武道館にたどりつけなかったアイドル
BiSは、解散の舞台として当初から目標としてきた武道館のステージに立つことが叶わず、この7月8日に『BiSなりの武道館』と銘打った横浜アリーナのステージで解散する。解散を約2か月後に控えた5月6日、私は、渋谷WWWでのBiS階段の解散公演を訪れた。その日、開場から開演までの時間、でんぱ組.incの曲が会場内を包み込んでいた。奇しくもその日でんぱ組.incがBiSの目標でもあった武道館公演を実現させていたのだ。
でんぱ組.incは、武道館のステージで親交浅からぬBiSの代表曲の一つである“IDOL”をカバーした。BiSは武道館でのステージを断られてしまったが、その楽曲は、アイドル戦国時代を共にし、何度も対バンをした戦友ともいうべきでんぱ組.incの身体を通して、武道館に到達することができた。でんぱ組.incによる粋な計らいは、アイドル同士の絆を表現するものであり、私達の胸を深く打つものだ。その日、武道館と渋谷WWWの間でエールを交換するかのようにBiS階段もまたでんぱ組の“でんでんぱっしょん”をカバーした(“IDOL”と“でんでんぱっしょん”の2曲は、BiSとでんぱ組.incが互いの代表曲をカバーした『でんでんぱっしょん/IDOL』という限定版のスプリットCDとして販売されていた)。
武道館に立つことを許されなかったアイドルであるBiSには、つねに毀誉褒貶がつきまとってきた。AKB48襲撃事件の際、「今揉めるアイドル」とも呼ばれてきたBiSを、危険と隣り合わせの「接触系アイドル」の代表格として取り上げるライターもいた。その記事によれば、BiSが汗まみれでファンと交流する「ハグ会」やアイドルの胸に顔をうずめる「胸ハグ会」などを行うことによって、観客を勘違いさせてしまう可能性があるという。とはいえ実際にファンによる凶刃がBiSを襲ったわけではない。記事の内容は、BiSに対する不当な難癖である。けれども彼女達は、恋愛することを禁じられたAKB48グループのような品行方正な可愛らしいアイドルから一線を画していることは確かである。
アイドルという夢の揺り籠
AKB48が演出した「親しく可愛げな、会いにいけるアイドル」像は、アイドルを時代の偶像へと変えた。AKB48を中軸として人々を熱狂の渦へと巻き込んだアイドル現象は、まさに私達の社会が欲望し造形した時代の作品なのである。
AKB48の成功の影響で多くのアイドル達がデビューし、人々を夢中にさせている。アイドルは、エンターテイメント産業によって演出することで生み出される偶像である。またアキバなどに集う地下アイドルはエンターテイメント産業が生み出したアイドルの二次創作といえるだろう。
アイドルを夢見る少年少女、アイドルを演出し消費する人々。いわばアイドルは、私達の社会が欲望し生み出した時代の夢だ。私達の社会は、少年や少女達が揺さぶる揺り籠の中でアイドルの夢を見ている。とはいえBiSという揺り籠は、AKB48やももクロとは明らかに異質なものだ。
偶像を爆破するアイドル
BiSのステージは圧巻である。可憐な女の子であるはずのアイドル達が客席に向かってダイブするのだ。それは握手会どころの接触の度合いではない。研究員と呼ばれるファン達は、ダイブする彼女達を受け止め、踏んづけられつつも彼女達を支えリフトする。他のアイドルのステージではまずお目にかかれない光景だ。
ダイブするアイドルとリフトやモッシュを繰り返えす研究員達によって、客席とステージの境界が破壊され渾然一体となった過激な舞台が出現する。BiSと研究員達が作り上げるダイナミズムは、鮮烈なエネルギーと興奮に充ち満ちている。
数多く現れたアイドルの中でも、毀誉褒貶につきまとわれるBiSは突出してセンセーショナルな存在である。アイドル評論家の米原千賀子氏が指摘するように、BiSはこれまでのアイドル像を解体する偶像破壊者なのである(米原千賀子氏による「BiS=偶像破壊者」という指摘は、ブログ『よんぶんのいちDays』に掲載された米原氏の卒論「IDOL is PRODUCT?」からの抜粋を参照)。急速な変化に見舞われている日本社会が生み出す現在のアイドル現象は、BiSのような怪物を生み出すまでの振幅を持っているのだ。
この偶像破壊者としてのアイドルの側面は、文化産業化したロックや社会に蔓延する不当な常識や権威を足蹴にし、多くの人々から忌み嫌われたSex Pistolsと重なるものだ。ピストルズという時代が生み出した怪物的バンドもまた、ロック界のアイドルにして、お高くとまった権威に唾する偶像破壊者であった。
実際、BiSをプロデュースしてきたマネージャーの渡辺淳之介氏は、ピストルズの仕掛け人であったマルコム・マクラーレンを意識して、彼女達をプロデュースしてきたようだ。「全裸PV」や、『Quick Japan』の表紙や『週刊プレイボーイ』の紙面を飾った「全裸写真」は、マクラーレン流の仕掛けである。メンバー間の対立を敢えて煽ったマクラーレンのように渡辺氏はメンバーの脱退さえもエンターテイメントであると言い切っている。無数に張り巡らされたセンセーショナルな仕掛けは、アイドル戦国時代を生き抜くための戦略であった。
深刻な不況によってどん底にあった1970年代後半のイギリスでそれまでの体制や権威主義に唾したピストルズは、当時、生真面目な多くの常識人に忌み嫌われた。けれどもわずかな活動期間であったが、失業などに苛まれ世に不満を抱く多くの若者の怒りを代弁する存在でもあった。いわばピストルズは、彼等を拘束する抑圧的な社会秩序の解体を呼びかける文化的な「不協和音(ノイズ)」であった。
ノイジーかつパンキッシュなBiS現象
当時のピストルズのような攻撃的かつ反抗的なパンクの精神をBiSは身にまとうこととなった。例えば、加藤行宏監督が手がけBiSが主演した映画『アイドル・イズ・デッド ノンちゃんのプロパガンダ大戦争』は、ピストルズの活動を記録した『The Great Rock 'n' Roll Swindle』に匹敵する、パンキッシュな怪作であった。そのパンキッシュな精神は、ノイズミュージックの鬼才JOJO広重とT.美川が率いる非常階段とBiSが結びついたことにも表現されている。
JOJO広重によれば、BiS階段の構想が持ち上がる前に「ももクロ階段」が生まれる可能性もあったようだが実現しなかった。結果的に「BiS階段」が誕生したわけだが、ファンキーなももクロよりもパンキッシュなBiSの方がノイズと相性が良いのは明らかだ。
アイドルという心地良い夢を劈(つんざ)くノイズにつつまれたBiS階段のステージは圧巻であった。プー・ルイやJOJO広重は、会場の中に分け入りスタンガンを振り回す。汚物や得体の知れない汚水が飛び交うステージでダイブするBiSのメンバー達は、リフトされ鯉の滝登りのように会場の上方まで何度も達していった。ノイジーかつパンキッシュな舞台の熱にのまれた私も肩に飛び乗ってくる研究員達を何度もリフトした。
数々のインタビューでBiSのメンバー達は、自らの苦悩を隠さない。新生アイドル研究会と名乗る彼女達は、身を削るような思いをして、苦闘を繰り広げ、研究員とともにアイドルという現象の深淵を探求する実験を繰り広げてきたといえよう。解散を予め設定することで、なんとか過酷な実験に彼女達は耐えてきたようだ。自らに耐えがたい負荷をかけてきた彼女達がステージで放つ歌声と舞い踊りダイブする身体は、シド・ヴィシャスが放つ弾丸のようだ。
武道館にたどりつけなかったことはBiSの武勲である。それはアイドル史に残る偉大な業績だ。人々を縛る常識や抑圧的なものに敢然と抗する人々が、しばしばたどる宿命のようなものである。武道館のステージに立つお行儀のよい大半のロッカー達より、BiSのステージのほうがはるかに苛烈かつ鮮烈だ。BiSと研究員の諸君、お前らロックだよ。BiSトルズだ。
アイドル現象の臨界点へと到達したBiS。果敢に時代を駆け抜けてきた彼女達の最後の姿を横アリで見届ける者は、リアルタイムでピストルズを見た者のように時代の目撃者となるだろう。
- イベント情報
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- 『BiS階段 LAST GIG @ 渋谷WWW』
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2014年5月6日(火・祝)OPEN 17:00 / START 18:00
会場:東京都 渋谷 WWW
出演:BiS階段
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- 『BiSなりの武道館』
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2014年7月8日(火)
会場:神奈川県 横浜アリーナ
- プロフィール
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- 清家竜介 (せいけりゅうすけ)
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1970年生まれ。専門は社会哲学・社会学。博士(学術)。現在大学講師。メディア論・コミュニケーション論・サブカルチャー論などを基礎にコミュニティと人々の主体性の変容について考察している。主な著書に『ももクロ論』、『現代思想入門―グローバル時代の「思想地図」はこうなっている!』、『交換と主体化』など。
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