春の足音が聞こえてくるにはもう少し時間がかかる冬の終わり、学生にとって1年間の終着地が見えてくる2月は、美術系の大学で卒業制作展(以下、卒展)が行われる大切な時だ。
秋葉原から歩いて通えるデジタルハリウッド大学(以下、DHU)でも、2月14日から3日間、『2019年度 デジタルハリウッド大学 卒業制作展』が開催された。DHUといえばCGや映像制作の分野に多数の才能を輩出する教育機関だが、近年はより多彩なクリエイターやイノベーターを育成する場ともなっている。
今年の卒展でも、映像作品はもちろんのこと、アート作品、オリジナルのボードゲーム、異色の演劇作品など多種多様な表現が並んだ。ここから次時代のトップクリエイターが登場するかもしれないと思うと、鑑賞する側の心も踊る。
そんな卒展会場を訪ねたのは、デジタルやファッション分野のコンサルタントやプロデューサーとして活動する市川渚さん。次々と登場する新しいプロダクトやサービスに触れ、表現と社会をつなぐ架け橋として働く市川さんは、学生のみずみずしい感性に触れて何を思うだろう?
若い熱気に包まれた卒業制作展会場。大学という空間だからこその表現に早くも心打たれる
市川:オープンしたばかりなのに、ものすごい来場者の数ですね!
会場に足を踏み入れた瞬間に市川さんから驚きの声があがるほど、卒展会場は若い熱気に包まれていました。各分野のゼミの学生たちがそれぞれ作ったブースには、高校生や在学生が殺到し、作品を鑑賞したり、作者と熱心に話し込んだりしています。市川さんも、その熱気に引き込まれるようにして、まずはグラフィックコミュニケーションを教える藤巻ゼミのブースへ。
早谷翔馬さんの『知るばーキット』は、高齢者向けのカードゲーム。遊びながら、言葉や記憶や身体運動など加齢によって生じるさまざまな問題について、自身のいまの状態を知ることができるというもの。
そして、宮崎ひなたさんがプレゼンテーションする『FOCAMMINA』。これは、子供時代にヨーロッパで食べたフォカッチャの味の記憶から構想された、架空のフォカッチャ専門店です。
市川:カードゲームで自分を知るというのは面白いですね。高齢者の方には、テストされること自体を嫌がる人がいらっしゃると聞きますが、これなら自然なかたちでできる。
『FOCAMMINA』は、純粋にとてもかわいい! ロゴやウェブサイトのデザイン、店員さんのコスチュームにも、フォカッチャへの「好き」が溢れていますね。
続いては、ウェブサイトのUI(ユーザーインターフェイス)やUX(ユーザーエクスペリエンス)を研究する小松・栗谷ゼミへ。ここで市川さんの関心が向いたのは、能登大河さんの『YoUX』。
作品はデジタルハリウッド大学の未来の姿について、授業のあり方から事務方の業務まで想像し、その思考の全体をマインドマップにしたもの。モニターには個々の問題を解決するアプリのアイデアなどが示されています。
市川:アウトプットの形としては少し荒削りで改良の余地があると思いますが、私は好きです。感情的な部分でグッときてしまいました。
社会に出ると「仕事」ということが前提にあるから、課題に対して、予算や納期も考えた現実的な解決案を出すことが求められます。社会にはこうあってほしい! 自分はこうなりたい! というような理想論は求められません。
でも、この『YoUX』は、すごくよい意味で作り手が抱く「100%の理想論」でできあがっていて、そこに心打たれます。こういう自分自身の思考を追い求めて考え尽くしてかたちにできるのは、やっぱり大学という時間と空間だからこそ。このマインドを大事にしつづけてほしいですね。
「作品を見ていると、もの作りの窮屈さより自由さを強く感じます」
DHUのお家芸ともいえる3DCGムービーを教える古岩ゼミでは、松原陸さん、井上暁さん、田代莉穂さん、仲條駿輔さんが共同制作したCGアニメ『尾を逐う狐』のプロモーション映像には釘づけに。
市川:すごい! このまま劇場公開できるくらいのクオリティーじゃないですか。3DCGのゼミは10年前のハリウッドのCG技術のレベルを超えると聞いていましたけど、たしかに……と唸らされます。
そのお隣の、映像制作に特化した板屋ゼミでは、音楽事務所と協力して若手ミュージシャンのMVを制作した上野真茂さんの『いつか僕は』を鑑賞。
市川:上野さんは、スチールのほうからムービーの世界にたどり着いたとおっしゃってましたね。私自身も写真を撮るのですごく共感できるんですが、写真を撮る人ならではの光の生かし方や構図へのこだわりが随所から感じられます。写真を撮る感覚で世界を切り取っているのがよく伝わる映像でした。
同じゼミ所属の飯島巧さんの『ゆらめき』は、霧をスクリーンがわりにした実験的な作品。ここでは自分のビジョンを具現化するための熱量が、市川さんの心を打ったようです。
市川:洞窟のような暗い空間で、自分の内面を見つめている気持ちになりました。この作品からだけじゃなく、卒展全体を通じて、もの作りの「窮屈さ」より「自由さ」を強く感じます。
私の学生時代を思い返すと、「正しい表現」「正しいもの作り」を目指すべきだというプレッシャーが強くありました。でも、いまのジェネレーションならではなのか、DHUの個性なのか、それとは真逆の自由を強く感じるんですよね。
現在、デジタルハリウッド大学にはおよそ1000人の在校生がいるそうですが、その国籍は多彩。中国や台湾などのアジア圏だけでなく、北アフリカのチュニジア、北欧のスウェーデンといった遠方から留学してくる学生も大勢いるとのこと。その多彩さが、自由で多様なクリエイティブの源なのかもしれません。
「地道な思考と実践。その積み重ねからこそ、クリエイティブは生まれる」
CGやプロジェクションマッピングといった先端系の表現だけでなく、アナログな経験における楽しさを追求するのもデジタルハリウッド大学の特長。それを強く感じさせたのが、さまざまなスタイルのゲーム制作を指導する米光ゼミに所属する、浅古匠さんと佐藤大樹さんでした。2人の作ったボードゲーム『ブルータス』は、キングを獲りにいくチェスと、2つの駒で相手を挟んで裏返すリバーシの要素をかけ合わせた、懐かしくも新しいルールが特徴です。
市川:『ブルータス』というネーミングにまで、一貫したコンセプトが通っているのが素晴らしいですね。「ブルータス、お前もか」は、シェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』で、腹心だったブルータスの裏切りにあったカエサルの一言。
相手の駒を裏返して自分側に寝返らせてしまう、リバーシのルールとかかっているんですね。ゲーム自体も、思いつきそうで思いつかない目のつけどころがいい。ぬかりのなさに痺れます。
市川さんは、多数のクリエイターが所属する「THE GUILD」のパートナーメンバーでもありますが、同カンパニーには、ボードゲームが好きなメンバーが多いのだとか。「みんなで遊びたいと思います!」と、『ブルータス』をお買い上げする市川さんなのでした。
デザインとプロトタイピングの試作を学ぶ星野ゼミで目にしたのは、ふたたび「現代」のテクノロジー。小田切元太さんの『特定環境及び特定対象にフォーカスした撮影技術の開発 / 研究』は、簡単に言えば、石などの自然物に擬態させたビデオカメラを制作し、生き物の生態を記録する実験です。動物園の檻のなかに特注カメラを設置することで、思いもかけない動物の姿や行動に出会えます。
市川:このまま発売できそうなくらい、完成度が高いですね。単なる思いつきではなく、小田切さんの動物への興味から生まれたというのも素敵です。
中高で生物部に所属していたと聞きましたが、普段から生物に関わることを思考して、実践してきたからこその説得力がある。そうした積み重ねからこそ、クリエイティブは生まれてくると思うんですよ。
動物たちの愛らしい映像を後にして、最後に向かったのは、多彩な卒制展のなかでもひときわ異色の作品。先端メディアを学ぶ杉山ゼミ所属の鈴木夢さん、吉田隆史さんによる『篠辺研究所記念博物館』は、観客の体験で結末や展開が変わるイマーシブシアター(没入型演劇)の作品です。「ある新型細胞を発見しながら、謎の失踪を遂げた研究者の足跡を追う」というミステリアスなストーリーを、市川さんも観客の1人として体験することに。
市川:卒展のための限られた時間と環境で、これだけの作品を作ること自体が、まず挑戦。しかもそれを「先端メディア」という枠組みのなかでやっているのも面白い。
ニューヨークの廃ホテル全体を劇場にした『スリープノーモア』をはじめとして、この数年で「イマーシブシアター」系の作品もずいぶん増えましたよね。そうした先行作品との差別化までは、考えが及んでいない印象を受けました。もっともっといろんなものを見て、触れて、ブラッシュアップしていってほしいですね。
「知ること、考えることって、つまりセンスをかたち作ることだと思うんです」
すべての展示会場を見て回った市川さん。最後に全体を通じての感想をうかがいました。
市川:荒削りなところもたくさんありましたが、やはり好きなものを表現したいという衝動、そしてその表現の自由さに心打たれました。ちょっと辛口の意見になってしまいましたけど、イマーシブシアターの作品も「演じること」に対する「好き」の気持ちを確かに感じました。
本当に好きなものだからこそ、思考する手間や労力を惜しまずにかたちにできる。そのパワーのみずみずしさに、あらためて学び直すところが多くありましたね。
「社会に出てから、思うようにいかないこともあると思う。でもだからこそ、この瞬間の理想を忘れないでほしい」と語る市川さん。彼女自身は、どんなスタンスでクリエイティブに関わってきたのでしょうか?
市川:もちろん、自分の納得がいくまでとことん作るのは大前提。でも、そこにはつねに「これが誰の、何の役に立つのか?」という問いがあります。それこそがものを作って世に放つ理由だし、さらにいえばそれが「自分が生きる理由」にもつながるんです。
ものを作る人たちの理想を追求すると、それは生活のための「仕事」が、どんな人間として生きるか? という問いに結びついた「なりわい」にもなっていくことでしょう。そして市川さんは、これから社会に出ていく若者たちに、こんなメッセージを贈ります。
市川:そんな偉そうなことは言えないんですけど、自分が興味を持てるものをたくさん持っておく、触れるために足を運ぶってことは大事かなあ。それもタスク的に「はい、見ました」で終わるのではなくて、そこから何を得られたのかについてきちんと思考すること。つまり、ものを見るための審美眼を鍛えるのがすべての基本だと思います。
それから正直に言って、いまはあらゆるアイデアがほぼ出尽くしている時代だと思うんです。そのなかで、何も知らずに思いついたことも、じつはそれって、すでに先人がやっていることだったりする。
市川:いまって、全部インターネットで見た気になっちゃう時代ですよね。たしかに情報や画像のレベルではそうなんだけれど、実際に触れて得られる経験はまったく別。
私が学生の頃は、洋服に興味があったので、表参道に立ち並ぶ一流と呼ばれるようなブランドの店に足を運んで、そこに並んでいるものすごい量の服を触って実際に着てみることで、知識や経験を得ていました。その過程で店舗の雰囲気を感じたり、その奥に流れるブランドのアイデンティティーを考えたり。実際に色々なものに触れてみるということは自分のなかに「いい」「悪い」だけではない、多様な価値基準を作る作業でもあるんです。
自分に何がフィットするか。何がよくて何が悪いと感じるのか。その基準を作るために、いろんな体験を恐れずにしてみること。体験の蓄積は、その人のファッションやインテリアの選択から、作る作品まですべてに現れます。知ること、考えることって、つまりセンスをかたち作ることだと思うんです。
- イベント情報
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- 『2019年度 デジタルハリウッド大学 卒業制作展』
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2019年2月14日(金)~2月16日(日)
会場:東京都 デジタルハリウッド大学駿河台キャンパス
料金:無料
- プロフィール
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- 市川渚 (いちかわ なぎさ)
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ファッションデザインを学んだ後、海外ラグジュアリーブランドのPRなどを経て、2013年に独立。フリーランスのクリエイティブ・コンサルタントとして、ファッション、ラグジュアリー関連の企業やプロジェクトのコンサルティング、デジタルコンテンツのクリエイティブ・ディレクション、プロデュース、制作などを手がける。ガジェットとデジタルプロダクト好きが高じメディアでのコラム執筆やフォトグラファー、モデルとしての一面も。ファッションとテクノロジーがクロスする領域で幅広く活躍中。
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