CINRA.NETでは2020年5月中旬に、各地の映画館と配給会社、制作会社、現場スタッフ、映画イベントの主催者にメールインタビューを行なった。各地のミニシアターの声を紹介した前編に続き、後編では「映画館以外」の職種に焦点を当てて、回答を紹介する。(前編はこちら。)
本記事で取材したのは、アピチャッポン・ウィーラセータクンやワン・ビン作品を取り扱ってきた配給会社ムヴィオラの代表・武井みゆき氏と、枝優花監督らが所属する映画企画・制作会社ブリッジヘッドの代表であり『ピンポン』や『ジョゼと虎と魚たち』などのプロデューサーを手掛けてきた小川真司氏、今泉力哉監督『街の上で』や金子由里奈監督『眠る虫』などの現場で美術を担当してきた中村哲太郎氏、そして『爆音映画祭』の運営や書籍の出版、CDの発売など、多岐にわたる活動で映画ファンに愛されてきたboidの代表・樋口泰人氏。それぞれの立場の現状と、政府や行政に求めること、そして「自分にとっての映画館」について、返答をいただいた。
『Help! The 映画配給会社プロジェクト』も始動。配給会社や製作現場の現状は?
映画に携わる人々は、それぞれの立場で知恵を絞りながらこの困難に立ち向かっている。新型コロナウイルスの感染拡大によって、映画館で作品を上映できなくなったいくつかの独立系配給会社は、「アップリンク・クラウド」を利用して過去担当作品をオンライン上映する『Help! The 映画配給会社プロジェクト』を立ち上げた。ムヴィオラも参加している配給会社の1つだ。
武井みゆき(配給会社ムヴィオラ代表)
<現在の状況>
映画館の休館などで多くの配給会社が大変な状況。休館などによって映画料がゼロになる、公開を予定した映画が延期になったり、いつ公開できるかがなかなか見えなくなっているなどなど。弊社では生き延びるために「仮設の映画館」と「Help! The 映画配給会社プロジェクト」の配給会社別見放題配信サービスに参加しています。
<政府や行政に求めること>
「お上に頼らない」江戸庶民の意気がDNAに入ってるのか、どうにも政府や行政に何かを求めるのは苦手ですが、あらゆる事業種のあらゆる人に国民が払っている税金を使ってもらいたいと強く強く思います。けちけちしないで、休業依頼は補償とセットにしなさいよと言いたい。
映画撮影の制作現場はどうだろう? 「3密」を避けるよう呼びかけられているコロナ禍では、大勢のスタッフが携わる状況は、とうてい作れない。以下の2名の回答からも、そのシビアな現状が伝わってくる。
小川真司(株式会社ブリッジヘッド代表 / プロデューサー)
<現在の状況>
緊急事態宣言に伴い、打ち合わせなどはすべてリモートで行なっています。私の作品は3月半ばに撮影が終わっていたので、コロナ禍の直接大きな影響はなかったのですが、それでも音楽録りなどが予定通りにはできずに仕上げ作業は6月から秋に延ばしました。同業者の他の作品は、撮影を開始して途中で中断した作品や、撮影を一年延期した作品など、かなり大きな影響が出ています。3月から梅雨までの時期というのは一番撮影がしやすい時期なので、多くの作品が入っていたと思いますが皆ストップしています。
<政府や行政に求めること>
もともと日本は行政の文化予算が他の先進国に比べると少ないと感じてます。特に映画に関してはアメリカ型(映画は文化ではなくビジネス)の考えがベースにあるのか、経済産業省がクールジャパン(映画はメインではない)を推進する傍ら文化庁が細々と助成金制度を設けるということが続いています。映画はこの20年間で制作、興行の環境が大きく変化しました。今回のコロナ禍でメジャー映画も大きな打撃を受けてます。資本の投資意欲が失われて冒険的な映画や新人の作品を作ることはますます難しくなることが予想されます。コロナ禍で瀕死になっているミニシアターやフリーランスの役者、スタッフへの直接の支援が喫緊に求めることなのは間違いないのですが、長期的に映画の多様性を担保しかつ世界に通用する作品作りの基礎を養う為の合理的な助成制度が必要かと思います。その為には行政側でそれを指揮する人間がある程度業界での実務経験があることが必要なのではないかと思います。
中村哲太郎(美術部)
<現在の状況>
過去の予定を見たところ4月20日に最後のロケハンに行っていて、その日のうちに自分が抱えていた組全ての延期が決定しています。現在はその内一つの組が8月インという見通しで動いていますが、今後の状況や何より役者さんのスケジュールが第一になるので日程の細かい決定はもう少し先になる予定です。
自分自身はフリーなので、今も家で出来る宣伝美術の仕事を受けたり、(あるかわからない)次の現場に必要な作りものをしたりはしますが、美術品のレンタル業者の休業やリース先の店舗の営業短縮などでなかなか本業の美術としての仕事は出来ないでいます。聞いた限りでは装飾会社などに所属している友人は撮影はまだ無い中、倉庫の整理や次の準備などで会社に出向いて動き出しているようです。
<政府や行政に求めること>
求められている答えとはズレるかもしれませんが……。他者への想像力を持って欲しい、声をしっかり聞いて欲しい、それに尽きます。これっておかしくないか、そういうふとした声(世論はもちろん、まず内部の意見さえ通り難い体質なのかもしれない)に耳を傾けることができたならこうはなっていないだろう、ということがまかり通ってしまう現状に、よりその思いを強くします。
その反面、私の周りでいえば「声をあげていいんだ」ということを大勢が実感として持ち始めている気がします。私たちが選挙で選んだ人だからしょうがない次の選挙で頑張ろう、なんて思いません。人は間違えるし世界も変わる。その時正しかったから今も正しいとは限らない。間違えていたらその都度私たちは声を上げるから、だから、その声をちゃんと聞いて欲しい。最低限ですが、そう思います。
『爆音映画祭』は3月以降中止。boid・樋口泰人にも心境を訊く
音楽ライブ用の音響機材を使って映画を上映する人気イベント『爆音映画祭』を全国で開催してきた、樋口泰人氏は以下のようなコメントを寄せてくださった。
樋口泰人(株式会社boid boid inc.代表)
<現在の状況>
3月以降、すべての『爆音映画祭』が中止で、6月以降もまったく決まっていません。おそらく秋くらいから少しずつ始まっていくことになるはずです。過去の提供&配給作品は再開し始めた映画館で少しずつ上映が始まっているという状況です。つまりまったく仕事になっていない。せっかくなので遊んでいます。貧乏一直線ですが、ここであたふたしたらせっかく強制的にやってきてくれた「時間」に対して申し訳ない。だらだらとゆっくり無駄な時間を過ごしています。これまで世界中がいかに馬鹿みたいに働いてせっかくの時間を結局はどこかの誰かに搾り取られるだけの金を稼ぐために使ってしまったか、そのことを思うと元の暮らしには戻るのも、また、どこかの誰かのための「新しい生活」に慣れ従うこともあり得えない。思わぬ事態によって触れることのできた、忘れていた「時間」とともに生きて行けたらと思っています。
<政府や行政に求めること>
希望としては政権や国家の官僚システムのすべてが根本的に変わってくれること。ここまで硬直化した組織やシステムが、柔軟な文化政策が取れるとは思えない。それをうまく使うことのできる人間や組織だけが得をする。そうだとしたら変わらなければならないのは私たちではないか。もちろんその場その場での具体的な要望を出しつつ、一方でわれわれの映画製作、上映などのやり方をこれまでにないものとして作り上げていく。ほんのちょっとの変化でもあり長い時間のかかる変化でもあるが、希望はある。とりあえず今の政府や行政への要望としては、戦闘機買う予算を文化厚生予算に回せ、という一点。戦闘機じゃウィルスから国を守れない、文化は人の心を救うことができる。もちろん医療、福祉は実質的に人命を救う。これこそ国防ではないか。F35を1機買うのに100億円以上。この数年で100機以上の購入予定とのこと。
なぜ私たちには映画館が必要なのか。4名に訊く「あなたにとって映画館とは?」
ここまでのコメントから、今映画業界が置かれている状況が決して楽観視できるものではないと感じられるだろう。そんな大変な状況を、なぜ人々は必死で乗り越えようとしているのか? 4名それぞれが綴った「自分にとっての映画館」についての回答を読んでいただけたら、そのヒントが見えてくるかもしれない。
武井みゆき(配給会社ムヴィオラ代表)
実物大より大きなスクリーンがある場所。暗闇がある場所。自分では聞き取れない誰かの声を聞く場所。知らない誰かや知ってる誰かと一緒に笑って泣ける場所。
小川真司(株式会社ブリッジヘッド代表 / プロデューサー)
今回の自粛で、映画館で映画を見れなくなったので、プロジェクターを購入して事務所の壁に投影して映画を見るということを始めました。テレビやPCの小さい画面で見るよりもこれはこれで非常に快適に映画を鑑賞することができます。しかしながら、「やはり映画館で映画を見るということとは違うな」と感じました。
劇場まで出かけて知らない大勢の人や親しい誰かと一緒に同じ映画を見ること。それがまさに映画館が我々に与えてくれる「体験」という貴重な贈り物だったのです。「鑑賞」にとどまらない「体験」こそが「映画」が持つ潜在的な豊饒さを解き放ってくれるのだと。映画館は私にとっては映画を「映画」として見ることができる唯一の場所です。
中村哲太郎(美術部)
これだけ家にいると家に居場所がない、いられないと言う人も絶対いると思います。ここは自分の居場所じゃないと感じている人が逃げ込める場所があって欲しいと願っていますが、私にとって映画館はそういう場です。現実から遠く離れることができて、孤独であることが誰にも許されている場所。そうして名も知らない他人が隣同士同じ方向を向いて、光を見上げる。そんな奇跡みたいなみたいなことが起きる場所。そこでかかっている映画で描かれているのが、絶望であろうとどうしようもない“現実”であろうと、その場がいつもそこに存在していてくれる、その事実だけで希望を見出していました。今はただただ恋しいです。
樋口泰人(株式会社boid boid inc.代表)
自分を見失う場所。見失った自分としてあるいは見失われた自分としてどこの誰かもわからぬ視線でスクリーンを見つめただひたすらそこで起こっていることを受け取る。それによって映画を観なければ出会うこともなかった数えきれない人たちの人生の一部を受け取って自分の人生が数限りないものとなり厚みを増し豊かになりそしてさらに自分を見失っていく。そんなご機嫌な人生を生きることのできるツールということになるでしょうか
なんとか守りぬかれてきた火に、薪をくべる支援を
映画館に通えない約2か月間を経て、自分にとっての映画が、映画館が、どんな存在だったのかを思い知った方も多くいるだろう。そしてその答えは、上記4名からの回答からもわかるように、決して同じものにはなり得ない。
異なる価値観を持つ他人が、共に1つの映画を作り、紹介し、上映し、受け取ること。1筋の光線を見つめる暗闇の中で、他人同士の人生が交差することは、どれだけ奇跡的な出来事だったのだろう。そしてその奇跡を日常的な体験にするために、これまで命を削るような尽力をしてきた人たちが、今まさに、危機にさらされているのだ。
なんとか守りぬかれてきた火に、きちんと薪をくべてくれる公的な支援が、絶対に必要だ。「休業依頼は補償とセットにして欲しい」「長期的に映画の多様性を担保する合理的な助成制度を」「戦闘機買う予算を文化厚生予算に」。現場からあがった様々な、切実な声は「声をしっかり聞いて欲しい」という、1つの大きな願いと常に共にあるのだと思う。映画、演劇、音楽に携わる3団体が文化芸術復興基金の創設を目的に活動する「#WeNeedCulture」など、その声を実際に届けるための動きも活発化する中、政府は5月27日、新型コロナウイルスに対応する第2次補正予算案として、文化芸術やスポーツに関わる団体に対して、活動の継続や再開などを支援するために、総額で560億円規模の新たな支援策を盛り込む方針を固めた。この支援策が、まずは少しでも危機に瀕する人々に手を差し伸べてくれることを願う。そしてこれまで文化を支えてきた人の暮らしが、これからも続いていくように。公的機関からの支援が、適切に行なわれているのかどうか、私たちは常に、目を光らせていかなければならない。
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- 『Help! The 映画配給会社プロジェクト』
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日本の独立系配給会社が難局を乗り越えるために立ち上げたプロジェクト。緊急アクションとして「配給会社別見放題配信パック」を提供する。将来的には独立系配給会社団体として諸課題の改善や情報共有に取り組んでいくとのこと。
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