菊地成孔と行く『日本近代音楽の150年』展

いまから150年前、この日本ではどんな「音楽」が鳴っていたのか? 長い鎖国の終わりを告げる黒船軍楽隊の響きに始まり、西洋との出会いは政治、教育、娯楽とも絡み合いながら、日本の音楽を激変させていきました。そして、そこには、今日のポピュラーミュージックに直結するトピックも見えてきます。その様子を楽器、楽譜、レコード音源から関連アートまで304点を揃えて伝えるのが東京オペラシティ アートギャラリーで開催されている『五線譜に描いた夢 ─ 日本近代音楽の150年』展。今回はミュージシャンの菊地成孔さんをゲストに、このユニークな音楽の展覧会を体験。彼が「クラシック以外の音楽が好きな人たちこそ見るべき」と語った、発見にあふれる体験を紹介します。

文明開化の渦中における「日本近代音楽」の産声

開国以降、現代までの日本近代音楽の変遷をたどる4章構成の同展覧会、第1章はずばり「幕末から明治へ」。展示室入り口で観客を出迎えるのは、当時、日比谷野外音楽堂での演奏会を撮影した写真です。日比谷野音といえば、菊地さんにとっても豪雨のDCPRG復活ライブ(2010年)など、縁のある場所。現在「野音」といえば今年90周年を迎えた大音楽堂ですが、この小音楽堂がまず1905年(明治38年)に誕生しました。日本が近代国家を目指す歩みの中で生まれた軍楽隊などが、ここで定期演奏会をしたそうです。

東京日比谷公園音楽堂 国立国会図書館提供
東京日比谷公園音楽堂 国立国会図書館提供

菊地:黒船で上陸したアメリカの軍楽隊や、宣教師が伝えた讃美歌が日本の音楽に影響を与えたと話には聞いていましたが、実資料や楽器があると生々しくそれを感じとれますね。当然それまでにも隠れキリシタンなどを通して西洋音楽の影響はあったんでしょうけど、開国でそれがドカンと開いたというか……。ところで今回は明治学院大学の「日本近代音楽館」からの資料が中心だそうで、そもそもなぜこういった資料が明治学院大学に集まったんですか? 東京藝大でも慶応でも国立音大でもなくっていうのが面白い(笑)。

「それはですね」と答えてくれる心強い案内役は、同展監修者の1人、日本近代音楽館の岡部真一郎副館長(明治学院大学芸術学科教授)です。

岡部:もともとは音楽評論家の遠山一行さんが、日本近代音楽の研究・資料収集のため私財を投じて自ら設立した「遠山音楽財団」付属図書館を前身とする旧「日本近代音楽館」なんです。数十万点規模に増えた資料を然るべき機関に寄贈しようとなり、2010年に明治学院大学に移管されました。同大学の起源は、ローマ字表記のヘボン式でも知られるJ・C・ヘボンが1863年に横浜で開いた「ヘボン塾」です。その塾では英語で讃美歌が歌われていましたが、のちに日本語に訳されるようになりました。日本語で洋楽を歌う最初の試みとして、初期の讃美歌集や音楽関係の訳語編集は、日本の近代音楽史にも大きく関わる存在だったんです。

菊地成孔
菊地成孔

本展は、そんな日本近代音楽館の50万点に上る所蔵資料を中心に、全国から集めた資料304点で構成。第1章では、明治維新以降の日本が、近代式軍隊の設立において必然的に軍楽隊を導入することになった経緯や、教育にも音楽を導入しようと西洋の旋律で唱歌を作り出した流れを示す資料、さらに鹿鳴館(外国の賓客や外交官を接待するための社交場)での音楽会の様子を記録した錦絵や、畳部屋でバイオリンと尺八がセッションする様子を描いた『和洋合奏之図』(1906年頃)などが展示されています。

菊地:おぉ、こんな絵も残ってるんだ。ずっと後の時代に、異国趣味として西洋の楽曲に邦楽器を取り入れる試みがやり尽くされますが、この絵からはとにかく純粋に、新しい音楽を吸収しようという感じが伝わってきますね。

彭城貞徳『和洋合奏之図』1906年頃 長崎県美術館蔵
彭城貞徳『和洋合奏之図』1906年頃 長崎県美術館蔵

和音が美しく響く「純正調オルガン」に、今と変わらぬ日本人らしさを見る

一方で、日本人独特の発想もみられます。菊地さんが大きく反応したのは、見たこともない並びの鍵盤を持つ1台のオルガン。ドイツで音響学を学んだ田中正平が考案した「純正調オルガン」です。純正律とは、各音の周波数が正確に整数比になる音階。そのため和音がとても美しく響くのですが、転調するととたんに和音が濁ってしまいます。そこで転調を織り交ぜる演奏でも和音がある程度奇麗に聞こえるよう、1オクターブ中に音程を等間隔に並べたのが、現在主流の「平均律」。純正調オルガンはそこを妥協せず、なんと鍵盤の形を変化させることで、純正律の転調演奏を実現した発明品とも呼べる楽器です。

菊地:(実物と解説を交互に見ながら)ふんふん……これは展示第1章での「カマシ」としては相当な一品ですね(笑)。純正律で自由に弾けるピアノを作るには、鍵盤の数を増やさなきゃいけない。当然の理屈だけど、実際作っちゃったものがドンと目前にあるとインパクトがすごいです。ヘルムホルツ(音響学の分野で有名な科学者)に師事した日本人が開発したっていう武勇伝も、知らなかったけどいいですねぇ。

「純正調オルガン」1936年 国立音楽大学楽器学資料館蔵
「純正調オルガン」1936年 国立音楽大学楽器学資料館蔵

岡部:当時のドイツ皇帝の前でも演奏し絶賛を受けたそうで、ある発想を技術力でそのままカタチにしてしまうのは、日本人らしいという気もしますね。もともと西洋由来だったものをベースに、彼らにはなかった発想と技術力で進化させる。そこには後のソニーやパナソニックが電化製品で見せた才能に近いものも感じます。

田中正平採譜『長唄 越後獅子』1910年 明治学院大学図書館付属日本近代音楽館蔵
田中正平採譜『長唄 越後獅子』1910年 明治学院大学図書館付属日本近代音楽館蔵

大正時代からすでに始まっていた「日本語の歌詞問題」

続く第2章では20世紀に突入。題して「大正モダニズムと音楽」です。この時代には、明治以降に海外へ渡って見聞を広め、第一次大戦を前に帰国した留学生たちが中心となって、自分たちの音楽を模索し始めます。なかでもベルリンから帰国した山田耕筰(作曲家、指揮者)は、日本初のオーケストラ創設を始めとした多彩な活躍で知られるモダニストの代表格。その自筆楽譜や国内外での活動記録からは、当時のシーンを牽引した勢いが感じられます。

菊地:山田はニューヨークのカーネギーホールとか、海外でも自作曲の公演をしていたんですね。“赤とんぼ”などの童謡の作曲でも有名で、そのせいか、こじんまりした感覚で彼を捉える人もいるかもしれない。でもこうして見ると、活動のスケールがちょっとデモーニッシュ(悪魔的)と言ってもいい。作詞作曲から公演、雑誌の発行、執筆まで「全部やっちゃおう」というえげつないほどの意欲を感じます。肖像画も、スキンヘッドでけっこうな面構えですね(笑)。

伊藤清永『ある日の山田耕筰』1957年 明治学院大学図書館付属日本近代音楽館蔵
伊藤清永『ある日の山田耕筰』1957年 明治学院大学図書館付属日本近代音楽館蔵

岡部:他にも東京・帝国劇場でオペラ上演を行うなど、20世紀日本近代音楽の足がかりを作った人といえます。若くして海外で体験したものが、本人にとってもそれだけ大きかったのでしょうね。当時のドイツ表現主義などにも影響を受け、カンディンスキーらの版画展を東京で実現させたこともあったようです。

そうした芸術運動から、ジャンルを越えて芸術家が協力する動きにも刺激を受けたのでしょうか。山田は詩人・北原白秋と、雑誌『詩と音楽』を創刊、多数のエッセイも残しています。『詩と音楽』の実物展示では、日本語の歌詞と作曲の問題を論じた「歌謡曲作曲上より見たる詩のアクセント」のページが開かれていました。

菊地:まさに古くて新しい問題というか、その後ロックやヒップホップでも繰り返される「日本語の歌詞問題」そのままですよね。さりげなく展示してあるけど、そういった議論がこの時代からすでに発生していたのがありありと見て取れる。そういう意味での「こと始め」もここにあるわけですね。

伊藤清永『ある日の山田耕筰』1957年 明治学院大学図書館付属日本近代音楽館蔵
伊藤清永『ある日の山田耕筰』1957年 明治学院大学図書館付属日本近代音楽館蔵

岡部:大正時代は「我々の音楽を作ろう」という動きが本格的に始まった時代とも言えます。帝劇オペラと対照的な庶民派の浅草オペラなどもそうですし、作る側だけでなく音楽の大衆化も進んだ時代。これは大正デモクラシーで以前より個人が自由に音楽の表現に関わるようになったことなど、社会的な動きともリンクするものでした。

著作権問題や音楽批評など、パンドラの匣が一気に開いた時代

竹久夢二ら人気画家の絵が表紙を飾る「セノオ楽譜」シリーズの展示も興味深いものです。国内外の芸術歌曲から流行歌まで、幅広い楽曲を当時の音楽ファンのもとへ届けました。また、ロンドン留学を経験した音楽評論家・大田黒元雄らが創刊した同人誌『音楽と文学』は、日本における音楽批評の原点的存在。

菊地:「日本語の歌詞問題」と同様、大衆向け楽譜の流通や蓄音機の登場はずっと後の音楽著作権の問題にもつながっていくし、大田黒たちの登場で音楽も批評の対象になるんだという動きが出てくる。そのパンドラの匣がこの時期に一気に開いたというか。そういう意味でも、ここにポンと置いてある現物展示の数々には、創世記の勢いを感じます。

菊地成孔

岡部:楽譜も雑誌も、本来はこうして展示するのでなく、演奏したり、手にとって読まれるもの。ただ、ここには例えば中高生の皆さんでも、一つふたつは「えっ?」て思うものがあると思います。それは菊地さんが言うように、今の音楽の問題にもつながっているから。西洋の模倣や学習を越えて、「自分たちの音楽」をどう考えるかという時期に、こうした批評的な動きが生まれたのも偶然ではないと思います。

その他、ここでは今や年末の定番となったベートーヴェン「第九」日本初演奏のエピソード、また宮沢賢治や萩原朔太郎ら同時代の文学者と音楽の関係なども紹介。この頃登場した蓄音機の音源をもとに、国際的に活躍した日本のオペラ歌手の歌声なども聴くことができます。作り手側と聞き手の意識が並走し、音楽の楽しみ方も大きく変わった時代だったようです。


「戦争は音楽をねじ曲げ、殺した」のか?

勢いと活気に溢れる第2章と対照的に、第3章は控えめな照明の空間。それは、続く時代の空気を暗示するようです。1930年(昭和5年)、意欲あふれる若手音楽家たちが新興作曲家聯盟(現・日本現代音楽協会)を結成、海外の最新音楽動向も視野にいれた新ステージに踏み出しました。しかし翌1931年の満州事変から、日本は戦争の時代に進んでいきます。やがて「音楽は軍需品なり」との標語(!)も出現、時勢は音楽を思わぬ方向に転じさせることになりました。

平出英夫著『時局講演 音楽は軍需品なり』日本蓄音機商会 1941年 明治学院大学図書館付属日本近代音楽館蔵
平出英夫著『時局講演 音楽は軍需品なり』日本蓄音機商会 1941年 明治学院大学図書館付属日本近代音楽館蔵

岡部:戦争が起こると、ある意味では音楽家の活動機会が増えたのですが、同時に彼らが軍歌を手がけるといった状況も生まれました。また、この時代には近衛秀麿(作曲家、指揮者)らによる新交響楽団(NHK交響楽団の前身)の誕生もあります。彼らが1920年代からラジオ出演するなど、当時のメディアと音楽のつながりは国際的にも最先端を走っていました。一方で、流行曲と同時に信時潔による戦時歌謡“海ゆかば”(後に出征兵士を送り出す歌として多用された)が広まったものもラジオの力でした。メディアと音楽の関係上でもたいへん重要な発展期でしたが、そこに戦争が重なったことで、特殊な状況が複雑に絡み合った時代ともいえます。

『音楽報国挺身隊腕章』1943年 個人蔵
『音楽報国挺身隊腕章』1943年 個人蔵

菊地:良いときに悪いことが一緒に来たというか、いくつかの出来事は、思い出すことすらできないトラウマのようでもありますね。でも、単に「戦争が音楽を殺した!」という考え方だけではこぼれてしまうものもある。結局、音楽も戦争も人の営みで、今まで起こったことの上に現在があるわけだから。その時、音楽がどう振る舞ったのかを忘れないようにしないと、良くないことの繰り返しになってしまう。その点、この展示はただ「反戦」を訴える資料展示ではないだけに、考えさせてくれます。戦争はないほうがいいに決まっていますが、僕は音楽の中には構造的に、生死やセックスとの関係同様、戦争ってものが入っていると思う。そこに目を向けていくことは必要だと思っているんです。

菊地成孔

展示では、第二次大戦前夜の出来事も見られます。戦後に『ゴジラ』の映画音楽も手がけた作曲家・伊福部昭は1935年の『チェレプニン賞』の受賞を機に活躍を始めましたが、その賞の設立者=アレクサンドル・チェレプニンは、ロシア革命後にパリに亡命し、後に戦前のアジアを訪れて日中の音楽家育成に尽力した人物。また1940年開催の「紀元2600年」(神武天皇即位からの数え)を祝うイベント群において、ヨーロッパ各国の著名作曲家に委嘱したオーケストラ楽曲が歌舞伎座で披露されるといった出来事もありました。いずれも当時の楽譜や写真が展示されています。

多くの現代音楽家たちが、様々な実験を繰り広げた大阪万博

最終章となる第4章は「戦後から21世紀へ」。戦後復興と並行して展開されていく、現代音楽の動向が紹介されます。まず目にとまるのは、若き作曲家や美術家、詩人らが集った「実験工房」にまつわる美術作品。福島和夫らによる音楽と映像を組み合わせた作品や、佐藤慶次郎による、五線譜のようにも見える不思議な電動オブジェなど。それらは新しい時代の息吹を伝えるようでもあります。

菊地:最近のアーティストは自分で映像を撮って、自ら音も付けてという感覚が当たり前ですけど、この頃は音楽と美術の境界というのが意識されていた時期のようですね。武満徹さんなんかは、わりと気楽に作曲以外のこともしていた印象ですが、逆に前衛芸術グループ・フルクサスの小杉武久さんなどは、より意識的に取り組んでいたようにも思えます。

佐藤慶次郎『ススキ3B』2007-09年 個人蔵
佐藤慶次郎『ススキ3B』2007-09年 個人蔵

ジャンルの垣根を越えたアーティストたちが協働する傾向も、この時期にはあったようです。フルクサスといえば、その活動にも関わっていたジョン・ケージが、菊地さんの生まれる前年・1962年に来日公演を果たしています。彼の前衛的な表現は、当時の日本の若き音楽家たちにも大きな影響を与えました。

菊地:最近CDにもなったケージの初来日公演があって、このときはオノヨーコさんとの競演もあった。まだジョン・レノンと出会う前だから、最初のジョン&ヨーコですよ(笑)。そして、これ以降の時代は、僕にとってぐっと身近になります。1970年の大阪万博も親と一緒に行きました。まだ子どもだったんで、さすがに「シュトックハウゼン聴きに行く」(ドイツ館で楽曲が披露された)とか、そういう感じじゃなかったですけど(笑)。

岡部:大阪万博は、日本近代音楽史的にも大きな出来事でした。開会式の音楽が三善晃の“祝典序曲”だったのを始めとして、テーマ館で一柳慧の電子音楽が、鉄鋼館では武満徹の楽曲が、また繊維館では湯浅譲二のテープ音楽が使われるなど、当時の前衛音楽が大きな役割を果たしました。予算もたくさんあったので、多くのアーティストが集い、技術的にも様々な実験をすることができたんです。

武満徹、一柳慧企画構成『オーケストラル・スペース』volume1 日本ビクター 1966年 明治学院大学図書館付属日本近代音楽館蔵
武満徹、一柳慧企画構成『オーケストラル・スペース』volume1 日本ビクター 1966年 明治学院大学図書館付属日本近代音楽館蔵

この時代に現代音楽の旗手たちが取り組んだ実験性は、展示されている自筆楽譜からも垣間見られます。方眼紙に書かれた回路図のような湯浅譲二の『芭蕉の情景』(1980-89年)、音符の洪水のような、武満徹の『ノヴェンバー・ステップス』(1967年)。特に『ノヴェンバー・ステップス』は、オーケストラ演奏に尺八と琵琶という和楽器が対峙する構成の異色作で、国際的に高い評価を獲得しました。

菊地:後にワールドミュージックが広まって以降、西洋と東洋の音楽を融合させる試みのほとんどはクリシェやパロディーになってしまいました。でも“ノヴェンバー・ステップス”が初演されたときは、尺八奏者の方が「もしブーイングが起きたら、武満さんと一緒に腹を切るんだ」との覚悟で臨んだとも聞きます。

岡部:そう。でもそうした試みにおいて革新的な存在だったこの曲でも、オーケストラと和楽器のパートは分かれ、同時に演奏する瞬間はなかった。そこは後の試みの中でまた変わっていくんです。問題意識を1つずつ乗り越えていく過程で、それなしでは先に進めなかった試みがあるのだと思います。五線譜の扱いの変遷について言えば、いまでは「Finale」などのソフトウェアで奇麗にコンピュータ出力される。ただ、そういう楽譜と、ここにあるような自筆の楽譜とでは、また伝わるものが違うんですよね。各々できることとできないことがあり、どちらが良い悪いとは単純には言い切れない。そこに音楽の本質もある気がします。だからこそ、今回のような展示にも価値があると思っているんです。

「何かに喘いで考えてる人こそ、これを観たらいいと思う」(菊地)

展示を見終わった菊地さんに、引き続き岡部さんにも同席してもらいながら、改めて感想を聞きました。

菊地:今の若い人は長い講釈が嫌いだから、シンプルに言いますね(笑)。これはお世辞でも何でもなく、素晴らしい展示。第一にはまず足を運んで、実物を観るのをお勧めします。「クラシック」や「150年前の音楽」なんて自分に関係ない、という人も多いと思う。でもこの展示からは、現在のポップミュージックを含めた音楽カルチャー全体が抱え込んだ、未だ解決の目処が立たない問題が、ずっと以前から続いてきたことがよくわかります。ここでの「問題」とは、「問題もまた楽し」といった類いのものですけどね。

菊地成孔

現在の問題にも引きつけながら過去の歴史を楽しむ、その際には各章ごとの展示室にある映像解説も手助けになりそうです。ところで、菊地さんの音楽活動のベースとなっているジャズもまた、西洋から日本に持ち込まれた音楽です。そういった立場からも、この展覧会に何か感じるところはあったのでしょうか?

菊地:ジャズの話を持ち出すと、そのルーツ自体が複雑で、また話がややこしくなってしまうんだけど(笑)。まず、今日の展覧会でも紹介されていた、明治、大正の時代に活躍した人たちっていうのは、みんなものすごくお金持ちのエリートなわけですよ。で、単純にジャズをブラックミュージックだと捉えると……実際はかなり「白い」し、かなりバッハなんだけど(苦笑)……ロックはホワイトミュージックだってことになります。でもロックもブルースがなければ生まれてないわけで、そもそもは北米にアフリカの人たちがきて、もがきながらやってくところから色々生まれていった。他方で、クラシックはヨーロッパの白人上流階級によるエレガントな文化って位置づけが一般的にあって、でも実は日本で最初にヒップホップを持ち込んだ人たちだって、多くは中産階級以上の人だったり、帰国子女で日英バイリンガルだったり、ある意味エリートとも言える……。

岡部:そうなんですよね。

菊地:そういう状況の中で僕としては、ほんとにストリートヘッズと呼ばれている、ちょっと悪いこともしてるような人たちと、こうした芸術と言われるものとの距離を常に考えているんです。この展覧会のテーマはジャズではなく近代音楽だけど、そういう視点から僕が案内人的に声高に言えることがあるとしたら「クラシックの人はもう来ないでいいです」と(笑)。つまり、もっと「日本語ラップって何だ?」とか「リアリティーって何だ?」とか、何かに喘ぎ、考えている人こそ、こういう展覧会を観ればいいと思うわけです。単に音楽活動で行き詰まっている人以外にも、簡単に音楽が作れる現代という状況に喘いでる人もいるでしょう。あるいは音楽にとどまらず……戦前のプロレタリア音楽運動の展示もありましたけど……お金のあるないが現実的にはどういう意味を持つのかとかね。貧困だけじゃなく、もしくは平和というものに喘いでる人もいるかもしれない。

展示風景
展示風景

確かに菊地さんの活動には、異なる世界をブリッジオーバーするような動きも多々見られます。例えば、大谷能生さんとのユニット、Jazz Dommunistersでは、二人がこれまで培ってきた音楽的経験値をあらためてヒップホップというフォーマットに落とし込み、独自の音楽世界をリスナーたちに届けました。

菊地:単にブリッジオーバーする人が出てくればいい、って言うつもりはないんですけどね。ただ、例えばヒップホップでフロウと呼ばれる節回しや「なまり」の問題だって、今日見てきたようなこととつながっている。本当はそういう部分でみんなのリテラシーを上げていくのも、僕らみたいなミュージシャンがすべきことで。実際は「未だ努力実らず」な感もありますけど(苦笑)。

「お金持ちも貧乏人も、クラシックもヒップホップも、みんな苦しいと思うんです。だからこそお互いがもうちょっと仲良くすれば、少しは苦しさも軽減できて、かつ、目もより開くのではと思っていて」(菊地)

「リテラシー」と言えば、菊地さんは音楽以外に執筆活動や、東大や藝大での音楽講義なども積極的に取り組んでいます。一体何がそうさせるのでしょうか?

菊地:そこだけ言うと大先生みたいだけど、実際は出も育ちも良くないですよ、料理屋のせがれで高卒ですから(苦笑)。ただまぁ自分の考えでは、お金持ちも貧乏人もみんな苦しいし、クラシックもヒップホップも苦しいと思うんです。だからこそお互いがもうちょっと仲良くすれば、少しは苦しさも軽減できて、かつ、目もより開くのではと思っていて。もちろん個人的な考えですけど、それで要するにボーダーライナーっていうか、こういう仕事をしているとは言えます。

岡部:ご自分のラジオ番組での選曲もそうですね。あらゆるジャンルを越境するというか。前に菊地さん、ラジオでカールハインツ・シュトックハウゼンの“ヘリコプター弦楽四重奏曲”をかけたでしょう。ヘリコプター4台に1人ずつ弦楽奏者が乗って演奏し、音を電波で飛ばし合って合奏するっていう。深夜のラジオでそれを流すなんて、すごい!(笑)

菊地:あ、あれはJ-Waveでお正月に、ことほぎの音楽として(笑)。確かに今やってるラジオでも、1940年代のジャズもかけるし、現代音楽もヒップホップもR&Bもかける。それは下手すると、とっちらかって終わりになっちゃうかもしれない。でも僕としては、対立する階級もしくは陣営があって、その間に立つってことに意味を見い出してるところもあります。なので、こういう展覧会を体験したときも「これはいろんな人が見たらいい」と思っちゃうんでしょうね。

岡部:菊地さんが言う「リテラシー」とは、単に情報や知識というよりも、誰が何をするにしても必要となってくる「普遍的な何か」ということではないでしょうか。今日はお話できてとても刺激になりました。

開国から現代にわたる、日本の近代音楽の歴史を追いかけた美術館での時間旅行。実は字数の関係で収録できなかったお話も多々ありますが(「現代音楽はMIDI文化をスルーしたのか?」「五線譜は初期のマリオブラザーズみたいなもの」などなど)、それはまたいつかの機会に。遠い過去の出来事や、一見すると自分に縁のなさそうな領域にこそ、豊富なヒントがあるのかもしれない――そんなことを教わったひとときでもありました。楽譜が読めなくても全然OKなこの「音楽の展覧会」、気になった方はぜひ訪れてみてはいかがでしょう。

イベント情報
『五線譜に描いた夢 日本近代音楽の150年』

2013年10月11日(金)〜12月23日(月・祝)
会場:東京都 初台 東京オペラシティアートギャラリー
時間:11:00〜19:00、金・土曜11:00〜20:00(いずれも入場は閉館30分前まで)
休館日:月曜(祝日の場合は翌火曜)
料金:一般1,000円 大学・高校生800円 中・小学生600円

『ミニコンサート』

『第1回 幕末・明治の器楽曲』(※終了しました)
2013年11月2日(土)13:00〜、15:00〜
会場:東京都 初台 東京オペラシティアートギャラリー
演奏楽曲:
瀧廉太郎“憾””“”メヌエット”
幸田延“ヴァイオリンソナタ 変ホ長調”
ほか

『第2回 明治のうた』
2013年11月9日(土)13:00〜、15:00〜
会場:東京都 初台 東京オペラシティアートギャラリー
演奏楽曲:
瀧廉太郎“荒城の月”
岡野貞一“故郷”
ほか

『第3回 西洋の音・日本の響き』
2013年11月16日(土)13:00〜、15:00〜
会場:東京都 初台 東京オペラシティアートギャラリー
演奏楽曲:
萩原朔太郎“機織る乙女”
宮城道雄“春の海”
ほか

『第4回 大正ロマンのうた』
2013年11月23日(土・祝)13:00〜、15:00〜
会場:東京都 初台 東京オペラシティアートギャラリー
演奏楽曲:
スッペ『ボッカチオ』から“ベアトリ姉ちゃん”
山田耕筰“からたちの花”
ほか

『第5回 しのびよる軍靴の音』
2013年11月28日(木)14:00〜
会場:東京都 初台 東京オペラシティビル3F 近江楽堂
演奏楽曲:
橋本國彦“斑猫”
松平頼則“フリュートとピアノのソナチネ”
ほか
定員:100名(要整理券)

『第6回 昭和の戦時歌謡』
2013年12月7日(土)13:00〜、15:00〜
会場:東京都 初台 東京オペラシティアートギャラリー
演奏楽曲:
古賀政男“丘を越えて”
林伊佐緒“出征兵士をおくる歌”
ほか

『第7回 新時代のメロディ』
2013年12月14日(土)13:00〜、15:00〜
会場:東京都 初台 東京オペラシティアートギャラリー
演奏楽曲:
團伊玖磨“花の街”
武満徹“翼”
ほか

『第8回 戦後の器楽曲』
2013年12月20日(金)14:00〜
会場:東京都 初台 東京オペラシティビル3F 近江楽堂
演奏楽曲:
黛敏郎“BUNRAKU”
三善晃“弦楽四重奏曲第3番『黒の星座』”
ほか
定員:100名(要整理券)

料金:各公演 無料(当日の展覧会入場券が必要)

プロフィール
菊地成孔 (きくち なるよし)

ジャズメンとして活動 / 思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽 / 著述活動を旺盛に展開し、ラジオ / テレビ番組でのナビゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画 / テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。「一個人にその全仕事をフォローするのは不可能」と言われる程の驚異的な多作家でありながら、総ての仕事に一貫する高い実験性と大衆性、独特のエロティシズムと異形のインテリジェンスによって性別、年齢、国籍を越えた高い支持を集めつづけている、現代の東京を代表するディレッタント。2011年、ジャズの名門レーベルimpulse!からDCPRG名義で『Alter War In Tokyo』を発表。主著はエッセイ集『スペインの宇宙食』(小学館)、マイルス・デイヴィスの研究書『M/D〜マイルス・デューイ・デイヴィス3世研究』(河出新書 / 大谷能生と共著)、レギュラーはTBSラジオ『菊地成孔の粋な夜電波』など。最新アルバムはJAZZDOMMUNISTERS『BIRTH OF DOMMUNIST〜ドミュニストの誕生』(ビュロー菊地)。



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