チェルフィッチュ、ポツドールなどにも発展的に継承された現代口語演劇の副読本としても読める青春小説

普段着の俳優が時に客席に背を向けてぼそぼそと喋る―今でこそ演劇ではごく当たり前に見られる光景だが、その源流を辿ると青年団主宰の平田オリザが提唱した現代口語演劇に行き着く。日常に密着した口語体を特徴とし、「静かな演劇」などとも呼ばれた彼の文法は、チェルフィッチュの岡田利規、ままごとの柴幸男、五反田団の前田司郎、ポツドールの三浦大輔といった後続の演出家たちにより、形を変えて発展的に継承されている。

そんな平田が上梓した初の小説は、高校の演劇部を舞台にした瑞々しい成長物語だ。「感動的な青春小説」としても読める本書だが、同時に、平田が『演劇入門』や『演技と演出』といった著作で明示してきた演技論 / 演出論を、小説という形式を借りて開陳した印象もある。つまり、現代口語演劇の副読本として読むことも可能な本である。

主人公は北関東の私立高校で演劇部の部長を務める高橋さおり。高校演劇の大会では地区大会突破もままならなかった演劇部の日常は、学生演劇の女王と呼ばれた美人教師・吉岡が副顧問となることで一変する。演技が図抜けて上手い転校生が入部したこともあり、大会でより上を目指そうと決意。吉岡は高校演劇特有の傾向を調査 / 研究した上で対策を練り、部員たちは大会で「勝てる」作品を作ろうと奮起する。

吉岡は指導にあたって、部員に「あなたたちは天才じゃない」と言う。天才じゃないからこそ、精神論ではない、実効力のあるメソッドに基づいたレッスンが必要である、と。これは平田オリザが実際に演技のワークショップで必ず話すことである。吉岡が小説の中で用いる演出法は、平田が実際に行ってきたものをベースにしているのだろう。例えば、こんな一節がある。

「たしかに演劇は、稽古をすればいいというものでもない。稽古をすればするほど、芝居がつまらなくなっていくときがある。それは偶然の面白さに頼っていると、やがてその面白さが劣化して、ただの惰性になってしまうのだと先生は言う。だから計算した演技しか生き残れないのだと」(p.174)

ここで平田は「……と先生は言う」と書いているが、これは平田の持論に違いない。俳優が台詞を言うタイミングについて「0.5秒うしろに」、「0.3秒早く」といった指示がなされるほど、平田の演出は厳密で精緻なことで知られる。「計算した演技」の必要性を、平田は稽古場で俳優に幾度となく助言してきたはずだ。

吉岡の元、急速にモチベーションを上げて大会に臨む部員たち。だが、脚本を執筆するさおりは、「高校生らしい演劇とは何か?」と煩悶する。高校演劇では、「高校生らしい」脚本が注目を浴びやすく、実際、いじめや進路や家庭の問題など、高校生にとって身近とされるエピソードを盛り込んだ作品が目立つという。だが、さおりには、「高校生の等身大の日常」というものがよく分からない。それはそうだろう、高校演劇の審査員が言う「高校生らしい / らしくない」というのは、大人の考える「らしさ」なのだから。さおりは脚本を書きながら、こんなことを想う。いや、平田オリザが自らの想いをさおりに語らせているとも言える。

「あと、こういう地方の高校生の悩みとかって、東京の人から見たらとても興味深いことなんだろうけど、私たちには最初から普通だから、『だって、そうでしょう』って思っちゃう。(中略)よくよく考えてみると、たいていのうまくできている小説は(あと映画とかも)、だから大人になってから、あと東京に出て行ってから、高校時代を振り返るような体裁でリアリティを保っている」(p.136)

『時をかける少女』でも『リンダ リンダ リンダ』でも『けいおん!』でもいいが、これはすべての青春物語に多かれ少なかれ当てはまることだろう(だから、成人してから回顧される青春は過剰に美化されたり、逆に地獄としてデフォルメされたりもする)。最近この構造を如実に感じさせたのは、私立恵比寿中学という人気アイドルグループが歌った“大人はわかってくれない”という曲である。若者の本心を理解しない大人たちへの反発心を歌ったこの曲はしかし、他ならぬ大人(シンガーソングライターのたむらぱん)によって書かれている。大人が回顧したフィクショナルな若者像によってこの曲は支えられているのだ。


さおりは最終的に、「いじめも進学もクラブ活動も、私たちにとって、たしかに大事な問題だけど、十七歳の私には、もっと大事なことが何かある。それがなんなのか、よく分からないけど、その分からなさを、芝居にしてみた」(p.241)という『銀河鉄道の夜』を大会で上演する。さおりなりの(というか平田なりの)アレンジを施されたこの『銀河鉄道の夜』は蒼く鮮烈な輝きを放っており、平田の新作を読んでいるような気分にもさせられる。

ところで、さおりの一人称で語られるこの小説、彼女の語り口調は徹頭徹尾、カジュアルで拙い。「〜って感じ」「〜みたいな」「〜とか」といった言い回しが多用され、「可哀想」にはわざわざ「かわいそ」とルビがふられている。この口調の拙さは意識的 / 意図的に選択されたものに違いない。日常会話から抽出した口語体にこだわった脚本を描いてきた平田は、小説においてもリアルな高校生口調を再現しようと試みたわけだ。

「高校生らしさとは何か?」という漠然とした問いに明確な答えなどないが、10代後半の「喋り方」ならおおよその平均値をはじき出すことができる。「感動的」と評されることの多い本書だが、その感動はこうした細部への巧緻な配慮に支えられている。その意味で本書はやはり、ミクロ単位での演出に腐心してきた平田にしか書けなかった小説だと思う。

書籍情報
『幕が上がる』

2012年11月8日発売
著者:平田オリザ
価格:1,365円(税込)
ページ数:314頁
発行:講談社

プロフィール
平田オリザ

1962年東京生まれ。劇団「青年団」主宰。1983年に青年団を旗揚げし、劇作家、演出家として活動を始める。「現代口語演劇理論」を掲げ、日本人の生活を基点に演劇を見直し、「静かな演劇」と称された1990年代の小劇場演劇の流れをつくる。1995年『東京ノート』で岸田國士戯曲賞、1998年『月の岬』で読売演劇大賞最優秀作品賞・優秀演出家賞、2002年『上野動物園再々々襲撃』で読売演劇大賞優秀作品賞、2003年『その河をこえて、五月』で朝日舞台芸術賞グランプリを受賞。戯曲以外の著書に、『演劇入門』『話し言葉の日本語』(井上ひさし氏との対談集)『芸術立国論』『演技と演出』など多数。近著に『わかりあえないことから−−コミュニケーション能力とは何か』。



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