『アイ・キャン・オンリー・イマジン』「赦し」を巡る親子の物語

「クリスチャンロック」という、日本人には縁遠く感じられるものを見つめるにあたって

クリスチャンロックと聞いて、具体的にその楽曲がイメージできるひとが日本にどれくらいいるだろうか。アメリカではかなりの規模を誇るシーンではあるものの、おもに保守層にリーチしているということもあり、自分とは縁遠いものだと感じているひとが多いように思われる。僕もそうだ。ただ、多くのアメリカ人に愛好されている以上、クリスチャンロックを含むいわゆるコンテンポラリークリスチャンミュージックにも、たしかにその作り手の想いや人生がこめられているはずである。

映画『アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐ歌』より

父からの抑圧と暴力、母との別離……安心できる居場所を持てなかった少年とクリスチャンソングとの出会い。音楽と、信仰に対する喜びやジーザスへの愛を心の拠りどころに

『アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐ歌』は、クリスチャンロックバンドであるMercyMeによる同名曲にして大ヒットナンバーがいかにして生まれたかを描くドラマ映画だ。2001年に発表されたこのシングルは、現在までに250万枚のセールスを誇り、コンテンポラリークリスチャンソングとしてはもっとも売れた曲だというから恐れ入る。映画では、バンドのボーカルであるバート・ミラードの半生を軸にして、彼の父親との関係における葛藤がその誕生と深く関わったことを明らかにしていく。

映画『アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐ歌』のトレーラー(サイトを見る

のちにインタビューなどでミラード自身が語ったそうだが、彼の父は抑圧的な振る舞いをする人間で、常態的に自分や母親に暴力を振るっていたという。その家庭内暴力のなかで母は家を去り、ミラード自身も安心できる居場所を持てずにいた。そんなときに幼馴染に教えられて出会ったのが、コンテンポラリークリスチャンミュージックシーンを代表するシンガー、エイミー・グラントだった。グラントは元Chicagoのピーター・セテラとのデュエット曲“The Next Time I Fall”のヒットで一般にも知られる存在だが、あくまでミラードは彼女のクリスチャンソングに胸を打たれ、心の拠りどころとする。

幼少期からバート・ミラードは音楽好きで、U2などを愛聴していることが描かれる
バートがガールフレンドのシャノンからプレゼントされた、エイミー・グラント『Never Alone』を聴く(Apple Musicはこちら

高校時代はそれでも父の影響もありアメフト選手を目指していたミラードだが、怪我により引退を余儀なくされ、代わりに合唱団に加入し歌の才能を見出される。その後教会で歌うようになり、故郷を離れて音楽活動をするようになってからも、そのままクリスチャンミュージックを志すことになる。

映画ではこの流れがごく自然なものとして描かれるのだが、それだけクリスチャンであることと信仰を讃える歌を歌うことがミラードのなかでは当たり前に結びついていたのだろう。ただ、下積み時代に彼がぶつかることになるのが、彼の歌う主題――信仰に対する喜びやジーザスへの愛――に真実味が感じられないという他者からの指摘である。そこで彼は、自分が幼少時から抱えてきた父親への複雑な想いと向き合うことを決める。

たとえ実父であろうと「赦す」義務はない。しかしそれでは前に進めなかったバートは、信仰の本質に深く向き合う

抑圧的な父親とどのように向き合い、どのように赦していくか――。それはもちろん、本作のようにクリスチャンや保守層を描いた作品にだけでなく、現在多くのところで発見できるモチーフである。#Metooムーブメント以降とりわけ取り沙汰されることになった男性の加害性や、いわゆるトキシック・マスキュリニティ(有害な男性性)と社会が向き合い、解決していこうというムードと重なるところもあるのだろう。

左から:バート・ミラード、アーサー・ミラード

実際、『アイ・キャン・オンリー・イマジン』のデニス・クエイド扮するミラードの父アーサーは、旧態然とした「男らしさ」を誇示するタイプの典型として描かれている。アメリカで「男らしさ」を象徴するスポーツであるアメフトで息子が活躍したときも、素直に褒めるのではなく、「自分のほうがタックルされた人数が多かった」と言ってそのタフさを競うようなあり様である。タフであることを自身にも息子にも過剰に要求するために、優しさや思いやりといった(「女性的」とされてきた)感情を周りと共有できなくなり、加害的に振る舞ってしまうのである。

映画『アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐ歌』より

息子のミラードは被害者であり、暴力の加害者を赦さなければならない義務などもちろんない。しかしながら、彼は自身が「赦さない」という感情に囚われていることを自覚し、そこから解放されるためにこそ父親と真摯に向き合っていくのだ。そこで鍵となるのが信仰である。

ミラードが久しぶりに父親を訪ねると、さほど敬虔でもなかった彼が死を前にして、過去の罪悪感と向き合うためにキリスト教を頼りにしていることを知る。父は自らの罪を赦すために、息子は父を赦せないという桎梏(しっこく、自由を束縛するものの意)から解き放たれるために、「赦し」をつねに掲げる信仰と深く触れることになる。

興味深いのが、その過程で教会やクリスチャンのコミュニティが父子にとってある種セラピー的な役割を果たしていることだ。信仰といっても教義をただなぞり、それに従うのではなく、自身の内面の問題ときちんと向き合うという、心理療法の基本がそこでおこなわれているのである。そして父の死後、ミラードは“I Can Only Imagine”を一気に書き上げる。父を安らかにおくるために。

映画『アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐ歌』より

誰もが無縁でいられない「赦し」の物語として

ドラマティックなメロディ展開を持つバラッド“I Can Only Imagine”でミラードは、キリスト教の福音のイメージを並べながら、それを「想像するしかできない」と歌う。それをあくまで聖書のモチーフとして捉えるならば、クリスチャン以外には理解しがたいかもしれない。だが、赦せないとずっと思いこんでいたものを、それでも赦そうとするのを想像することだと考えるとどうだろう。個人の信仰に関わらず、ひとの心にとってとても大切なことが歌われていると感じられるのではないだろうか。

罪を赦すこと、赦そうと努めること。加害的な行為を過去にも遡って断罪する、いわゆるキャンセルカルチャーに顕著なように、「赦し」はいまもっとも困難なもののひとつかもしれない。これは都会と田舎、リベラルと保守といった現代アメリカ社会の断層と関係のない普遍的な問題であることが、本作を観るとよくわかる。だから信仰を本質的な意味で考え直すことは、いまとても重要なことであるように思われる。

そうした意味で『アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐ歌』は、ともすれば保守的だとしてあまり顧みられることのない人びとの感情や生き方を、歌を通して「想像してみよう」と訴えかける作品である。そして“I Can Only Imagine”が多くのひとの胸を打ったのは、そこにどこまでも人間的な心の動きがこめられていたからだ、と。

日本公開版では20才のシンガーソングライターDedachiKentaと、自身が牧師でもあり日本のソウル~ゴスペルミュージックのパイオニアとして1960年代から活躍する小坂忠がエンディングテーマを担当している。オリジナルの英歌詞をクリスチャンならではの解釈で日本語に訳し、より日本人にも歌詞の持つ意味が伝わるカバーソングとなっている。

作品情報
『アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐ歌』

2020年11月13日(金)ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国で順次公開

監督:アーウィン兄弟
出演:
J.マイケル・フィンレイ
デニス・クエイド
マデリン・キャロル
トレイス・アドキンス
ほか
上映時間:110分
配給:Eastworld Entertainment、culture-ville



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