ハイブランドの旗艦店が立ち並ぶ東京・表参道。各店舗が趣向を凝らした建築やディスプレイを競い合う街で、ルイ・ヴィトンは、他にはない特別な空間を有している。モノグラムの意匠を援用したタワーの最上階にある「エスパス ルイ・ヴィトン東京」は、周囲を一望できるガラス壁と高い天井を特徴とするアートスペースだ。
そんな特別な場所で開催中なのが『ダン・フレイヴィン展』。蛍光灯のみを使った彫刻、インスタレーションで、1960年代に颯爽と登場したアメリカ現代美術界の大スターの個展は、これまで日本ではほとんど開催されてこなかった。
そこで今回お招きしたのが、建築家の田根剛さん。過去に光と時間をテーマにしたアートインスタレーションを発表したこともある田根さんは、フレイヴィンの扱う光に何を発見するのだろう?
アートラバーもなかなか出会えない。フレイヴィンの作品に吸い寄せられる贅沢な時間
足を踏み入れた瞬間のサプライズにおいて、このアートスペースに勝る体験は、おそらくないのではないだろうか?
約30メートル四方の広大な空間には、総ガラス貼りの窓を通して、朝日が燦々と降り注いでいる。まだ街が活動し始めない、この時間帯の光は若々しくて柔らかい。「贅沢な時間ですね」。ぽつりと呟いたのは、今回のゲストである田根剛さんだ。
パリを拠点に世界中を飛び回り、エストニア国立博物館などの大型プロジェクトを手がける建築家である彼にとって、光はやはり気になる存在なのだろう。そして偶然にも、今回彼が出会うアート作品も光を使ったもの。手がけたのは、アメリカを代表するアーティスト、ダン・フレイヴィンだ。
田根:ニューヨークの美術館やギャラリーで単発的にフレイヴィンの作品を目にすることはあったのですが、個展というかたちで見るのは今回が始めてなんですよ。だから楽しみに思って今日はやって来たのですが、こんな気持ちのいい時間に、しかも一人で観られるなんて……!
田根さんが、密かに興奮気味なのも無理からぬこと。1996年に亡くなって以来、フレイヴィンの大規模回顧展が行われたのはほんのわずか。欧米の主要美術館が作品を所蔵しているが、まとまった量で見られる場所も限られている。数年前に日本の公立美術館で回顧展が計画されたけれど、それも運営上の理由で中止になっている。フレイヴィンは、アートラバーにはよく知られているのに、なかなか出会えない作家でもあるのだ。
会場となっている「エスパス ルイ・ヴィトン東京」 Dan Flavin, exhibition view Espace Louis Vuitton Tokyo, 2017 Courtesy Fondation Louis Vuitton © ADAGP, Paris 2017
Photo: Jeremie Souteyrat
今回展示される作品はすべて、エスパス ルイ・ヴィトン東京を運営する財団「フォンダシオン ルイ・ヴィトン」の所蔵作。だからこそ、7つもの代表作がまとまって、はるばる海を越えて日本にお目見えすることができたのだ。
田根:じゃあ、ちょっと観て来ます。
吸い寄せられるように、たちまち作品に釘付けになってしまった田根さん。では、その間にフレイヴィンについての解説を読者にお届けしよう。
フレイヴィンはちょっと意地悪? 崇高性と皮肉の狭間にある蛍光灯の作品
蛍光灯を使った『ライト・アート』の作家として知られるダン・フレイヴィンは、1933年にニューヨーク・クイーンズで生まれ、幼少期を過ごした。
20歳のとき、双子の弟とともにアメリカ空軍に入隊。韓国の米軍基地で気象関係のエンジニアとして軍務につきながら、大学の教育プログラムでアートを学んだ彼は、ニューヨークに戻った後、本格的にアートスクールに通い始めたそうだ。
ニューヨーク近代美術館[MoMA]やグッゲンハイム美術館で警備員の仕事をしながら、当初は絵画を中心に展開していたが、1961年に、何も描かれていないキャンバスと球型の蛍光灯を組み合わせた作品を制作。1963年には、キャンバスを完全に手放して、電気店などで普通に購入できる蛍光灯だけを組み合わせたシリーズに着手する。
その後、オフィススペースや美術館などの密閉された空間に複数の蛍光灯を配置し、光による環境全体の作品化を試みたフレイヴィンは、アメリカで生まれた美術動向「ミニマリズム」の代表的作家として、広く認知されていく。もっとも本人は「Maximalist(マキシマリスト)」を自称し、形態や色彩の選択肢を最低限に留めて、物体そのものの存在感を際立たせるミニマリズムとは距離を置こうとしていたようだ。
もちろん、なんらかの物語的なイメージを鑑賞者に喚起させる古典的な絵画のあり方を否定し、光は単に光であり、蛍光灯は単に蛍光灯でしかない――つまり、光に神聖さや崇高性を感じたとしても、それは「まやかし=イリュージョン」でしかない、と主張をしたフレイヴィンは、ミニマリズム運動の中心人物ではあった。だが、作品によってはかなり大げさな方法で蛍光灯を配置し、スペクタクルな体験を生み出そうとした彼をミニマリストと即断するのは、少しためらうところでもある。
田根:フレイヴィンの意図に反するのかもしれないですけど、やっぱり見入ってしまうんですよね。特に気になったのは、白色蛍光灯を使った4つの『“MONUMENT” FOR V. TATLIN.』。単に蛍光灯が白く発光しているだけなのに、不思議とそのなかに吸い込まれていくような感覚を覚えます。まるで大きな精神的な存在と対面しているよう。
田根:建築を仕事にしているとしばしば感じるのですが、人って物理的に「強い」ものを目の前にすると、意味や概念のような、そこにはまったく存在しないはずのものを勝手に想像してしまいます。それを「神」と呼んだりするのはちょっと躊躇しちゃうけれど、ひょっとするとこういう特別な体験から、人は自分よりも大きな存在をイメージしたのかもしれないですね。
キリスト教圏における人と神の関係は、無宗教者が大半を占める日本ではなかなか想像が及ばないほど強く結ばれている。だが、フレイヴィン自身は、父親に強いられて入学した神学校での経験から、神や信仰に対してかなり複雑な心情を抱いていたらしい。その反動が、光を宗教的・神秘的に解釈することを過度に拒絶する彼の姿勢に表れているのかもしれない。
その代替なのだろうか。『無題』と名付けられた作品の多くは、同時代のアーティストや友人たちに捧げるサブタイトルが付けられている。『“MONUMENT” FOR V. TATLIN.』は、ロシア構成主義を代表する芸術家ウラジミール・タトリンに捧げられている。
1919年にタトリンが構想した『第三インターナショナル記念塔』は、共産主義がもたらす新しい時代・新しい思想を体現する象徴的作品として、後世のアーティスト・建築家に大きな影響を与えたものだ。フレイヴィンの『“MONUMENT” FOR V. TATLIN.』の多くが、タワーを想起させるのは、彼なりのタトリンに対するリスペクトの表れなのだろう。
もっとも、『第三インターナショナル記念塔』は実際に建築されることはなく、またタトリンが称揚した第三インターナショナル=コミンテルン(共産主義政党による国際組織)が激動する時代のなかで変質し、理想的な社会の体現者ではなくなってしまった皮肉も、フレイヴィンはこの作品とタイトルに込めている。
田根:ちょっと意地の悪いところも彼にはありますよね(笑)。大金持ちのコレクターたちは、目が飛び出るような値段でフレイヴィンの作品を買い求めている。そして自分の家に飾るんでしょうけど、電気をOFFにした瞬間、それまであった崇高さや神聖さはパッとどこかに消えてしまう。
それまでの素晴らしい体験はただの夢で、「あなたは単なる蛍光灯に、こんな大金を投じたんですか?」と冷や水を浴びせかけるよう。僕にとっては、そんな二面性も魅力的に映ります。
芸術、宗教、すべては人間の想像力の産物? 光と時間の密接な関係を探る
田根さんがフレイヴィンに大きな興味を持つのは、建築家であり、アートに対する親しみ人一倍あるからだが、「光」に関して、じつはさらに踏み込んだ共通点をこの二人は持っている。2016年、世界最大のデザイン見本市『ミラノサローネ』で発表したインスタレーション『time is TIME』は、光、水、そして時間をテーマにしたのだという。
田根:大量の水を雨のように降らせて、そこにLEDの光を当てるという作品です。蛍光灯などと違って、LEDはコンピューターで点滅速度を自由に変えられます。毎秒2000回という、人の目では判別できない超極小の光を発することも可能で、それを落下する水滴に向けると、水滴の一部分だけを光らせたりできるんです。すると、光の粒で埋め尽くされたような不思議な空間が生まれるんですね。
ここで言われている「点滅速度」とは、1秒ごとに繰り返される電気振動の頻度、つまり「周波数」のことだ。
周波数は光にもあり、人間の網膜に備わった光学センサー(錐体細胞)は周波数や波長の違いによって、光を様々な色として認識している。例えば、夕日が赤く見えることにも周波数が関係している。田根さんは、周波数を変化させることで、作品のなかで光の見え方を変えたというのだ。
田根:周波数を低くしていくと、それまで粒に見えていた光が、線のようにすーっと伸びていく。光の変化を通して、時間が伸び縮みするような感覚が生まれるんです。
光と時間。この2つの関わりは、この数年田根さんが継続的に研究・実践しているテーマだ。昼から夜へ、夏から冬へ……時間の変化にともなって起こる光の変化は、人類が猿から人間へと進化する過程や、そこで起きた意識の変化に影響を与えたのではないか? そんな仮定のもとに、田根さんは光と時間に向き合っている。
田根:太陽が動くことで影は日時計の役割を果たしますが、光がなければ時間を測ることができないなら、時間=光、という答えを見出しました。でも、これは数年前の仮説。今は、そもそも時間は存在しないんじゃないか、と睨んでいるんです。
え? 時間が存在しない? 哲学的すぎてちょっと混乱……。
田根:地球上では、生命や自然環境の変化と照らし合わせることで、相対的に時間の変化を感じることができます。でも真空状態の宇宙ではあらゆる現象が厳密で、予想外の変化や現象は起き得ない。すべてが光と重力といったエネルギー、そして物質の問題になるんです。
そこでの時間というのは、人間の想像の産物かもしれない。言い方を変えれば「時間があってほしいな」と人間が思うから、時間は「ある」ことになっているんです。難しいですよね(笑)。
む、難しいです……! でも、即物的に宇宙を把握するという考え方は、フレイヴィンにも通じる気が。蛍光灯は蛍光灯でしかなく、そこに永遠的なもの、神聖なものを見出してしまうのは、人間の主観・想像力の問題でしかない、という主張は、ミニマリズムや1960年代における現代美術の大きなテーマでもあったからだ。
田根:作品を作品たらしめているのは想像力かもしれないですし、宗教も同じかもしれないですよね。自然にある石や木を物理的に彫って、十字架や人のかたちを与えることで作られるのがイコン(偶像)ですが、そこにいるはずのないものを、イコンを介して信仰する働きというのは、芸術に対する僕らの想像力のあり方によく似ている。
さっき僕は、フレイヴィンの蛍光灯の白い光に吸い込まれそうになりました。それはある意味ヤバい体験だけれど、とっても魅力的なんですよね。この引力はなかなか否定できないです。
「フレイヴィンの光は真っ向勝負」。建築家・田根が想像する、フレイヴィンが求めたもの
光そして時間という概念を通して、思いもよらぬ個人的な共有体験をしたフレイヴィン作品と田根さん。今度は視点を変えて、建築家として聞いてみた。建築家にとって光とはどのようなものなのだろうか。
田根:もっとも重要なもの。なぜって、光がないと何も見えないですから。今のところ、僕は特殊な採光窓を作ったりして、光を劇的に演出し、空間の精神を表現する、みたいな仕事はやっていません。もちろん興味はあるけれど、建物と光の関係は、ただ建物が大地に建っているだけでも生まれるんですよ。
昨年10月に開館したエストニア国立博物館で、オープン前に丸1日滞在できるチャンスがありました。写真撮影の立会いだったのですが、僕が写真を撮るのではないので、一人で館の内外をぶらぶら散策したんです。夜明けから日没まで、太陽が建物をスキャンするように動いていく様子と、そして生じる陰影は、言葉にならないほど美しかった。
特にエストニアは光が柔らかい土地なので、シンプルに建物をどんと置けば、それだけで最高なんです。建物と周囲の環境が一体化していって、ああ、他に何もいらない、余計なことはしなくていい、って感じました。
でも逆に言えば、あらゆる建築は光と絶対に関係を断つことはできない。だから僕に限らず、すべての建築家は光を意識して仕事をしているんです。
では、建築家の視点から見るとフレイヴィンの光の扱いは、どのように感じるのだろう。
田根:真っ向勝負、ですね(笑)。建築家の仕事は、自然光を受け入れるところから始まりますが、フレイヴィンはイコン的な象徴を発生させる装置として光を捉えている。言葉、感情、感性がなくても、ただ「光がある」ことで成立する絶対的な光を、究極的には求めていた気がします。
もちろん、そこで生じるイリュージュンに対して彼は否定的だったのでしょうが、同時にその力を認めてもいたんじゃないかな。確固たる自分の思想と、どうしても抗い難く生まれてしまう感情の高まりとの間で、模索を続けていたからこそ、フレイヴィンは面白い。
今回、エスパス ルイ・ヴィトン東京では展示照明を用いていないという。田根さんが訪ねた午前中は、自然光のなかでなお魅力を失わない輝きを作品は見せてくれたが、夜になれば空間は完全にフレイヴィンが意図した人工の光だけで満たされるという。
田根さんが魅せられた白い蛍光灯のシリーズだけでなく、緑や、さらにカラフルな蛍光灯のコンポジションも会場では観ることができる。時間を変えて、何度も訪ねたい。そんな空間が待っている。
- イベント情報
-
- 『ダン・フレイヴィン展』
-
2017年2月1日(水)~9月3日(日)
会場:東京都 表参道 エスパス ルイ・ヴィトン東京
時間:12:00~20:00
料金:無料
- プロフィール
-
- 田根剛 (たね つよし)
-
1979年、東京生まれ。2006年、パリにて建築設計事務所DGTをダン・ドレル、リナ・ゴットッメと共に設立。エストニア国立博物館をはじめ世界各国でプロジェクトを手掛ける。2012年には新国立競技場国際設計競技で「古墳スタジアム」がファイナリストに選ばれ国際的な注目を集めた。2014年には『ミラノ・デザインアワード』2部門受賞など多数の受賞歴を持つ。2016年末にDGT.を解散、独立。2017年には新たな事務所「ATELIER TSUYOSHI TANE ARCHITECTS」を設立。引き続きパリを中心に活動している。
- フィードバック 4
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-