舞台は1978年のパリ。『ショック・ドゥ・フューチャー』は、男性中心の音楽業界で新しい音楽の可能性を探る若き女性ミュージシャンを描いた音楽映画だ。
2021年現在、自宅で音楽制作を行なうことはもはや当たり前のことになり、iOSアプリ「GarageBand」などによって「自ら音楽をつくって世に発表する」という可能性は、手のひらの上の小さな端末のなかに存在する時代になった。
一方で1970年代後半においては、自ら音楽を制作し、発表するという可能性は限られた人のものに過ぎず、本作の主人公が夢想するデスクトップミュージックの未来は荒唐無稽な話として相手にもされなかった。
『ショック・ドゥ・フューチャー』は、巨大なシンセサイザーを「コックピットもどき」と揶揄するような時代に、エレクトロニックミュージックの可能性を模索し、その創生に貢献した女性音楽家たちに光をあてる。監督であるマーク・コリンに作品の意図や自身の経験してきたことについて、ライターの村尾泰郎とともに話を訊いた。
※本記事は映画『ショック・ドゥ・フューチャー』のいくつかのシーンや使用楽曲などに対する具体的な言及を含む内容となっております。ストーリーの核心部分に触れるものではありませんが、あらかじめご了承下さい。
歴史の表舞台では語られない、シンセサイザーと女性音楽家の戦いにまつわる物語。その時代背景は?
ディスコ、パンク、ヒップホップ……1970年代後半には次々と新しい音楽が誕生した。そんななかで画期的だったのが、シンセサイザーがポップスに使われるようになったこと。その未来から聞こえてくるような音色はテクノやニューウェイブと呼ばれる音楽を生み出し、ポピュラー音楽の世界を大きく変えていくことになる。
その前夜、1978年のパリを舞台にして、無名の女性ミュージシャン、アナの1日を追った映画が『ショック・ドゥ・フューチャー』だ。監督 / 脚本 / 音楽を手がけたのは音楽プロデューサーで、音楽ユニット・Nouvelle Vague(ヌーヴェル・ヴァーグ)の中心人物でもあるマーク・コリン。彼にとって監督デビュー作になった本作の出発点は「1978年」という時代だった。
マーク:1978年から1980年にかけての時代に興味があったんだ。音楽やファッションがどんどん変化していった時代だったからね。映画のパーティーシーンでかかる音楽(シンセディスコのDroids、フレンチパンクのMétal Urbain、USニューウェイブのDevoなど)でそのことを伝えている。
ロックの時代はすでに終わり、パンクも終わりかけているけどディスコは生き残っている。そこにテクノやニューウェイブがやってこようとしていることをパーティーで流れる音楽で表現しているんだ。エレクトロニックミュージックはここ20年間くらい成功を収めているけど、1978年ではまだキワモノだった。
現代音楽に使われていたシンセサイザーをドイツのプログレバンド、Kraftwerkが大胆に取り入れて、テクノポップの源流とも言えるヒット曲“Autobahn”を発表したのが1974年。
その後、シンセはディスコに浸透し、ジョルジオ・モロダーがプロデュースを手がけたドナ・サマー“I Feel Love”が1977年に大ヒットする。
そして、パンクが勃発。パンク世代の若者たちがシンセを面白がって使いはじめたことでテクノやニューウェイブが生まれた。
映画のなかで、音楽通のDJがアナに「最新のヤバい曲」としてThrobbing GristleやSuicide、Aksak Maboulなど、パンクとニューウェイブの過度期に生まれたバンドのシングルを聴かせるが、そのセレクトも絶妙だ。
女性への不当な偏見やセクハラのはびこる音楽業界で、アナの物語を導く「機材」との出会い
そういったユニークな時代を振り返るにあたって、主人公を女性にしているところに現代的な視点を感じさせる。これまでの音楽映画でシンセサイザーを弾く女性ミュージシャンが主人公になったことは、ほとんどなかったのではないだろうか。
マーク:当時、女性が音楽活動をするのは大変だった。そんななかで、女性がエレクトロニックミュージックをやるのはさらに大変だったんじゃないかと思って、映画の主人公は女性にしようと決めたんだ。
この映画にはふたつの戦いが描かれている。ひとつはエレクトロニックミュージックをポップスに定着させる戦い。そして、女性ミュージシャンが自分の作品を発表するための戦いだ。
映画の主人公のアナは駆け出しのミュージシャン。友人のマンションを間借りしていて、部屋には巨大なアナログシンセサイザーがある。アナはそれを借りてCM音楽を作曲しているのだが、ありきたりの曲をつくることにうんざりしていて締め切りを過ぎても曲はできない。
そこにやって来たレコード会社の男性プロデューサーは「女になんて頼むんじゃなかった!」と毒づき、シンセの修理にやって来たスタッフは新しい機材を貸す代わりにキスさせてほしいと言い出す始末。
そんなセクハラだらけの男社会のなかでアナはオリジナル曲をつくることを決意するのだが、そのきっかけは手に入れた新しいリズムマシーン、Roland CR-78だった。
本作は、電子音楽の歴史に貢献した女性ミュージシャンたちの功績に光をあてる
新しく手に入れた機材が曲づくりのインスピレーションになる、というもエレクトロニックミュージックらしいところだが、プレイヤーが自由に演奏できるシンセサイザーは女性が音楽シーンに進出することに大きな役割を果たした。
エレクトロニックミュージックの黎明期には数多くの女性ミュージシャンが活躍しているにもかかわらず、男性に比べて脚光を浴びることは少ない。本作はそんな女性ミュージシャンたちにオマージュを捧げたかったとコリンは言う。
マーク:女性ミュージシャンと電子音楽はとても相性がいいと思うんだ。
この映画にあたってリサーチをしたとき、ローリー・シュピーゲルやエリアーヌ・ラディーグなど、エレクトロニックミュージック創成期に活躍した女性ミュージシャンたちが、巨大なシンセを操って作曲をしている姿を写した写真がすごく印象に残った。
彼女たちが感性のおもむくままに音を彫刻しているように見えたんだ。彼女たちがつくり出した音楽は、男性がつくったものとちょっと違う気がするんだよ。
ホドロフスキーの孫娘が手探りで学んだシンセの世界を覗き見る
シンセのツマミを操りながら曲づくりに没頭するアナの姿に、エレクトロニックミュージック創成期の女性ミュージシャンの姿が重なる。アナを演じたのは映画監督アレハンドロ・ホドロフスキーの孫娘、アルマ・ホドロフスキー。女優であり、ミュージシャンとしても活動している彼女は、初めて見るアナログシンセにすぐに親しんだという。
マーク:彼女はライブでループを使ったりしてエレクトロニックな機材に親しんでいたから、アナログシンセもすぐに気に入ったみたいだった。
まず、ぼくが持っているシンセを貸したんだけど、彼女は友達からも「ブックラ」のシンセサイザーを借りて、フィルターやアタックがどういうものなのか、アナログシンセを構成する要素を手探りで学んでいったんだ。
手探りでシンセの機能を学ぶ、というのは当時のミュージシャンと同じこと。演奏技術ではなく、音のつくり方にミュージシャンの個性が反映される。それがアナログシンセの魅力だとコリンを言う。
マーク:いまのデジタルシンセとアナログシンセの違いは出る音ではなく、音をつくり出すアプローチの違いなんだ。アナログシンセにはプリセットーーつまり、「あらかじめ用意された音」が入っていないから、すべての音をゼロから自分で紡ぎ出していかないといけない。いろんなツマミを触りながら自分の求めている音を探していくんだ。
たとえば、ラディーグは頭のなかにある音楽を表現したくても、それに適した機材が見つからなかった。でも、シンセサイザーに出会ったことで、彼女は頭のなかにあった音楽を現実化することができたそうだ。
2人の女性によるおしゃべりの延長からはじまった楽曲制作シーンに着目
映画で印象的なのは、アナがオリジナル曲をつくり上げる過程を丁寧に見せていることだ。
曲づくりをしている最中、CM音楽のレコーディングのために呼ばれたシンガー、クララ(シンガーソングライターのクララ・ルチアーニが演じている)がマンションを訪れて、アナと話をしているうちに意気投合。アナが機材を使って構成したトラックにクララが歌詞を書き、New Orderを思わせるシンセポップをかたちにしていく。
その様子をコリンはドキュメンタリータッチで描いているが、男性社会の音楽業界でふたりの女性ミュージシャンが肩を寄せ合いながら曲をつくり上げていく姿に胸が打たれる。
マーク:この映画でエレクトロニックミュージックがどんなふうにつくられていくのかを観客に見せたかったんだ。どうしてかというと、これまでロックやジャズ、レゲエといった音楽がつくられる様子はドラマやドキュメンタリーで描かれてきたけど、エレクトロニックミュージックの曲づくりの様子が描かれたことはほとんどなかったからね。
この映画では1日という限られた時間のなかでそれを描きたかった。映画全体のバランスを考えると曲づくりのシーンは長すぎたかもしれないけれど、あのシーンが好きだと言ってくれる人は多いんだ。
後にDaft Punkを輩出する、1980年代のフランスの音楽シーンのリアルな感覚
アナとクララの自然なやりとりや空気感など、曲づくりのシーンには、音楽を長年やってきたコリンだからこそ生み出すことができたリアリティがある。コリンの音楽ユニット名である「Nouvelle Vague」とは「ニューウェイブ」のフランス語。
Nouvelle Vagueはニューウェイブの名曲をボサノバのアレンジでカバーして注目されたが、コリン自身とニューウェイブとの出会いを聞いてみた。
マーク:映画の舞台になった1978年頃は10歳でBlondieやChicなんかを聴いてた。そのあと、イギリスのSimple MindsやThe Cure、フランスのIndochineやTaxi Girlといったニューウェイブバンドを聴くようになったんだ。
Yellow Magic Orchestraも大好きだったよ。彼らはKraftwerkから影響を受けていると思うけど、少し厳格な感じがするKraftwerkに対して、YMOはポップで映像を取り入れたりするところなんか未来的だった。YMOを聴いていたのはクラスでぼくを入れて2人くらいだったね(笑)。
コリンが生まれ育ったのはパリから20キロ離れた郊外のヴェルサイユ。80年代後半にコリンは地元の高校で知り合ったニコラ・ゴダン(現在はAIRのメンバー)とシンセを使ったバンドを組むことになるが、当時はエレクトロニックミュージックに対する風当たりは強かったという。
マーク:1984年くらいにシンセを買ったんだけど、バンドをやっている連中からバカにされたんだ。「音楽をやるんだったらギターを弾けよ」とか「ドラムを叩けよ」って言われてね。ボタンを押して演奏するなんてかっこ悪いと思われていた。そんな風潮は1990年代くらいまであったんじゃないかな。
高校生の頃、黒ずくめの格好をしてNew Orderを聴いていた生徒は全校で10人くらいだった。パリには1万人くらいいたかもしれないけど、メインストリームってほどではなかったね。
日本製の機材が電子音楽の歴史にもたらしたインスピレーション
日本でも1980年代にシンセがロックシーンに入ってきたときには物議を醸し出した。以前、ムーンライダーズの鈴木慶一に取材したとき、「シンセを導入したことで友達をたくさん失くしたよ」と苦笑していたが、当時シンセを軽薄な楽器だと感じて敬遠するロックミュージシャンは多かった。
作中で「将来はシンセを使って自宅で曲をつくるようになる」と熱っぽく語るアナに対して、音楽プロデューサーは鼻で笑って取り合わないが、アナが信じるとおりシンセは未来の楽器だった。
とりわけ日本のシンセがエレクトロニックミュージックに果たした役割は大きかった、とコリンは振り返る。
マーク:当時、フランスで手に入れることができる唯一のシンセサイザーは日本製だったんだ。KORG、YAMAHA、Rolandとかね。アメリカ製のシンセサイザーは入ってこなかった。
フランスでアメリカ製のシンセを使っていたら、また違う音楽が生まれていたかもしれないね。私は日本のシンセサイザーがエレクトロニックミュージックを本当の意味でつくり出したんだと思っている。TR-808なんかがね。
1980年に発売されたRoland社のTR-808は「ヤオヤ」という愛称で知られるリズムマシーンの名機で、数々のミュージシャンが愛用してきた。
主人公の夢想が現実になった現代に対し、1978年を舞台にした本作が訴えかけること
いまでは機材が発達してシンセは身近なものになり、パソコンやスマートフォンで音楽がつくれるようになった。そんなテクノロジーの進化は曲づくりにどんな影響を与えているのだろう。
マーク:ぼくの子どもの頃に比べるといまの状況は信じられないくらい素晴らしいね。ネットで音楽を自由に聴けるし、実物のシンセを持っていなくてもバーチャルシンセを使える。ただそこで難しいのは、あまりにもモノが溢れかえっているなかで自分は何を選ぶのか、ということじゃないかな。
ぼくは制限があったほうが、よりクリエイティブになれるんじゃないかと思っている。欲しいものが手に入らなかったら何か工夫をしようとしたり、別の何かを試したりする。時間をかけて試行錯誤をするなかで面白いものが生まれるんだ。
思えばパンクやヒップホップ、ダブといった音楽は、思うように楽器が使えない貧しい環境のなかで生み出された音楽であるし、ニューウェイブも演奏技術や作曲能力よりアイデアが大切だった。
誰でも簡単に音楽がつくれるようになったいまの社会では、「創造とは何か」という本質が問われているのかもしれない。だからこそ、コリンはエレクトロニックミュージック創成期を舞台にして、曲づくりの過程をしっかりと見せたかったのだろう。
アナが夢見た世界がフランスに訪れるのは、Daft PunkやAIRなどの活躍によってフレンチエレクトロが世界的に注目を集めた2000年代に入ってから。1980年代以降、エレクトロニックミュージックの世界に起こったことを、コリンはこんなふうに分析する。
マーク:1980年代後半から1990年代にかけてサンプラーが登場した影響は大きかったと思う。サンプラーのおかげで、他人の音楽をサンプリングして自分の音楽をつくり出す、という流れが生まれたんだ。
DJたちがパーティーでさまざまな楽曲をミックスしていく具合にね。それがクリエイションの形を、音楽の世界を大きく変えた。じつは次回作ではその変化を描きたいと思っているんだ。
1990年代を舞台にフランスのレイヴカルチャーやエレクトロニックミュージックの台頭を描いた『EDEN/エデン』(2015年)という映画があったが、当時の音楽シーンに関わっていたコリンは時代の変化をどんなふうに描き出すのか。
これまであまり語られることがなかったフランスの音楽シーン、そして、エレクトロニックミュージックの歴史を紐解いていくうえでも、『ショック・ドゥ・フューチャー』と次回作は重要な作品になるだろう。「監督」マーク・コリンの今後の活躍に注目したい。
- 作品情報
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- 『ショック・ドゥ・フューチャー』
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2021年8月27日(金)から新宿シネマカリテ、WHITE CINE QUINTほか全国で順次公開
監督:マーク・コリン
出演:
アルマ・ホドロフスキー
フィリップ・ルボ
クララ・ルチアーニ
ジェフリー・キャリー
コリーヌ
上映時間:78分
配給:アットエンタテインメント
- プロフィール
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- マーク・コリン
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国際的に活躍する音楽ユニット「Nouvelle Vague(ヌーヴェル・ヴァーグ)」のプロデューサー。フランスのイヴリーヌ県・ヴェルサイユ郡で生まれ育つ。10代の頃には音楽ユニット「AIR(エール)」のニコラス・ゴダンやダンス系の楽曲を手がける音楽プロデューサーのアレックス・ゴファーらと音楽活動をはじめた。2003年にポストパンクの名作をボサノバやレゲエなどで再構成する革新的なアイデアを得て、2004年にオリヴィエ・リヴォーとともにヌーヴェル・ヴァーグとして初めてのアルバム「ヌーヴェル・ヴァーグ」をリリース。監督デビュー作となる『ショック・ドゥ・フューチャー』が2021年8月27日より公開。
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