『イスラーム展』で考える、「表現の自由」とはなにか?

宗教を「冒涜する権利」などあるのだろうか

フランスの週刊紙『Charlie Hebdo(シャルリー・エブド)』襲撃テロ事件が世界に衝撃を与えている。テロリズムに屈して、表現の自由が覆されることなどあってはならぬと、追悼集会やデモ行進で「私はシャルリー」とプラカードを掲げる人々。その声を受けて、同紙はこれまでの編集方針を曲げずに、最新号でも風刺画を表紙にした。預言者ムハンマドが涙を流しながら「私はシャルリー」とパネルを掲げている特別号のタイトルは「生存者号」。これまでの平均部数の約50倍、300万部が発行された(増刷込みで500万部)。この新聞社の弁護士は「我々は、冒涜する権利も含めて一歩も譲歩しない」と主張している。このようにして想像だにしなかった悲惨な出来事が起きると、人々は得てして力強い言葉を希求するが、果たして「冒涜する権利」という言葉に、そのまま頷いてしまっていいのだろうか。

テロに屈しないことと、1つの宗教を冒涜することを当たり前に繋げてはいけない。フランスのバルス首相は「これはイスラム教やイスラム教徒との戦争ではない。テロリズム、聖戦思想、過激思想との戦いだ」と強調した。社会を風刺するイラストやテキストにはおしなべて「表現の自由」が認められるべきだが、立ち向かうべき事象の枠組みを明らかに逸脱して、1つの宗教を丸ごと否定する、そんな「冒涜する権利」として、その自由が許容されるべきではない。思い返せば「9.11」の直後、アメリカは「GOD BLESS AMERICA(アメリカに神の御加護を)」という言葉を連呼した。(通俗的に使われているとはいえ)とっても独善的な言葉だし、悲劇に際してこれらの言葉で愛国心を高揚させた結果が、その後のイラク戦争での数十万人もの死者に繋がった事実を改めて見つめ直すべきだろう。

日本とムスリムの繋がりを学ぶ

今月10日から4月12日まで、東洋文庫ミュージアムで『イスラーム展』が開かれている。この展示で懇切丁寧に示されるのは、イスラム文化の多様性である。7世紀初めに興ったイスラム教は、中東のみならず、全世界に広がりをみせ、今や全世界には約16億人ものムスリム(イスラム教徒)がいる。

14世紀、イスラム法学者のイブン・バットゥータは、モロッコのタンジェからメッカ巡礼へと出かけ、続けてエジプト、シリア、イラク、イラン、アラビア半島、スマトラ等々のイスラム教が根付く各国を訪ね歩き、『大旅行記』を記した。本展示では(奇しくも)フランス・パリで1877年に刊行された重厚な本著が展示されている。また、『日本書紀』にインド在住のペルシア人「乾豆波欺(げんずはし)」の存在が記されていることや、1930年代から名古屋、神戸、東京等でモスクが出来始め、現在では約90か所に広がっていること等々から、日本とムスリムの繫がりについても教えてくれる。

イブン・バットゥータ旅行記
イブン・バットゥータ旅行記

過激派を宗教の象徴にしてはいけない

ミュージアム内には時代や地域ごとの「コーラン(聖典)」が展示されているが、とりわけ14世紀に現在のシリアで書き写されたコーランが美しい。文節ごとに、区切りを示す意味で、金の絵の具で記した梅の花が添えられている。その他、18世紀に記された「結婚契約書」や、キリスト、アダム、ムハンマドが1枚の系図に記された「相承図」など貴重な史料が並ぶ。

コーラン
コーラン

過激派グループの存在によって誤解が強まるイスラム教。イスラム国は欧米人記者の首を切り落とす動画を公開するなど残虐な行為を繰り返しているが、そもそも、「残虐でサディスティックな殺し方は本来、コーランやムハンマドの言行録(ハディース)でも禁止されている」のだし、「遺体を損傷してはいけないという教えもある」のだ(国枝昌樹『イスラム国の正体』より)。こういった過激派を、宗教の象徴的存在に据え置いてしまうのがいかに危険か、『イスラーム展』の沈着冷静な展示の数々が教えてくれる。

イスラム国は、諸外国の若者を参加させるために、SNSやYouTubeを多用している。これも国枝の本に依るが、彼らは広報媒体の1つとしてインターネット上の英字新聞『DABIQ』を発行し、「有名なバチカン市民の広場に立つオベリスク(記念碑)のてっぺんに、例のイスラム国の黒旗がひるがえる加工画像」などで挑発を繰り返している。カトリックの象徴的な場所を汚す風刺画として怒りを買うものだが、ならば今回の『Charlie Hebdo』の表紙もまた、全く同様にイスラムの人々を不躾に汚している、ということになるだろう。

カタログスタンドに記された「本紙の取り扱いにご配慮ください」

2010年、ファイル交換ソフト「Winny」を通じて流出・発覚した警視庁国際テロ捜査情報流出事件では、日本の公安警察がムスリムを標的に調査活動を行っていた実態が明らかになった。全国各地のモスクを監視するだけではなく、イスラム関係の食料品店やエスニック料理店の情報まで事細かに収集していたのだ。このような「ムスリム=テロ予備軍」とするかのような態度は、今回の事件を受けてフランス以外の国々でも増幅しかねない。

『イスラーム展』を見終わって、本展示のチラシをもらおうとミュージアムの入り口付近にあるカタログスタンドへ向かうと、コーランが掲載された展示チラシが置いてあり、そのスタンドにはこのような注意書きが貼られていた。

「コーランはイスラーム教徒が聖典として大切にしているものです。本紙の取り扱いにご配慮ください」

とても素晴らしい注意書きだと思った。表現の自由とは、こうして相手への想像力によって担保されるものではないのか。極めて好戦的な「表現の自由」アピールが続々と聞こえてくるなかで、冷静にイスラムの歴史と向きあうことの出来る本展示、今こそ、訪ねるべきだ。

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