島々に点在するこの場所でしか見られないアート、山と海の幸に恵まれた食、東西文化の活発な交流を伝える歴史的な町並み。温暖な気候と豊かな自然に誘われて、瀬戸内エリアには毎年多くの人が訪れています。そこに、新たな魅力が加わりつつあることをみなさんは知っていますか?
それは日本遺産に認定された「村上海賊」。小説家・和田竜の『村上海賊の娘』は、尾道市からしまなみ海道で結ばれた因島、大三島、大島などの芸予諸島で活動した勇敢な海賊たちを描いた人気時代小説で、知られざる瀬戸内の歴史に光を当てました。かつては「村上水軍」として紹介されてきた彼らは、なぜ今になって「海賊」と呼ばれるようになったのでしょうか?
そんな歴史の秘密を探る今回の旅。旅人は、元チャットモンチーのメンバーで、作家・作詞家の高橋久美子さんです。愛媛県に生まれた高橋さんは、現在、四国中央市ふるさとアドバイザーとしても活動し、地域の魅力を広く紹介する仕事にも関わっています。さあ、歴史と自然、そして人と出会う「しまなみホッピング」に出発です!
多くの映像作品に登場した、フォトジェニックな町・尾道。空き屋を再生した「あなごのねどこ」
尾道水道と尾道三山の間の限られた空間に、ぴったり寄り添うように建つ小さな家々。「箱庭的都市」とも呼ばれる尾道の風景の感動にひたっていると、高橋さんがやってきました。
高橋:おはようございます、いい天気ですね! 実家は愛媛なのですが、尾道は久々。だから今日はとても楽しみにしてました。それから私、じつは歴史が大好きなんです。『村上海賊の娘』は、もちろんチェック済み。2日間をかけて、旅と歴史を堪能しますよ!
町並みのリノベーションが進み、懐かしさと新しさが同居する尾道は、平日にもかかわらず、駅前に観光客がたくさん。特に目にするのは、カメラを携えた女性の2人旅。
大林宣彦監督の映画『時をかける少女』や、中学生が突然神さまになるコメディーアニメ『かみちゅ!』など、たびたび映像作品に登場している尾道は、写真映えする町でもあるのです。そしてたどり着いたのは、フォトジェニック全開なゲストハウス「あなごのねどこ」です。
尾道ならではの暮らしと家を守るために始まった「尾道空き家再生プロジェクト」の拠点であるこの場所は、古民家を土台に、島々の廃校から持ってきた古材でリメイクした素敵スペース。
ここは、京都の町家もびっくりするぐらい、奥に長~~~~~い空間が特徴的です。
高橋:尾道の名物が「あなご」だから、うなぎの寝床ならぬ「あなごのねどこ」なんやね(笑)。ちょっと奥まで探検してきます!
建築士やデザイナー、学生、主婦など多彩なメンバーで運営。内装のデザインは漫画家のつるけんたろうが担当
奥にあるのは、お座敷と縁側つきの「あなごサロン」。さらに先には、隠れ家的な書店「本と音楽『紙片』」も
高橋:いろんなスペースがあってワクワクしますね。これは女子にはたまらん……おっとコレは。
高橋さんが発見したのは、庭手前の物置に設えられた、小さな古道具店。古民家リノベの際に見つけた生活用品や小物を格安で販売しています。
物置のなかにひっそりと並べられた古道具。金属製のカニ用フォークと、奇妙な人形をお買い上げ
尾道の定番・3分間の空中散歩。「箱庭的都市」を眺める
寺社仏閣と古民家が立ち並ぶ山側では、まずはロープウェイで千光寺公園に登り、そこからぶらぶら散歩しながら海側へと降りていくのがとっても便利。
高橋:あ、あそこにもお寺が! 尾道ってお寺がたくさんありますよね。今は25箇寺が古寺巡りのコースになっているけど、江戸時代には80以上のお寺があったとか。港町が栄えて、みなさんどんどんお寺に寄進したからだと聞きました。数は減ってしまっているけど、その名残を眺められるのは楽しいですね。
歩くたびに、絶景や猫たちに次々と出くわす道をゆく
そうこうしているうちに展望台に到着。今度は徒歩で坂を下ってゆきます。眼前に現れたのは、尾道の観光写真でおそらくもっとも多く使われている絶景でした。天寧寺の三重塔(正式名称は海雲塔という素敵な名前)越しに広がる尾道の町並み。
奥に見えるのは、尾道水道にかかる新尾道大橋。夜景スポットとしても人気のランドスケープに、高橋さんも思わず「ここに住みたい!」
この後、尾道ゆかりの文学者の名前が残る「文学のこみち」、絵師・園山春二が描いた福石猫がごろんと路地に置かれた「猫の細道」を抜け、そしてだいぶだらしなく寝っ転がったリアル猫とも出会えました。
高橋:途中で福石猫の美術館がありましたけど、あれって行政じゃなく個人がやっているインディペンデントな施設ですよね。誰かからの押し付けじゃなく、おのれの美意識に従って自由にやっているのがすごく伝わってきます。
「あなごのねどこ」もそうだけれど、尾道に住んでいる人たちって自分たちのアイデアや情熱を、気負わずにそのまま表現している感じがします。地域の町作りの見本として、参考にしたいな。
高橋:どの場所にも人の気配があって、人の手が入っている。ちょっとしたお地蔵さんの前掛けも手作りだし、植木もキレイに剪定しているでしょう? みんなが愛情を持って育てている町だなって思います。
しまなみ海道はすぐそこ。サイクリストが集う、巨大倉庫を活用したホテル
海側に戻り、遅めの昼食をとる一行。ランチに選んだのは尾道駅より徒歩5分の「ONOMICHI U2」内にあるレストランです。瀬戸田産塩レモンのピッツァや、瀬戸内芝海老と向島分葱と根菜を合わせたスパゲティーなど、地元素材をふんだんに使った食事に、旅の活力も充填完了!
今回の旅の宿である「HOTEL CYCLE」も併設するONOMICHI U2は、広島県が所有する巨大倉庫を建築家の谷尻誠・吉田愛が建築デザインを担当し、各ジャンルのクリエイターたちがアートディレクションを行なったことでも話題の複合施設。
2014年に米CNNの「世界で最もすばらしい7大サイクリングコース」に選ばれたしまなみ海道は、世界中からサイクリストが集まる憧れの聖地になりました。個人でカスタマイズした自転車を持ち寄って走る人も大勢いますが、ONOMICHI U2には「GIANT」の尾道ストアが併設されており、手軽にスポーツバイクをレンタルすることができます。四国側の今治ストアでの返却も可能なので、復路の疲れを気にすることなく、しまなみ海道を満喫できるのです。
クロスバイクを選び、海沿いを疾走
高橋:(息を弾ませつつ)絶好のサイクリング日和やね。これまでママチャリ原理主義で、前に家族でしまなみ海道を走ったときもママチャリだったんだけど、この軽快さはハマってしまいそう。
陽気なラッパーたちが想いを込めて作る、フレッシュなチョコレート
お次は車に乗り込み、しまなみ海道の玄関口である新尾道大橋を渡り、1番目の島、向島(むかいしま)へ。
目的地は「USHIO CHOCOLATL(ウシオチョコラトル)」。産地別にパッケージングした六角形のチョコは、東京や愛知など、全国のセレクトショップで取り扱いされ、人気急上昇中なのです。
そんなおしゃれチョコレートショップのはずが、車はどんどん島の山奥へ向かっていきます。「こんなところにチョコレートショップがあるはずないよ」と、車内の全員が思いはじめた頃。まるで学校の校舎のような建物が現れました。
黒板型のエントランスは、チョークアーティスト・チョークボーイによるもの
そして2階から(甘い匂いを漂わせながら)降りてきたのは、つなぎ姿のポップなおにいさんです。
おにいさん:いらっしゃい!ここは元々研修用の建物で、僕たちはかつて食堂として使われていた2階を借りてそこをチョコレート工場としてオープンさせたんです。もとから「きちん」としたキッチンがあって。シンクもあるから慎重に「Think」した結果、チョコレート作りに適してるんじゃないかなって。あ、自分、メンバーのA2C(アツシ)です。ど~もっす。
軽快なダジャレを間髪入れずに繰り出す、USHIO CHOCOLATL のA2C(アツシ)さん
のっけから畳み掛けられたダジャレという名のリリックに圧倒されるオーディエンスこと取材チーム(※韻を踏むように音読すべし)。A2Cさんは、チョコレート職人であると同時に、同僚たちと結成したヒップホップクルー「ChemiCal Cookers」のメンバーでもあるのです。
工場ではオリジナルのテイクアウトドリンクも人気。チョコと一緒に、ホットチョコレートやみかんジュース(A2Cさんたちは「MJ」と略して呼びます)を楽しむことができます。
この日は「グァテマラ」「ガーナ」「トリニダード・トバゴ」の3種類が店頭に並んでいました
高橋:(グァテマラを試食して)うーん、フルーティーで可憐な味やね。
A2C:可憐な味! その表現最高ですね。これから使わせてもらいます! なぜ可憐な味がするかというと、工場長の中村シンヤがグァテマラに行って、2年越しで採ってきた現地直送のフレッシュなカカオ豆だからです。
普通に手に入るカカオ豆には、バラバラの品質のものが混在していて、本当に美味しいチョコレートは作れません。だから僕らは直接現地の農園に行って、農家の人たちから直接買い付けるんですよ。やっぱり、いい仕事している人が作った素敵な豆にこそ、ちゃんとお金を払いたいんです。
ミルクやカカオバターを加えないがゆえの濃厚な味に、高橋さんは歓声を上げます。
高橋:すごく美味しいし、いい匂い。私が知っているチョコレートの匂いを超えてます。
A2C:その表現も、いただきマンモスです!
景勝地・白滝山の頂上にずらりと並ぶ、信者手作りの五百羅漢
チョコに負けないくらい濃厚なキャラだったA2Cさんに見送られて、一行は再び車に飛び乗りました。向かう先はお隣の因島、その北部にそびえる白滝山。ここで高橋さんは、ついに村上海賊とのファーストコンタクトを迎えることになります。
因島村上家の家紋。同じ村上家であっても「来島・能島・因島」で模様が異なる
芸予諸島の北半分を一望できる白滝山の山頂には、戦国時代に建立された観音堂(現存するお堂は、江戸時代に再建されたもの)と、江戸時代に造立された約700体の石仏、いわゆる五百羅漢が林立しています。
『村上海賊の娘』にも登場する村上吉充(よしみつ)が、見張りどころとして建てられた白滝山の観音堂
水軍を主力とする村上海賊では、要衝となる孤島や、見晴らしのよい岬部分を砦として、海上に監視網を張りめぐらしていたといいます。研究によると、不審な船が領海内に侵入してきた際には、ホラ貝や銅鑼を鳴らして連絡を取り合っていたのではないか、と推測されています。
高橋:重要な島を武将同士が奪い合う、陣取りゲームを思わず想像しちゃいました。安芸国を統治していた毛利氏には水軍を率いた小早川隆景がいて、因島村上氏はその配下に入るわけですが、その過程できっとたくさんの駆け引きが展開したはず。こうやって海を俯瞰していると、智略・計略を巡らす武将たちの気持ちにぐっと近づく気がしますね。
そのほかにも、白滝山には江戸末期の民間信仰を伝える古跡があります。それが先ほど紹介した五百羅漢像です。
尾道石工のプロの技による釈迦三尊像。十大弟子と十六羅漢像が両脇に並ぶ
木綿問屋の跡取りだった柏原伝六は曹洞宗の仏道修行に打ち込み、観音堂一観を名乗ると、複数の宗派を融合させた新興宗教「一観教」を開きました。そして白滝山の山頂の観音堂を整備したことから、一観教の信者による羅漢像の奉納が相次ぎ、いつしか白滝山のいたるところに羅漢像が立ち並ぶようになったのだそうです。
高橋:ほとんどが信者手作りの羅漢さまだから、造形がとっても素朴ですよね。アマチュアゆえの愛情に溢れていて可愛らしい。曹洞宗の道元と真言宗の弘法大師の坐像が一緒に並んでいるなんてはじめて見たけれど、これも独自の信仰が生んだ面白さですね。村上海賊が活躍した瀬戸内に、上質な文化があったのは知っていたけれど、民衆にもその気質が広まっていたのかもしれないですね。
しまなみ海道に残る文化の広さ・深さに思いがけず触れることになった1日目の旅は、これにて終了。村上海賊の全容はまだまだ解き明かされませんが、それは2日目に持ち越しです。
襲うのではなく、守る。ならず者のパイレーツではなく、瀬戸内海の秩序を保った「海賊」たちがいた
村上海賊の歴史に迫る、2日目がスタート。まず向かったのは、もっとも四国に近い島、大島です。ここは、「日本最大の海賊」と呼ばれた能島村上氏の本拠だった場所。つまり、『村上海賊の娘』の主役である女海賊・景(きょう)や、その兄弟たちの活躍の舞台となった島なのです。
尾道から車で走ること約1時間。たどり着いたのは宮窪湾沿いに建つ村上水軍博物館です。
海賊の象徴である小早船の復元船と海賊の等身大フィギュア。かと思いきや……
高橋:さすが村上海賊研究の拠点だけあって、外の展示も気合いが入ってますね。ほら、船の上には海賊までいる……って、この人形、動いてるやん!!
た、たしかに! 小早船を指揮する海賊の等身大フィギュアと思われたそれは、鎧を装着した本物の人間だったのです。しかし中の人はいったい誰……!?
海賊:ようこそいらっしゃいませ。今治市産業部観光課の松本です。
海賊のなかの人は今治市の公務員。村上海賊を盛り上げるために映画用の鎧兜一式を装着して、観光イベントにしばしば出陣しているのだそう
海賊に先導されて高橋さんは館内へ。そこで取材陣を迎えたのは、学芸員の田中謙さんです。村上海賊研究の若きホープである田中さんは、能島村上氏ゆかりの城跡を発掘調査し、当時の生活様式や歴史を検証しています。
村上水軍博物館学芸員の田中謙。今回、日本遺産に認定された「村上海賊」の一連のストーリーを考案した立役者
田中:能島村上氏を含めた村上海賊を「日本最大の海賊」と呼んだのは16世紀に日本を訪れた宣教師ルイス・フロイスでした。瀬戸内海の海上交通・物流を統べ、軍事面では織田信長の軍勢を倒したこともあるほど強かったんです。
能島村上氏vs織田軍の海上戦は『村上海賊の娘』でもクライマックスを飾る最大の見せ場。小回りの利く小早船、軍艦のように巨大な安宅船(あたけぶね)などの復元模型を前にして、高橋さんも思わず艦隊戦を妄想してしまいます。
高橋:大将の乗る安宅船を護衛するように小早船が周囲を守っているけれど、私だったら機動性のある小早船ひとつでスイスイ侵入して、大将を急襲するかなあ。いや、それとも……(ブツブツ)。
脳内で戦術をめぐらせている高橋さんに朗報です。村上海賊には「焙烙玉(ほうろくだま)」という秘密兵器がありました。球形の陶器に火薬を詰め、砲丸投げの要領で敵船に投げ込み炎上させる武器で、織田軍を苦しめ、退けたのが焙烙玉でした。これを使えば、高橋軍の勝利は確実ですね。
田中:記録によると村上海賊は地上戦にも参戦しているようで、水陸両面の戦闘のエキスパートでした。でも、これは村上海賊の活動の一面でしかありません。芸予諸島を中心に、東は大阪の堺、西は長崎の平戸まで影響力を有していた村上海賊は、各地の大名・武将、商人たちと契約を結び、通行料や警固料を受け取るかわりに護衛・水先案内人を務めていました。
また、物流の大動脈とも呼ばれる瀬戸内海の中央を拠点としていたので、村上氏の手元には中国の陶磁器など大陸の品々が集まりました。ですから、彼らは最新のモードに触れていた文化人なんです。
高橋:たしかに着物や甲冑もおしゃれで洗練されてる。「海賊」というと、西洋的なパイレーツを思い浮かべるけれど、村上海賊はならず者の集まりではなかったということですね。瀬戸内海の秩序を保っていたんや。
田中:瀬戸内海に秩序をもたらしたのは村上武吉。彼が作った掟は江戸時代にも広く引き継がれたようですが、じつは、このルールは現在にも通じる部分があるんです。瀬戸大橋のある備讃瀬戸と来島海峡を1万トン以上の大きな船舶が行き来する際にはパイロット(水先案内人)を乗せなければいけないという習慣がそれ。村上海賊は、後世に残る大きな仕事を成し遂げたのです。
2016年4月、日本遺産(文化庁が指定する、地域の歴史、文化・伝統を伝えるストーリーを喚起させる文化財群のこと)に認定された村上海賊は、田中さんが説明した「瀬戸内海に秩序をもたらした、守る海賊たち」という観点で高く評価されています。
田中:明治~昭和初期は、村上海賊を近代海軍の前身とする視点が強く、そのために「伊予水軍」や「村上水軍」と呼ばれていたんです。でも「水軍」という呼び名だと、文化人や海の安全を守る者としての村上海賊を十分に説明するものとは言えませんでした。
「海賊」と言うと「ならず者 / パイレーツ」といったイメージがあるかもしれませんが、そもそもそういう意味に特化して日本で海賊という言葉が使われるようになったのは、フック船長が登場する『ピーターパン』や『宝島』などの西洋文学が紹介されて、その訳語として海賊が使われるようになってから。だから、古くから日本に伝わる「海賊」の多様な意味を復活させて、より実態に近い名前をつけようというのが、我々が村上水軍を「村上海賊」と呼んでいる理由なんです。
「よそからやって来た侵略者」ではなく「島の人々」で構成されていたから、村上海賊は「奪う」のではなく「守る」海賊だった。そのため芸予諸島には今でも「村上姓」の人々が多く暮らしているそうです。
村上姓がたくさん
海賊の謎がついに明らかになり、晴れ晴れとした気持ちになった高橋さんは、その勢いのまま鎧兜の試着に挑戦。次は、村上海賊が「水先案内人」を務めたという海の激流を体験します。
自然が生み出した、複雑な激流。それを乗りこなした海賊たちに思いを馳せる
博物館で知識を得たら、今度はからだで歴史を体感。博物館の向かいにある水軍レストラン&物産館「能島水軍」から、チャーター船で能島村上氏の本拠地である能島に移動です。
能島村上氏の最盛期を築いた村上武吉像をバックに、能島へいざ出陣
博物館から船で5分ほどの位置に浮かぶ能島は、全周1kmほどの小さな島ですが、能島村上氏はこの極小の島を天然の要塞に作り変え、海上活動の拠点として活用しました。
田中:島々がひしめく芸予諸島のなかでも、能島周辺の宮窪瀬戸は来島海峡と並んで特に潮の流れが激しく複雑で、海上交通の超A級難所でした。エンジンなんてもちろんあるはずもない戦国時代ですから、潮流の特性を熟知しなければ、ここを抜けることはほぼ不可能。だからこそ能島村上氏は、この能島を拠点に定めたのです。
月の満ち欠けによって潮の流れが変化するということで、今日の潮流はMAX時の50%ほどだそう。とはいえ、流れは渓谷のように速く、至るところに渦が見てとれます。
途中、エンジンを止めて潮の流れを体感する潮流体験に挑戦してみると……。
高橋:わあ、ほんとに船が流されている! くるくる回ってしまう!
……と、兜を付けて大興奮です(※兜を着用しての乗船は、特別な許可をいただいております)。
ちなみに物産館「能島水軍」では、同様の潮流体験ツアーを連日開催。事前予約をすれば、能島への上陸ツアーにも参加可能です。海流は想像以上に速いので、レインコートの着用をおすすめします。
全国でも珍しい、島そのものを城として活用していた海城「能島」
さて、ついに一行は能島に上陸。想像以上にコンパクトな島ですが、航路を監視して、賓客をもてなした本丸、海賊たちが暮らした二之丸、諸々の業務を行なった三之丸、さらに鍛冶場なども備えた充実の要塞だったそうです。
田中:真水や食料は対岸から運んでいましたが、日用品や嗜好品が発掘されたことからもわかるように、村上海賊たちはこの島で日常的な暮らしをおくっていたのだと思います。さらに周囲を埋め立てたり、船着場を整備したりして、島そのものを城として活用していた。このような例は全国的に見てもこの芸予諸島だけです。
高橋:近海が一望できる最高のロケーションですよね。ここで村上海賊たちは、いろんな智略・政略を巡らして、次はどんな一手を指そうか考えていたんだろうなあ。ところで、『村上海賊の娘』の主人公の景さんは実在したんでしょうか?
田中:そこは難しいところですね(笑)。じつを言うと、村上武吉も肖像画などはいっさい残っておらず、各国の大名と比べると村上氏の歴史資料は少ないんです。
高橋:ということは景さんのような女海賊は存在しなかったってこと……?
田中:ですが、山口県文書館にある『萩藩譜録』という比較的信憑性の高い史料に、たった一箇所だけ「村上武吉に娘がいる」ことを示す系図があるんです。和田竜さんは、この史料を補足して景というキャラクターを創作したんですね。村上海賊にはまだまだ謎が多く、本格的な発掘作業も、この能島に限られています。今後、他の島々の調査が進むことで、想像もしなかった海賊の姿が浮かび上がってくるかもしれませんよ。
あの伝説の刀剣もここに。国宝・重要文化財に指定された武具類が数多く保存されている大山祇神社
小説の世界の手触りをちょっと感じたところで、博物館と能島を訪ねる時間は終了。瀬戸内海の海鮮バーベキューを堪能し、一行は大三島へ移動します。
大三島の目的地は大山祇(おおやまづみ)神社。日本最古の原始林に覆われた同社は、山の神、海の神、戦いの神を祀ることで知られ、古くから戦勝祈願の場として、武将やスポーツ関係者から親しまれてきました。
敷地内にある国宝館と紫陽殿には、源頼朝&義経が奉納した甲冑、武蔵坊弁慶が納めたと伝わる長刀など、国宝・重要文化財に指定された武具類の数多くが保存されています。また、『村上海賊の娘』で景が憧れた伝説の女戦士・鶴姫が着用していたと神社に伝わる鎧もあり、村上海賊を訪ねる旅では欠かすことのできないスポットです。
高橋さんは過去に何度か同社を訪れたことがあるそうで、もちろん展示品もチェック済みとのこと。ですが、ここには並々ならぬ思い出があると言います。
高橋:結婚式は、大山祇神社での神前婚にしたかったんです。さすがに東京の友人たちを呼ぶには遠すぎるので諦めたんですけど、境内の清浄な空気や、背筋を伸ばしたくなるような神聖な場所の居住まいが大好きで、こうやって再訪するだけで気持ちもシャンとしますね。
境内に樹齢3000年の楠が祀られているように、同社はパワースポットとしても人気。
樹齢2600年の楠。息をとめたまま木のまわりを3周すると願いが叶うという噂がある
歴史大好きな人も、名刀を擬人化したゲーム『刀剣乱舞』から一気に増加した刀剣ファンも、大山祇神社は必ず押さえたい目的地です。
隈研吾が設計した瀬戸内海有数の絶景ポイント
村上海賊としまなみ海道の恵みを訪ねる旅は、ついに終着地へと向かいつつあります。目指すは大島の南端にある亀老山展望公園。山頂には、建築家・隈研吾が設計した展望台が設置され、瀬戸内海に沈む夕日の絶景ポイントとして知られています。
高橋:(駐車場から早足で歩きながら)やっとここまで来たねえ。昨日の白滝山も絶景やったけど、ここはどんな風景があるんやろう……わあ!!
コンクリートづくりの展望台を登りきった先で、視界に飛び込んできたのは、南西に沈もうとする夕日と、それに照らされてオレンジ色に輝く瀬戸内の海。しまなみ海道でも最も長い来島海峡大橋のシルエットが浮かび、村上海賊の海城である来島城や中渡島など、しまなみらしい多島の風景を眺めることができます。
高橋:自然の素晴らしさを体感する旅やったけど、人が作ってきた「いい物」が継承されることの意義を感じる旅でもありましたね。村上海賊の歴史も、尾道の町並みも、そこに住んでいる人たちが土地を愛して、目をかけていかないと今日まで残ってこなかったと思います。
それをこうやって体験できたということは、人と文化、人と町、人と自然の理想的な関係が瀬戸内には結ばれているということ。それってつまり、人も魅力的だってことですよね。チョコレート職人でラッパーのA2Cさんや、各地を案内してくれたガイドさんたち、村上水軍博物館の田中さんや、漁師さん、みんな魅力的だし、古いものを守りながら、新しいものを作ろうとする意志を感じる人たちでした。
そしていちばん感動したのは、そんなみなさんの行動に無理がないこと。自然な行為として自分たちの土地をよりよくしようとしている。私も愛媛の地元を盛り上げたいなと思って活動しているので、今回の旅は自分にとって大きなきっかけ・発見のある体験でした。
- 詳細情報
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- 日本遺産 村上海賊
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戦国時代、宣教師ルイス・フロイスをして「日本最大の海賊」と言わしめた「村上海賊」(Murakami KAIZOKU)。理不尽に船を襲い、金品を略奪する「海賊」(パイレーツ)とは対照的に、村上海賊は掟に従って航海の安全を保障し、瀬戸内海の交易・流通の秩序を支え海上活動を生業とした。その本拠地「芸予諸島」には、活動拠点として築いた「海城」群など、海賊たちの記憶が色濃く残っている。尾道・今治をつなぐ芸予諸島をゆけば、急流が渦巻くこの地の利を活かし、中世の瀬戸内海の航路を支配した村上海賊の生きた姿を現代において体感できる。
- プロフィール
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- 高橋久美子 (たかはし くみこ)
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1982年、愛媛生まれ。作家・作詞家。鳴門教育大学在学中、ロックバンド、チャットモンチーにドラム・作詞家として加入。2005年メジャーデビューを機に上京。2011年バンド脱退後は、アーティストへの歌詞提供やコラム連載などの執筆業を中心に、音楽家と「詩の朗読×音楽」のセッションライブや、展覧会開催など表現の場を広げている。NHKラジオ第一放送『ごごラジ!』や、FM徳島『高橋久美子のkikimimi』でパーソナリティーとしても活躍中。また、2009年に画家や若手建築家らとアートチーム「ヒトノユメ」を発足し詩と絵と建築空間の展覧会を各地で開催、斬新な空間展示が話題となる。主な著書に、エッセイ集『思いつつ、嘆きつつ、走りつつ、』詩画集『太陽は宇宙を飛び出した』など。
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