ロハス方面の情報をいっぱい持っているカロリー高めの人
ロハスな生活をしている人は「ロハスな生活を手に入れよう!」と意気込む情報を欲しない。なぜなら、既にその生活を手にしているから。とっても当たり前なこの定義を無視するからこそ、極端に言えば森ガールが本当に森にいるかのような、北欧でこじんまりとした食堂をスムーズに開けるかのような錯覚が、長いこと続いている。
こうしていつの間にか、「ロハス方面の情報をいっぱい持っているカロリー高めの人」という矛盾した存在が、殺伐としたシティーに溢れることになる。海外旅行がブームになった1980年代、ガイドブックを読みふけった結果として、行ったことの無い人のほうが行ってきた人より外国の街並を熟知していたという笑い話を聞いたことがあるが、この10年ほど、北欧に対して向けられてきたザックリとした羨望は、かつてのそれに似ているのかもしれない。
トーヴェ・ヤンソンは、自分の憂鬱をムーミンに投影していたのか
北欧に対して積み重なっていくロハスなイメージに加担しそうでしないのが、フィンランドの代名詞的存在、ムーミンだろう。昨年、ムーミンの作者であるトーヴェ・ヤンソンが生誕100年を迎え、日本でも展覧会や関連書籍の刊行が相次いだ。ムーミンという存在は、知れば知るほど、暗部が黒光りしてくるかのようで興味深い。例えばこんな場面。
しだいにムーミントロールは腹がたってきました。立ちあがり、嵐にむかって叫ぼうとしました。吹きつける雪につかみかかり、ちょっとばかり泣き言をいってやりました。どうせ、だれにも聞こえやしないのですから(『ムーミン谷の冬』)
ムーミン谷の物語は、ヤンソンの地元であるフィンランドが舞台にはなっていない。特に場所を特定しない理想郷としたのは、彼女自身のルーツが関係している。ヤンソンは民族として少数派のスウェーデン語系フィンランド人であり、ちょうど思春期に自国で広がっていたナショナリズム運動の中で弱い立場に置かれ、悶々とした気持ちが積もっていた。ヤンソンが初めて挿絵を書いたのは、スウェーデン語系の政治風刺雑誌『ガルム』だった。ヒトラーやスターリンを風刺したり、終戦後の食糧難を描いたり、「反戦家」としての姿勢を早くから明確にしていた。
トーベ・ヤンソン(1914~2001年) Photo: ©Moomin Characters
トーベ・ヤンソンによるムーミンコミックの原画(スウェーデン語) Photo: ©Moomin Characters
ムーミンは、その過程で生まれている。北欧ブームと名言ブームを掛け合わせたような「ムーミンって実は哲学的」「ムーミンには実は格言多し」という、どのブームにも該当する「実は」を見かけるが、そういったメッセージ性よりも先に、ヤンソンの中に立ちこめていた憂鬱が投影されていたのがムーミンだったのではないか。「ちょっとばかり泣き言をいってやりました。どうせ、だれにも聞こえやしない」というように。
メタルの世界で主力となってきた北欧メタルの世界
一方、フィンランドのみならず、北欧にはヘヴィメタルバンドが多い。いつの時代もヘヴィメタルは社会に不満を持った若者の捌け口となってきたが、特に1990年代前半の北欧では、デスメタルやブラックメタルバンドのメンバーが、人に危害を加える事件を起こし、問題視されることも少なくなかった。同時期にアメリカの音楽シーンに生じたグランジもまた社会への憤怒を歪みのあるサウンドへと変換していたが、北欧のアンダーグラウンドで生じていたムーブメントは、感情をより直接的に社会にぶつけていたのだ。
しかし、これらのアングラな音楽が、2000年前後になると、まさかのまさか、市民権を得ていく。多くのバンドがメジャーレーベルと契約し、ワールドワイドな活躍をし始めた北欧メタルバンドは、アメリカ発のラップメタル、ニューメタルといったバンドよりも、よほどメタルの市場で主力となってきている。
鬱屈を打破するためにデスメタルがある
スローライフ、充実した福祉、そういった表面的な北欧礼讃では決して出てこない側面だが、フィンランドでは1990年ごろまで自殺者の増加に悩まされてきた。国をあげた取り組みの成果もあり、今では改善してきているが、当時は、中でも若い男性の自殺率が高いことが悩みの種だったという。いつだったか、とある北欧デスメタルバンドのインタビューで「日当りが悪いから、年中、家にこもってるだろ? だから、デスメタルでもやらないと、頭がどうにかなっちまうんだ」と自嘲していたのをうっすら記憶しているが、この激しく極端な音楽が、若者の気持ちを代弁してきたことは確かだ。
ヘルシンキで行われるメタルフェス『TSUKA OPEN MEAL FESTIVAL』
フィンランドの国民的メタルバンドであるAmorphisは、国民に親しまれてきた叙情詩『カレワラ』をモチーフに作品を作り続けてきた。19世紀にエリアス・リョンロットという医師によって編纂された全50章にもわたる物語は、フィンランドの人々にとって、他国に支配される以前の土着的なフィンランドを描いた誇らしき歴史でもある。音楽ジャンル的にはデスメタルに属するAmorphisだが、『カレワラ』をひも解きながらメランコリックに展開していく音楽性には、鬱屈を打破する力強さが宿っている。
森ガールはいないが、森ボーイはいる
ブラックメタルやデスメタルの表現は、特に黎明期を振り返ってみると、それがジョークなのか本気なのかを区別することが難しく、特に北欧系のメタルバンドは多くの誤解を浴びてきた。しかし、この20年間でフィンランドのメタルシーンから世界に飛び出しStratovarius、Children Of Bodom、Nightwishといったメタルバンドは、北欧メタルの知名度を格段に上げ、その印象を健全に改めた。彼らは間違いなく世界のメタルシーンの中核にいる。
チェリストとドラマーによるヘヴィメタルバンドApocalyptica
国土の4分の3が原生林に包まれ、日照りの少ない曇天の中、長い寒期が続くフィンランド。占領された記憶を文化で伝承しながら、人気の観光立国として新たに門戸を開いてきた国。ただただロハスライフの表層を浴びるだけではなく、フィンランドの人々が抱えてきた葛藤を知ることでこの国の多様性が見えてくる。無理矢理な定義を堂々と記せば、トーヴェ・ヤンソンもデスメタルも、この国特有の憂鬱から始動したのである。内に秘めていたポジティブとは言い難い心性を、表現する力に変えた。打破していくプロセスでの中で生まれた表現が、世界の人々に受け入られたのだ。このプロセスは、スタイリッシュな北欧礼讃だけでは見えてこない、フィンランドという土地に根付くカルチャーの真理である。
5月には新木場STUDIO COASTで、フィンランドのメタルバンドばかりで開かれる『LOUD & METAL ATTACK』も開催される。2011年に同イベントに出場したバンド、Korpiklaaniは、“酒場で格闘ドンジャラホイ”“カラスと行こうよどこまでも”“森の木陰でクールビズ”といった珍奇な邦題で日本でも局地的なブームを巻き起こしたが、そんな彼らのPVを貼り付けて原稿を終えたい。これまでのわりかし真面目な議論は、全て吹き飛ぶ。「森ガールなんていないが、森ボーイはいる」のである。このPVを見終えて、「こんなの私がイメージするフィンランドじゃない」と思うはず。Korpiklaaniと北欧ロハス情報のどちらがフィンランドの真なる姿なのか、(どちらも違うという可能性も含め)自分の目で確かめに行ってみるのもよいのではないだろうか。
[参考文献]
冨原眞弓・芸術新潮編集部『ムーミンを生んだ芸術家』(新潮社)
目莞ゆみ『フィンランドという生き方』(フィルムアート社)
イアン・クライスト/中島由華・訳『魔獣の鋼鉄黙示録――ヘビーメタル全史』(早川書房)
マイケル・モイニハン&ディードリック・ソーデリンド/島田陽子・訳『ブラック・メタルの血塗られた歴史』(メディア総合研究所)
- リリース情報
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- 『LOUD & METAL ATTACK』
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2015年5月23日(土)OPEN 14:00 / START 15:00
会場:東京都 新木場STUDIO COAST
- プロフィール
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- 武田砂鉄 (たけだ さてつ)
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1982年生まれ。ライター / 編集。2014年秋、出版社勤務を経てフリーへ。「CINRA.NET」「cakes」「Yahoo!ニュース個人」「マイナビ」「LITERA」「beatleg」「TRASH-UP!!」で連載を持ち、「週刊金曜日」「AERA」「SPA!」「beatleg」「STRANGE DAYS」などの雑誌でも執筆中。著書に『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社)がある。
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