YELLOW MAGIC ORCHESTRAというあまりに巨大すぎる存在について、1991年生まれの私は編集者として語るべき言葉をほとんど持っていないということを最初に告白したい。
1978年にデビューしたYMOは、社会が高度に成熟を果たした1980年代という時代と複雑で密接な関係にあるということーー音楽やアートの領域にとどまらず、ニューアカデミズムをはじめとする思想、セゾングループを中心とする広告文化、またはファッションや雑誌文化、メディア環境などといった広義の「文化」全般にまで浸透し、影響を与えてきたということを、私は1992年12月に刊行された『STUDIO VOICE』の「YMO環境以後」という特集で知った。同誌で定義するところの「YMO環境」というのは、ある種「現象」とも言えるようなYMOを取り巻く状況、あるいは文化的な土壌であるとざっくり理解している。
バブル崩壊後、YMOが最初に再結成する前年に刊行された同特集上で、ライター / 編集者の三田格は、「“YMO環境”のすがすがしさとはまさに外国文化のコンプレックスを克服すると同時に経済成長後に地方の人が抱くように東京のイメージを転覆したような快感に裏付けられていたのではないだろうか」と書いていた。
氏のテキスト、特に前半部分について、YMOの今日に至る歴史的な評価の理由を端的に言い表しているように思える。YMOは、日本人による音楽が、コピーではなくオリジナルかつ最先端のものとして世界で受け入れられた最初の例であるーーこの事実こそ、いまなおYMOが日本の音楽文化の頂点にあるとして、敬われる理由の一つであろう(もちろん御三方のYMO以前 / 以降の充実した活動ありきではあるが)。本稿では、40年以上の時間が積み重ねてきた権威的な面や多様な言説に敬意を表しつつ、あえて不躾ながらそれらを一度引き剥がして、いわゆる「アルファレコード期」(1978~1983年)のYMOを、現代の、主に日本の音楽との「接続点」のみにフォーカスして提示したい(それもいたずらに賞賛するのではなく)、という立場をとる。
今回、松永良平、柴崎祐二、吉村栄一の3名を書き手に招き、それぞれの視点とテーマで執筆していただいた。世代を超えた志高いミュージシャンたちが、自ら臆面もなく「YMC(Yellow Magic Children)」を名乗り、生バンド編成を主体とするコンサートを開催し、ライブ作品『Yellow Magic Children #01』を発表することを通じて、YMOという音楽精神に新たな「身体」をもって挑みかかったように、本稿で現代の音楽文化における「『YMO環境以後』のその後」を適切に位置付けできていたら、何よりだ。
メイン画像:Original Photo ©Masayoshi Sukita
「YMOが醸成し、当時の人々の生活に提示した『エキゾ』とは何か?」テキスト:松永良平(リズム&ペンシル)
「『エキゾ(あるいはエキゾチカ)音楽』って、どんなものですか?」とぼくよりずっと若い人に真面目な顔で聞かれたことがある。
ぼくは普段、レコード店で働いているので、1950年代末に発表されたマーティン・デニーやエスキヴェルといったアーティストのレコードを例に出して説明をしたりする。宇宙ロケットの開発やジェットセット時代(ジェット機の発達により世界旅行が簡単になってきた時代)に人々が見た夢、あるいは東西冷戦を背景とした現実逃避願望が、ハリウッドのSF映画や冒険映画のようなイメージで展開された「ここではないどこか」を求める想像力豊かな音楽だ。
“Sake Rock”や“Firecracker”など収録のマーティン・デニー『Quiet Village』を聴く(Apple Musicはこちら)
ところが、それだとあんまりピンとこないのだという。音楽としての魅力や源流としての価値は理解できる。だけど、彼らが感じているエキゾという気配は、どうもそれだけじゃない気がするらしいのだ。つまり、彼らは「現実離れ」した音楽としてのエキゾを求めているのではなく、いま自分がいる場所や暮らしと隣り合わせにあるはずの表現としての「生活のなかのエキゾ」を探しているのだった。「ここにある何か」のなかに「ここではないどこか」を発見することが、彼らには切実なのだ。
じつはアメリカで生まれた「エキゾ」という感覚は、「遠い世界の出来事を想像する感覚」から、この日本で「生活を異界化させる感覚」に変化したとぼくは感じている。もっとも重要な鍵を担う表現を続けてきた音楽家のひとりが細野晴臣であることは言うまでもないが、そうしたエキゾ感覚が広く享受された要因は、やはり1978年に細野が結成したイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の成功にあった。
細野晴臣『泰安洋行』(1976年)を聴く(Apple Musicはこちら)
商業的な見地で言えば、1979年から1980年の間にYMOが吹かせたものは、まさに旋風だった。1stシングル『テクノポリス』(1979年10月 / オリコン9位)、2ndシングル『ライディーン』(1980年6月 / 15位)、そして2ndアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』(1979年9月 / 1位)、3rdアルバム『増殖』(1980年6月 / 1位)、ライブアルバム『パブリック・プレッシャー』(1980年2月 / 1位)。
この2年こそが、今回のコラムのテーマである「YMC(イエロー・マジック・チルドレン)」が最初に大量に生まれた、いわゆるベビーブーム期だ。今回リリースされた『Yellow Magic Children #01』の参加者にも、高野寛、片寄明人、宮沢和史、カジヒデキ、高田漣らを筆頭に、ずばりその世代や前後のブームを物心つく頃に体験したミュージシャンが少なくない。
もちろん、YMOの歴史にもエキゾのオリジネイターのひとり、マーティン・デニーがいる。YMO結成前に細野晴臣が抱いたビジョンは、デニーの曲“ファイアークラッカー”をシンセサイザーでディスコにして全世界で400万枚売るというものだった。1stアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』(1978年11月)では、細野のコンセプトに呼応して坂本龍一が“東風”、高橋幸宏が“中国女”を作曲している。彼らなりに感じ取った「異世界への憧れ=エキゾ」という感覚がそこにはあった。
YELLOW MAGIC ORCHESTRA『イエロー・マジック・オーケストラ』を聴く(Apple Musicはこちら)
だが、1979年に入って、そのエキゾが彼らのなかで変異を遂げる。坂本作曲の“テクノポリス”、高橋作曲の“ライディーン”はともに、東京、あるいは日本という意識が背景になったものだ。ヴォコーダーが連呼する「TOKIO」がシンボリックにこだました“テクノポリス”、もともと江戸時代の力士から取った「雷電」というタイトルに、テレビアニメ『勇者ライディーン』を引っ掛けたという“ライディーン”。細野がYMO以前から提唱していた「イエロー・マジック」という思想が、YMOというバンドの体内を通過して、日本の現在地に帰着した瞬間だった。
YELLOW MAGIC ORCHESTRA『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』を聴く(Apple Musicはこちら)
「現在に息づくエキゾ的感覚の実態。21世紀の音楽家たちに受け継がれたもの」テキスト:松永良平(リズム&ペンシル)
商業的な成功以降、メディアの寵児となった彼らはテレビ、ラジオや雑誌などのメディアに恐ろしいほどの物量で露出した。そういう意味では、お茶の間にとってYMO自身がもっともエキゾな存在になっていたのもこの時期だろう。
また、当時ローティーンだったぼくの世代にとっては、ギャグと音楽が渾然となって収録された「スネークマンショー」のアルバムや、テレビ『オレたちひょうきん族』(1981年放送開始)にサプライズ的に出演しナンセンスなコントを演じていた姿を通じてYMOを知った / さらに身近と感じた者も少なくないだろう。あの時代にメディアで起きていたおもしろそうなことの周辺には必ずYMOがいた。そのこと自体が、エキゾという感覚を音楽のなかだけで完結するジャンルではなく、音楽を超えた場所でも成立しうるものにした。たとえば日常とギャグの境目を飛び越えるように。
YELLOW MAGIC ORCHESTRA『増殖』を聴く(Apple Musicはこちら)
坂本龍一と忌野清志郎がテレビのなかでキスをすれば(シングル『い・け・な・い ルージュマジック』1982年4月)、その衝撃も生活のなかに飛び込んできたものすごくエキゾ的だった。1980年代前半は打って変わって急進的なサウンドを追求していたYMOが、突然、紛れもない日本語ポップス“君に、胸キュン。”(1983年3月)でお茶の間に帰ってきたのも、やはりエキゾ的だった。
日本の音楽シーン(と、のちにそれを支えることになる世代)にとって、エキゾを生活化したのは、間違いなくYMOだった。
個人的な経験でいえば、21世紀に入ってぼくはSAKEROCKやcero、VIDEOTAPEMUSICといったバンドやアーティストと知り合い、彼らの音楽を聴き、会話を交わすなかでYMOが切り拓いた「エキゾの現在地」を否応なく意識した。伝統的なエキゾ音楽の作法を忠実に踏襲するとか、「異なるジャンルを越境する」というミクスチャー感覚だけを過剰に意識するとかではなく、YMOがそうであったように、彼らも自分自身から出発するエキゾ感を大切にしていた。そして、自分自身から始まっているからこそ、型にとらわれずにどんどん変身をしていった。自分が自分でなくなることと自分が自分であることの間にも、エキゾはいつでも存在する。
cero“Fdf”(2020年)を聴く(Apple Musicはこちら)
『Yellow Magic Children #01』に集ったさまざまな世代のミュージシャンたちの演奏を聴いても、それはおおいに感じるところだった。このコンサート限りの演奏だったとはいえ、こうしたイベントでYMOの遺した音楽をカバーすることはプレッシャー(まさに公的抑圧!)のかかる大役だったと想像する。しかし、意外なくらいそれぞれの演奏は楽しそうで、伸びやかだった。エキゾ的なモチーフがあるかないかという判別ではなく、演奏した誰もがYMOによって変容させられた / これから変容してゆく自分を感じていたはずだから。
YMC“中国女”を聴く(Apple Musicはこちら)YELLOW MAGIC ORCHESTRA“中国女”を聴く(Apple Musicはこちら)
個人的には“テクノポリス”や“ライディーン”がラインナップに含まれていてもよかったなと思うけど、「#01」と銘打たれているから、きっと「この次」があるのだと期待する。
オリンピックを迎えて東京が混沌化し、激変するネット社会で生活と世界の境目が見えなくなって翻弄されている時代に、誰が現代に「TOKIO」と響かせてくれるのだろう。ぼくはひそかに楽しみにしている。
「ミレニアル世代に『発見』されたYMO。『未知の過去』として放つ魅力について」テキスト:柴崎祐二
電気グルーヴやCornelius、KEN ISHII、レイ・ハラカミ、TOWA TEIといったアーティストから、それに続くCAPSULE(中田ヤスタカ)、あるいはサカナクションやodolといったテクノとロックフォーマットの融合を企図するバンドまで、具体的なYMO遺伝子伝播の例を挙げていけば、それだけで本コラムの文字数を埋めてしまうだろう。
それほどまでに巨大な存在として日本のポピュラー音楽史上に屹立するYMOだが、本稿では昨今において彼らの音楽がどのような観点から再び評価されているのか、またそれを踏まえ、先だってリリースされたトリビュートコンサート作品『Yellow Magic Children ~40年後のYMOの遺伝子~』から更にその先の裾野に目を伸ばし、現在の先端的なシーンで活躍する若手アーティストの作品に観察することのできる影響に注目してみたい。
YMC“MAD PIERROT”を聴く(Apple Musicはこちら)YELLOW MAGIC ORCHESTRA“マッド・ピエロ”を聴く(Apple Musicはこちら)
まず、YMOの音楽への評価パラダイムの変遷について触れておきたい。上述のように、時代を通じてその影響力を行使し続けたように見られがちなYMOだが、少なくとも「YMOチルドレン」が覇権を握ってからさらに後の時代、1990年代後半から2000年代中頃まで、彼らのレコード群はいわゆる「底値」状態だったことには留意したほうがよい。
エレクトロニカやポストロックといったインディー発シーンの勃興が、その前の時代たる「テクノポップエラ」を遡及的 / 父殺し的に否定するという空気感もあったし、さらにはそれを包摂する大きなムードとして、「あの頃の1980年代的なサウンド」や特有のキッチュな表象を忌避する趨勢があったのだった(現在30代後半以上の音楽リスナーにとってその頃のムードを思い出すことは容易いだろう)。
しかしながら、2000年代半ばころから現れたニューウェイブ~ポストパンクリバイバルやそれに伴ういわゆるシンセウェイブの勃興など、1980年代音楽への再考を契機として、ファッションなどとも連動しながら1980年代的な音像(=シンセサイザーのキッチュなサウンドや、サンプラーのプリミティブな用法、特徴的なリバーブなど)がむしろクールなものとして全面に躍り出てきたのだった。また、続く2010年代に向かうにつれ、先端的なインディーシーンからいわゆるチルウェイヴなどが現れ、更にはヴェイパーウェイヴへと突然変異を遂げていくに至り、1980年代的な音像 / 表象の相対化が完了することになったのだった。
これらを牽引してきたのはいわゆる「ミレニアル世代」と呼ばれる者たちであり、当然ながら彼らはかつての「チルドレン」世代のようにYMOへリアルタイムで触れることもなかったし、もっといえばその後のYMOが「ヒップでなかった」時代も知らないのだった。このような状況において、新たにある種の「和モノ」の源流としてYMOを再発見する流れが国内外で巻き興ったり、「未知の過去」としてレトロフューチャリスティックな魅力をYMOに見出しているというのが、昨今現れた新たな世代の向きではないだろうか(かつて、ヴェイパーウェイヴのイコン・Vektroidが「ヴェイパーウェイヴは30年前に坂本龍一が発明した」とジョーク交じりで発言したのも興味をそそる事柄だ)。
また、こうした背景に導かれて巻き興ったYMO再評価のなかにあって、そうした「後追い」の世代からひときわ高い人気を集めているのが、『BGM』『テクノデリック』(ともに1981年作)といった中期作品といえるのではないだろうか。ブレイクを経た後、様々なプレッシャーのなか制作されたアヴァンギャルド色の強い『BGM』や、スランプから復帰した坂本龍一主導による『テクノデリック』に横溢する濃密な作家性(=ある種の反商業性)がロック神話的憧憬を惹き寄せている部分もあるかもしれないが、何よりもまず、そのサウンドの普遍的革新性が多くの非リアルタイムリスナーを魅了するのだろう。
マイナーキー楽曲が多くを占め、内省的でヘビーなトーンを持つ『BGM』だが、リズムの面でも、TR-808をループ的に鳴らしながらレコーディングを行ったというエピソードからもわかるように、それまでにもまして楽曲は無機的な手触りを帯びることとなり、後のテクノ発展史を先取りするようなストイシズムに貫かれた世界となった(“ハッピーエンド”や“来たるべきもの”のシリアスなカッコよさ!)。また、名アナログシンセサイザー、プロフェット5の大幅導入や、外部からのキーボード入力も可能なシーケンサーMC-4の導入によって各音素配置のアイデア実現可能性が飛躍的に高まった印象で、こうした点が次作への布石となっている点にも注目したい(※初出時、本文中の記載の機材Roland MC-4 Microcomposerについて、誤った説明をしていました。お詫びして訂正させていただきます)。
YELLOW MAGIC ORCHESTRA『BGM』を聴く(Apple Musicはこちら)
その次作にあたる『テクノデリック』では更に革新的な機材導入がなされたことで実現したよりミニマルなサウンドが特徴的だ。レコーディング期間の途中で「4人目のYMO」ことシンセサイザープログラマーの松武秀樹によってもたらされたオリジナルメイドのサンプラーLMD-649を遺憾なく活用したその内容は、現在のDAW発展まで連綿と続く、「テクノロジーが音楽そのものを変えていく」という事実のもっともエッジーな一例として聴くことができるだろう。
また、本作を特徴的なものにしているのは、そうした先端機材の導入を行いながらも、随所でメンバーの闊達な生演奏が聴けるという点だろう(言うまでもないことだが、彼らは超一流の演奏者でもある)。そうした「デジタルと人の手による演奏の融合」という、後の時代の作家が繰り返し主題として取り上げることになる方法論を、この時点でほぼ完璧と言うべきクオリティーで実践していたことにも改めて驚かされるのだ。
YELLOW MAGIC ORCHESTRA『テクノデリック』を聴く(Apple Musicはこちら)
「現代的な価値観と手法で、YMOを捉える3組の音楽家たち」テキスト:柴崎祐二
では、これまで述べてきたようなYMOへの評価視点を踏まえながら、新世代において支持を広げつつある注目すべきアーティストの名前を挙げていこう。
パソコン音楽クラブは、(YMOの初期曲だが)“COSMIC SURFIN'”をレパートリーにしていることからもわかるように、かなり意識的に「YMO的なるもの」と「当時のテクノロジー」を自身の音楽性に取り込んできたユニットだろう。彼らの出世作となった1stアルバム『Dream Walk』(2018年)は『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』期のYMOにも通じるコンセプチュアルでポップな手触りを纏っており、さらにはDTM世代らしい強靭なビートなどダンサブルな要素を導入することで、圧倒的にオリジナルな表現へと昇華している。
パソコン音楽クラブ『Dream Walk』を聴く(Apple Musicはこちら)
またその制作環境にも注目すべきで、技術的な面からは既に価値のないものとされているような各種音源モジュールやデジタルシンセサイザーをあえて駆使することでサウンドを構築しているのだ(このあたりも「当時の音」にフェティッシュを抱く現代の聴取感覚との符号を見いだせる)。
また、YMOへの接近ということでいうと、1stアルバムに先立ってネットレーベル「Local Visions」からのコンピレーション作『Megadrive』に提供した“조개”(ハングル文字を題名に据えることでYMOがかつて実践した「外側から見た東洋」に通じるエキゾチシズムを醸すことになっているのにも注目されたい)も、『テクノデリック』期におけるミニマルなテクノサウンドへのオマージュになっているように聴こえるのだ。
そして、いかに往時の機材を使用すれども、いわゆるアナクロニズムに陥ることのをはっきりと回避しているのも彼らの特長だろう。DAWの戦略的援用や高精細なマスタリングといった現代の技術との融合によって一層ハイフィデリティーなサウンドを実現した昨年リリースの最新アルバム『Night Flow』こそは、彼らの現時点での最高の音楽的成果であると同時に、クールで不敵な(けれどポップな)作家性の奔出という点において、『BGM』に通じるようなモノリス的作品であるともいえよう。まさに、『BGM』的なストイシズムとDTM美学に駆動されたコンテンポラリーなポップスの誕生を感じさせる内容であった。
パソコン音楽クラブ『Night Flow』を聴く(Apple Musicはこちら)
その『Night Flow』にもボーカリストとして参加した若き天才・長谷川白紙の名前も是非挙げておきたい。一般的に、パソコン音楽クラブらと同じく「DTM作家」と見られてきた彼だが、アカデミックな現代音楽やジャズをも射程に収めるその才能からして、もちろんYMOからの影響のみで語れるものではない。
しかし、かつて少年期にインターネットを通じてエレクトロニカに触れ、その流れでYMOの音楽にも親しんだという彼は、一昨年のEP『草木萌動』で『BGM』収録の“キュー”のカバーを披露するなど、YMOへの真摯なオマージュも聴かせてくれたのだった。
長谷川白紙『草木萌動』を聴く(Apple Musicはこちら)YELLOW MAGIC ORCHESTRA“キュー”を聴く(Apple Musicはこちら)
原曲のややスクエアなビートを細密に切り刻んだうえで、しなやかに変幻させたようなダイナミックなアレンジがなされた長谷川白紙版“キュー”は、YMOの遺産を自身の方法論へ引き寄せながらそれを大胆に超克していこうとする強靭な意志のようなものを感じさせる出来栄えとなっている(そういった意味で、YMO的パースペクティブをぶち破ってみせたかのような昨年リリースの最新作『エアにに』は一層凄みのあるアルバムで、必聴)。
長谷川白紙『エアにに』を聴く(Apple Musicはこちら) / 長谷川白紙『エアにに』のレビュー記事を読む(ページを開く)
YMOの現在的影響は、もちろんDTMシーンに限らない。『BGM』~『テクノデリック』期からの影響を読み解くという論旨からはやや外れてしまうが、この機会に紹介したいのが、Super VHSだ。
2011年頃から、先述の「チルウェイヴ」へ国内から呼応するようなリリース活動を行ってきた「ロックバンド」なのだが、最新作『Theoria』(2019年)において、いわゆる「和レアリック」といったタームで再評価されることとなった1980年代日本のポップスやニューウェイブを鮮やかに射程におさめる作品を作り上げたのだった。
豊かなリスニング経験に裏打ちされた彼らの作品には、様々にマニアックな要素が織り混ざっているが、やはりそのなかでもひときわ大きな存在としてYMOの存在が聴こえてくるふうだ。特にシンガーソングライターのtamao ninomiyaをボーカルに迎えた“shipbuilding”からは、いかにも“君に、胸キュン。”風のビデオ内容もさることながら、サウンド自体も、ポップに振り切りながらもそれまでの前衛的手法を組み込んでより確信的なサウンドメイクを行うようになっていた時期のYMOへの色濃いオマージュを嗅ぎ取れる。
また、同時期にYMOが作・演奏を行った小池玉緒の傑作シングル『鏡の中の十月』にも通じる、いわゆる「YMO歌謡」の雰囲気も纏っており、同曲が昨今熱狂的な再評価に晒されていることもあり、まさに現在におけるYMO聴取の先端的感覚の一側面を敏感に反映した作品であるといえよう。
Super VHS『Theoria』を聴く(Apple Musicはこちら)
このようにいくつか例を挙げようとしただけでも興味深いアーティスト / 楽曲が絶えない「YMOの遺伝子」の現在。もはやYMOの存在とその音楽が、自明なものとしてポピュラー音楽文化内部へ再帰的に定着した今、それを継承 / 超克していくスリリングな成果が今後続々現れるようになるだろう。
そのたびに、YMOという存在の大きさが再確認されることになるだろうが、一方で、その大きさに怯むことなく、その遺伝子を、ときに不躾なほどの大胆さをもって撹乱的 / 批評的にとらえる音楽家が現れることも期待したい。というか既に現れているかもしれない。いちYMOファンとして、今後も楽しみは尽きない。
「YMOチルドレン誕生以前、国産ポップスの中心に太く根を張っていた細野・坂本・高橋」テキスト:吉村栄一
1990年代に世界の音楽ファンの間で話題になった本が、ピート・フレームというイギリスの音楽研究家による書物『Rock Family Trees』だった。その名のとおり、The Beatles前後から刊行された1993年までの主にイギリスのロックバンドのメンバーの変遷や関連、影響を受けた別のバンドの系統図の本。樹木が枝葉を拡げるように、あるいは根を拡げるようにいろいろなバンドの人間関係と相互に影響を及ぼしあっている様が視覚的に理解できるようになっている好著だった。
日本でも話題になり、いくつかのバンドやアーティストの系統図の特集が雑誌などで組まれもしたが、ことロック~シティポップの系統で太い幹となっていたのは、やはり、はっぴいえんどからYMOに至る細野晴臣と大滝詠一の歴史だった。
はっぴえんどという日本のシティポップの本流のような大木から、細野晴臣という枝分かれがあり、それがやがて1970年代末にYMOというこれまた太い樹木になる。そんな図だ。
はっぴいえんど『風街ろまん』(1971年)を聴く(Apple Musicはこちら)細野晴臣 & イエロー・マジック・バンド『はらいそ』(1978年)を聴く(Apple Musicはこちら)
YMOは1978年にデビューしたが、その背景には細野晴臣のはっぴいえんどはもちろん、高橋幸宏のサディスティック・ミカ・バンド、坂本龍一の現代音楽とスタジオミュージシャン、アレンジャーとしての背景が強大な根となって存在し、それも互いに絡み合っていた。たとえば坂本龍一と細野晴臣の出会いは1975年の大滝詠一、山下達郎とのレコーディングだったように。
この大滝詠一、山下達郎とのレコーディングは『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』というアルバムのためのものだったが、坂本龍一はそれ以前に山下達郎、大貫妙子らが在籍したシュガーベイブと交流があって、その縁で大貫妙子のソロ作品のプロデューサー / アレンジャーとなり、レコーディングに細野晴臣や高橋幸宏も招いていた。ラジなどを手がけた高橋幸宏、ユーミンや吉田美奈子のデビューを支えた細野晴臣と、日本のシティポップの成立にYMOを結成以前の3人が大きくかかわっていたことは、後の日本の音楽界を俯瞰するときには重要なポイントだろう。
坂本龍一が編曲と鍵盤、細野晴臣がベース、高橋幸宏がドラムで参加した大貫妙子『MIGNONNE』(1978年)を聴く(Apple Musicはこちら)
シティポップだけではない。ソロデビューの発売元が「ベルウッド・レコード」だった細野晴臣、録音デビューが友部正人のバックだった坂本龍一、ガロの関係者だった高橋幸宏と、それぞれYMOのデビュー前はフォークとの縁も深い。
細野晴臣『HOSONO HOUSE』(1973年)を聴く(Apple Musicはこちら)
YMO結成前後には、メンバー3人がそれぞれ、日本のロック、フォーク、シティポップと後に称されることになるニューミュージック、さらには歌謡曲、ジャズやフュージョン、レゲエ、民族音楽~ワールドミュージックなど、それこそ演歌以外(これも1980年代以降にはかかわるように……)の日本の主流のポピュラーミュージックのほぼすべてに関係していたといっても過言ではないぐらい。
そしてYMOの結成により、それらジャンルにニューウェイブ、テクノ(エレクトロニックポップ)という最新の音楽まで追加された。
「YMOチルドレンたちが、世代を問わず、さまざまなフィールドで才能を芽吹かせてきた背景」テキスト:吉村栄一
おまけに、YMOはブレイク以降にメディアの寵児のような存在にもなり、メンバー全員がテレビ、ラジオ、雑誌、新聞に登場し、そこでそのときどきの最新の音楽の趣味趣向を披露した。なかでも坂本龍一はNHK-FMという日本全国津々浦々、どんな田舎に住んでいても聴くことができるメディアでレギュラー番組を持っていた。
輸入盤店もなければクラブもない田舎の10代の少年少女に向けて世界の最先端の音楽が紹介され、さらには「デモテープ特集」を開催して若者たちに新しい音楽の実践も促した。この影響は絶大だった。当時は高価なシンセサイザーはとても買えないような少年少女でも、番組で紹介されるニューウェイブの音楽には、段ボール箱をドラムがわりに叩いて録音したイギリスのアーティストの曲、その他予算も手法も問わないセンスとアイデアのみで勝負したような曲が多数あった。お金も演奏のテクニックもまだない音楽少年少女にどれほどの希望とやる気を与えたかは言うまでもないだろう。
そうした影響の下で育ったのが、高野寛でありTOWA TEIであり、槇原敬之であり、宮沢和史、そして電気グルーヴの石野卓球、ピエール瀧、砂原良徳らだった。みな1960年代半ばの生まれ。YMOに出会ったのは10代の多感な頃だ。おもしろいのはこのなかでテクノ方面に進んだのは電気グルーヴのみ。ヒップホップ~ハウスのTOWA TEI、正統派のシンガー槇原敬之、ギターポップ / ロックの高野寛、宮沢和史と見事に出発点はバラバラだった。
これは前述のシンセサイザーが高価だったという理由のほかにも、YMOの音楽がテクノに留まらない、様々な音楽を内包した引き出しの多いものだったということもあったに違いない。
YMC“夢の中で会えるでしょう (feat. 高野寛)”(Apple Musicはこちら)YMC“島唄 (feat. 宮沢和史)”(Apple Musicはこちら)
昨年、イエロー・マジック・チルドレン=YMCという企画が立ち上がったとき、チルドレンの代表格である高野寛とまず話したのは、「YMOのテクノポップのコピーをやるのではなく、それぞれのオリジナルの音楽性をそのまま出してほしい、それが結局はYMOからの影響をそのまま出すことになるだろうから」ということだった。
たとえばその高野寛は、YMOの影響を受けて高橋幸宏プロデュースでギタリスト、シンガーソングライターとなった。それ以降、日本の音楽シーンの王道でポップな活躍を見せる一方、YMOとフリッパーズ・ギターらの渋谷系という1990年代の新しい日本のシティポップを結びつける役割も果たしていた(フリッパーズの小山田圭吾が2000年代のYMOのサポートギタリストにもなった)。その枝葉から、YMCには野宮真貴やカジヒデキら渋谷系の象徴のようなアーティストがYMCに招聘されることにもなった。
YMC“君に、胸キュン。ー浮気なヴァカンスー (feat. カジヒデキ & 野宮真貴)”を聴く(Apple Musicはこちら)
また、YMCには今まさに「ベルウッド」から作品を発表している高田漣もいれば、YMOの現代音楽面の系譜に連なる網守将平もいる(参考記事:網守将平と音楽問答。我々は「音楽そのもの」を聴いているのか?)。YMOメンバーの実際のチルドレン、グランドチルドレンもいれば、父がYMO関連の仕事をしていてその影響で幼い頃から関連のレコードを聴いて育ったというDAOKOのような隔世遺伝世代もいる。
網守将平『パタミュージック』(2018年)を聴く(Apple Musicはこちら)YMC“在広東少年 (feat. DAOKO & 片寄明人)”を聴く(Apple Musicはこちら)
ワールドミュージックや民俗音楽のほうではタブラ奏者のU-zhaan、スカやレゲエでは東京スカパラダイスオーケストラ、星野源や青葉市子のような個性的なシンガー、ミュージシャンも枚挙にいとまがない。クラシック方面、ジャズ方面にもYMOのファミリーツリーに連なる人の名前はすぐに出てくる。どのような音楽をやろうとも、YMOの影響を受けて育つと、みなどこかしら音楽的な顔つきが似てくるのかもしれない。生み出す音楽も、みな一筋縄ではいかず天の邪鬼的な実験精神がある。地位を得てもそこに安住せず、いつまで経っても浮気なぼくら、わたしたちだ。
YELLOW MAGIC ORCHESTRA『浮気なぼくら』を聴く(Apple Musicはこちら)
そのような姿勢、態度こそ、YMOから受けた影響の最たるものかもしれない。
ピート・フレームの研究は21世紀のいまもなお継続中で系統図はますます巨大なものになっている。YMOのファミリーツリーも近年ではヨーロッパ、アメリカ、アジアで芽吹いたアーティストが散見されるようになってきた。次回のYMCはもっと世代が拡がり、国境の壁もなくなっていくような気がしてならない。世界樹のようだ。
YMC『Yellow Magic Children #1』を聴く(Apple Musicはこちら)
- リリース情報
-
- YMC
『Yellow Magic Children #01』初回生産限定盤(CD+Blu-ray) -
2019年12月25日(水)発売
価格:5,280円(税込)
UMA-9135-9136[CD]
1. Instrumental~CUE(HANA + 高野寛)
2. 夢の中で会えるでしょう(高野寛)
3. The Other Side of Love(坂本美雨)
4. ONGAKU(坂本美雨)
5. Tighten Up(細野悠太)
6. THE MAD MEN(高田漣 + 細野悠太 + 坂本美雨)
7. GAMES(高田漣)
8. 東京は夜の7時(野宮真貴 + カジヒデキ)
9. 君に、胸キュン。(カジヒデキ + 野宮真貴)
10. MAD PIERROT
11. 高い壁には幾千のドア(DAOKO + 片寄明人)
12. 在広東少年(DAOKO + 片寄明人)
13. LOTUS LOVE(宮沢和史 + 高野寛)
14. 島唄(宮沢和史)
15. 中国女
16. Firecracker[Blu-ray]
1. Intrumental~CUE(HANA + 高野寛)
2. ONGAKU(坂本美雨)
3. Tighten Up(細野悠太)
4. THE MAD MEN(高田漣 + 細野悠太 + 坂本美雨)
5. 君に、胸キュン。(カジヒデキ + 野宮真貴)
6. MAD PIERROT
7. 在広東少年(DAOKO + 片寄明人)
8. LOTUS LOVE(宮沢和史 + 高野寛)
9. 中国女
10. Firecracker
- YMC
『Yellow Magic Children #01』通常盤(CD) -
2019年12月25日(水)発売
価格:3,080円(税込)
UMA-11351. Instrumental~CUE(HANA + 高野寛)
2. 夢の中で会えるでしょう(高野寛)
3. The Other Side of Love(坂本美雨)
4. ONGAKU(坂本美雨)
5. Tighten Up(細野悠太)
6. THE MAD MEN(高田漣 + 細野悠太 + 坂本美雨)
7. GAMES(高田漣)
8. 東京は夜の7時(野宮真貴 + カジヒデキ)
9. 君に、胸キュン。(カジヒデキ + 野宮真貴)
10. MAD PIERROT
11. 高い壁には幾千のドア(DAOKO + 片寄明人)
12. 在広東少年(DAOKO + 片寄明人)
13. LOTUS LOVE(宮沢和史 + 高野寛)
14. 島唄(宮沢和史)
15. 中国女
16. Firecracker
- YELLOW MAGIC ORCHESTRA
『WINTER LIVE 1981』(Blu-ray) -
2020年2月5日(水)発売
価格:6,600円(税込)
MHXL-76[WINTER LIVE 1981]
1. PROLOGUE
2. PURE JAM
3. LIGHT IN DARKNESS
4. CAMOUFLAGE
5. STAIRS
6. NEUE TANZ
7. HAPPY END
8. MUSIC PLANS
9. CUE
10. TAISO
11. COSMIC SURFIN
12. EPILOGUE
13. TONG POO(MUSIC VIDEO)
14. COMPUTER GAME“Theme From The Circus”~FIRECRACKER(MUSIC VIDEO)
15. TECHNOPOLIS(MUSIC VIDEO)
16. RYDEEN(MUSIC VIDEO)
17. TAISO(MUSIC VIDEO)
18. KIMI NI MUNE KYUN(MUSIC VIDEO)※初回限定盤:三方背ケース仕様
※初回仕様の在庫がなくなり次第、通常仕様に切り替わります。
- YMC
- プロフィール
-
- YMC (わいえむしー)
-
イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の結成40周年となる2018年、そのお祝いをしたいと考えた有志により結成されたトリビュートバンド。バンドマスターの高野寛をはじめ、YMOの薫陶を受け、その遺伝子を引き継ぎつつもオリジナルの表現をしているアーティストが集結した。バンドメンバーはYMOやそのメンバーのソロ活動への参加の経験が豊富な、高田漣、ゴンドウトモヒコ、沖山優司、白根賢一に加え、新世代の星でもある網守将平。さらにゲストバフォーマーとして、宮沢和史、野宮真貴、カジヒデキ、坂本美雨、片寄明人、DAOKO、HANA、細野悠太も参加して、2019年3月14日、東京新宿文化センター大ホールで一夜限りのスベシャルコンサートを行なった。YMOのカバー曲と、YMOに影響を受けた自分たちのオリジナル曲をまじえたそのコンサートは、YMOチルドレンによる、YMOチルドレンのための祝祭の空間となり、客席にはYMOのメンバーたちの姿もあった。
- フィードバック 7
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-