デザインとテクノロジーの交差点から、新たな「動き」が生まれる
デザインとテクノロジーの融合における第一人者のジョン・マエダ。「生命とは何か」の探求をわかりやすく説く生物学者の福岡伸一。そして荒牧悠、市原えつこ、和田永という気鋭のアーティストたち。この異色ともいえる組み合わせが、11月10日、東京・表参道のスパイラルホールに集まった。
その目的は、3回目を迎えるフォーラムイベント『NSK VISION 2026 Project:SENSE OF MOTION-Future Forum 3』。高性能ベアリング(機械の回転部で摩擦を軽減する機構)で知られる日本精工株式会社(NSK)が、2016年の創立100周年にスタートさせたプログラムだ。
新たな発想で未来を革新する人々を応援し、つなげていく場をめざす同フォーラム。今回のテーマは「不確かなものが生む、あたらしい動き。決め切らない発想から生まれるクリエイティビティ」だ。正確さが命の精密機器メーカーとしては大胆な主題。しかし、コンビニのコピー機からはるか宇宙の人工衛星まで、暮らしのあらゆる「動き」を支える同社は、領域を超えて未来を拓く「動き」とも交わっていくことを望んでいる。そのフォーラムの様子をレポートする。
フォーラムは、ジョン・マエダの基調講演でスタート。スクリーンに映し出されたのは、カリフォルニアにあるFacebook本社の看板だ。親指を立てた「いいね!」のマークが映えるこの看板、じつは裏側に回ると、かつてここで栄華を誇ったIT機器大手Sun Microsystems社の看板を反転して作られたことがわかる。マエダはこの有名なエピソードから話をはじめた。
マエダ:すべては変化していくもの。Facebook社はこの教訓を忘れないために、あの看板を残したのでしょう。今日は、この不確かな時代に「確かなこと」についてのお話ができたらと思います。
ジョン・マエダが語った「失敗」から学ぶことの大切さ
マエダはデザインとテクノロジーを融合させた表現で注目され、MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボやRhode Island School of Designでの研究・教育活動でも知られる。日系アメリカ人である彼の実家はシアトルの豆腐屋さんだったが、当時普及しはじめたAppleのパソコンとの出会いと、「大学に進みなさい」という父の教えでMITに入学したことが、彼の人生を方向付ける。そんなマエダにとって、新しい「SENSE OF MOTION=動きの感覚」は、つねに異領域の融合からはじまる。
マエダ:たとえば、問題解決を目指すデザインと、大切な問いを放つアートが重なる領域。NSKさんの仕事でいえば、エンジニアリングとサイエンスの交わる世界もそう。そこには興味深いインターセクション(交差点)が生まれ、そこから革新的なものが生まれることもあります。
彼自身は、グラフィックデザインとコンピューターの融合からそのキャリアを切り拓いた。いまや当たり前といえるこの組み合わせも、当初はまだ黎明期。そのごく早い時期に表現の可能性を押し広げたのが、マエダその人だった。会場では、古典的名作ともいえる『The 10 Morisawa Posters』(1996年)などが紹介された。
マエダはこの異ジャンルの融合を、生物学用語「エッジ効果」で説明することも試みた。これは、もう1人の基調講演スピーカーである生物学者の福岡伸一を意識したものだったかもしれない。
マエダ:異なる空気や異なる水が交わるとき、豊かで新しいものが生まれ得る。以前、チェリストのヨーヨー・マとそんな話しをしました。そして、「確かさ」を安全性に、「不確かさ」を創造性に対応させることもできます。ある群れの誰かが安全圏から出て冒険しようとすれば、皆に止められる。でもなかには出て行く者がいる。当然、危ない目にあうこともあるでしょう。でも、不確かさのなかには、オドロキとの出会いがあるのも事実です。
さらにマエダは「3つのデザイン」について説明する。従来の工業製品などにあたる「クラシカルデザイン」、人々の共感を呼ぶ革新的な仕組みづくりも含めた「デザインシンキング」、そしてリアルタイムに多くの人々を対象とする「コンピュテーショナルデザイン」。彼は、順を追ってよりスケールが大きくなる、この3領域をとらえる大切さを強調した。加えて、「失敗」から学ぶことの大切さも。
マエダ:どんなことでも、未来永劫続く安全というのはありません。だからこそ間違いからフィードバックを得て、学ぶことも大切です。あのネルソン・マンデラも、「成功や失敗しないことを誇るのではなく、失敗しても諦めずに立ち上がることを誇ろう」という言葉を残していますね。
デザインメソッドの秘技開陳というより、「不確かなものが生む、あたらしい動き」というフォーラムのテーマを受け、自身の思想的背景を伝えた講演という印象。ただ、それだけに領域を超えて多くの人に届く語りだったように思える。
変わらないために変わり続ける。生命の「動き」から学ぶこと
続く福岡伸一の基調講演は生物学者の彼らしく、サナギから成虫になった蝶の写真でスタート。サナギは殻のなかで、自らの体をものすごい勢いで作り変えることが知られている。福岡はフォーラムが冠することば「SENSE OF MOTION」を受け、生命がもつ広い意味での「動き」を主題に語りはじめた。
福岡:私たちはよく、久しぶりに会う人に「お変わりありませんか」とたずねます。でも人間の体は1年も経てば(各所の細胞が入れ替わり)ほとんど別人と言ってもいい。「お変わりありまくり」です(笑)。かの『方丈記』にも「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という言葉がありますが、同じことが生命の現場では起きています。
これは福岡のいう「動的平衡」の考え方にあたる。興味深いのは、その営みが破壊からはじまることだ。地球に生命が誕生してから38億年、いまも人間を含め生物が生きながらえているのは、堅牢であり続けることを諦め、自らを壊すことを選んだからだという。「エントロピー増大則」(ここでは、秩序あるものはその秩序が崩壊される方向にしか動かないという法則)に襲われる前に、先回りして自ら細胞を壊していく。そこから、つねに新しい細胞が生まれる状況を維持しているのだそうだ。
福岡:壊すことで自らを入れ替え、再構成する。変わらないでいるために、小さく変わり続ける。そうした「動き=MOTION」が生命のなかにはあるのですね。たとえば人間が歩く動きもそうで、片足を前に出すと体のバランスは崩れます。でも、その不安定な状態を解消しようとして、もう一方の足が自然と前に出る。その繰り返しが、安定を作り続けるのです。
福岡はまた、私たちの「食べる」行為は機械の燃料補給とは違い、自らの体を日々作り直す「流れの中」にあると説明し、これを示した生物学者、ルドルフ・シェーンハイマーら歴史上の学者たちも紹介。絶え間なく変わり続ける生物の「SENSE OF MOTION」が、福岡流の切り口から語られた。
続いてマエダと福岡によるショートディスカッション。NHK解説員の中谷日出が司会をつとめ、互いのビジョンに敬意を払いつつ意見交換が行われた。話がAI(人工知能)におよぶと、その未知の創造性に一定の期待を寄せるマエダと、AIはまだ「自らを壊すこと」や、過去と未来をつなぐ人間的な時間認識ができないとする福岡、両者の考えの違いが垣間みえたのも興味深かった。
3人の気鋭アーティストが語る「SENSE OF MOTION」
第2部は、荒牧悠、市原えつこ、和田永という気鋭アーティスト3名によるディスカッション。それぞれ、このフォーラムに先立ってNSKの技術部門を訪問もした彼らが、フォーラムのテーマに沿いつつ自らの現在とこれからを語った。
荒牧は、チタニウム製ワイヤーや特殊紙など素材の特質を活かした「動き」を生む作品や、木板に部分的にペイントすることで「図と地」の関係が逆転する作品などで、ものの仕組みやそれに対する人の認知をユーモラスにあつかう。「(対象の)機構を活かしたり、強調したりすることから作品が生まれることが多い」という。それらは繊細ながら明確な機能をもたず、本フォーラムのテーマ「不確かなものが生む、あたらしい動き。決め切らない発想から生まれるクリエイティビティ」にも通じるものを感じさせる。
メディアアーティストの市原は、祖母の死を機に取り組んだ『デジタルシャーマン・プロジェクト』で広く注目された。これは故人をロボットに「憑依」させ、共に四十九日まで過ごせるというもの。会場では同作のほか、東北のなまはげ文化を現代の東京に移植する妄想映像作品『都市のナマハゲ』などを紹介。自らの創作の特徴を「日本の民間信仰をテクノロジーと組み合わせる」ものだと説明した。初期の奇作『セクハラ・インターフェース』も、性信仰への関心という点で今のアプローチとつながるようだ。そこには、心や感情の「動き」をあつかう視点も見いだせる。
和田は、旧式のオープンリール型テープレコーダーを楽器として奏でる「Open Reel Ensemble」などで知られるアーティスト / ミュージシャン。近年は、古い電化製品を楽器化した電磁盆踊り「エレクトロニコス・ファンタスティコス!」など、活動のスケールを広げる。「江戸時代には、捨てられた傘や桶が妖怪になるイメージがありました。それなら現代の妖怪は、廃棄された電化製品では? という妄想が脳内でスパークした」という和田は、その先に家電妖怪の「供養」と都市の新たな土着音楽というイメージを膨らませた。彼の表現は、音と動き、時間と空間が一体化するパフォーマティブな面も大きな特徴だ。
工業製品とアート。対照的な組み合わせから、新たな表現が生まれる
ディスカッションでは編集家の紫牟田伸子を司会に迎え、事前にNSK社を訪問、見学してきた3作家が、そこから得たインスピレーションについても語った。
荒牧:現場で見せてもらった「ボールねじ」や「リニアガイド」という製品が、(空手の)寸止めのようにシュッ、シュッという正確で機敏な平行運動を生んでいて、これで「波」のような動きが生み出せないかなと想像しました。また、大量に並べて一斉に動かすことで群舞を見ているような感じになるかな、とも思いました。
市川:ベアリング製造をベースに、モビリティロボット開発などの先端研究もしているのが面白かったです。想定用途は視覚障害者の方々のためのようですが、あれをもし私の考える祭りや行進にもお借りできたら……という妄想が。また、ジョイスティックで動物の人工授精レベルの繊細な動きもできるのを知り、こうしたことが簡単にできる時代がきたとき、倫理面も含め人間はどう行動するべきかなど、いろいろ考えるきっかけにもなりました。
和田:NSKの工場を見て実感したのは、人類は回転と共に生きていくのだなということ。水車も風車もそうだし、ベアリングはそうした回転の摩擦をなくし、別の運動に変換するわけですよね。摩擦を究極的に減らせるところまできた結果、摩擦音で演奏するオルゴール作品まで作ってしまったのも面白い。
僕は扇風機も楽器にしていて、回転によって音を出すのが夢なんです。時間を表現するのは弦楽器、管楽器ではなく「回転楽器」だなと思ったり。どこかに回転音楽崇拝の村があったとして、そこでは舞台も客席も回転できて……。
会場にいたNSK社長ほかの経営陣は、温かな笑顔でこうしたアーティストの妄想、もとい想像に耳を傾けていた。NSKはこれまで、アーティストがベアリングを取り入れた作品による展覧会もスパイラルで開いており、過去には名和晃平(2006年)や、ライゾマティクスリサーチ(2016年)らが参加している。「確かさ」を追求する工業製品と、「不確かさ」のなかにも創造性を見つけ出すアートや人間らしさの世界。この対照的な組み合わせが、また新たな表現への「動き」につながることを期待したい。本フォーラムは、来年以降も継続的に開催する予定だ。
- イベント情報
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- 『NSK VISION 2026 Project:SENSE OF MOTION-Future Forum 3 不確かなものが生む、あたらしい動き。決め切らない発想から生まれるクリエイティビティ』
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2018年11月10日(土)
会場:東京都 表参道 スパイラルホール
出演:
ジョン・マエダ
福岡伸一
荒牧悠
市原えつこ
和田永
中谷日出
紫牟田伸子
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