日本のエンターテイメント業界の最前線で戦い続ける人物に話を聞く連載『ギョーカイ列伝』。第12弾に登場するのは、株式会社A-Sketchの取締役 / アーティストプロデュース本部・本部長の我謝淳史。
2008年に、アミューズとKDDIの合併会社として設立されたA-Sketchは、flumpoolをはじめとするアーティストを独自の施策で世に送り出し、今やONE OK ROCKは世界を舞台に活躍するトップアーティストとなっている。また、2013年にはオーディション企画『MASH A&R』を4社合同でスタートさせ、THE ORAL CIGARETTESやフレデリックといった、今のロックシーンで存在感を放っているアーティストを発掘してきた。
ONE OK ROCKとは10年以上の付き合いで、A-Sketchにも設立時から関わっている我謝は、現在38歳。つい先日にはKAI-YOUとのコラボレーションで次世代のラップアーティストを開拓するプロジェクト『OverFlow』をスタートさせるなど、常に新たな試みを打ち出している。来年の10周年を前に、A-Sketchの歩みについて語ってもらった。
「今までのCDの契約の印税率だとおかしいんじゃないか?」という考えが、設立時の理念のひとつでした。
—我謝さんがアミューズに入社されたのは2006年だそうですね。
我謝:アミューズがレーベル部署を立ち上げるタイミングに、僕が東京で音楽の仕事をし始めたときの師匠で、今はロックバーを経営している足立原に誘われる形で入社しました。もともとは宣伝担当として入ったんですけど、2006年からはONE OK ROCKのA&Rを始めたのと、あとRomancrewは発掘から制作、宣伝までを全部やらせてもらっていました。
それで、2008年にアミューズとKDDIがA-Sketchを立ち上げることが決まったときに、今の仕事のあり方を一から教わった社長の相馬に「お前はこっちに来なさい」と言ってもらって。
—A-Sketchの設立は2008年ですが、どういう意図があったのでしょうか?
我謝:これから配信の時代になるにあたって「今までのCDの契約の印税率だとおかしいんじゃないか?」という考えが設立時の理念としてひとつありました。CD1枚1000円の1%と、1曲150円の1%は違うわけで、「なんで同じ印税率を適用するのか?」という、アーティストへの利益還元を考えたわけです。デジタル時代を先取りして、よりアーティストに還元できる会社をKDDIと組んで作ったという形ですね。正直、当時でいうとうちの配信の印税は相当いいと思いますよ。
—我謝さんご自身も、そのときから「この先は配信」と考えていたわけですか?
我謝:僕は2008年の時点で、「今後、CDはグッズになる」と言ってました。アメリカで2005年に発行され、日本では2005年12月に全訳で発行された『デジタル音楽の行方』という本に、「蛇口をひねれば水が出るように、音楽もそうなる」と書いてあったんです。僕はNapsterも最初から使ってましたし、なんとなくそうなるんだろうなって思ってましたね。
「宣伝しても売れない」ってずっと言われてきたんです。
—A-Sketchに移ってから、最初のメインのお仕事は宣伝だったんですか?
我謝:そうです。でも、昔働いていた会社のときから、「宣伝しても売れないから、新人を探せ」って言われてました。
—「宣伝しても売れない」というのは?
我謝:ただ宣伝しても売れるわけではないから、売れるものをどう探すか、どう作るかが一番大事だということですね。でも、いいものを作ったからといって必ず売れるわけではないので、どうトピックを作って、どう伝えていくのかが大事で、そのためにはストーリーが必要。ただテレビに出れば売れる、雑誌に載れば広がるわけではない。それをかいつまんで言うと、「宣伝しても売れない」で、「もっと他のことを考えろ」ってずっと言われてきたんです。
—A-Sketchの第1弾アーティストはflumpoolでしたが、実際にただ宣伝するだけではなく、トピックやストーリー作りを大事にされたと。
我謝:そうですね。flumpoolは2008年10月に配信限定シングルの『花になれ』でデビューしてるんですけど、「LISMO」のテレビCMが9月から、ドラマ(『ブラッディ・マンデイ』)が10月から流れることが決まっていたなかで、どうやって宣伝して価値を上げていくかを会社全体で考えました。
そのなかで、もともと彼らの楽曲はエッジ感があったので、一回インディーズで出そうということになって、タワーレコードとTSUTAYA限定で、『labo』というシングルを8月に出したんです。あと、最初のテレビ出演が『ミュージックステーション』で、10月、11月、12月の『ミュージックステーションスーパーライブ』と、3か月連続で出ることができたのも大きかったですね。
—メジャーデビュー間もない新人が3か月連続出演というのはかなり異例ですよね。『花になれ』は配信開始から1週間で100万ダウンロードを記録して、それほどの人気があってこその出演オファーだったのかとは思いますが、我謝さん自身としても、かなり手応えがあったのではないでしょうか?
我謝:最初に手応えを感じたのは、SPACE SHOWER TV(以下、スペシャ)のパワープッシュとして9月からオンエアされ始めたときに、「CD売ってないんですか?」という問い合わせが入ったと、スペシャの方から言われたことですね。そんな問い合わせがくるのって、スペシャとしても異例だったらしいんですよ。なので、そのときに「この曲は届いているな」と実感しました。10月1日が配信スタートだったので、最初は10月のパワープレイを狙ってたんですけど、CMが9月20日から流れるからということで、9月のエントリーに狙い直したのもよかったんだと思います。
やっぱりボーカリストにカリスマ性があって、顔がイケてる子たちをやるべきなんだろうなと思います。
—2009年にデビューしたWEAVERに関しては、我謝さんが全面的に関わっていたそうですね。
我謝:そのとき、ONE OK ROCKが活動休止中だったこともあって、マネジメントからA&Rまで全部やらせてもらいました。2009年10月から配信限定シングルを3か月連続でリリースしたんですけど、デビュー日の翌日にflumpoolの日本武道館2デイズがあって、そのオープニングアクトとして出演したんです。そうやって話題を作っていったことによって、最初のアルバム(『Tapestry』)がオリコンのウィークリーチャート20位以内に入りました。
—やはり、トピックとストーリー作りが重要だったと。
我謝:そうですね。flumpoolはいきなりドカンとスタートできたけど、WEAVERはもっとバンドとしてのストーリーを作らないといけないんじゃないかと、みんな思ったんです。当時彼らはまだ大学生だったから、関西と行ったり来たりで大変でしたけどね。
1stアルバムが出たあと、ドラマの主題歌(“Hard to say I love you ~言い出せなくて~”がドラマ『素直になれなくて』に起用)と、「LISMO」のCM(“僕らの永遠~何度生まれ変わっても、手を繋ぎたいだけの愛だから~”)があって、2ndアルバム(『新世界創造記・前編』)の発売タイミングで『ミュージックステーション』に出演して、そこで跳ねた感じでした。じっくり時間をかけてやった甲斐があったなと思いましたね。
—flumpoolやWEAVERのストーリー作りの背景には、レーベルとしてどんな理念があったと言えますか?
我謝:全部のアーティストに100%の力を注ぐということです。大きい会社だと、「推しはこのアーティストです」みたいに優劣をつけがちだと思うんですけど、うちはそれは絶対にありません。
あと、会社として外に出すクリエイティブにはめちゃくちゃうるさいです。たとえば、15秒のCMを作るとなると、普通はサビを使うじゃないですか? でも、「使用される部分でなにが歌われているのかを意識しなさい」ということを常に社長が言っていて、たとえば、flumpoolの“花になれ”のスポットで使われた部分って、Bメロなんですよ。僕らは「奇跡のBメロ」って呼んでるんですけど(笑)。
—(笑)。でもあの<笑って泣いて歌って 花になれ>というフレーズが印象的で、人々の記憶にも残ってますもんね。
我謝:そうなんです。外に出るものに関しては、こういうインタビューや、雑誌に出る写真とかも含め、当時は社長自身もチェックしていたんですよ。もちろん、担当A&R、マネージャーも見るんですけど。flumpool、WEAVERも、最初は社長もチェックしていました。
WEAVERで言うと、3か月連続配信リリースしていたときに、取材ごとにメンバーとインタビューの受け答えに対する反省会を続けていたら、1stアルバムのときの『MUSICA』のインタビューがバッチリで、そこからは任せてもらえました。そうやって「出口までちゃんと見る」ということは、社長のやり方を見ながら学びましたね。
—A-Sketchの所属アーティストはロックバンドが中心ですが、「どんなロックバンドを世に送り出したい」というレーベルとしての考えはあるのでしょうか?
我謝:レーベルとしてというよりも、僕の考えを下世話に言うと、やっぱりボーカリストにカリスマ性があって、顔がイケてる子たちをやるべきなんだろうなと思います。もともとflumpoolとWEAVERを社長が見つけてきて、そのあとNICO Touches the Wallsが移籍してきて、次に僕がHello Sleepwalkersを提案したんですけど、共通してるのはやっぱりボーカルが立ってるということ。そういうバンドが、デビュー後も残っているような気がしますね。
ONE OK ROCKは、「『グラミー賞』を獲りたい」って17歳から本気で言い続けて、ここまで来たんです。
—ちょっと話がずれるかもしれないんですけど、我謝さん、欅坂46が大好きだそうですね。
我謝:僕、この3か月くらい欅坂しか聴いてないですから(笑)。
—(笑)。それって、ここまでの「クリエイティブへのこだわり」と「ボーカルにカリスマ性がある」という話と関係しているのかなと。
我謝:AKBにはそこまで心動かされなかったんですけど、なぜ欅坂にこんなに心動かされているのかを考えると、48グループは総選挙とかジャンケン大会といった「座組み」で新しいことを打ち出したわけですけど、46グループは「クリエイティブ」で勝負してる感じがするんですよね。
僕、欅坂のアルバムは通常盤が最高だと思っていて、あれは頭の“Overture”“サイレントマジョリティー”から、最後の曲“月曜日の朝、スカートを切られた”までで、ひとつの物語になっているんじゃないかって勝手に思っているんですよ。そういうアルバム全体の作り方、シングルのカップリング曲の生かし方とかも含めて、やっぱり秋元康さんは天才だなって思わされちゃったんです。
—「ボーカルのカリスマ性」ということに関してはいかがですか?
我謝:欅坂はロックバンドっぽいなって思いますね。それは、平手(友梨奈)というセンターのカリスマ性が周りを引っ張っているから。AKBのミュージックビデオはメインのメンバー全員が映るけど、“サイレントマジョリティー”は基本的に平手一点じゃないですか? ああいう作り方が、ロックバンドっぽいなって。
我謝:ただ、これは加茂さん(加茂啓太郎。元EMI、現ソニーミュージック)がブログかなにかで言ってたと思うんですけど、バンドとアイドルの違いって、バンドはバンドのなかでほぼ完結していて、バンドが作った100点のものを200点や300点にするのがスタッフの仕事で、アイドルは、ゼロからスタッフが作るからクリエイティブのあり方が全然違う。なので、ロックバンドは才能と出会う過程が大事で、そこでの審美眼が重要になってくると思うんです。
—「ボーカリストのカリスマ性」ということに関しては、ONE OK ROCKもまさにそれを持っているバンドですよね。我謝さんとは2006年からの付き合いということですが、彼らに関しては近年の海外進出についてお伺いしたいです。
我謝:ONE OK ROCKのメンバーは、それこそ2006年の頃からずっと「海外でやりたい」と言い続けていたんです。当時から、自分たちでニューヨーク行きのチケットを取って、とりあえず海外に行こうとしたくらいですからね。「『グラミー賞』を獲りたい」って17歳から言ってるメンバーなので、目線が他のバンドとは全然違う。当時は僕も「かわいいもんだ」と思ってましたけど、それを本気で言い続けて、ここまで来たんです。
メジャー契約ができたのは、異例だったと思います。
—ONE OK ROCKの海外進出の成功においてなにより大事だったのは、バンドの意志の強さと、それに見合う楽曲のクオリティー、メンバーのプレイヤビリティーの高さであったと。
我謝:あとはやっぱり技術革新なんだと思います。YouTubeとSNSのおかげで世界のボーダーがなくなって、多くの海外の人がONE OK ROCKに出会ってくれた。YouTubeがなかったら、今の彼らの状況はないと思いますね。
ONE OK ROCKチームとしては、SNSに対しても昔から意識的で、2011年にはオフィシャルのFacebookページを立ち上げて、“Re:make”のときにFacebookの画面が壊れるみたいなミュージックビデオのアプリを公開したり、ウェブに対する施策は執拗にやりました。その結果、YouTubeのコメント欄とかに海外の人が増えてきたなかで、「海外でCDを流通できないか?」という相談をし始めたんです。
—海外の、しかもメジャーのワーナーブラザースレコードと契約したのは非常に大きな出来事だったと思うのですが、どのようにして実現したことだったのでしょうか?
我謝:もともとは日本のロードランナーレコード(Slipknot、Slashなどが所属するアメリカのレーベル)に前の会社の同僚がいたので、「日本のバンドが海外で流通するには、どうしたらいいのかな?」と相談していたんです。最初はおとぎ話みたいな感じだったんですけど、ロードランナーがワーナーに吸収されて、その元同僚がワーナーに行ったこともあって、「ワーナーでやれないの?」って話させてもらった。まあ、もちろんすぐには上手くいかなかったんですけど。
—そこからどのように動いたのでしょうか?
我謝:ワーナー本社のアジア担当がオーストラリアのフェスに来たタイミングで日本に立ち寄るから、そこでプレゼンしようということになって。ONE OK ROCKの曲を聴かせて、DVDを渡して、「日本ではこういう状況なんです」というのも伝えて、本社に持って帰ってもらったんです。
アミューズはアメリカ法人もあるので、そことワーナーの本社がきっちりと話をして、メジャー契約ができました。これは異例だったと思います。まあ、僕は入口を作っただけです。契約まで持っていけたのは、ワーナーの担当者と、あとなによりバンドメンバーの熱量と、マネジメントの力が大きかったと思います。
音楽以外でも、自分が興味を持ったところには飛び込んでみて、そこで知見を広げる。今の音楽業界は、それをやらない人が多いイメージはありますね。
—A-Sketchの今後の展開に関しては、どんなことをお考えですか?
我謝:現在会社としては、ONE OK ROCK、flumpool、NICO Touches the Wallsとかがいて、『MASH A&R』出身のTHE ORAL CIGARETTESやフレデリックもグングン伸びてるんですけど、そろそろまた次のアーティストを見つけないといけないと思っています。個人的にも、もう一個ヒットを出せないと嫌だなって思っていて。ONE OK ROCKのメンバーが嫉妬するくらいのアーティストをやれたらなって思うんですけど。
—これからを担うアーティストにはどんな要素が必要不可欠だと思いますか?
我謝:セルフプロデュースができるというのは絶対必要だと思います。途中でも話したように、アイドルはスタッフ次第だけど、アーティストはアーティスト自身がA&R的な役目もこなせないとダメ。
どういう曲を作って、それを世の中にどう出せば、どう広がるか、ということまで考えられるアーティストが残っていくのかなと思います。言い方は悪いですけど、今ってInstagramとかで私生活も切り売りしてるわけじゃないですか? そこでもセルフプロデュースって絶対に必要だと思うんですよね。
逆に言うと、「じゃあ、そこでスタッフはどうあるべきか?」というのも、同時に問われていると思います。アーティストに対して常に刺激を与えて、新しい道を提案できないといけない。スタッフもちゃんと成長していかないと、アーティストに置いていかれるだけだとも思っています。
—ご自身の成長のために、なにか心がけていることなどありますか?
我謝:慢心せずに視野を広く持っておくには、好奇心が必要だと思いますね。音楽以外でも、自分が興味を持ったところには飛び込んでみて、そこで知見を広げる。今の音楽業界は、それをやらない人が多いイメージはありますね。僕もそんなに深掘りをしてるわけではなくて、薄く広くなんですけど。「写真だったらこの人が好き、アートだったらこの人が好き」くらい。
あと、どうしても「自分のハードディスク」はいっぱいになるので、そこで大事なのは「外付けハードディスク」をいくつ持つか。つまり、自分の持ってないセンスを持ってる子をスタッフや周りに集めることが大事だなと思っています。これも、昔から諸先輩方に言われていたことです。よく「自分があと何人かいればな」って言う人がいますけど、それって自分のエゴでしないから、それは絶対思わないようにしていますね。
—実際、今我謝さんの周りには、自分にないセンスを持ってるスタッフがいらっしゃるわけですか?
我謝:センスのいい子は多いと思います。ただ、苦言を呈するわけじゃないですけど、「音楽だけ」みたいなのは嫌だなって思うんですよね。クリエイティブなものを作るためには、ジャケット、アーティスト写真、衣装とか、いろんな分野に興味を持つ必要がある。そうすれば、「このクリエイターとこのアーティストを組み合わせたら面白いんじゃないか?」みたいなことが見えますよね。
CDバブルのときはレコード会社がイケてる会社だったけど、今はITがイケてる会社になってるわけじゃないですか? 音楽がすぐにITと結びつかなかったのも、知見の狭さが理由だった気がしていて。やっぱりいろんなことに対する好奇心を持っておくことが、すごく重要なんじゃないかと思うんですよね。
「遊びながら仕事できるって、最高ちゃうん?」って思いますね。
—この連載記事はCINRA.NETとCAMPFIREの合同企画なのですが、我謝さんはクラウドファンディングについて、どのような印象をお持ちですか?
我謝:アーティストのトピック作りのひとつとして、2013年にCAMPFIREを使ってミュージックビデオの撮影資金を募集したことがありました。そのプロジェクトを通して、「クラウドファンディングをどう使うか、アーティストをどう見せるか」という、ブランディングの仕方を勉強したんです。
—KAI-YOUとのコラボレーションによる新世代のラップアーティストを開拓する新プロジェクト「OverFlow」のスタートが発表されて、そこにはサポートとしてCAMPFIRE MUSICも参加していますね。
「OverFlow」ロゴ(サイトを見る)
我謝:審査の2ndステージで、応募者にはクラウドファンディングプロジェクトを立ち上げてもらうんですけど、そうしたのはセルフプロデュース能力を見たかったからなんです。自分をどう見せて、クラウドからどうお金を集めるかって、ライブハウスでどうやって動員を増やすかと一緒じゃないですか。
クラウドファンディングって、「ファンがいる人がやってるから、お金が集まるんじゃない?」と言う人もいて、それもそうだとは思うんですけど、ファンがまだいない人もお金を集められるようになってほしいと思いますし、今は誰もがアーティストになれる時代だと思うから、そのための場所を作りたかったんです。イメージとしては、『マネーの虎』と『ASAYAN』を足したオーディションなんですけど(笑)。
—世代感が出ますね(笑)。でも、KAI-YOUとCAMPFIRE MUSICとのコラボレーションという、その座組みは非常に現代的で面白いなと。
我謝:『MASH A&R』というオーディションも毎年やってますけど、あれはうちと『MUSICA』「SPACE SHOWER TV」「HIP LAND MUSIC」の合同開催で、それぞれが匂いを持った4社が集まっている。『MASH A&R』が上手くいっているので、このプロジェクトもどこかと組んでやるのがいいなと思ったときに、ウェブで自分たちの色を出してるところと組んでセグメントできたら面白いかなと。
そこでこだわったのが、オールドメディアとはやらないということ。テレビやラジオ、雑誌と一緒にやるのもアリなんですけど、それだと今までと一緒だから、インターネット内で完結してるところと組んだほうが新しいプロジェクトになると思ったんです。
—では最後に、音楽業界やエンターテイメント業界に入りたいと思っている人に対して、なにかメッセージをいただけますか?
我謝:語弊があるかもしれないですけど、「遊びながら仕事できるって、最高ちゃうん?」って思いますね。もともとみんな趣味で音楽が好きだったわけで、つまりは遊びを仕事にしてるわけじゃないですか? たとえば、いろんな人と会食することも仕事のうちですけど、それって大学時代に新しい友達とご飯食べ行くのに近くて、それも言ったら遊びですよね。
—確かに(笑)。
我謝:もちろん、そこには責任も生じて、アーティストの人生もそうだし、会社でのポジションが上がれば社員の人生も背負うことになる。そのためには無知だと戦えないから、やっぱり勉強は必要で、そのためには途中でも言ったように、好奇心の向くところに飛び込んで、知見を手に入れることが大事。
でも、自分が興味あるところに飛び込むわけだから、それも結局遊びと言えば遊びなんですよね(笑)。昔の人がよく「遊びなさい」って言ってたのって、こういうことだったんだなって、やっとわかってきた気がします(笑)。
- ウェブサイト情報
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- CAMPFIRE
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群衆(crowd)から資金集め(funding)ができる、日本最大のクラウドファンディング・プラットフォームです。
- プロジェクト情報
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- 『OverFlow』
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OverFlow Projectは、ロックレーベルとして圧倒的な知名度を誇るA-Sketchと、月間2,000万PVを誇るポップポータルメディア・KAI-YOU.netとがコラボレーションし、新世代のラップアーティストを開拓するプロジェクト。これまでのヒップホップ、ラップシーンにとらわれない自由な発想、新しい才能、を発見したいという願いを込めて立ち上げたプロジェクトです。また、アーティスト本人のプロデュース能力や、周りを巻き込むカリスマ性など、アーティスト自身が新たな魅力に気づいてもらえる場をCAMPFIRE MUSICサポートのもと用意しました。OverFlowには、溢れ出す、という意味であり、「小さくまとまらない、ほとばしる才能を求める。」といった意味が込められている。
- プロフィール
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- 我謝淳史 (がじゃ あつし)
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株式会社A-Sketch 取締役 アーティストプロデュース本部長。1979年生まれ。2001年にSonyMusicの大阪営業所にアルバイト入社。その後、幾つかのレコード会社を経て、2006年にアミューズに入社。2008年からはA-Sketchの立ち上げスタッフとして、アーティストの発掘や制作、宣伝、マネジメントなど幅広く携わる。担当アーティストとしては、ONE OK ROCK、flumpool、WEAVER、Hello Sleepwalkersなど。
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