ノエル・ギャラガーらも賛辞を贈るSSW、ライアン・アダムス
ライアン・アダムスの2年半ぶりとなるオリジナルアルバム『Prisoner』が、2月17日にリリースされた。WilcoやThe Jayhawksらと並び、1990年代オルタナカントリーブームの一旦を担ったバンド、Whiskeytownを2000年に脱退し、同年にアルバム『Heartbreaker』でシンガーソングライターとしてのキャリアをスタートしたライアン・アダムス。彼の名を聞いて、真っ先に思い浮かべるのはどんなことだろうか。
その卓越したソングライティング能力により、エルトン・ジョンやU2のボノ、元Oasisのノエル・ギャラガーら多くの先輩アーティストが賛辞を贈る、「ミュージシャンズ・ミュージシャン」としての姿かもしれない。あるいは、ほぼ毎年のようにアルバムをリリースし、多いときには年に3枚のアルバムをリリースする、多作な音楽家というイメージを持つ人もいるだろう。しかも、ロックンロールやパンク、フォーク、ヘヴィメタルなど様々な引き出しを持つ彼の作風はアルバムごとに大きく変わり、2015年にはテイラー・スウィフトの『1989』を丸ごとカバーした同名アルバムまでリリースするなど、熱心なファンでないとその全容を掴むのにも一苦労だ。
ライアン・アダムスによるカバー音源。ダンサブルな原曲に対し、大胆なリアレンジが施されている
ライアン・アダムスという男の内側が垣間見える、2つのエピソード
ライアンにとって初来日となった、2005年の『FUJI ROCK FESTIVAL』での「事件」を未だに忘れられない人も多いはずだ。「FIELD OF HEAVEN」のステージで2日目のトリを務めた彼は、鳴り止まない激しい雷雨のためか、明らかに集中力を欠いており、セットリストを途中で放棄すると、その後1時間にわたってギターノイズを垂れ流し、大きな物議を醸した。おそらくそれは、繊細で感受性豊かな彼ゆえの「気難しさ」や「傷つきやすさ」といった側面が、全面的に出てしまった結果だったのかもしれない。初来日ということでナーバスになっていたのかもしれないし、当日は風邪を引いていたという噂もある。
その一方で、ファンに対してはとても真摯で誠実だ。昨年12月、白血病と闘う日本のファンにTwitterでメッセージを送り、その月に行われた初の単独来日公演に招待するという、心温まるエピソードが伝えられたのは記憶に新しい。Twitterによれば、ライアンはそのファンを楽屋に招き入れ、熱心に励まし、絵を描き、ギターのピックをプレゼントしたという。
ライアンとファンによるTwitterでのやりとり(日本語訳:誕生日おめでとう、僕は君の全快を心から祈っている。東京でのショーは君に捧げるよ)Dear @PkrjKh
— Ryan Adams (@TheRyanAdams) 2016年11月8日
I want to wish you a HAPPY BIRTHDAY & send you my best wishes for a full recovery.
My show in Tokyo is dedicated to YOU
X
DRA
ライアンとファンによるTwitterでのやりとり(日本語訳:気を強く持ち続けて、白血病の奴を負かしてやるんだ。僕は君の戦いを称えるためにこれからもっと力強く演奏して、歌って、前に進んでいくよ。強くあるんだよ、友よ!)You stay strong and kick that lukemia's ass. I am gonna play harder & sing harder & go harder to honor your battle. Stay Strong, friend! https://t.co/09mte44GqL
— Ryan Adams (@TheRyanAdams) 2016年11月10日
実はライアン自身も、「メニエール病」(激しい回転性のめまいと難聴・耳鳴り・耳閉感の4症状が同時に重なる症状を繰り返す内耳の疾患)にしばらく悩まされ、2009年から2014年までライブ活動を休止していた時期がある。きっとそのとき、世界中のファンから励ましのメッセージがたくさん届いたはずで、そのことをライアンは忘れていないのだろう。
ライアンの歌が聴き手の胸を深く打つ理由
音楽家として、人として、様々な側面を持つライアン。しかし一貫しているのは、彼が人生における様々な苦悩や葛藤を、「曲」へと昇華することによって乗り越えてきたということだ。「Prisoner=囚われもの」と名づけられた本作も、自分の中に生まれる「欲望」や「願望」に囚われてしまった状態から、いかにして「自由」になるべきかを聴き手に問いかけている。今回CINRA.NETで行ったメールインタビューで、ライアンは自身の音楽との向き合い方について、こう答えてくれた。
ライアン:僕が音楽に向き合うのはとてもピュアな理由からであって、それは若い頃から変わっていない。詩と芸術と身体の動きがすべてひとつになったように感じるから大好きなんだ。
たとえば、失恋をテーマにした“To Be Without You”について、彼は<心の中にある嵐が胸を刺すように痛む 何を言っていいのかも考えるべきかもわからない 僕らはすべてのページが破かれてしまった本のようだ>と歌う。ひょっとしたらこの曲は、2015年に離婚したマンディ・ムーアのことを歌っているのかもしれない。
そうしたパーソナルな出来事を普遍的な作品へと昇華させるためには、対象となる出来事を「客体化」しなければ、独り善がりなものになってしまうだろう。客体化するためには、そのとき自分の内面で何が起きたのか、徹底的に向き合う必要がある。おそらく、想像以上につらい作業に違いない。が、そこを通り抜けてきたからこそライアンの作る楽曲は、どれも深く胸を打つのだ。
何かに囚われてしまう心からの解放と、自由を歌う本作は、現代に何を提示する?
友人のドラマー、ジョニー・Tに手伝ってもらった以外は、すべての楽器を自分で演奏したという本作。インスピレーションの源として、ブルース・スプリングスティーン『Darkness on the Edge of Town』(1978年)、The Smiths『Meat Is Murder』(1985年)、AC/DC『Fly On The Wall』(1985年)の3枚のほか、ブルース・ホーンズビーやBachman-Turner Overdrive、Electric Light Orchestraらの名前を挙げるなど、80年代の音楽に触発された作品であることを公言している。
そうした潜在的な影響だけでなく、たとえばキックとスネアを強調したドラムや、曲全体に深くかけられたリバーブ、きらびやかなアコギやシンセの音色など、今作は明らかに80年代特有のサウンドプロダクションを意識しているはずである。もちろん、単なる懐古主義では決してなく、たとえば冒頭曲“Do You Still Love Me?”では、まるでラジカセで録ったようなローファイなギターソロをあえて混ぜ込み、立体的な音像を目指している。ギターのアルペジオが印象的な表題曲“Prisoner”も、左右にパンニングする逆回転のようなサウンドエフェクトが、サイケデリックなウォールオブサウンド(多重録音を駆使した「音の壁」と称される重厚な音像)を作り上げているのだ。
<まだ僕を愛してくれてる?>と繰り返し、愛を見失った男の心情が歌われる
憂いを帯びた切ないメロディーと、透明感あふれるサウンドプロダクション。そこに上述したような歌詞が乗ることで、「ハッピー」と「サッド」の間を行き来するような曲調となり、聴き手である私たちの感情を解放する。ライアンは今作のテーマについて、以下のように語ってくれた。
ライアン:今作はいろんな出来事が題材となっていて、そのひとつが「欲望」だった。そしてそれ以上に、「自由の身になること」についてのアルバムなんだ。それは、自分自身から「自由」になること、他の誰かから「自由」になることでもあるし、しがらみから解放されて、本気でロマンチックなことを信じる気持ちに到達することでもある。そしてなにより、そこにある真実に身をまかせることを歌いたかったんだ。
「欲望」をコントロールし、自分自身や他の誰かから「自由」になること。それは何かを諦めることなのかもしれない。「あきらめる」とは決してネガティブな意味だけでなく、「明らか」にして「見る」という意味もある。自分自身の「苦痛」や「葛藤」を昇華したライアンの歌声は、どこか諦観をたたえながらも晴れやかだ。本作『Prisoner』は、この生きづらい世の中で、何かの「囚われもの」になってしまった人たちに、何かしら生きるヒントを与えてくれるかもしれない。
- リリース情報
-
- ライアン・アダムス
『Prisoner』日本盤(CD) -
2017年2月17日(金)発売
価格:2,689円(税込)
HSE-6358
1. Do You Still Love Me?
2. Prisoner
3. Doomsday
4. Haunted House
5. Shiver And Shake
6. To Be Without You
7. Anything I Say To You Now
8. Breakdown
9. Outbound Train
10. Broken Anyway
11. Tightrope
12. We Disappear
- ライアン・アダムス
- プロフィール
-
- ライアン・アダムス
-
1974年11月5日、ノース・カロライナ州ジャクソンヴィル生まれ。高校在学中にバンド活動を始め、94年に結成したウィスキータウンは、オルタナカントリーブームの一端を担った。バンド解散後ソロに転向、デビュー作『Heartbreaker』(2000年)を発表するや、エルトン・ジョンをはじめ多くの先輩。同輩が賛辞を寄せた。翌年『Gold』を発表。9.11同時多発テロの1週間前に撮影されたシングル“New York, New York”のMVに映る在りし日のツイン・タワーに人々は思いを巡らせ、同曲はスマッシュ・ヒット、『グラミー賞』にもノミネートされた。その後、ほぼ毎年新作をリリースし、時には1年に3枚を出すこともあった彼は、多作家としても知られるように。しかも、パンク、ロックンロール、カントリー、フォーク、ジャムにヘヴィメタルまでを愛好する彼の作風は、時々にその趣を変えた。2009年からしばらくメニエール病に悩まされ、ライヴ活動から遠ざかっていたが、2014年に復帰。2015年7月にはフジロック出演、10月にはテイラー・スウィフトの『1989』の丸々カバーに挑戦。2017年2月、待望のニューアルバムが完成。直前となる12月には、初の単独来日公演が東京で実施された。
- フィードバック 0
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-