ジャズ評論家・柳樂光隆、元WIRED編集長の若林恵、そして気鋭のフリー編集者・宮田文久が主催する、編集ライター講座『若柳宮音筆の会』に、特別ゲストとして、普段は決して表舞台に出ることのない「テープ起こし」の達人2人が招聘された。その名も「サクラバ姉妹」。文藝春秋社など並みいるメジャー出版社、メジャー雑誌のインタビューの原稿起こしを手がけ、編集者から「このまま記事にできるほど」と絶大な信頼を集める縁の下の仕事師。そのきめ細やかで、美しい仕事ぶりは、出版業界のみならず、どんな仕事をやる上でもきっと役に立つ。当日の受講者から、3人の若手ライターが、サクラバ姉妹の仕事の核心にあるものは何かを考えた。
仕事の先には必ず「人」がいる
文:半澤絹子
「この原稿自体が、『取材された人そのもの』のようだ」「出来上がってきたものが、そのまま原稿として使える」
これは、ライターやドキュメンタリー作家への評価ではない。とある2人組のテープリライター「サクラバ姉妹」に対する賞賛の声である。テープリライターとは、インタビューや対談記事などの取材音源を文字化する職人のこと。一般に、出版界を下支えする存在とされる中で、2018年7月15日(日)、本職のライターをも凌ぐ彼女たちの才能にスポットライトが当たった。「クリエイティブとは、奇を衒うだけではなく、相手に対する誠実さからも生まれる」。創造性のそんな本質がかいま見えるひとときとなった。
出版やコンテンツ制作に携わる者の意識、技術の向上を目的とした『若柳宮音筆の会』。サクラバ姉妹が登壇したのは、この第4回目の会である。実は母と娘であるサクラバ姉妹。母の桜庭夕子氏は25年以上、娘の久美子氏も10数年間のキャリアを誇るが、「表現をしなくては」という気負った姿勢は全く感じられない。「こういう場に出るということを、人生において想定していませんでした」と語る夕子氏は、まさに「品の良い奥さま」だ。
とはいえ、出版大手の文藝春秋社では、2011年の契約からわずか7年にして、「テープ起こしといえばサクラバ姉妹」と尊敬を集めている2人である。
例えば、料理研究家Dの対談原稿のテープリライト。彼女たちは、Dの言葉をただそのまま文字化することはしない。取材対象者が芸能人やアスリートなど著名な人物であった場合、その人らしさが活かされるように、文章を絶妙に編集していく。Dの庶民的な関西弁が活かされるように、逆に標準語を多くして、関西弁はポイント的に残す。すると、「今日、魚ええの見つけたな」「ごちそう作らなあかんと思ったらできへんですよ」という、味わいのある言葉遣いが逆に引き立ってくる。
「『話を実際に聞いているような感じで、読めるかどうか』が大切だと思っています。私たちの原稿を元に編集をされるということは、常に意識しています」と久美子氏。
実際にこの原稿を受け取った、フリー編集者の宮田文久氏は、「お2人が創るものは、編集する前に『良い原稿ができあがる』と確信できる。編集者やライターを鼓舞してくれる」と語る。現代の創作物のほとんどは、集団で創り上げるものだ。自分の仕事が、後に続く者のモチベーションを下げていないか? つまりは「リレーの聖火」が燃え続けているか。クリエイティブな仕事をする上で、意外と意識されていないポイントかもしれない。
また、サクラバ姉妹は、音源を聞きながら、「これは対談記事として使われるのか? それとも、単独のインタビュー記事として使うのか?」も考える。聞き手が編集者やライターのようなら、一人称の原稿としてテープリライトをする。受け取った相手が作業しやすいものを目指すーーそういった心配りも人気のひとつだ。提出データのフォーマットを工夫するだけで、目的に沿った編集もよりしやすくなる。原稿の整え具合ももちろん、クライアントの要望に合わせる。さらに、自分たちが知らない専門用語を取材対象者が話していたら、検索して徹底的に調べ上げる。4人の座談会の取材音源で、途中、2人同士が別々に話し出したとき(!)は、それぞれの会話がひとつになるように、組み替える作業まで行う。締め切り厳守、スピードも速い。
彼女たちのような縁の下のクリエイターは、必ずしも個性は要求されない。むしろ、それが無いことが強みともなる。実際にサクラバ姉妹は、「テープリライトに関して、専門分野は特に持っていない」。個性で売る足し算のクリエイティブではなく、引き算のクリエイティブ。建築ならば、やや住みにくいが芸術性が高い住宅建築と、施主のニーズを汲み取り、さりげなくそれを散りばめた住宅建築との違いといったところだろうか。
ただ、そのようなコラボラティブなやり方を目指すのであれば、施主、すなわち発注者側の努力も必要だと彼女たちは語る。テープリライト前に必要な資料を用意し、専門用語なども予め伝える。取材者が複数人なら、インタビューの冒頭に人物が一致するように、各取材対象者に名前を吹き込んでもらうなど、編集者・企画者がすべきことはたくさんある。納品のクオリティは一方的に、下請けの責任ではない。発注者も、その多くを負っている。
「私たちの仕事は、人と全く関わらない」と言いながらも、彼女たちの目線の先には必ず人がいる。発注者の目の先には、ちゃんと「人」がいるだろうか?
「教養」というものの正体
文:山本真平
「テープ起こし」とは、ただ機械的に音声を文字にするだけ――そう思う人もいるかもしれない。だが、彼女たちの仕事はそうではない。テープ起こしのプロフェッショナルである親子、その仕事ぶりから見えてきたのは、技術とクリエイティビティをめぐる、実践的なノウハウを超えた哲学だった。
彼女たちが登場したのは、編集・ライター向け勉強会である『若柳宮音筆の会』。講師は、元『WIRED』日本版・編集長の若林恵氏と、『Jazz The New Chapter』シリーズの編者としても活躍する音楽評論家・柳樂光隆氏、元文藝春秋のフリー編集者・宮田文久氏の3人だ。これまでの回では、インタビュー方法や企画における人選など、文字コンテンツ制作において重要な要素が扱われてきた。今回、「特別講」として「テープ起こし」というテーマが設定され、文藝春秋のテープ起こし外注先としてよく名前があがるという桜庭夕子、久美子両氏が招かれた(姉妹というのはよくある誤解だそうだ)。
実際のテープ起こし原稿が会場で映し出されていたが、冒頭に述べたような「機械的」というイメージを覆す圧倒的なクオリティだった。倒置していた語順を入れ替えるのは序の口。語尾や方言まで発注元の指定通りに整えていく。その原稿を発注した宮田氏が「あがってきた文字起こしを見るだけで文章構成を練ることができる」というほどの高品質。
テープ起こしは、政治家や芸能人その他、誰かが話した音声をテキストで「再現」していくという、記事制作において欠かせない工程のひとつだ。彼女たちは数多くの出版社・出版物に携わってきたというが、その成果物のクオリティを、間違いなく彼女たちの仕事は支えてきたはずだ。
だが、面白いことに彼女たちは決して読書家ではないという。彼女たちがプロフェッショナルである所以(ゆえん)、そのクリエイティビティの源は、一般的なイメージとは別のところにある。
その秘密のひとつは「相手に対する想像力」だろう。それは、彼女たちが「文章を読みやすくする」と表現するスキルに象徴される。具体的には、音声のなかでどの部分が実際のコンテンツで使われるのか――それを意識しながら無駄を省くというもの。どこを削って、何を残すかは、どんな肩書きを持った誰の発言かによって柔軟に変えていく。たとえば政治家が「あのー、えーっと」という言葉を実際に頻繁に発していたにせよ、記事にそれが載ることはありえない。しかし、喋りのテンポこそが命の芸人だったらどうだろう?
複数人による対談や座談のときには、読み進めるままに意味が通るよう、発話の順番を整えたり、意味を間違えて使われている接続詞をただしたり、といったことも行う。句読点を打つ位置にも気を配る。話者がつらつらと話しているようなものは、意味のかたまりごとに一文一文を区切る。
様々な前提や条件のもと、そしてそれを読む人間のことを絶えず想像しながら、音声は文字に起こされる。もはや単なる「起こし」ではなく、「再構成」といってもいい。理想とするのは、編集者やライターが文字起こしに目を通したときに、「取材の場が再現されること」だと彼女たちは言う。
自分がいない現場の雰囲気を音声だけから読み解き、活字として再現する。それをなすための想像力は、別の言葉で言えば、「コンテクストを読む力」でもある。彼女たちは、こんな例を挙げる。
「ある医療関連の記事の起こしをしていて『セイショク』という言葉が出てきたんです。最初は、それが『生殖』だと思っていたんですが、どうも文脈にあわない。そこで他の可能性を調べてみると、『生理食塩水』の略称の『生食』だってわかったんです」
となると、テープ起こしの仕事にとっては、「検索」も重要なスキルとなる。久美子氏は「たとえ一個でも単語の意味がわからないと、その音声全体がなんの話をしているかわからなくなる。そうなると文字起こしのスピードが落ちる」という。コンテクストが読めてこそ、「検索」は可能になる。ITなども含め、彼女たちが扱うジャンルの幅は広いが、そのジャンルごとの専門性が問題ではない。そのコンテンツがどのように作られ、どのように読者に届いていくのか。そのプロセスや着地点を想定したうえで、音声をとりまくコンテクストを読み取っていけば、納品時の原稿に「?」が残されることはない。
私たちは技術を磨く、といったとき、とにかく「知識」を受容・摂取しようとしてしまう。しかし多くの場合必要とされるのは、専門知識ではなく、むしろ一つひとつの仕事を取り巻く情報のコンテクストなのだ。自分が知らない言葉や情報であっても、それを取り巻くコンテクストから、「きっとこんな感じの言葉だろう」と想像し、予測できること、広い意味における読解力が重要となる。そして、それこそが「教養」と呼ばれるものの正体だろう、と議論が進んだところで、会は時間切れとなった。
アウトプットの重たさ
文:前川有香
企画書や提案書、レポートなどを提出する場面で、手に汗を握る思いをしたことはないだろうか。それが自分の名前の元提出され、その出来不出来が自分の評価に直結するならなおさら緊張感が募る。反対に、自分の名前が出ないものであれば、ぐっと気が楽になる。けれども、その場合、果たしてどこまで厳しくクオリティを追い求めることができるだろうか。
「テープ起こし」の仕事は、決して表に出ることがない。それを担当した人の名前が出ることも滅多にない。けれども、編集者にとっては不可欠な存在だ。フリー編集者の宮田文久さんが絶対的な信頼を寄せる、テープ起こしユニット「サクラバ姉妹」は、その裏方の仕事を、異次元のクオリティで遂行する稀有な存在だ。
「どういう媒体に載るのか、編集者が何を求めているのかをすごく考えながら原稿を作っています」
そう語るサクラバ姉妹――連盟表記によって姉妹だと誤解されやすいが、「桜庭親子」である――にとって、テープ起こし原稿は、聞いたままの音声を文字化しただけのものではない。読み物としての文章だ。サクラバ姉妹が体現しているのは、誤字脱字を避けるとか、事実と違うことを書かかないとか、そういう基本的なレベルのことではない。自分たちの提出物が、読み物であるということを強く意識して、語られた内容と現場の雰囲気を正しく編集者に伝えている。宮田さんは、「編集者を鼓舞してくれるようなテープ起こし原稿です」と評価する。
「内容の正確さ」と「読みやすさ」。それが彼女たちの仕事の大きな軸だ。
まず内容の正確さ。それを担保するうえで、「調べる労力を惜しまないことが大切」と母・夕子さんは語る。ITや医療などの難しいテーマを扱うとき、専門用語や略語などわからない言葉がでてきたら、徹底的に調べているそうだ。言葉がわからないと、論旨がわからない。論旨がわからければ、文章の推敲もできない。検索エンジンが発達していなかった28年前からテープ起こし業をしていた夕子さんは、図書館に通って正式な名称を探しだす努力を惜しまなかった。そのスタンスは、娘の久美子さんにも受け継がれている。
そして読みやすさ。それを実現するために、添削と推敲は必ず2人で行う。テープ起こしにその工程が加わると、パッと見た印象が格段に変わる。作業は大きく3つに分けられる。「えっと」「んー」などの余分な言葉を削る「ケバ取り」。次いで「語順の入れ替え」。「暑いね、今日は」のように倒置された言葉を「今日は暑いね」と反転させる。そして「文章を切る」作業。「けれども」「なんだけど」などの接続詞を多用してなかなか言葉が切れないタイプの話者が登場した場合、文意を踏まえた上で接続詞を半分に割り、句点を挟む。
ここまでの作業だけでもすでに十分に思えるが、親子はさらなる仕上げにも手を抜かない。印象的だったのは語尾へのこだわりだ。テープの終盤に「この記事は一人語りにします」と記事の完成形を決定づけるような会話が挟まっている場合、語尾を一人語り調の記事で使いやすいように整えるという。話者の人柄に合わせて変化をつけることもある。学者なら「です・ます」調にするし、方言のイメージが強い著名人なら言葉の癖を生かす。
桜庭親子が原稿を作るプロセスにはいくつもの気遣いが、あらゆる方向に向けて込められている。そのテクニックを真似すれば、それなりのテープ起こし原稿はたしかにできるだろう。けれども、それだけでは真の意味で「読みやすさ」には至らない。桜庭親子は、テープ起こし原稿が、最終的な読み物のクオリティを左右するものであるということを、とりわけ意識して取り組んでいるように見えた。
「どういう媒体に載るのか、編集者の人が何を求めているのかをすごく考えながら原稿を作っています」と2人は口を揃えて語る。2人が示してくれたアウトプットすることの重さ、そしてそこから発生する責任感は、メディアに関わる人間はもちろん、誰かにサービスを提供するすべての人が学ぶべき姿勢だろう。もちろん自分もだ。
- イベント情報
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- 『若柳宮音筆の会』
特別講『サクラバ姉妹(?)にテープ起こしの奥義を見る』 -
2018年7月15日(日)
時間:16:30(16:00開場)
場所:東京都 原宿 TOT STUDIO
出演:
サクラバ姉妹
若林恵
柳樂光隆
宮田文久
協力:THINK OF THINGS、&Co
- 『若柳宮音筆の会』
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