ポル・ポト派による独裁政治や、その後の激しい内戦と、20世紀後半を通してアジア最悪とも言われる歴史を歩んできたカンボジア。1993年の内戦終結から23年、近年では著しい経済成長を見せる同国で、2015年11月、国際交流基金アジアセンターによる『カンボジア日本映画祭』が開催された。
日本のスタッフだけでなく、カンボジアの学生が選んだ日本映画が、首都プノンペンの複数の映画館、劇場で上映された同映画祭は、両国の文化交流の促進を目指し、今後も毎年続いていくという。しかし、そもそも映画をはじめとする日本のポップカルチャーは、カンボジアでどのように受け止められているのか? また、同国の映画をめぐる歴史と現状とは、どのようなものなのか? わたしたちの多くは、それについてほとんど知らない。
そこで今回は、11月5日に行われた同映画祭オープニングの現地取材を決行。カンボジアに詳しい多くの専門家に話を聞いた。日本文化の「すばらしさ」がメディアで盛んに叫ばれる一方で、コンテンツの輸出に多くの課題が指摘される昨今。彼らの話からは、そんな停滞に風穴を開けるような新しい文化交流の姿、そしてアジア像が見えてきた。
(メイン画像:©2008おくりびと製作委員会)
平均年齢「24歳」と言われる圧倒的な若者社会・カンボジア
日本にとってのカンボジアは、言うまでもなく、アメリカやヨーロッパよりもはるか近くに位置する国だ。今回の取材もわずか1泊3日の強行軍であったが、裏を返せば、週末で行って帰って来られる国、それがカンボジアである。ただ、その国のイメージはというと、どうだろう? おそらく多くの人は、アンコールワットの遺跡群や、1970年代後半のポル・ポト率いる武装勢力「クメール・ルージュ」による独裁政権、またその結果としての数百万人規模の大量虐殺や内戦の歴史といった、大文字のイメージを浮かべるのではないだろうか。ましてや、国民の平均年齢が「24歳」と言われる圧倒的な若者社会の同国で、人々がどんな現在進行形の文化を楽しんでいるのか、リアルに知る人は少ないはずである。
そのカンボジアで、日本の映画を紹介する祭典が開催されるという。上映作品には、『第81回アカデミー賞 外国語映画賞』のほか、国内外で映画賞を総なめにした『おくりびと』(2008年)や、『第35回日本アカデミー賞』で10冠を獲得した『八日目の蝉』(2011年)、巨匠・小津安二郎の『秋日和』(1960年)、沖浦啓之監督によるアニメーション『ももへの手紙』(2012年)、日本・フランス合作のドキュメンタリー『千年の一滴 だし しょうゆ』(2015年)といった、時代もジャンルも異なる17本の名作、話題作が並ぶ。しかしいったい、シンガポールやタイなど他のASEAN諸国に比べても馴染みが薄いと言える同国で、映画事業を行うのはなぜなのか。取材をアテンドしてもらった、国際交流基金アジアセンターの作田知樹に聞いた。
作田:たしかに日本人にとって、カンボジアは近くて遠い場所ですよね。『カンボジア日本映画祭』開催の背景の1つには、2014年に国際交流基金にアジアセンターが設立されたことがあります。国際交流基金は1972年の設立当初より東南アジアとの文化交流を重視して、ジャカルタやバンコクをはじめとする同地域の事務所を軸に事業を行ってきたのですが、カンボジアやラオス、ミャンマーなどには拠点がなかった。その状況がアジアセンターの誕生で変わりつつあるので、こうした国々とも息の長い双方向的な文化交流をしていく下地作りをはじめたんです。
また、カンボジアが開催地に選ばれたことの背景には、近年の『東京国際映画祭』での展開もあったという。2014年、同映画祭と国際交流基金アジアセンターは、文化の違いを越え国際的に活躍するアジアの才能の発見を目的に『国際交流基金アジアセンター特別賞』を設置。その第1回をカンボジアの映画監督ソト・クォーリーカーが受賞した。国際交流基金内では近年、これまで各国でバラバラに開催していた日本映画祭を、1つのブランドでより統一的に行っては? という話が上がっていたが、そんな折、クォーリーカーの受賞があり、彼女の強いコミットもあって、他の国に先駆けてカンボジアでの開催が決定したのだという。
韓国や中国に完敗している、日本のポップカルチャーの知名度
だが、こうした開催に至る経緯は理解できても、どうにも見えないのが現地の状況だ。そもそも日本のポップカルチャーは、カンボジアで親しまれ、求められているのか? 日本大使館の担当者によれば、三味線、民謡、空手といった伝統芸能や武道、『ドラえもん』など定番アニメの人気は高いが、活字文化が進んでいないため漫画の知名度は低く、音楽市場はK-POPに押され気味だという。実際、プノンペン市内を視察中、自動車や電化製品、食品に日本ブランドのものは多く目にしたが、ポップカルチャーに関する影響の片鱗は見られなかった。
このような状況は、肝心の映画や映像作品にしても同様だ。国外68か国で放映されたNHKテレビドラマ『おしん』(1983~84年)のような過去の名作は知られていても、現在のカンボジアの人々に人気を誇るのは、韓国や中国の映画にドラマ。同国の文化芸術省大臣を務めるプーン・サコナによると、若者に新しい流行が生まれた場合、その影響源だとまず言われるのが韓国や中国のカルチャーだというほど、日本の存在感は薄い。その理由は何なのか。プーンの回答が興味深かった。
プーン:たとえばテレサ・テンの曲のメロディーは、過去にいくつもの映画で使われ、国民に親しみを持たれています。ただそれが日本から来たことは、日本側のアピールがなかったため、ほとんど知られていません。大事なのは、カンボジアの若者が将来への理想を持とうとしたとき、日本を思い出すような環境があるのかどうか。日本人や日本製品への信頼は厚いので、日頃の接触面が増えれば、ポップカルチャーも広がる素地は十分にありますよ。
独裁政権によって破壊された「カンボジア映画」の黄金期
面白いことに、このような文化芸術省大臣・プーンの考えは、主催者である国際交流基金アジアセンターの目標とも重なる。
作田:われわれの目的は、日本の製品や作品の輸出を推し進めることではありません。むしろ、文化的な側面から日本のイメージを一新する試みをしたいのです。たとえば国際交流基金では、19年前の1997年から、毎年オーストラリアのシドニーでも『日本映画祭』を開催しているのですが、いまでは日本に関心がない人でも、同映画祭の存在は知っている。このように、2つの国につながりがあるという事実を生活のどこかで意識する状況を生み出すことが、重要だと考えています。
製品や日本食、伝統文化は知られていても、ポップカルチャーはほとんど知られていない。そんなカンボジアにおける日本の立ち位置が見えてきたが、その認識の薄さは逆に、日本から同国へのまなざしにおいても同様だ。カンボジアで韓国や中国の映像コンテンツが人気を得る一方、それが自国の映画ではないのはなぜなのか。つまり、カンボジアにおける映画産業はどのような歴史と状況を持つのか、私たちはほとんど知らないだろう。
同国の歴史的映像資料の収集保存および映像制作者の養成活動を行う「ボパナ視聴覚リソースセンター」の荒井和美によれば、カンボジアでは1960年から1975年にかけて、映画産業の黄金期があった。自身も映画制作に関わっていた当時のノロドム・シアヌーク国王の庇護のもと、この時期のカンボジアでは15年間で約400本の映画が制作され、プノンペン市内には30館ほどの映画館が存在したという。ジャンルではファンタジーが人気で、映画は市民の唯一の娯楽だったが、1975年のクメール・ルージュ政権の誕生によって、この状況は一変する。
荒井:クメール・ルージュ政権がプノンペンを掌握して以後、文化芸術としての映画は禁止され、黄金期の映画のほとんどが失われました。映画制作者や俳優は虐殺の対象となり、生き残った映画人は国外への逃亡を余儀なくされたんです。唯一、プロパガンダ映画の制作は推奨されましたが、政権幹部内には技術がなかったため、撮影はその種の映画制作に長ける同盟国・中国の主導で行われました。内容は革命の正統性を喧伝するもので、上映された際、鑑賞者には拍手や笑顔が強要されました。
こうした状況はその後の内戦による混乱の時期を経て、和平協定が調停された1990年代初頭まで続いた。それから約4半世紀、映画産業は徐々に復興の兆しを見せつつあるものの、「制作予算や機材だけでなく、教育機関や人材の圧倒的な不足のため、良質な国産映画を安定的に制作する状況にはいまだない」と荒井は言う。このようなカンボジアにおける文化的継承の欠如、映像関係者の経験値の低さを眺めれば、同国で日本映画の存在感が薄いことは、単に日本のコンテンツ輸出者の努力不足とは言い切れない。『カンボジア日本映画祭』の出品作『千年の一滴 だし しょうゆ』の監督であり、若手カンボジア映画制作者や学生の人材育成のため、今回現地で講演およびワークショップを行った柴田昌平に聞いた。
柴田:日本の映画制作が、アジア諸国の観客も視野に入れるようになれば、脚本やキャスティング、撮影や編集の方法も変わるでしょう。それは魅力的な作業ではありますが、あらゆる面で負担の大きな作業でもあります。その手間の煩雑さや予算の問題が、日本の映画プロデューサーをアジア各国への輸出から遠ざけてきた一因ではないでしょうか。一方、韓国の映画・テレビドラマの場合、政府が国家戦略として映像輸出を後押しし、制作者側への資金的なリターンを補っています。このようなスキームの変化か、あるいは現地の変化がなければ、状況は変わらないと思います。
爆発的な経済成長を見せるカンボジアで、日本のポップカルチャーが踏み出した「新たな一歩」
海外の作り手との共同制作の経験も豊富な柴田が指摘するのは、輸出先の国が輸出元にとって「発信してもリターン(収益)が小さい場所」、つまり輸出先として魅力的でない場所であった場合、民間のビジネスの力だけでは限界があるという側面だ。この指摘は、カンボジアで活動するクリエイターグループ「Social Compass」代表、中村英誉の以下の発言とも響き合う。
中村:日本のコンテンツが海外に伝わりづらい理由の1つは、現地メディアへの投資を長期的な視野で行ってこなかったことにもあります。カンボジアの人気テレビチャンネル「My TV」のコンテンツの多くは韓国のものですが、韓国の場合、安い放送料で莫大な量のコンテンツをアジア諸国に大量投下してきた国策の成果が大きいですね。投資的にメディアを押さえなければ、日本の印象は薄いままでしょう。
今回の取材中、プノンペン市内を回っていて、その活況ぶりに驚かされた。商品や食べ物が雑然と並ぶ昔ながらのマーケットがある一方、そこから車で数分も行かない場所では、湖を埋め立てた更地にタワークレーンがそびえ、現地の富裕層や外国人向けのラグジュアリーホテルや高級マンション、ショッピングモールが林立する。そんな光景を目の当たりにした。つまり、グローバル資本が流入している現状に見た経済成長の可能性から言えば、カンボジアには十分、輸出先としての魅力がある。ただ、そこにより強い確証がなければ、日本の輸出関係者が動きにくいことも事実だろう。
韓国や中国では、その「一歩」を国が支えることで、市場をある意味「力技」で開拓してきた側面があるわけだが、良くも悪くも国と民間が切り離された日本では、そうした試みが行われにくかった。だからこそ、必ずしも営利的なリターンを必要としない国際交流基金のような機関による、地道な「一歩」が持つ意味は大きいだろう。そうしてはじまる『カンボジア日本映画祭』。当日、その会場にはどんな風景が広がるのだろうか。
カンボジアの学生たちが観たい「日本映画」をプログラム
11月5日の『カンボジア日本映画祭』オープニングは、プノンペンでもっとも格式高い劇場とも言われるリバーサイドの「国立チャトモック劇場」で行われた。17時半、会場に到着すると、玄関前には小規模ながらレッドカーペットが敷かれ、国内外のメディアが集まっていた。華やかな雰囲気のなか、会場脇に止めた高級車から降りてくるのは、カンボジアの要人たち。俳優に各省大臣、さらにソー・ケン副首相まで訪れたのには驚いたが、同国内での今回の映画祭の重要性が伝わってくる。ただ雰囲気は、いたって和やかだ。
参加者はまず、劇場の1階でレセプションを楽しんだ。ここでは、先にも登場した文化芸術省大臣のプーン・サコナや、カンボジア教育青年スポーツ省次官補のサムディ・シヴァタナ、同国でビジネスや日本語の教育を行う、カンボジア日本人材開発センター(CJCC)所長のウーン・クムらに話を聞けたが、いずれからも、両国のポップカルチャーに関する交流の未開拓性への指摘があった。やはりこの認識は、同国で広く共有されているようだ。
その後、映画祭の開催を記念し、階上の大規模な劇場において『おくりびと』の上映が行われた。2時間強の上映中、満席の会場からは笑い声や嗚咽の音がもれ、退場時に話を聞いた観客からも、「人生についての深い洞察を感じた」(40歳男性、ラジオ局職員)などと、好意的な感想が多く聞かれた。なかには、同作で描かれる死者の弔い方に、「カンボジアの文化との共通性を強く感じた」(18歳女性、学生)という声も。少なくない観客が「日本映画は初体験」と語るなかで、「納棺師」という日本の文化に焦点を当てた『おくりびと』の世界観が、目新しさよりもむしろ、共感を持って受け止められている様子が興味深かった。
こうした反応の背景に「ローカルに基づく意識」があったと語るのは、今回の映画祭のかじ取り役を担った国際交流基金アジアセンターの許斐雅文だ。先の作田の話にもあった通り、国際交流基金では19年前よりシドニーで『日本映画祭』を開催しているが、許斐はその試みを立ち上げた張本人。「カンボジアには、シドニーでの経験をつぎ込んだ」と言う。
許斐:今回の出品作の選定には、ぼくらだけでなくカンボジアの大学でメディアを専攻する学生が関わっているんです。日本で文化紹介というと、どうしても「日本人が見てほしいもの」を選びがちですよね。でも経験上、このやり方では現地の人々を惹き付けられません。そうではなく、8割は現地の人が見たいもの、2割は日本人が見てほしいものを選ぶというのが、ぼくの信念。同じ意識から、字幕にも気を配りました。多くの日本映画祭では英語の字幕のみが付けられますが、カンボジアの人口の多数を占めるクメール人のなかには英語が読めない人も多い。クメール語の字幕にも徹底的にこだわりました。また、ローカルの人たちの意識を高めるのに重要な要素は、徹底した現地主導型の運営体制とマーケティングです。そのため、ソト・クォーリーカー監督を中心としたスタッフと100名を超すボランティアで運営組織を構成しました。
結果として今回の『カンボジア日本映画祭』には、会期を通して約5千4百人の観客が集まり、開催に先立って設けられたFacebook特設ページには、1か月足らずで約2万の「いいね!」が付いたという。もちろん、一朝一夕の視点で測れないのが文化交流であり、その真の成果がわかるのは、まだまだ先のことになるだろう。ただ、カンボジアの国内に日本のカルチャーへの潜在的な関心があることは、今回の反応からも十分に感じられた。
「みんながハリウッド映画を目指す必要はない」(柴田)
『カンボジア日本映画祭』のラインナップが、カンボジアの学生たちの感性によって「ローカライズ」されていたように、文化交流や輸出においては、自国文化の「すばらしさ」をただ誇示し、押し付けるのとは根本的に異なる、現地の人々との共通点や相違点の丁寧な検証が重要になるだろう。言わば、誰にとっても親しみやすく、偏ったところのないストーリーテリングと、莫大な資本力を使って世界に乗り出していくハリウッド映画的なやり方の真逆を行くような方法論。「それぞれの国、地域には、その住民独自の感性や課題がある。みんながハリウッドを目指す必要はない」と語るのは、柴田監督だ。
柴田:怖いのは、海外での展開を念頭に置きすぎたために、アジアの映像制作者がこぞってハリウッドを真似てしまうことです。映画制作の根本には、ローカルな欲求にローカルな映像で応える、そうした確固としたローカリズムがあるべきでしょう。そのなかから、ある作品がときに地域性を越え、ユニバーサルに発展することもあるのです。
柴田はそのうえで、映画祭に関連して訪れたカンボジアの大学での、学生との交流についても語ってくれた。彼の出品作品『千年の一滴 だし しょうゆ』は、和食を入口に人間と自然の共存関係を問うドキュメンタリーだが、劇中に描かれた焼畑のシーンについて、鑑賞後の学生から「焼畑は自然破壊ではないのか?」との質問を受けたという。
柴田:彼らには、伝統的な焼畑農業が「時代遅れで恥ずかしいもの」という意識があったようです。ただ、焼畑が悪というのは欧米の視点であり、いまでは有効なエコシステムとして認識されはじめています。小さなことですが、映画を通して現地の若者と、アジアで続く文化の共通性と可能性を語り合えたことは大きかった。アジアが欧米に向けて発信できるコンセプトは、「自然と人間の共存」「自然を踏まえた伝統文化の継承」だと思います。映画の上映や共同制作によってこの意識を育てていければ、人類のもう1つのあり方を示す場所として、アジアの価値は高まっていくと思っています。
価値観の押し付けや盲目的な受容ではなく、あくまで地域の独自性に目を向けながら、発見される共通性。柴田監督とカンボジアの学生との小さな共鳴は、そんな未来型で解像度の高い、文化交流の1つのモデルを示しているように思える。そして、そこから見えてくるのは、日本からカンボジアへ、カンボジアから日本へ、といった国単位のまなざしには還元されない、異なる背景を持った個人が共通の関心を軸に互いの場所を行き来するような、アジアの姿ではないだろうか。最後にふたたび、作田の話に戻ろう。
作田:そのアジア像は、まさにアジアセンターの目指すものです。「日本のものを持っていく」ではなくて、それぞれの地域の固有性を理解しつつも、国のなかも外もない、人の混じり合いが生まれるところまでいけたらいい。日本とアジア諸国には、日本と欧米にはない、共通性や交流の歴史がある。映画祭を通じた交流は、いずれ文化を超えて、その関係性を咀嚼するチャンスにもなると思います。
「近くて遠い」、そんなカンボジアの地ではじまった『カンボジア日本映画祭』は、かつてヨーロッパの人々がEUに見た理想にも似た、新しいアジアのあり方を垣間見させる。この先も毎年続けられるという同映画祭によって、カンボジアからはどんな反応があるのか。ドアはまだ開いたばかりだが、その奥に広がる風景は、見続ける価値のあるものだろう。
- イベント情報
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- 『カンボジア日本映画祭』
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2015年11月5日(木)~11月10日(火)
会場:カンボジア プノンペン チャトモック劇場、イオンモール、TKアヴェニュー
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- 『カンボジア日本映画祭』
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2015年11月5日から10日まで開催されたカンボジア初の大規模日本映画祭。首都プノンペン市内のイオンモール及びプノンペン郊外のトゥール・コークの2会場で、全17作品(クメール語及び英語字幕付)を上映し、約5400人を動員した。現地の視点を重視した作品選定を行い、オープニングの『おくりびと』をはじめ、『ビリギャル』や『奇跡のりんご』などのメジャー系から『東京国際映画祭』の日本映画スプラッシュ部門受賞作『100円の恋』などのインディペンデント系まで、幅広い層が楽しめるバラエティに富んだ作品を揃えた。また、若手カンボジア映画制作者や学生の人材育成のため、ドキュメンタリー映画『千年の一滴 だし しょうゆ』の柴田昌平監督を現地へ派遣し、講演及びワークショップを行った。
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