©️ Alex Brüel Flagstad
幼少期にピアノを学び、10代でロックバンド加入。ソロデビュー作品で新人賞などを受賞
東京都美術館で、デンマークを代表する画家ヴィルヘルム・ハマスホイの展覧会が開催され話題になっている。ハマスホイは近年、再評価されている19世紀の画家。晩年は誰もいない部屋や古い建物を題材にした絵を数多く残した。静謐とした美しさがあり、何かの気配が漂っているようなゴシックな雰囲気が漂うその絵を見て、ふと思い出したのが、同じくデンマーク出身のシンガーソングライター、アグネス・オベルの歌だった。
アグネス・オベルは1980年にコペンハーゲンで生まれた。法学者であり音楽家でもあった母親の影響で、アグネスは子供の頃からピアノを学んだ。現在、彼女は様々な楽器を演奏するマルチプレイヤーだが、ピアノの弾き語りがベースになっている曲が多い。クラシック、ジャズ、ポップスなど様々なジャンルの音楽を聴いて育ち、14歳の頃に初めてロックバンドに加入。10代の頃は複数のバンドに参加し、The BeatlesやRadioheadの曲をカバーしていたという。しかし、自分で曲を作るようになってからはバンド活動から遠のいていった。彼女がやりたい音楽を演奏してくれるバンドとは、巡り会えなかったのだ。そんな彼女がソロアーティストとしてデビューしたのは2009年のこと。シングル“Just So”がドイツのテレビCMに使用されたことで注目を集めた彼女は、2010年にデビューアルバム『Philharmonics』を発表。デンマークのアルバムチャートの1位に輝いた本作は、デンマークのグラミー賞ともいえる『Danish Music Awards』で新人賞やベストアルバム賞など5部門で受賞した。
音楽制作のほぼすべての工程を1人でこなしている
これまで3枚のアルバムを発表し、それぞれが高い評価を得ていたアグネス。フォークやクラシックなど伝統的な音楽性とエレクトロニックなサウンドが融合した独自の世界を生み出しているが、そこで驚かされるのは、作詞、作曲、編曲に加えてほとんどの楽器を演奏し、レコーディング、ミックス、プロデュースまで、すべての過程を1人でこなしていることだ。
アグネスはバンド活動を始めた10代の頃、プロデューサーになろうと思い立ち、高校を中退してスタジオで働きながらプロツールスをはじめレコーディング技術を学んだ。彼女に取材した際、「両親には強く反対されたけど、その時はどうしてもやりたかったから」と笑って話していたが、その時に学んだことが、いま彼女が音楽をやっていくうえでの大きな武器になっているのだ。
現在、ベルリンに住む彼女の家にはホームスタジオがあり、彼女はそこにこもって様々な実験を繰り返しながら曲を作り上げている。彼女は自分の作品を「秘密の日記のようなもの」と話していたが、彼女の心象風景が音楽として表現されているのだ。
共演した角銅真実のコメントから、アグネスの新作を紐解く
そんな彼女は、2018年にクラシックの名門レーベル、ドイツ・グラモフォンと契約を交わした。子供の頃にクラシックの教育を受けているとはいえ、自己流で音楽を作ってきた彼女は、グラモフォンから声がかかったことに驚いたそうだ。そして、グラモフォン移籍第1弾『MYOPIA』が完成した。リリースに先立ち、アグネスは2019年11月に初来日しショーケースライブを行っている。この日は女性メンバー3人とのバンドセットで演奏。アグネスはキーボードを弾きながら2種類のマイクを使って歌い、メンバーの2人はチェロとヴィオラ(曲によってはキーボード)、残りの1人はパーカッションという編成だ。
アレンジは緻密に練り上げられていて、息が合ったアンサンブルで幻想的な音響空間を構築していくパフォーマンスは、クラシックのコンサートに近い雰囲気もあった。そのショーケースライブのトークで共演したのが角銅真実だ。パーカッショニストとしてキャリアをスタートしながら、最近はシンガーソングライターとしても活動する角銅もユニークな音楽性の持ち主だが、アグネスと共通しているのは、ともにマルチプレイヤーであり、サウンド全体のビジョンを持ち、自由な発想で音楽を作り上げているところ。角銅はアグネスに対して、こんなコメントを寄せてくれた。
アグネスさんの音楽を聴くとき
彼女の静謐な神殿を
私は、磨き上げられた透き通ったガラス越しに、眺めている。
冬の朝に思いっきり顔を洗うときみたいに、潔く気持ちがいい。
初めてお会いした際、みんなで記念写真を撮った時に
Girl power! って言って優しく肩を組んでくれたこと、よく思い出します。
角銅はアグネスの壮麗な音の世界を「静謐な神殿」、その緻密に作り込まれたサウンドプロダクションを「磨き上げられた透き通ったガラス」と表現したが、『MYOPIA』はそうしたアグネスの特徴が凝縮された作品だ。本作もまた、アグネスのホームスタジオで、曲作りの全行程を彼女1人で手掛けている。
アルバムに収録された曲は、ショーケースライブで聴かせたように、アグネスが弾くピアノやキーボードを中心に、チェロやバイオリンなどストリングスが重要な役割を担っている。そのほか、チェレスタ、メロトロンなど様々な楽器が使われているが、アグネスは自分の頭の中で鳴っている音に近づけるために、ピッチを変えるなどして音を加工。それぞれの音を融け合わせることで、実際の時間の流れとは違う「自分が経験した時間」を表現したかったという。
聴き手の想像力を掻き立てる、想像力で作られた音楽
そうしたサウンドへのこだわりは彼女のボーカルにも反映されている。アグネスは自らの声も加工し、まるで楽器のような使い方をしている。たとえば2曲目の“Broken Sleep”では、エフェクトをかけた様々な声が飛び回る。この曲は不眠症についての歌で、子供の頃から不眠症だった彼女は、眠れない時に頭の中でいろんな声が聞こえていた。その声を、加工した自分の声で再現しているらしい。そんな風に、彼女は音のひとつひとつで様々なイメージを表現している。それはまるで、映画監督がカメラワークや役者の衣装、美術など、すべてにこだわって世界を作りあげていくことに通じるものがある。自分の内面を自作自演の音楽で表現する、という点は従来のシンガーソングライターと同じだが、彼女の場合、言葉とメロディーだけではなく、サウンドで立体的に表現する。だからこそ彼女の歌は映像的であり、これまで様々な映画やドラマに使用されてきたのだ。
アグネス・オベル『MYOPIA』を聴く(Apple Musicはこちら)
しかし、そうやって細部にわたって音を作り込みながらも閉鎖的にならず、聴き手の想像力を刺激する音楽になっているのは、彼女がアーティスティックな感覚と普遍的なポップセンスを持ち合わせているからだろう。そのポップな要素のひとつが、どこか懐かしさを感じさせるメロディーだ。10代の頃、アグネスは、北欧のトラッドミュージックとジャズを融合させたスウェーデンの鬼才ジャズピアニスト、ヤン・ヨハンソンの音楽に強く惹かれていた。アグネスの歌にも、トラッドミュージックから影響を受けた普遍的で美しいメロディーが息づいている。
そして、ヨハンソンがそうであったように、アグネスも伝統的なものとモダンなものを融合させることができる感性の持ち主なのだ。彼女は「私はジャンルで音楽を作るタイプじゃなく、想像力で作るタイプなの」と語っていたが、『MYOPIA』を通じて彼女が作り上げたイマジネーションの王国を訪ねることができるはずだ。
- リリース情報
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- アグネス・オベル
『MYOPIA』(CD) -
2020年2月21日(金)発売
価格:2,860円(税込)
UCCH-10581. Camera's Rolling
2. Broken Sleep
3. Island Of Doom
4. Roscian
5. Myopia
6. Drosera
7. Can't Be
8. Parliament Of Owls
9. Promise Keeper
10. Won't You Call Me
- 角銅真実
『oar』(CD) -
2020年1月22日発売
価格:3,300円(税込)
UCCJ-21761. December 13
2. Lullaby
3. Lark
4. November 21
5. 寄り道
6. わたしの金曜日
7. Slice of Time
8. October 25
9. 6月の窓
10. January 4
11. いかれたBaby
12. Lantana
13. いつも通り過ぎていく
- アグネス・オベル
- プロフィール
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- アグネス・オベル
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デンマークのコペンハーゲン出身、ドイツのベルリンを拠点に活躍する作曲家、シンガーソングライター、ピアニスト、プロデューサー。2009年のデビューシングル“Just So”がドイツ・テレコムのテレビCMに起用され颯爽と音楽シーンに登場。2010年のデビューアルバム『Philharmonics』はヨーロッパ各国で大ヒットし、「ヨーロピアン・ボーダー・ブレーカーズ・アワード」をはじめとする数々の賞を受賞、映画やテレビ・ドラマに楽曲が使用され欧米で確固たる地位を築いた。2013年、セカンド・アルバム『Aventine』をリリース。デンマーク、ベルギーの総合アルバムチャートで1位を獲得した他、ヨーロッパ5ヵ国でトップ10入りを果たす。2016年リリースのサード・アルバム『Citizen Of Glass』は、2016年IMPALA最優秀アルバム賞を受賞した。2018年、ドイツ・グラモフォンと専属契約を発表。2020年2月に4年振りとなるアルバム『MYOPIA』をリリースする。
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