野田秀樹や武満徹も手掛ける、最も価値の高い芸術「オペラ」
『フィガロの結婚』『ニーベルングの指環』『カルメン』など、代表作品のタイトルくらいは耳にしたことがあっても、オペラには敷居の高さを感じてしまい、劇場に足を運ぶことができない……。ヨーロッパの上流階級の人々が嗜むオペラは、音楽、舞踊、演劇、美術といったあらゆる芸術ジャンルを束ねる「総合芸術」であり、最も価値の高い芸術として評価されている。だが、西欧ハイカルチャーの産物だからこそ、日本人にとってはどこか馴染みにくさを感じるのは否めない。
そんなオペラを日本人のものにしようと、明治以降100年以上にわたって、数々の芸術家たちが「和製オペラ」を生み出してきた。團伊玖磨(だん いくま)、三善晃、山田耕筰といった近代の大作曲家たち、武満徹も未完に終わったが、オペラ作品を試みたことがあった。また最近では、野田秀樹、劇団地点の三浦基といった現代演劇の演出家たちもオペラを手がけている。
今回、神奈川県民ホールが開館40周年記念事業として上演する『水炎伝説』も、そんな「和製オペラ」の系譜に連なる作品の1つだろう。日本を代表する詩人、大岡信が、神話世界における死と再生の物語を描いた本作は、2005年に一柳慧による作曲で初演。今回、神奈川県民ホールで一柳自身が管弦楽版として新たに編曲した「改訂版初演」が上演されるのだ。
ロサンゼルス現代美術館の展示など、国際的な美術シーンからも評価されるデザイナー菱沼良樹が、25年ぶりにオペラの衣装を手掛ける
今作品の演出を務めるのは、世界的な振付家イリ・キリアンが率いるネザーランド・ダンス・シアター(以下、NDT)で8年にわたって活躍してきたダンサー、中村恩恵。同じくダンサーの首藤康之(語りを担当)とともに、オペラ作品を初演出した。また、指揮の板倉康明など、日本の芸術界を代表するアーティストが集っている。
中でも、今回の参加アーティストで注目されるのが、衣裳デザインを手がける菱沼良樹だ。これまで服飾デザイナーとして、ロサンゼルス現代美術館や国立新美術館での展示など、国際的な美術シーンからも評価されてきた菱沼。オペラの衣裳は、1987年に『魔笛』を手がけて以来、およそ25年ぶりの挑戦だ。しかし、じつはこの『魔笛』の上演に、菱沼は苦い思い出を持っていた。
「もう時効だと思いますが、横尾忠則さんに誘われて『魔笛』の衣裳を手がけたものの、うまくいかず……(苦笑)。このときは、北京と上海で公演を行ったんですが、舞台を観ずに横尾さんと万里の長城で観光していました」
その苦い体験以来、オペラの衣裳デザインからは遠ざかっていたものの、菱沼はバレエ衣裳をデザインする面白さに目覚め、NDT、ミュンヘンのバイエルン国立歌劇場、パリのオペラ座など、数々の有名劇場、ダンスカンパニーとクリエイションを共にすることとなる。今回、演出を務める中村とは、1998年のNDTの公演『One of a Kind』からの付き合いになるそうだ。
「絶対にダンサーは衣裳をまとって踊るほうが美しい。ファッションショーのような舞台で、キャラクターの魅力を引き出したい」
しかし、服飾デザインと舞台衣裳デザインでは、勝手が異なるもの。振付家や演出家の意図を汲み、ダンサーからも踊りやすさを求められ、「制約が多い」と言われる舞台芸術の世界で、菱沼は衣裳デザインに対してどのような哲学を持っているのだろうか?
「振付家はダンサーの身体表現を見せたいので、極端に言えば裸でいいと思っているんです。でも僕は絶対にダンサーが衣裳をまとって踊るほうが美しいし、舞台が全然違ったものに見えてくると考えています」
そして、さまざまな舞台を観ていても、「常に、衣裳を重要なキャラクターとして見ている」という菱沼の視線には、華麗なオペラの衣裳ですらも退屈なものに見えてしまうと言う。彼は、既存のオペラの衣裳に対する不満をこのように語っている。
「他の作品の悪口を言うわけではありませんが、オペラの衣裳ってうんざりするくらい古臭いんです。以前もサシャ・ヴァルツ(ドイツを代表する振付家)が手掛けた『ロミオとジュリエット』のオペラを観たんですが、ダンスには新しい視点が取り入れられているのに、コスチュームは既存のイメージのままだった。『水炎伝説』では、いつも一緒に仕事をしている松井里加さんにヘアメイクをお願いしました。頭の先から爪先までトータルに演出することで、キャラクターの魅力が引き出されるだけでなく、現代的な雰囲気を生み出しています。ある意味、舞台作品としてだけでなくファッションショーのように楽しめるかもしれませんね」
「オペラは『総合芸術』と言われているのに、衣裳はその『芸術』の範囲に含まれていないんです。僕は衣裳によって空間が変わり、美しくなるということを示したい」(菱沼)
コンテンポラリーとしてアップデートされたオペラ『水炎伝説』では、ダンサーたちは、まるで羽毛のように軽やかな衣裳で躍動的に舞い、感情を歌い上げる歌手たちは、造形的な衣裳で存在感が表現されている。セットのほとんどないシンプルな舞台上を躍動する彼らを観ていると、まるで、舞台美術のように衣裳の存在が空間を変えていることに気づくはず。衣裳が舞台空間に吹き込む命を、菱沼は「空間のスピリット」と表現する。
「オペラは『総合芸術』と言われているのに、音楽、美術、演劇とは異なり、衣裳はその『芸術』の範囲に含まれていないんです。本当は空間にスピリットを与えるとても大事な要素なのに、世界中の舞台で衣裳の存在は忘れ去られています。僕は衣裳によって、こんなに空間が美しくなるんだということを示したいんです」
日本の芸術家たちは、ヨーロッパの真似をするだけでなく、「日本のオペラ」を作り上げるために、これまで100年以上にわたって腐心してきた。その成果はオペラの世界を超えて、服飾デザイナーにも影響を与えている。ハードルの高さという心理的な障壁を乗り越えて、劇場に足を踏み入れてみれば、あたかもファッションショーのように、同時代的な息吹きと躍動感に満ちているオペラの世界があることがわかるだろう。
- イベント情報
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- 『「水炎伝説」1幕3場』
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2015年1月17日(土)、1月18日(日)全2公演
会場:神奈川県 神奈川県民ホール 小ホール
台本:大岡信
作曲:一柳慧
指揮:板倉康明
演出・振付・美術:中村恩恵
衣裳:菱沼良樹
ヘア・メイク:松井里加
出演:
天羽明惠
加賀ひとみ
高橋淳
松平敬
ダンス:
渡辺レイ
後藤和雄
武石光嗣
語り(録音):首藤康之
合唱:『水炎伝説』声楽アンサンブル
演奏:『水炎伝説』特別編成アンサンブル
料金:一般6,000円 学生(24歳以下)4,000円
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