テクノロジーが生み出した、「繋がり」と「溝」を巡る物語
あらゆるジャンルでデジタル化が進む現代は、どこの、誰とでも繋がることができる世界を実現させた。と同時に、テクノロジーを持つ者と持たない者との圧倒的なアンバランスも抱え込んでしまっている。この不平等な繋がりを前にして、私たちはただただ動揺するばかりだ。近年では、例えば『アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場』(2016年公開)が、ドローンというテクノロジーを介して「持つ者」と「持たざる者」の間の溝と、その動揺を描いていた。
アメリカのセキュリティー会社に勤め、北アフリカにある石油パイプラインの監視ロボットを操作するゴードン(ジョー・コール)と、古い因習が残り、自由な恋愛すら許されない北アフリカの村に住むアユーシャ(リナ・エル=アラビ)との純愛を描く『きみへの距離、1万キロ』でも、監視ロボットというテクノロジーによって繋がりを得る一方で、やはりそこにはさまざまな隔たりがある。
北アフリカの村に住むアユーシャ/ © Productions Item 7-II Inc. 2017
恋人とひどい別れ方をしたゴードンは「運命の人」を巡って思い悩んでいる。同僚にマッチングアプリを勧められ、複数の女性と出会うも、しっくりとこないゴードン。そんな中、監視ロボットの映像でたまたま捉えた、不幸な境遇にありがならも愛を信じるアユーシャを見つけ、惹かれていく。
アメリカで監視ロボットを操作するゴードン/ © Productions Item 7-II Inc. 2017
一方的に相手を見続ける男性と、見られ続ける女性という非対称な構図は、一見悪趣味なものに思えるかもしれない。しかし本作の端々に、テクノロジカルな恋愛以前(マッチングアプリ以前といってよいかもしれない)の恋愛映画と同様、あるいはそれ以上にピュアさを感じられるとすれば、それは、テクノロジーによって明るみになった、埋められない距離を埋めようとするゴードン、そして彼が操る虫型の監視ロボットの懸命さが真摯に描かれているからだろう。
ロボットのある動作が、ゴードンのピュアな思いを象徴する
本作は、アメリカの監視室=ゴードン側と貧しい北アフリカの地域=アユーシャ側という立場の優劣を、逆転させて描いているのがひとつの大きな特徴だ。確かにゴードンは常に見る側の立場にいるのだが、逆に言えば、彼は見ることしかできない。「わたしはあなたを知っている」「わたしはあなたを助けたい」、けれども「わたしはそこにはいない」「わたしは何もできない」。テクノロジーを介し、何もかも見えてしまうことによって生まれるこの痛切な距離の前で、彼は無力さを感じることしかできない。
アユーシャと監視ロボット / © Productions Item 7-II Inc. 2017
劇中、テクノロジーに批判的な盲目の老人が、ゴードンに「運命の人」を簡単に見極める方法を説く場面がある。「相手の匂いを嗅ぎ、キスをすること」。極めてシンプルな答えだ。しかし彼はそうシンプルには生きられない。明るみになった痛切な距離をどうしても生きなければいけないからだ。その「きみへの距離」を縮めるために「わたし(ゴードン)」が試みるのは、とても些細なことだ。それは「ともに歩くこと」である。
ゴードンが操作する監視ロボットが最も魅力的に映るのは、見るとき(監視するとき)ではなく、歩くときだ。すぐに故障し、スピードも出ない6足歩行の虫型ロボットは、痛ましい距離を、アユーシャとゴードンのアンバランスを埋めようと、アユーシャとともにひたすら歩く。本来無機質で、冷徹なロボットに対していつしか生まれる愛おしさは、そのままゴードンとアユーシャの間に芽生える、ピュアな感情とリンクする。
石油パイプラインの周囲を歩く監視ロボット / © Productions Item 7-II Inc. 2017
目の前にいればいるほど、まざまざと隔たりを感じざるを得ない、テクノロジーを介した現代版『ロミオとジュリエット』(本作の原題は『Eye on Juliet』だ)とでも言えるこの映画は、テクノロジー時代の新たな温もり、ロボットを介して「相手の匂いを嗅ぎ、キスをすること」を描こうとしている。
『きみへの距離、1万キロ』ポスター(サイトを見る)
- 作品情報
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- 『きみへの距離、1万キロ』
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2018年4月7日(土)から新宿シネマカリテほか全国で順次公開
監督・脚本:キム・グエン
出演:
ジョー・コール
リナ・エル=アラビ
フェイサル・ジグラット
ムハンマド・サヒー
上映時間:91分
配給:彩プロ
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