「僕を起用すること自体が、間違っていた」
ピーター・バラカンがDJを務めるInterFM『バラカン・モーニング』が、突如9月末で打ち切られることになった。毎週月~木まで朝の3時間、ラジオ局にありがちなパワープッシュものを一切排したバラカン自身が選び抜いた良質な選曲、この番組を日々のサイクルに組み込んでいるリスナーは多い。残りあと半月しかないタイミングでの打ち切り発表に衝撃が走っている。
申し訳無さそうに番組打ち切りを話し始めた番組内でのバラカンの発言を正確に書き起こしてみると、今件がよほどイレギュラーな事態であることが分かる。
「こういうことになってしまったのは、ある意味、僕がね、執行委員としてコマーシャルなことをやっていれば、こういうことにはたぶんならなかったんだろう。でもそれはね、たぶん、できない。だから、最初からね、そういうコマーシャルなものを求めていたInterFMが僕を起用すること自体が、ある意味間違っていたかもしれませんね。」(9月15日放送)
InterFMの社長になって欲しいとのオファーまであった
2012年9月から2014年6月までInterFMの執行役員を務めていたバラカンが、放送している最中に放送局を名指しして「間違っていた」と指摘するのは、非常に大胆な行為である。今年の初頭、この番組内で「東京都知事選が終わるまでは、原発問題に触れないように2つの放送局から言われている」と発言したことは波紋を呼んだが、他局で受けた規制について言及するのと、放送している局に直接苦言を呈することは次元が異なる。2012年、InterFMがテレビ東京の傘下から木下グループの子会社になった際には社長になって欲しいとのオファーまであったというし、執行役員を退任した後だとはいえ、局の顔を打ち切る行為は唐突に過ぎる。
3分の1しか埋まっていないハービー・ハンコック
著書『ラジオのこちら側で』(2013年 / 岩波新書)の中で、デューク・エリントンの発言「音楽には、いい音楽とわるい音楽の二種類しかない」を持ち出しながら、音楽をメジャーとマイナーで区別してはいけない、と語気を強めているバラカンには、スポンサーを確保するために、延々と「コマーシャルなもの」を求めてくる働きかけは苦痛そのものだったに違いない。
1973年にロンドンの大学を卒業し、翌74年に新興楽譜出版社(現:シンコーミュージック・エンタテインメント)に入社したバラカン。バラカンが日本へやってきたのは、Grand Funk Railroadの嵐の後楽園公演、霧に包まれた箱根アフロディーテのPink Floyd、「ライヴ・イン・ジャパン」の存在感を決定付けたDeep Purpleの武道館公演などなど、今に語り継がれるライヴを経て、洋楽を受容する体制がようやく日本に整い始めたタイミング。来日した74年にはエルトン・ジョン、ポール・サイモン、エリック・クラプトン等が来日公演を行っているが、バラカンが来日してすぐに観に行ったのは、3分の1しか埋まっていない東京厚生年金会館でのハービー・ハンコックだった。最初から「マイナー」志向だったのだ、とまとめたら、その「マイナー」という言葉遣いを嫌がるだろうけれど。
自粛しまくるメディアやミュージシャンへの不信感
意外だったのは、バラカンが当初から社会問題に興味を持っていたわけではなかった、ということ。前出の著書によれば、1979年にマディソン・スクエア・ガーデンで行なわれた反原発イベントのライブアルバムの解説を読んで、初めて原発問題を意識するようになったという。その後、DJとしてキャリアを重ねていく中で、チェルノブイリ原発事故、東西冷戦崩壊、9・11同時多発テロ、そして東日本大震災及び原発事故といった有事に直面することとなる。
原発事故の後、「ずっとウソだったんだぜ」と抗う声をあげた日本のミュージシャンはごく僅か、ひとまずみんな手を取り合って優しげな歌を歌ったのは記憶に新しい。9・11の直後にTalking Headsの“ライフ・デューリング・ウォータイム(戦時下の生活)”をかけ、アメリカがイラクへの空爆を始めればMichael Franti & Spearheadの“ボム・ザ・ワールド”をかけたバラカンからしてみれば、3・11後、あのような事態に陥ろうとも、横並びで批判を自粛したメディアやミュージシャンへの不信感が募ったことだろう。
「ラジオでは2020について発言するのをとりあえず我慢しています」
実は、バラカンにはまったく一方通行ながら恩義を感じている。ちょうど1年前、東京五輪が決まったその日、「福島の汚染水は完全にブロックされている」と明白な嘘をついて五輪招致のプレゼンを行なったことに疑義を呈する原稿をウェブ上に公開すると、旬なネタということもあってか、かなりのアクセス数となり、私のメールボックスには「反日」「売国奴」「死ね糞野郎」等々、ありとあらゆる罵詈雑言が殺到した。そんな折に「ラジオでは2020について発言するのをとりあえず我慢していますが、リスナーの方からいただいたこのリンクはシェアしましょう」とFacebookに書き込んでくれたのがバラカンだった。あるタイミングを境に、届くメールの内容が真逆になったことに驚いていると、とあるメールでバラカンが紹介してくれたことを知った。
自分の気持ちを音楽に代弁してもらうしかない
自粛を重ねることに躊躇が無い日本のメディア。第一線を張る人とはいえ、そこで自分の主義主張を貫き通すことは難しい。バラカンは、イラク戦争勃発に先駆けて「この原稿がみなさんの目に触れるとき、世の中がどうなっているか、悲観せずにいられませんが、特に公共放送ではそういうことについて発言することが許されないので、この曲などを頻繁にかけて、自分の気持ちを音楽に代弁してもらうしかありません」(『ピーター・バラカン音楽日記』2011年 / 集英社インターナショナル)とし、ジョーン・オズボーンがカバーしたエドウィン・スター“ウォー”を紹介した。言えなければ曲に代弁してもらう、DJならではの技だ。
今回の打ち切り騒動をInterFMで語ったバラカンは、その話題を終えた後に、先日急逝したジョニー・ウィンターの“イッツ・マイ・オウン・フォルト”をかけた。この曲はこう始まる。<It's my own fault darling, Treat me the way you wanna do>(愛する人よ、私のせいなんだ。君の好きなようにしてくれ / 意訳)。
この選曲には、バラカン自身の憤怒が込められているのではないかと深読みしたくなる。とにかく、残念な打ち切り騒動である。
- プロフィール
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- 武田砂鉄 (たけだ さてつ)
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1982年生。ライター/編集。2014年9月、出版社勤務を経てフリーへ。「CINRA.NET」で「コンプレックス文化論」、「cakes」で芸能人評「ワダアキ考 ~テレビの中のわだかまり~」、「日経ビジネス」で「ほんとはテレビ見てるくせに」を連載。雑誌「beatleg」「TRASH-UP!!」でも連載を持ち、「STRANGE DAYS」など音楽雑誌にも寄稿。「Yahoo!個人」「ハフィントン・ポスト」では時事コラムを執筆中。インタヴュー、書籍構成なども手がける。
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