コピペを繰り返す「文化系女子」を、それでも「あります!」と宣言する本

監視網が張り巡らされている「女子の世界」

経済系男子、つまりまぁ、普通のサラリーマンと話すのが、ここんとこ劇的につまらない。女性は今何を考えているかを話すが、男性は今何をやっているかを話す。進めているプロジェクトの進捗具合や昨日の接待ゴルフでバーディーが何回出たという報告トークの無意味さは筆舌に尽くし難く、若者に向けられることの多い「承認欲求」という言葉って、実はゴルフでバーディーを取れたり取れなかったりする男性たちに浸すべき言葉なのかもしれない。近場で眺めている人はその無意味さを押し並べて見透かしているのだが、緻密に分析するほどのパターンがあるわけでもないので、男子の世界において「文化系」は、「経済系」を諦めて放牧している。その放牧は優越感にも繋がっていて、後述するが実はこれがいけない。

女子の世界は、分析する言葉がせめぎ合っていて、監視網が張り巡らされている。とりわけ「文化系女子」。「文化系女子は、自分を棚に上げての相対化がデフォルトになっているので、一歩引いてみる癖というか、『そんな自分を笑ってしまうクール感覚』を手に入れてしまって」いると書く著者は、その「クール感覚」を異性にも向けてくる。世代と嗜好の掛け算でおおよその居住地が与えられる女子文化のどこにも属さずに横断を繰り返す著者ならではの視線。目が合ったが最後、男子はたちまち串刺しにされる。

群れて群れて蒸れてしまった「男子の世界」

たとえばこうだ。出版社には、女性ファッション誌は女子だけのものと思わせておきつつ、しゃしゃり出てくる男がいる。「クライアントの意向をたてに、編集内容に口を出し、陰からフィクサー気分で雑誌に院政を敷こうとする」男だ。

ついつい男が書きがちな言葉、それは「若い女の子ならでは感性」。それで「ちょっと可愛かったりすればもう、かぐや姫の求婚者のように年上の文化系男はやってきますね」。ほら、こうして見透かされている。

ワタクシが冒頭の段落でやったように、文化系男子ってのは、経済系男子(普通のサラリーマン)を「鈍感な物体」と遠ざけることで巧みに自分の文化度を上げよう(+女子に仲間だと思ってもらおう)とするものなのだが、この本を読むと「ちっ、バレてたか」と何度も舌打ちしなければならなくなる。「人は無力だから群れるのではない、群れるから無力なのだ」と言い残したのはルポライターの竹中労だが、男子ってのは長いこと群れてきた。群れて群れて、蒸れて、汗臭くなって、一緒に風呂に入って、背中を流し合ってきた。認め合ったくせに、評定するときには、たとえ文化系男子であっても、経済系男子と同様のやり口で査定を行なってしまう。部長が課長を褒めるように、課長が部長に媚びるように、群れの中での順列に従順なのだ。

真性の文化系女子のために、模倣犯を一斉検挙

男子に対する言及はそそくさと終えて、本書でのパトロールはどうしたって女子に向かう。そのパトロールは、コピペっぽい増殖を繰り返す文化系女子の息の根を止めることではなくて、真性の文化系女子の気道を確保するために、模倣犯を一斉検挙する。

「文化教養を利用して、別の欲望を貫徹しようとする不純な文化系も目立つ」「文化系は常に思考を止めてはいけない、思考停止禁止なのですが、それを棚上げしてしまう文化系というのもおりまして、さしずめそれを『黒文化系』と名づけ」ていく。思えば酒井順子が『負け犬の遠吠え』で負け犬女子が走りがちなものとして提示した歌舞伎や日本舞踊は、女性のアクティブな守りの1つとして把握されてきたが、ここではすでに、そんなものは「威張れるアクセサリー」に過ぎないと冷たい。著者が「日本酒女子」と対談をした際に、その女子が日本酒の種類を知ってはいても、たとえば吉田健一や開高健などが書いてきた日本酒文化に関しては全く無知だったこと、スピリチュアル系女子が大雑把に神道や日本史や天皇観を調合して安っぽい愛国心を下支えに大和撫子化していること等々、具体例を挙げて警戒していく。

雑草生え放題の「文化系女子」を繁殖させるための、手厳しい草むしり

著者がなぜここまで手厳しいかといえば、文化系女子の自立をしっかりと促したいから。そのためには「黒文化系」を駆除するし、「あれは彼女の実力じゃなくて、男の力」(例:オノ・ヨーコ)というような、起きがちな陰口を駆除しなければならない。本書の起点でもあり到達点にもなるのは「腐女子とリア充は両立できる!」というテーゼ。周囲をすさまじい解像度で見つめながら、枯らせるべきものをしっかり踏んづけて、芽生えたものに必要に応じて栄養剤を与えていく。

昨今、何とかの一つ覚えのように「文化系女子」が乱用されていて、少し距離の離れたところから、早晩共食いが起きるんじゃないかと「高みの見物」ならぬ「横みの見物」をしているのだけれど、この著書は、雑草生え放題の「文化系女子」を正しく成長させるために必要なのはこういう草むしりだと具体的に教えてくれる。

「サブカル男は40歳を超えると鬱になる」と打ち出した本もあったが、存続が怪しいのはむしろ、こうした手厳しい調査が入らない「文化系男子」のほうなのか。この本は女子に向けられた本で、女子にとっての処方箋が沢山詰まっているが、男子こそ読むべき。だがしかし、すでに男子は片付け終わったとも読めて、すきま風のように時折入ってくる冷気が刺さり、男子は体を震わせてしまう。

書籍情報
『文化系女子という生き方』

2014年4月20日(日)発売
著者:湯山玲子
価格:1,620円(税込)
ページ数:272頁
発行:大和書房

プロフィール
湯山玲子 (ゆやま れいこ)

著述家。文化全般を独特の筆致で横断するテキストにファンが多い。20代のアネキャンから、ギンザ、50代のハーズまで、全世代の女性誌にコラムを連載、寄稿している。著作に『女ひとり寿司』(幻冬舎文庫)、『クラブカルチャー!』(毎日新聞出版局)、『女装する女』(新潮新書)、『四十路越え!』(ワニブックス)、『ビッチの触り方』(ワニブックス)、上野千鶴子との対談『快楽上等! 3.11以降を生きる』(幻冬舎)、『ベルばら手帖』(マガジンハウス)等。月1回のペースで、爆音でクラシックを聴く、『爆クラ』イベントを開催中。 (有)ホウ71取締役。日本大学藝術学部文藝学科非常勤講師。



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