『WIRED』日本版編集長・若林恵が解任。テキストをCCで公開

久しぶりに若林さんにメールをしたら、その返信が「実は辞めるんですよ」からはじまったものだから、打ち合わせ中に思わず「え!?」と発してしまった。

情報が、「何を言うか」と同じくらい「誰が言うか」が大切な中で、その発信元の主権がメディアから個人に移行したこの10年。その中でもなお圧倒的な「メディア力」を日本国内で保持し続けてきたのが『WIRED』日本版であったということは、少しでもメディアに関心がある人であれば納得いただける事実だと思う。そしてそれはやはり、編集長の才能と熱量があまりに強烈だったが故に担保されていたということも、同誌を愛するみなさんだったらご存知のはずだ。

かくいう筆者も、毎号毎号、若林さんが書く特集の前書きが楽しみで、(こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、どうしても時間がとれないときは)そのイントロダクションのページだけを読む号もいくつかあった。それくらい、この2010年代にあって、あの言葉はいつも輝いていて、優しく、痛快で、見逃せないものだった。

そして、2017年12月22日、やはり突然、以下の原稿が「WIRED.jp」で公開された。クリエイティブ・コモンズで掲載されたため、若林恵編集長のこれまでの活動への敬意と感謝と共に、その全文を掲載させていただく。

―『WIRED』日本版のプリント版、なくなるんですか?

少なくとも来年の3月発売号は出ないことになりました。その時点で定期購読も終了して、定期購読中の方については返金させていただいて、それ以後のプリント版の継続については白紙。というのが現状。

―えー、なんで休止なんですか?

ぼくが編集長を下りることになったんで。

―あれま。でも編集長が辞めると、なんで雑誌が出なくなるの?

さあ。そこは会社の判断。

―で、なんで編集長辞めるんですか?

例によって短気をおこしたのね。

―でた(笑)。まったく、相手構わずどこでもやってんすね。ひどいもんすね。少しは自制できないんすか?

子どもの頃から癇癪もちなんだよ。それが、40歳超えたあたりから沸点がどんどん低くなってきて。つっても、クオリティってことを真剣に考えると怒らないわけにいかないことも多いから、相手が誰であれね。で、なんでか最近、やたらと「アンガーマネジメント」に関するメールが来るのよ(笑)。

―ったく。いい大人なんだから。

こないだ「おっさん」の話ってのをウェブに書いたんだけど、あれ半分は自分の話だから(笑)。

―しかし、急ですね。

そこは、外資だから。契約が切れる5営業日前に通達。とはいえ、プリント版の一時休止と、定期購読の停止の件を、なる早で読者のみなさんにアナウンスしとかないとマズいかな、と。で、急ぎこの原稿をつくったわけ。最後のおつとめ。

一周した感じ

―ちょうど30号でおしまいってことですね。

編集長としてつくったのは、実質28号だけど、まあ、結果的にいえば、いい区切りなのかもしれない。最後に「アイデンティティ」って特集に行き着いて、自分の役目はおしまい。とくにこの2年くらいは、特集がそれぞれ単体としてあるというよりは、なんというか一連の流れになっていてどんどん深みにハマってる感じはあったし、途中からテクノロジーの話題ですらなくなってきてたし(苦笑)。

―「アイデンティティ」なんて特集に行き着いたら、たしかにデッドエンド感はありますね(笑)。

そう設計したというよりは、どんぶらこ流れに乗ってたら流れついたって感じなんだけどね。

―次号以降の特集のラインナップとか決まってたんですか?

もちろんやりたいことはいっぱいあって。「発注」ってテーマで次号はやろうと思ってて、そのあとは「ロボット」「物流」「ニュー・アナログ」なんてテーマをプロットはしてた。あと、今年「アフリカ」の特集でやったみたいなことをコーカサス地方でやれないかな、とか。

―コーカサス?

アルメニアとかジョージアとか、アゼルバイジャンとか。テックも進んでるって聞くし、地政学的にも面白いエリアだから。

―また、しかし、売れなさそうな(苦笑)。

そお? 定期購読も順調に増えてはきてたし、広告もうまくまわりはじめて、全体としてビジネスはかなり好調になってきてたんだよ。

―新しい事業もずいぶんやってましたよね。

今年から本格的にはじめた「WIRED Real World」っていう旅のプログラムなんか、ほんとに面白くて。参加してくれるお客さんが本当に面白いんで、お客さん同士のなかでプロジェクトが生まれたり、参加してくれた方々からお仕事いただいたり。めっちゃグルーヴしてたんで、ちゃんと育てあげられなかったのは残念といえば残念。そういう面白い人たちと、コーカサス行ったらきっと面白いと思ってたんだけどね。とはいえコミュニティは残るので、継続してみんなでわいわいやれるといいなと思ってます。

―コンサルとか、スクールとかもやってたんですよね。

うん。どれもこれもお客さんがホント面白い人たちばかりで、そういう人たちのために、結構苦労してノウハウ積み重ねて、やっとビジネス的にも芽が出るところだったのよ。毎年秋にやってきた「WIREDカンファレンス」も、年々精度があがってて、自分で言うのもなんだけど、今年のはちょっとびっくりするくらい面白くできたんだよね。

―「WIRED IDNTTY.」。あれはたしかによかったですね。ただ、いわゆるテックイノヴェイションみたいなところからはほんとに外れてきちゃってた感じはありましたよね。「ビジネスブートキャンプ」とか言いながら「哲学講座」やったり(笑)。

まわりからは唐突に見えたかもしれないけど、言っても最初っから「注目のスタートアップ情報」とかをそこまで掲載してきたわけじゃないから。「死」とか「ことば」とか、そういう切り口は継続してあったし。

―ありましたね。

だし、ほら、ある時期から、「スタートアップわっしょい!」みたいな気分も終息しはじめて、面白い話ももう大して出なくなってきてたし。シリコンヴァレーはトランプ以降、完全にアゲインストな風を受けちゃってるし、AIとか自律走行車とかって話も、いよいよ実装の段階になってきたら、もうこれ完全に政治と法律の話になってきちゃうんで。

―それで飽きちゃったってこと?

そうではなくて、時代が大きくまた変わろうとしてるってことだと思う。おそらく『WIRED』を発行してるアメリカのコンデナストをみても、いまむしろ時代のフロントラインにいるのって『Teen Vogue』とかだったりするんだよ。LGBTQメディアの『them.』がローンチされたり、『Vogue』が「VICE」と組んだり。それ以外でも、「アイデンティティ」特集でも紹介した「Refinery29」みたいなファッション・カルチャーメディアが旧来のメディアエスタブリッシュメントを圧して、新しい言論空間になりはじめているっていうのは面白い状況なんだよね。

―へえ。

デジタルイノヴェイションとかデジタルメディアのダウンサイドが明らかになってきたなかで、それを突破するために必要なのは、やっぱり新しいカルチャーをどうつくっていくのかみたいな話で、そういう意味でいうと結局いま面白いのってインディのブランドとか、ミュージシャンやクリエイター同士のオーガニックなつながりみたいなことだったりするんだよね。技術どうこうって話だけではどこにも行かないって感じが、もうここ3年くらいずっとある。

―AIだ、ロボットだ、ブロックチェーンだ、VRだって、まあ、だいぶ前から要件は出揃ってて、んじゃ、それどうすんだ?って感じですもんね。

でしょ?

―なにかが一周した感はあります。

2017年って、SXSWでツイッターが「アプリ大賞」を取ってからちょうど10年目なのね。その間、いろんな期待、それこそアラブの春とか、日本でも震災を経て、デジタルテクノロジーによって民主化された「よりよい世界」が夢見られてきたわけだけど、とはいえ、そう簡単に世界は変わらず、むしろ新しい困難が出てきちゃって、しかもそれがテックでは解決できない困難だったりすることも明らかになって。問い自体が、より複雑な人文的なものになってきてるから、哲学とかアートとかファッションとか音楽とか文学とかって、いまほんとに大事だと思うんだよね。

―あれだけ「テクノロジーだ」「未来だ」って言ってたじゃないすか。

でも、そう言ったのと同じ分だけ「未来」ってことばも「テクノロジー」ってことばも好きじゃないってことも言ってきたよ。「未来」ってコンセプト自体がいかに20世紀的なものかってことも随分語ってきたし。

―みんな、冗談だと思ってたと思いますよ(笑)。

変な言い方だけど、「未来」ってものの捉え方を変えることでしか新しい未来は見えてこないってのが、端的に言うと『WIRED』で考えようとしてきたことだったはずなんだけど。

それは誰のための未来なのか

最近つくづく思ったのは、それこそ企業の人とか行政の人とか、スローガンとして、やたらと「未来志向」とか言うんだけど、「それっていったい誰の未来のことよ?」ってことなの。

―どゆことですか?

例えば企業の上の方の人たちが「未来を考える」みたいなことを言ったときって、結局は「自分たちがみたい未来」の話なんだよね。そんな未来なんかどうでもよくない?って思うんだけど。

―大方は生きてないでしょうしね(笑)。

昔、林業の取材でアメリカに行ったことがあって、全米最大の木材会社が所有してる山を見学したんだけど、とにかくスケールがすごいわけ。見渡す限りの山々を所有してて。アメリカの林業って農業みたいなもので、とにかく広大な「木の畑」があるって感じなんだけど、それを眺めながら「あの山のあの区画は5年後に伐採する区画」「あそこは10年」「あそこは20年」「あそこは50年後かな」とか説明されたわけ。で、「50年後って、生きてないですよね」って聞いたら、「林業ってそういうもんだから」って即答されて結構ショックを受けたんだよね。

―すごい。

種を蒔くってそういうことか、って思うじゃん。いま種を蒔いておかないと、50年後には使える木がないってことなのね。つまりいまやってることが、未来の誰かの食い扶持をつくることになるってことで、そう考えると、自分だって過去の人が種を蒔いていてくれたからいま食えてるだけかもしれないっていう気もしてくるでしょ。

―こないだ、ある原稿で作曲家の藤倉大さんの言葉を引用してましたよね。「作曲家ってのは50年後の音楽をつくってるんだ」っていう。

まさにそれ。いまそれを誰かがつくらなかったら、50年後にはペンペン草も生えない。

―とはいえ、その藤倉さんの話って「だから現代作曲家は儲からない」ってオチでしたけど(笑)。

「道を新しくつくる人は儲からなくて、結局は、道を舗装するヤツが儲けるんだ」ってスタッフにはずっと半ば負け犬の遠吠えのように言ってて(笑)。まあ、どっちを選ぶかは人それぞれだし向き不向きもあると思うんだけど、「道をつくったヤツより、舗装したヤツが偉い」っていう価値観はやっぱりいびつだと思う。『WIRED』では、ことさらそういうメッセージを出してきたつもりなんだけど、だって「イノヴェイション」って、シンプルに獣道を進むことでしかないから。なのに、舗装がエラいってことにしちゃうから、あらゆる産業が年末の道路工事みたいになっていくんだよ。

―うまいこと言う(笑)。

実際、現状のメディアの広告ビジネスなんて、それ自体がもはや永続的な年末工事みたいなもんだよ。

―で、自分としては、それとは違う新しい獣道を拓いた、と?

いやいや。そうは言ってないよ。ただ気持ちとしては、舗装して儲けて喜ぼうとは思ってはいなかったってことね。ビジネス部門からは「したいっすね!舗装!(笑)」ってずっと言われてたんだけど、舗装するからには、誰かの後をついていくか、いま来た道を戻ってもっかい通り直さなきゃいけないわけで。それってまどろっこしいし、そもそも、メディアの仕事っていうのは、同じ道を2回通ることがない仕事だから。

―そうなんすね。

どうでもいいけど、イスラム教って、同じモスクに通うときでも違う道を通って行くことが推奨されるんだって。知ってた?

―へえ。面白い。

さらば、ポスト・ヒューマン

これもちょっと関係ない話かもしれないけど、こないだ、とあるお寿司屋さんに行ったらタクアンがめっちゃ美味しかったの。

―はあ。

「これどうやってつくるんすか?」って聞いたら、5日ぐらい干してそれから浅漬けにするんだって。で、この「5日間」っていうのは、「合理化」してはいけない5日間なんだよなってしみじみ思ったわけ。

―ほお。

でも、いまの世の中は、その「5日間」が我慢ならないんだよ。

―なるほど。工学的発想でいけば、その「5日という無駄」を短縮できる合理的なソリューションはある、となるんでしょうね。

そうそう。それで画期的なタクアン作り機みたいのはできるかもしれなくて、それはそれでいいんだけど、ちょっと待てよ、って思うのは「タクアンでもできるんだから人間でもできるはずだ」っていう考え方なの。

―そんなこと言うヤツいます?

いや、実際にはそうは言わないよ。でも、基本的な思考の建てつけって、多くの人がだいたいがそんなもんだよ。つまり、モデル化できて、再現性と互換性のある何かとして「ヒト」ってものを捉えたいわけ。それが「科学的」だし、「科学的」であるってことは「真実」だってことだし、「真実」であるってことは「正しい」ってことになってるからさ。なんだけど、その考えでやってると、結局ヒトは永遠にロボットとかAIとかと戦い続けることになっちゃうんだよ。

―なんでですか?

『我々は人間なのか? デザインと人間をめぐる考古学的覚書き』っていう滅法面白い本があって、これ、デザイン論でありながら優れたテクノロジー論でもある、めちゃいい本なんだけど、そこに「ポスト・ヒューマンという思想は20世紀の近代デザインの後に起こるものではない。それどころか、ポスト・ヒューマン思想への反応が近代デザインだった」って書いてあるの。

―なんのことやら。

つまり、近代の産業社会は、その理想形として最初から「超人=ポスト・ヒューマン」を仮想してきたって言うのね。工場ってのは最初っからロボットに最適化されたシステムで、そうなんだけど当初はそんなロボットなんてないから、ヒトをそれに近いものとしてつくりあげるために近代教育が生み出され、修理工場として近代病院ってものが整備されて行ったという。で、そうしたことへのリアクションとして、デザインって概念が重視されるようになっていくと。

―ふむ。

その線でいくと、ヒトは、近代が望むような「合理的な存在」になろうと頑張ってきものの、どうやっても「超人」にはなれない落ちこぼれとしてこの100〜200年くらいをずっと生きてきたミジメな存在でしかないってことになるのね。だからこそ、わざわざ「人間中心デザイン」なんて言葉も必要になってくるわけなんだけど、でも、いよいよ本格的にロボットが完備されるようになったら、そりゃヒトは本格的に用済みにならざるを得ないでしょ。だって、いまぼくらが生きてる社会って、内心ではヒトよりロボットをずっと欲しがってた社会なんだもん。

―それでも、「ヒトにはヒトしかできないことがある!」って強弁する人は多いですよ。

うん。ただそのときに、「おれたちだってロボットには負けてない!」って言い方をしちゃうと、それ自体ハナから負けを認めてることになるじゃん。

―たしかに。

だから、むしろ、その事態を「解放」だって思った方がいいんじゃないのかな、と。完全であることとか、合理的であることを求め続けられてきてなれなかった「不具の超人」であることから、やっと解放されるんだって。

―合理性とか再現性に関わる範疇はもう全面的にロボットに任せて、と。

そうそう。

―とすると人間はどういう存在になるんですか?

非合理性とか不完全性とか一回性ってあたりを根拠とした存在ってことになるかな。

―一回性?

うん。ほら、仕事でもそうなんだけど、作業としてのルーチンっていうのはたしかにあるにしても、あらゆる仕事って実は一回しかないもののような感じがするんだよね。

―再現性はない、と。

うん。仕事に限らず、とくに決断するときってタイミングがめちゃ重要でしょ。で、タイミングってのは、一回一回が固有じゃん。条件が毎回違うっていうか。

―たしかにね。

メディアをやってて思うのは、当たり前だけど、あらゆる記事ってユニークなものとしてしかないわけ。同じ記事って二度と出ないの。稀に出たとしてもコンテキストが変わったから出るわけだし。だから、ある記事を分析してそれが読まれた要因を因数分解していっても、じゃあ次の記事をつくるのにそれが役に立つかって言ったらそうでもないんだよね。

―ふーん。そういうもんなんすかね。

それに、これ、そもそも考え方自体に矛盾があるんだよ。だってそうじゃん。「何一つ再現されない」っていう前提のなかで動いているものから再現性を取り出そうって、そのこと自体になんの意味もないんだもん。そりゃ探せば何かは出てくるかもしんないよ。でも、それがわかったところで次にやることといえば、「じゃあ、それとは違うことやろうぜ」ってことでしかないから。

―ひねくれてんなあ(笑)。

ちがうんだよ。むしろそれがヒトの本質なんだ、ってさっき挙げた本は言ってるわけ。デザインの起源は「違うもの」とか「無用なもの」をつくるところにあるって。人間を突き動かしてきたのは「機能」の追究なんかじゃないんだよ。道具というものの起源として、よく石を涙のかたちに削りだした「手斧」がよく参照されるけど、あれに関して重要なのは、「それが使われた形跡がない」ってことなんだよ。で、本のなかにマーシャル・マクルーハンの引用があるんだけど、それがめちゃくちゃいいの。

―ほお。

「機能するということは時代遅れであるということである」。よくない?

―おお。かっこいい。

てな話は、実は、次号の「発注」特集で語ろうと思ってたことなんだけど。

成長とか、向上心とか

―「発注」と関係あるんですか?

こないだ、発注に関するイベントをやったのね。そこで岡部修三さんっていう建築家の方が「建築家への発注はすべてが一回きりなんですよ」という話をしてて。で、よくよく考えたら、どんな仕事も、もしかしたら一回限りなんじゃないかって気がしてきて。その一回性のなかにどれだけ深く身を沈められるかが、ヒトってものにとってものすごく大事なことなんじゃないかと。

―バタイユっぽいですね。蕩尽。

おー。大きくでたな。でも、少なくともヒトが何かをつくるってのは、なにか賭けるってことだしね。

―バクチ。

そう。コンテンツビジネスなんてハナからバクチだよ。他人と同じことをやることになんの意味もない仕事だから。再現性ないの。という意味では旅のようでもあるし。

―でた。便利ですよね、旅ってメタファー(笑)。

でも実際そうなんだよ。周りの景色は、たとえ自分がじっとしてても、どんどん変わって行く。編集長やってた間、それは本当に痛感したよ。テクノロジーってところだけ見てても、その主戦場となる舞台はどんどん動いていったから。

―どういう風にですか?

すごく雑に言うと、ビジネスの領域から、デザインってあたりの領域に移って、いまはそれが完全にポリティクスに移行したっていう感じじゃないのかな。そういう動きを、わりと間近で見れたってのは本当にスリリングだったけど。

―やってて楽しかったのって、やっぱそういう部分ですか?

それはたしかに楽しかったけど、幻滅も多かったかも。せっかく期待をもてそうな何かがでてきても、すぐに日本的な状況に巻き込まれて残念なことになっていくのもみてきたし、そもそも「それ最高じゃん!」って心の底から応援したいと思う物事やヒトを、うまく探しだすのには時間もかかったし。

―いるんすか?実際。

いるよいるよ。日本ってすげえなって思うヒト、いっぱいいるんだよ。で、そういう人はメディア的に無名でも、ちゃんと取り上げるとやっぱりちゃんと読まれるんだよ。そういう手応えはやってる間ずっとあって、その意味でいえば、読者はちゃんとしてるんだよ。

―それはいい発見だ。

うん。「読者はバカだからテキストを読まない」なんてことを平気で言うヤツがいるんだよ。出版の世界でも。

―ひどいね。

うん。「ってかそれってオマエがバカなだけだろ?」ってずっと長いこと思ってて、『WIRED』で証明したかったのは、大きくは、ひとつそれだったの。だってアメリカに『ニューヨーカー』みたいなテキストだらけの雑誌をちゃんと読むヤツがいるんだよ。日本にだっているに決まってんじゃん。それがマジョリティだとは思わないけれども、いつから日本では客ってものをこれだけ見くびるようになったんだろう、とは思う。しかもそうやってみくびることで「それがビジネスの厳しさだ」みたいな顔をするんだよね。それって楽しようとしてるだけじゃん。呆れるよ。

―レベルを下に下に合わせていくのが常道になってますもんね。

人の向上心とか、成長しようって欲求とかを、過少評価しすぎなんだと思う。だからイベントとかやったときに読者に「『WIRED』を読んで、自分で会社をつくりました」とか「新しいことはじめました」って言われたりするとホントに嬉しかった。特に若い子にそう言われるのは。こないだも渋谷の街を歩ってたら、とある若いバンドのメンバーに呼び止められて「応援してください!」って言われて、かなり気分よかった(笑)。

―いいすね。

「東京拘置所でVol.1からずっと定期購読してました」って青年もいたよ。

―拘置所から定期購読できるんすね。

そうなんだよ。自分もそれで初めて知ったんだけど(笑)。「世界に開かれた唯一の窓だったんす」って言われて、ちょっと泣きそうになった。

―いい読者すね。

そう。それは本当に宝だよ。編集部も、デザイナーも、広告とか販売とかマーケティングに関わるスタッフもみんなそう思ってたし、そういう読者がオーガニックにつながって、広がっていってるところに価値を見いだしてくれた筆者の方とかイラストレーターや写真家の方とか、もちろんクライアントも着実に増えてきたところだったから、残念というか、もったいないというか、申し訳ないというか。ほぼスクラッチから、それはできあがったものだから。

―でも、そこに種は蒔いたとは、思ってるわけでしょ。

そう思いたいけど、舗装まではやっぱりやれなかった(笑)。

―ちなみにプリント以外の事業は残るんですか?

旅とか、スクールとか、コンサルとかは、ノウハウをもっているスタッフが関わるかどうか次第だろうなあ。少なくともウェブは続くよ。言ってもUS版初代編集長にケヴィン・ケリーを、日本版初代編集長に小林弘人さんを仰ぎ、そして守護聖人としてかのマーシャル・マクルーハンを奉る重たいメディアブランドだからね、軽はずみになくすわけにもいかないでしょ。

未来の奴隷

―ちなみに、『WIRED』日本版の守護聖人って誰だったんですか?

公式にはいないけど、自分のってことならイヴァン・イリイチだよ。

―『コンヴィヴィアリティのための道具』の人ですよね。思想家というか、社会学者というか。

そうそう。本人は歴史家を自認してたみたいだけど。そのイリイチが考えた「コンヴィヴィアリティ」って概念は「自立自存」とか訳されるんだけど、『WIRED』をつくっていくなかで本当に自分が知りたかったのは、新しいテクノロジーは果たしてイリイチが言った意味において正しく「自立自存の道具」となるのかってことだったの。新しい技術やサーヴィスを評価するときの軸は、その一点しかなかった。

―そうなんすね。

『生きる思想』という本のなかに収録されている「静けさはみんなのもの(Silence is a Commons)」という文章は自分にとってのきわめつけの聖典なんだけど、面白いことに、この文章の初出はスチュワート・ブランドが『ホール・アース・カタログ』の後にやっていた『CoEvolution Quarterly』って雑誌なんだよ。

―へえ。

『WIRED』初代編集長のケヴィン・ケリーは『ホール・アース・カタログ』に関わっていたわけだから、スチュワート・ブランドを介してイリイチと『WIRED』は細い糸でつながっていて、思想的に近いわけでなくとも問題系は重なりあってた。だからこそ、根っからのテクノロジー嫌いでも、自分なりにテーマをみつけることができて、ここまで熱をこめて『WIRED』にコミットすることができたんだよね。

―こんなにムキになんのかって思うくらいの激しさでしたもんね。

たかだか雑誌にね(笑)。でも、血が逆巻くほどムキになる仕事があるってのは、他人にどう思われようと、楽しいもんだよ。とはいえ、それも、たまたまそういう仕事に出くわしたってだけだけど。いいタイミングでその場に居合わせて、たまたまいいスタッフと読者に恵まれて。自分で何かをやったというよりは、ラッキーだったという気しかしない。

―またまた。

ほんとだよ。自分が手がけたプリント版の最後の号になる最新号のなかで、熊谷晋一郎先生が、ヴィクトール・フランクルっていう精神科医の考え方を説明してて。「あなたが人生に何かを期待するのではなく、あなたが人生から何を期待されているのか考えること、(フランクルは)、それが『責任』 なんだと言ってるんです」。言われてみれば、そういう意味での「責任」を果たそうとがんばってきんだなって感じはする。

―哲学者の國分功一郎さんとのマッシュアップ対談で、意志と責任をテーマに語っているくだりですよね。

そう。で、驚いたことに、メジャー・レイザーのキューバ公演を追った『Give Me Future』っていうドキュメンタリー映画を観てたら、映画に登場するあるキューバ人女性がまったく同じことを言ってるの。「わたしは人生に多くを期待はしない。むしろいつも人生に驚かされていたい」って。

―へえ、面白い。

イリイチは晩年に「『未来』などない。あるのは『希望』だけだ」って言い遺しているんだけど、これも、なんかだか似たようなことを言ってるようにも思えて。未来に期待をして、予測をして、計画をしていくことで、ヒトも人生も、開発すべき「資源」や「材」とされてしまうことにイリイチは終生抗い続けたんだよ。

―単に「お先真っ暗だから、せいぜい希望をもつくらいしかできない」って意味じゃないんですね。

未来――あるいは、ここでは人生って言ってもいいんだけど――にやみくもに期待しつづけることから脱けだせなかったら、ヒトはいつまで経っても未来というものの奴隷なんだというのが、その本意だと思う。そう考えると、「いつも人生に驚かされていたい」っていうのは、まさにそこからの脱却を語ったことばなんだよね。めちゃめちゃ感動した。

―それは観ないと。

メジャー・レイザーのこの映画の配信がはじまったのが今年の11月だったんだけど、2010年の冬にアートディレクターの藤田裕美くんと新宿の喫茶店で、どういう雑誌にしようかって最初の打ち合わせをしてから実質丸7年間『WIRED』に関わり続けてきて、最後にたどり着いたのがこの言葉だったっていうのは、ちょっと、なんか、気分がいいんだよね。

TEXT BY KEI WAKABAYASHI
プロフィール
若林恵 (わかばやし けい)

1971年生まれ、ロンドン、ニューヨークで幼少期を過ごす。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。大学卒業後、平凡社に入社。『月刊 太陽』の編集部スタッフとして、日本の伝統文化から料理、建築、デザイン、文学などカルチャー全般に関わる記事の編集に携わる。2000年にフリー編集者として独立し、以後、『Esquire日本版』『TITLE』『LIVING DESIGN』『BRUTUS』『GQ JAPAN』などの雑誌、企業や大使館などのためのフリーペーパー、企業広報誌の編集制作などを行ってきたほか、展覧会の図録や書籍の編集も数多く手がけている。また、音楽ジャーナリストとしても活動。2012年、『WIRED』日本版編集長に就任。



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