劇場にタイ料理屋やグラフィティが出現? 「客席」も「舞台」もない前代未聞の演劇
10月20日にスタートし、本日5日目の上演を迎える高山明/PortBによる演劇『ワーグナー・プロジェクト』。その初日のレポートをお届けしたいと思う。
ふつう、演劇は初日に向けて稽古や演出の完成を目指し、大々的に幕が開いた後は、多少の微調整はあっても90%以上は同じ物語が繰り返し上演されるものだ。だが、本作はその演劇の常識を、完全に、まったく、無視した作りになっている。その驚くべき内容とは、このようなものだ。
KAAT 神奈川県芸術劇場の劇場内に足を踏み入れると、いわゆる「客席」や「舞台」はひとつもない。ブラックボックスと呼ばれる巨大なスタジオに、工事現場のような足場が組まれ、「WAGNER」などと描かれたグラフィティや、ラッパーによるライブの記録映像がところどころに配置されている。入り口付近にはタイ料理&ドリンクのケータリングスペースがあり、中二階の踊り場にはラジオ放送局がある。そして頭上には正体不明の黒い球体がふわりと浮かんでいる。
これらの「設備」は、9日間に及ぶ「ラッパー養成学校」のために用意されたものだ。1日目にラッパー候補生を選抜するための公開オーディションが開催され、その後の日程で、彼/彼女らはK DUB SHINEや荏開津広ら現役ラッパー、ヒップホップ研究家からラップの技術と歴史を実践的に学んでいく。それに加えて、ラップと同じく「言葉」を表現の武器とする詩人や歌人による授業・ワークショップを受講し、若きラッパーたちは自身の「言葉」の練度を高め、最終日である10月28日に、その成果を披露する。これが自身を「演劇」と称する『ワーグナー・プロジェクト』の(ひとまずの)全容である。観客は、この変化の過程を、目撃者として、ときには受講者として「体験」していくことになる。
果たしてこれが演劇と言えるのか? その疑問はもっともである。実際、筆者も初日を体験するまではこれが「演劇」になるとは正直思っていなかった。本作を構成・演出する高山明/PortBは、これまでに、観光バスに乗って東京観光をする『東京/オリンピック』や、都内に点在する外国人コミュニティーをiPhoneアプリを頼りに訪問する『東京ヘテロトピア』を発表してきた異色の演劇作家だから、今回もそういった変化球的な手練を「これも演劇である!」と強弁するのかしら? とも考えていた(ちなみに、だからといって高山の作品がつまらないわけではない。劇場や演技という枠組みを外すことによって得られる体験は、むしろ刺激的で楽しい!)。
「劇場をストリートにする9日間」と銘打ち、劇場をラッパーや若者の溜まり場にしてしまった『ワーグナー・プロジェクト』はたしかに演劇とは程遠い空気が支配する空間になっている。けれども、やはり本作は演劇をテーマにしている。より正確に言えば、役者同士の対話から何らかの物語が立ち上がってくる演劇、その原点にある古代ギリシャの議論の場としての劇場、市民が集まり社会について考える政治の場としての劇場を、本作はテーマにしているのではないだろうか?
磯崎新の公開インタビュー。ヒトラーが愛したワーグナーの暴力的で甘美な形式とは
初日の最初に行われたプログラムは、高山明による建築家・磯崎新への公開インタビューだった。高山は『ワーグナー・プロジェクト』の空間設計を、磯崎が建築・都市計画に潜ませた「演劇的発想・思考」をビジュアライズ化させることを意図して、建築家・小林恵吾に依頼したと語る。
磯崎は、1970年に大阪万博のメインスペースである「お祭り広場」を(丹下健三との共同で)設計するなど、都市における広場と、そこで行われる祝祭について思考してきた人物だ。彼の考えでは、祝祭とは常に演劇的な演出・効果を要するもので、それを引き伸ばしていくと大阪万博の開会式も、日本の伝統的な能舞台も、あるいは1933年に独裁者ヒトラーが主催したニュルンベルクのナチス党大会も祝祭と呼ぶことができる(ドイツ全土から130数機のサーチライトが集められたナチス党大会を、磯崎は「建築物」にも喩えている)。
さて、悪名高きヒトラーが19世紀の作曲家リヒャルト・ワーグナーの熱烈な信奉者だったのは有名だが、それは単にヒトラーがオペラマニアでクラシック音楽マニアだったから、という話ではない。ワーグナーが音楽史・演劇史にその名を燦然と残しているのは、彼が1872年に「バイロイト祝祭劇場」を設計したからである。この劇場は、現在の劇場の形態を決定づけた歴史的な建築で、上演中に客席の照明を落とす、観客の舞台への集中を妨げないようにオーケストラピットを半地下につくるなど、徹底的に観客が作品に没入するための効果を高めることを考え尽くした劇場である。言ってみれば、私たちが考える「劇場」や「映画館」の原型を創造したオリジネイターである。
しかし、考えてみればこの空間設計はちょっと恐ろしい。最近の3D映画やVRでの体験がそうであるように、作品への過度な没入は、アーティストによる観客への「洗脳」と言えなくもないからだ。暴力的な、しかしたまらなく甘美な快楽の形式を生み出したワーグナーの手腕にこそヒトラーは魅了され、その技術を応用した演説技術などを駆使してドイツ首相にまでのぼり詰め、やがてドイツ国民全員を誤った選択へと導いていったのはご存知のとおり。そのため、ワーグナーは歴史的な偉業を二重の意味で成し遂げた人物として、大きな尊敬と、大きな警戒を後世の人々から集めてきた。
「テロリスト」としてのワーグナーと高山明が張り巡らした糸
では、この『ワーグナー・プロジェクト』は、磯崎新の思考を援用した高山明によるワーグナーへの批判なのだろうか? 必ずしもそうではない、と高山は言う。彼が目指すのは、ありえたかもしれないワーグナー像の創造的な読み替えだ。
晩年はきわめて権力的な人間になってしまったと言われるワーグナーだが、彼の経歴を振り返ると、シンプルにまとめきれない多面的な表情が見えてくる。例えば、ドイツにおける市民革命「ドレスデン蜂起」の中心的な役割を勤めていたワーグナーは、国王派の鎮圧を受けて処刑寸前のところをギリギリで逃れた経験を持っていたりする。あるいは、彼が構想した作品には、河原に簡易な仮設劇場を作り、上演終了後には建築ばかりか楽譜まですべて燃やしてしまう、という実験的な内容のものがあったりする。強固で、永続的な洗脳装置としての劇場を生み出した人物像とは、まったく異なる「活動家」「テロリスト」としてのワーグナー像がここから見えてくるのだ。
高山がワーグナーの力を借りて(?)行なおうとしているのは、私たちや演劇人たちが当たり前に受け入れている演劇史・劇場史を再検討し、近代的な劇場が生まれたゼロ地点に立ち戻って、劇場のあり方、機能、役割を創造的に思考(試行)することなのではないだろうか?
そう考えると、普段は観客が足を踏み入れることのないキャットウォークやスタッフエリアまでも「舞台」化してしまった、今回の空間設計の意味するものが見えてくる気がする。初日、筆者は、1階部分、2階部分、スタッフエリアといろんな場所を移動しながらインタビューを聞いてみた。当然ながら、そこからの劇場の眺めは新鮮なものであったし、もっと踏み込んだ感想を言うと、劇場スタッフから「なんでお前はここにいるんだ?」という警戒に似た視線を注がれることがたびたびあった。
この空間には、観客vs役者、客席vs舞台、ラップvs演劇といった明確な二分法以外にも、もっと多様で複雑な衝突、パーソナルスペース=領土の侵犯が起こる可能性が、あらかじめ企図されている。そのようにして生じる複数のドラマトゥルギーが『ワーグナー・プロジェクト』には並走している。こんがらがった糸のようないくつもの筋は、9日間の上演期間のあいだ、様々に変化していくことだろう。
約4時間にわたった波乱万丈のラッパーオーディション
磯崎新へのインタビューに続いて行われたのは、作品の中核をなすラッパーの公開審査「ワーグナークルー・オーディション」。50名を超える応募者から28名を書類選考し、そこから15名の正規クルーを選ぶオーディションの審査員は、高山明の他に、K DUB SHINE、荏開津広、GOMESS、ダースレイダーのヒップホップ陣と、斉藤斎藤、瀬尾夏美、山田亮太、田中沙季の非ラッパーの歌人や画家陣の、計9名。例えばK DUB SHINEは「自分はラップの練度を審査の軸にする」と述べて審査は始まったが、これがとにかく波乱万丈。
ワーグナークルー・オーディションの審査員たち 撮影:井戸沼紀美
なにしろ27名(審査前に1名が辞退)のうち半数近くが純粋なラッパーではなかったからである。田上碧は、自分の家を言葉で「写生」していくボイスパフォーマンスを披露。DEZAISO(a.k.a.大日本タイポ組合の塚田哲也)は、ダジャレ混じりに文字デザインとベクトルについてプレゼンしつつ、「これが僕のラップだ!」と強弁(笑)。NNNN(と書いてナナナナと呼ぶ)はブレイクダンスを踊り、東京藝術大学先端芸術表現科在学のなみちえは、奇妙な緑の着ぐるみで声の内省性と、ジェンダーへの疑問を歌い上げた。
一発ギャグを披露したり、アラバマ・シェイクスを歌ったりする参加者も。 撮影:井戸沼紀美
東京藝術大学先端芸術表現学科在学のなみちえ 撮影:井戸沼紀美
もちろん、30歳を迎えて自分探しに苦悩する「腐ってもみかん」や、150万の借金を抱えるTaiga、ラップ歴3週間のMC幸など、ラッパー陣も少なくないが、「ラップ=スポークン・ワードとする自分の定義からすると微妙」(K DUB SHINE)な評価の応募者を、非ラッパー陣はむしろ高評価してしまうなど、価値観の差が如実に示されたりもした。
その一方で、外部に向かってコミュニケーションを図ることが「スポークン・ワード」だとすれば、それがラップとして稚拙であったとしてもメッセージを持っているという点でDEZAISOや田上碧をヒップホップ陣が評価するなど、視点の違いゆえの興味深い評価も見られた。約4時間にわたる選考、MCバトルによる最終メンバーの選考などイレギュラーな展開を見せながら、オーディションは終了。正規クルーの規定枠を1つ増やして、16名が合格した。
観客が「市民役」に? まだ生まれえない「社会」を願う祝祭の空間
合格者と失格者の悲喜こもごも、まさかの復活劇(2日目ではMC水月が再オーディションに挑み17人目のメンバーの座を射止めた)など、いくつもの人間ドラマが起きたオーディションは、演劇としての『ワーグナー・プロジェクト』という観点でどのように位置付けることができるだろう? そこに関わっているのが、ワーグナーが手がけた『ニュルンベルクのマイスタージンガー』である。
『マイスタージンガー』は、ニュルンベルクを舞台とした市民参加の歌合戦を軸にしたオペラである。街の外からやって来たメチャクチャな歌唱を行うヴァルターを、師匠(ドイツ語でマイスター)のザックスが指導し、優勝を射止めるという物語は、ヨーロッパにおける近代市民社会の理想をワーグナーなりにかたちにしたものと言える。この構成を、仮にニュルンベルク=劇場、ヴァルター=ラッパー(ワーグナークルー)になぞらえるならば、『ワーグナー・プロジェクト』の9日間は、『マイスタージンガー』の展開を物語の誇張や省略無しに「再演」するものとなるだろう。
ここでの主役はヴァルターとしてのワーグナークルーだが、劇場がニュルンベルクの街であるならば、ここに訪れる私たち観客は、歌合戦の推移を見守り、市民社会の誕生を目撃する「市民役」ということになる。つまり、本作が構想され、実行される9日間そのものが巨大な演劇であり、まだ生まれえない「社会」を願う祝祭の空間なのだ。
会場に現れたDJブースとダンスを披露するオーディション参加者・NNNN 撮影:井戸沼紀美
……という原稿を、筆者は4日目の『ワーグナー・プロジェクト』会場の中二階で書いている。荏開津広によるヒップホップ文化史講義が終わり、眼下ではクルーによる個人レッスンやサイファーが始まっていて、ビートと詩が空間に響いている。目を移せば、スタッフが今夜のライブに向けて準備中で、観客とおぼしき男性たちが会話したり、タイカレーで食事を済ませていたりする。
昨日は衆議院選挙の投票日で、希望の党と立憲民主党に分裂した野党がそこそこ票を集めたものの、自民党は単独過半数を獲得した。とある人気批評家は、大義のない今回の選挙を「茶番」だと言って、棄権行動を可視化することで国民の意思を示すことを訴えた。これらの事象の是非はともかく、少なくとも今の日本における現実の街、現実の国はこのようなものである。
一方、この一つの劇場の中にも、小さいながらも「街」あるいは「道」と呼べるような人の集いが生まれつつある。あと数日後には消えてしまう仮設の街/道。横浜にまで出向いて、この現象に立ち会うことにはきっと意味がある。
- イベント情報
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- KAAT×高山明/Port B
『ワーグナー・プロジェクト』 ―「ニュルンベルクのマイスタージンガー」― -
2017年10月20日(金)~10月28日(土)
会場:神奈川県 横浜 KAAT神奈川芸術劇場
構成・演出:高山明/Port B
出演:ワーグナー・クルー
講師:
K DUB SHINE
GOMESS
サイプレス上野とロベルト吉野
斉藤斎藤
管啓次郎
瀬尾夏美
ダースレイダー
ベーソンズ
山田亮太
柴田聡子
ほか
音楽監督:荏開津広
空間構成:小林恵吾
グラフィティ:snipe1
料金:当日 一般3,000円 U22チケット1,500円
- KAAT×高山明/Port B
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