACK GRRRL
3. SAKIDASU
4. SayHello
5. 神器 dig it
6. 謝謝 feat.CaTEye(猫眼似太)
7. SURVIVOR
8. DON’T PUSH ME feat.Moment Joon
9. I’m here
- あっこゴリラ
- ウェブサイト情報
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- HILLS LIFE DAILY
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HILLS LIFE DAILYは、いつも新しい「何か」が起こる街 ヒルズを舞台に、 都市生活を楽しむためのアイデアを提案してゆくメディアです。
- プロフィール
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- あっこゴリラ
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ドラマーとしてメジャーデビューを果たし、バンド解散後ラッパーとしてゼロから下積みを重ねる。2017年には、日本初のフィメール(女性)のみのMCバトル『CINDERELLA MCBATTLE』で優勝。2018年12月、1stフルアルバム『GRRRLISM』をリリース。2019年よりJ-WAVE『SONAR MUSIC』でメインナビゲーターを務め、また大学でのジェンダー講義や、アフリカ大陸マラウイで村人を巻き込んだストリートライヴなど、性別・国籍・年齢・業界の壁を超えた唯一無二の表現活動を行う。2020年より独立し、mixtape『NINGEN GOKAKU』を発表。ちなみにゴリラの由来はノリ。
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