最近、映画作品における黒人女性のキャスティングについて物議を醸すケースが立て続けに起きた。2019年の『グラミー賞』新人賞にもノミネートされた歌手ハリー・ベイリーが、実写版『リトル・マーメイド』で主役の人魚アリエルを演じるという話題と、『007』シリーズ次回作で、007のコードネームを名乗る人物の役を、英国人俳優のラシャーナ・リンチが演じるのではという噂である。
このようなキャスティングには、どのような意図があるのだろうか。ここでは、そのような決定に至る様々な背景や実例を紹介しながら、それらをどう受け止めるのかについて考えていきたい。
「ディズニー第二次黄金期」の起点となった『リトル・マーメイド』の実写版キャスティングに賛否
近年、ディズニーの実写製作を担当する「ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ」では、過去のディズニー長編アニメーション作品を基にした実写リメイク作品を次々に製作している。最近、満を持して新しく実写リメイクの製作が発表されたのは、ちょうど公開から30周年を迎えた『リトル・マーメイド』(1989年)である。この作品は、もともとウォルト・ディズニーの死後、低迷していたディズニーアニメーションが復活する原動力となり、「ディズニー第二次黄金期」の起点となった長編アニメーションだ。
多くのファンに期待されていた企画だったが、白人のように見えるアリエルの役にアフリカ系アメリカ人の歌手ハリー・ベイリーが選ばれたことが発表されると、ネット上で賛否の声が巻き起こった。SNSでは、その決定に賞賛の声が挙がる一方で、“#NotMyAriel”(私のアリエルじゃない)というハッシュタグが作られ、不満をつづる多くの人々のメッセージが拡散されていった。ウォルト・ディズニー・ピクチャーズはなぜこのような選択をしたのだろうか。
ハリー・ベイリーと姉のクロイとのR&Bユニット「Chloe x Halle」のTwitterより
「おとぎ話」の古い価値観と、進歩的な価値観がせめぎ合うディズニー映画
その複雑な背景には、『リトル・マーメイド』も属する「ディズニープリンセス」と呼ばれる王族などの女性キャラクターが登場する作品群がもたらす事情が影響しているものと思われる。
「ディズニー第二次黄金期」の人気に大きく貢献したのは『美女と野獣』(1991年)のベルや、『アラジン』(1992年)のジャスミンなど、プリンセスの魅力に負うところも大きい。この流れは「ディズニールネサンス」とも呼ばれるように、ディズニーの長編アニメーションの原点となる『白雪姫』(1937年)から続く、古いおとぎ話の世界観をベースとした価値観である。
とはいえ、王族のような特権的な階級の人物を主人公、もしくはそのパートナーとして描き、「Ever After…(そして永遠に……)」で結ばれるラストを迎える物語というのは、現代においては保守的な内容だといえよう。ディズニーの近年の作品は、『ズートピア』(2016年)に代表されるように現代風で進歩的な価値観を描くことが増えてきてもいるが、同時に、このような古い価値観が下支えしている部分もあるのだ。
そのことを最も分かりやすく表しているのが、『アナと雪の女王』(2013年)であろう。そこでは、王族の物語を描きつつ、同時にその細部では従来のおとぎ話の定型を批判するような内容をとり入れてもいる。そう、保守的な価値観と進歩的な価値観。これら二つがせめぎあっているのがディズニー映画なのだ。
ディズニー映画のリメイクに求められる、社会的な進歩性
このような対立構造が存在するなか、アニメーション版『リトル・マーメイド』は、人魚と人間という、種を超えた恋愛を描くという意味での進歩性が存在するものの、女性の側が一方的にリスクをとることになる展開や、一方が自分の世界から離れなければならないという構図が、婚姻制度における古い側面を追認しかねないような危うさが存在するのもたしかである。
これをただ実写化するというのは、現在のディズニー映画のバランスではあり得ない。実写版『アラジン』(2019年)において、女性の権利を強調したシーンを追加したように、再映画化に意義を与えるには、元の作品の要素に、社会的な進歩性を加えるということが必須になるのである。アリエルを白人以外の俳優に演じさせるという発想は、その試みの一部であるはずだ。都合のいいことに、人魚は架空の存在であり、その肌が何色であるかについては、とくに歴史的な裏付けを用意することはなく、ディズニー公式サイトの紹介においても、「アリエルは、海の王国を治めるトリトン王の末娘で、美しい容姿と歌声を持ち、好奇心や冒険心にあふれています」と記されているだけで、とくに人種の指定があるわけではない。
白人の主人公をアフリカ系の主人公に変更した過去の実例は、過去のディズニー作品に存在する。アニメーション『プリンセスと魔法のキス』(2009年)では、原作の設定を変更、舞台を1920年代のニューオリンズとし、主人公の人種もアフリカ系となった。それによって、初めてディズニープリンセスにアフリカ系の人種が加わることになったのだ。それはアメリカのアフリカ系の子どもたちにとって大きな意味があったはずである。
舞台版アリエル役の日系アメリカ人女優がエール「子どもたちからアリエルに見えない、なんて言われたことはなかった」
もうひとつ知ってほしい実例がある。アリエルに白人以外の役者がキャスティングされたのは、ハリー・ベイリーが初めてではない。アメリカでの、ディズニーの舞台版『リトル・マーメイド』において、日系アメリカ人女優であるダイアナ・ヒューイが、アリエルの役を演じているのだ。
彼女がアリエル役に選ばれたのは、オーディションでの演技や歌声などのパフォーマンスや、容姿などを総合的に判断したうえで、最もアリエル役にふさわしいと劇団やディズニーに評価されたからだが、やはり今回のように、有色人種がアリエル役を演じていることに対してバッシングがあった。だが、アメリカにおける少数の人種にあたるアジア系アメリカ人の子どもたちの希望になるということから、彼女はときに非難を受けながらも役を演じ続ける決意をしたのだという。
そして今回の実写版のキャスティングを受けてヒューイは、「私は、公演のなかで子どもたちから『あなたはアリエルには見えないよ』なんて言われたことは一度もなかった」「胸を張っていきましょう」と、ハリー・ベイリーにエールを送っている。ヒューイの例があるように、アリエルという役に必要なものは、必ずしも元の作品のアリエルと同じ肌の色であることではないように思えてくる。
米ミュージカル版『リトル・マーメイド』でアリエル役を演じたアジアン・アメリカンのダイアナ・ヒューイはハリー・ベイリーにエール(ダイアナ・ヒューイのInstagramより)
かつてアニメーション版『リトル・マーメイド』では、アリエルが赤毛という設定だったことから、ときにそれがコンプレックスになりがちな赤毛の女性たちに勇気を与えたということが知られている。同じように、ヒューイやベイリーのような非白人の人種がアリエルを演じることで、いまだ様々な人種差別がはびこるアメリカ社会のマイノリティーや、世界の子どもたちに与える影響も考慮すべきだろう。新しい表現は、これまでの先入観を打ち崩していくものである。「アフリカ系の俳優がアリエルを演じるなんておかしい」と思う人ほど、この作品を観る意味があるのではないだろうか。
「行き過ぎたポリティカル・コレクトネス」という声
『007』正規シリーズでラシャーナ・リンチが、007を名乗る役を演じるという報道についても、モデルのような女性たちをとっかえひっかえしていくプレイボーイをヒーローとして描く、きわめて前時代的な設定のシリーズのなかで、女性が、たとえ作中の一部分であったとしても、時代を象徴してきた伝統のコードネームを襲名するということだけでも、社会に何らかの影響を与えるのではないかと思える。
今回これらのキャスティングの発表を受け、「行き過ぎたポリティカル・コレクトネス」だとする意見も散見される。だが、そのような配慮があったからこそ、アメリカやイギリスなどの映画作品のなかで、当初、悪人だったりエキセントリックな性格を帯びた役柄ばかりだったアフリカ系やアジア系の人種が、重要な役柄を演じられるようになったり、自然な扱いを受けるようになっていったのはたしかなことである。
かつてはあり得なかったキャスティング、あり得なかった人種の扱いというのは、現代だからこそ味わえる映画の魅力だといえる。垣根が取り払われていく過程を楽しんだり、それに触発されて議論をすることが、新作映画を追って映画館に駆けつけることで得られる醍醐味のひとつなのではないだろうか。
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