NHKディレクターとして数々のドキュメンタリーを制作してきた著者は、あとがきでこう牽制する。
「ネットであれば、情報はダイレクトに届き、そこに余計な意志が入る余地はないともしあなたが思っているのならば、甘すぎる」
情報を編集するのは発信する側ではなく自分自身にある、というスタンスは嬉しく楽しいものだ。「嬉しい、楽しい」とあえて安っぽい書き方をするのは、著者が「甘すぎる」と書くように、自分で選んで自分の体に取り込んだと気取る姿は、虎視眈々と狙う商売からは単なるおいしいエサとしか見られていないからだ。
1990年代に起きた国際紛争・ボスニア紛争で名を馳せたPR会社「ルーダー・フィン」社。ボスニア政府をクライアントとしたルーダー社は、巧みな情報戦でユーゴスラビア政府の国連追放という成果をあげ、敵のドンであるミロシェビッチ元セルビア大統領を獄死へ至らせた。国際紛争を動かしたのは、武器でも答弁でもなく「イメージ戦略」。ユーゴで続いてきた紛争の残虐さは、ナチスのホロコーストのよう。ならばその様をホロコーストになぞらえれば欧米人のトラウマを刺激できたはずだった。しかし、ルーダー・フィン社のジム・ハーフはその言葉を一切使うなと指示し、連想させる言葉「民族浄化(ethnic cleansing)」をメディアに連発させた。この言葉を徹底することで、世相がいかに変わっていったかについては本書を開いてもらうこととしよう。ジムは自らの仕事を「『メッセージのマーケティング』です。マクドナルドはハンバーガーを世界にマーケティングしています。同じように私たちはメッセージをマーケティングしているのです」と言う。嘘はつかない、捏造もしない、マーケティングするのだ。
PRは宣伝ではない、世論を形作る仕事だ。1992年のアメリカ大統領選挙、現職のブッシュ(父)はクリントンに敗北を喫した。その理由は、政策論争などではなく、テレビ討論でのある瞬間にあった。会場にいた女子学生が「国家財政の赤字が、あなた個人の人生に影響を及ぼしたことがありますか?」と候補者の2人に問いかけているとき、自分の腕時計をチラッと覗き込むブッシュの姿が一瞬テレビに映ってしまった。彼の姿がアップになったわけではない、スタジオ全体を俯瞰するショットに映り込んだだけだ。しかし、「早く終わらないかなぁ」と吹き出しをつけたくなるような、この一瞬のショットが、その後何度も繰り返し放送されることになる。一方のクリントンは、「もう一度いってごらん。あなたは、生活の糧を失ったり、家を失った人々を知っているんだね」と優しげに答えてみせた。これで勝負あり。女子学生の質問中に腕時計を一瞬見たことが、大統領選の敗戦すら呼び込むのである。
ジム・ハーフは「長くても十数秒の間にもっとも重要なことをシンプルなセンテンスで伝える」ことを要人に課した。3分かけて話したことはテレビニュースで20秒に縮められ、曲解を招く。8秒で話したことを6秒に縮めるテレビニュースはない、つまりこの長さならば相手に編集権を与えずに主張の全てを伝えることができる。このシンプルを重ねていればイメージを作ることができる。ジムの手法は、今や様々なところへ拡散している。たとえばこのウェブサイトがPV(ページビュー数)をいかに稼ぐかを考えるとき、あちこちに仕掛けが施される。タイトル、写真のセレクト、改行の位置や、「!」「?」の使い方まで、読み手の希望を予測して内容を濃縮してイメージをかたどり、そのイメージをシンプルに打ち出す。これがニュースサイトの使命になっている。
本著で、「グローバルな世論」という謳われ方がなされている。そのグローバルとやらは、素人の質問中に腕時計を見た一瞬で崩れてしまうような、もろさと大胆さを含んでいる。昨今、SNS周辺の議論に慣れたのか飽きたのか、TEDをはじめとしたスピーチやプレゼン技術が頻繁に語られるようになった。SNSもスピーチも、自分という「具体」をいかに売り込むかという働きかけである。しかし、その「具体」はどこまで本当に求められているのか。この本に点在するエピソードは、「具体」をドーピングして売り出す前に、世を動かす「イメージ」を統率して運用するべきではないかという企みを諭してくれる。
ビンラディン殺害作戦をホワイトハウスで見守る閣僚たちの写真がある。ヒラリー・クリントン国務長官は、殺害作戦を映し出すモニターの前で口に手を当てて顔を固めている。この写真のみを公開した理由を、ジムは「これは最高のメディア・リレーションだ。閣僚たちの顔に不安が浮かんでいる。それをオバマ大統領も認めている。その正直さが人々に強い好感を与えている」と分析した。ふーん、でもさ、普通に考えれば、そのわざとらしさに気付くだろうよ、とも思う。しかし、思い出して欲しい。滝川クリステルは例のプレゼンで、「お・も・て・な・し」の後に手を合わせて頭を下げた。使い方も仕草も間違っていた。間違っていたが、イメージは満点だった。ハードルを下げる、そのためには露骨で構わない。間違った露骨でも構わない。イメージが伝われば、それで勝てるのだ。
イメージというシンプルだが大胆な掌握法は、あちこちで使われている。たとえば、今これを書いている喫茶店からはSoftBankの広告が見える。広告には「吉永小百合→SoftBank」とだけ書かれている。顧客を説得するメッセージを投げるのではなく、イメージを徹底的に放る。広告とPRは異なるとはいえ、ジム・ハーフがボスニアのシライジッチ外相に求めたのと同様のシンプルさが街中やウェブ上に席巻している。
- 書籍情報
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- 『国際メディア情報戦』
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2014年1月20日(水)発売
著者:高木徹
価格:840円(税込)
ページ数:262頁
発行:講談社
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