ドラマ『ここぼく』が描いた日本社会のいま。危機感と真実の追及

※本記事は『今ここにある危機とぼくの好感度について』の結末に関する記述が含まれています。あらかじめご了承下さい。

(メイン画像:『今ここにある危機とぼくの好感度について』番組サイトより)

『ワンダーウォール』とも通じる、日本全体を覆う「うやむや」な雰囲気を描く

ドラマ『今ここにある危機とぼくの好感度について』(NHK総合)が5月29日に最終回を迎えた。

本作は、好感度ばかりを気にして、内容のあることを一切言わない元アナウンサーの神崎(松坂桃李)が、かつての恩師に声をかけられ、大学の広報に転職するところから物語が始まる。大学の仕事でも好感度だけでやっていこうと考えていた主人公が、大学に巻き起こるトラブルに対処するうちに、自分の在り方だけでなく社会の在り方についても考えざるを得なくなっていく姿をコミカルに描いている。

このドラマがスタートしたとき、同じく渡辺あやが脚本を手がけた2018年のNHKドラマ『ワンダーウォール』のことを思い出した。

『ワンダーウォール』では、100年以上の歴史のある「京宮大学」の自治寮「近衛寮」が、老朽化により建て替えの危機にさらされる。それに反対する学生たちが大学当局と直接対話をしようとするも、その機会が持てないもどかしさが描かれる。

2020年4月に公開された『ワンダーウォール 劇場版』予告編。ドラマ版に未公開カットなどを追加し、映画化された

印象的なのは、寮生たちが学生課に陳情をしにいくも、学生課の担当者が頻繁に入れ替わっていて、誰が実際の担当者かすらもわからないという描写だ。

明確な圧力がかけられたり、暴力的に制圧されたりしたわけでもないのに、学生たちの真摯な訴えが実際に対話をすべき大学の担当者のもとに届くことはなく、知らず知らずにうやむやにされてしまう。

学生課で学生たちと学校側を隔てるのは、窓口に張られた単なる透明な板だ。そこに「門番」のように座っている窓口の担当者も、どんな訴えも吸収してしまう「テトラポッド」のようなベテラン職員(山村紅葉)だったり、新任で右も左もわからないような非正規社員(成海璃子)だったりする。

学生課の「透明な壁」を見ていると、それはまさに「不可思議な壁」=「ワンダーウォール」に思えてくる。この作品は大学と学生との寮に関する対立の話であるだけではなく、何かを変えたいと立ち上がってもその思いが届かないまま空中分解させてしまうような、日本全体を覆う不可思議な何か──表向きはおだやかでも、じつはしぶとく根深い問題の複雑さを描いていると思った。

『ワンダーウォール』から3年。コロナ禍やオリンピックの問題に揺れる2021年の日本

そして、2021年、『今ここにある危機と僕の好感度について』(以下『ここぼく』)を見たとき、その感覚がつながっていると感じた。違っているのは、『ワンダーウォール』が初放送されてからこの3年の間に、日本の問題はより明確になってきたということだ。

近年は、新型コロナウイルスの蔓延やオリンピック問題などが生活に直結する問題となっていて、以前は政治や社会問題に関心のなかった人も無関心ではいられない状態になってきている。これが3年前なら、『今ここにある危機と僕の好感度について』のタイトルに「危機」とはつかなかったかもしれないし、ついていたところで、視聴者にとってもっと他人事であったのではないだろうか。

『ここぼく』でポスドクの研究者が訴えた、日本の科学研究の現状に対する危機感

『ここぼく』には、近年実際に起こった出来事を想起させるモチーフがちりばめられている。現実の学生寮をモデルとする『ワンダーウォール』のときよりも、視聴者がさらに広く現実の社会問題に重ねられるようになっている。

例えば、主人公の神崎が働くことになった国立帝都大学のある研究室では、データの改ざんが行われており、それを研究室のポスドクであった木嶋みのり(鈴木杏)が告発する。

データ改ざんに関しては、公文書の改ざん問題が思い起こされる。また木嶋みのりが告発によって訴えているのは、大学の評判を気にして真実を隠蔽しようとする組織の腐敗だけでなく、日本の科学研究が本来あるべき姿に戻ってほしい、そうでなければ日本の将来がダメになってしまうという危機感である。

国立大学は、すぐに結果や利益が出る研究を重視する国の方針の影響を受けている。帝都大学で起きた論文データの不正も、早く研究成果を出さなくてはいけないという大学へのプレッシャーから生まれていることが想像される。神崎が入った定食屋のテレビに映るコメンテーターは「すぐに都合よく成果が出て金になりそうな研究にだけ巨額な投資をするが、本来、研究とはすぐに結果が出るものではない」と訴えかける。

国立天文台のドキュメンタリーでも描かれた「理念と財政」のジレンマ

研究と資金の問題については、実際に研究や芸術の分野で議論されている話であり、2019年度『ギャラクシー賞』テレビ部門大賞、 2020年『日本民間放送連盟賞』番組部門・テレビ教養番組優秀賞を獲得した信州テレビのドキュメンタリー『カネのない宇宙人 閉鎖危機に揺れる野辺山観測所』でも大いに指摘されていた(ちなみにこの番組はHuluで現在も配信されている)。この番組について、しばし説明させてほしい。

番組によると、国は「選択と集中」のスローガンのもと、「すぐに金になるもの、すぐに役にたつもの、すぐに答えの出るもの」を重視する改革を行い、国立大学や研究機関をサポートする運営費交付金の支給を、2005年度以降、毎年1%ずつ減らしているという。

『カネのない宇宙人 閉鎖危機に揺れる野辺山観測所』を再編集版したもの

国立天文台・野辺山宇宙電波観測所の所長は、宇宙のロマンに魅せられ、研究の楽しさを後進に教える立場であるが、交付金が年々減らされた結果の財政難により、観測所の責任者として、稀少な発見をした非正規の研究者の雇用契約を延長できなかったりと、日々、苦渋の選択を強いられていた。

そして、2019年、国立天文台が軍事研究を検討するというニュースが報じられた。助成される研究資金が大きく、財政がひっ迫している観測所や研究者は揺れるが、所長はこれまで「平和を脅かす軍事研究はやらない」という立場を示してきた観測所の誇りをかけて、抵抗する意思を示す。番組は、観測所はこれからも「お金」のことを考えないと運営が困難な、さらに厳しい局面を迎えているとわかる結末になっていた。

『カネのない宇宙人』で観測所が直面する研究とお金の問題や、理念と財政の問題は、『ここぼく』で帝都大学が置かれている状況と通じるものがある。『ここぼく』を見て『カネのない宇宙人』のことを思い浮かべたのは、共通する危機感をリアリティーをもって感じられたからだろう。

「どんなに嫌でも病名を知らなきゃ治療だって始まらない」

これだけでなく、『ここぼく』は、コロナ禍とオリンピックの問題にも重ねられる展開になっている。

ドラマの終盤には、帝都大学の希少生物研究センターから流出してしまった蚊が原因で、刺された人にアレルギー反応が起こり、最悪の場合、命を落とす可能性があるという事件が起こる。これによって、大学が威信をかけて行う『次世代科学技術博覧会』という大イベントの開催も危ぶまれてしまう。この流れは、新型コロナとオリンピックの関係性を思わせる。

このドラマでは結局、総長(松重豊)が大学から蚊が流出した事実を認め、公表することで組織の改革を図るという結末を迎えた。

もちろん、そこには、総長の決断をはばもうとする人たちがたくさんいた。大学の理事会は、事実を認めようとせず、流出が明るみに出ては大学の責任を問われると、総長の決断を止めるのに必死であるし、『次世代博』を推し進める市長は、市への経済波及効果を重要視し、事実を隠蔽しようとする。蚊の流出を疑われている研究室の教授は、証拠となる蚊をすでに処分していた。

しかし、総長は自分が責任を問われることをいとわず、真実を公表した。ただ非を認めるだけでなく、蚊の徹底的な駆除と、アレルギーに対しての医学的な解決方法も示す。すぐに役に立つわけではない研究を続けてきた研究者たちと、少々手荒なことをしつつもつきとめたエビデンスの存在が事態を解決する重要な役割を担ったのだ。

総長の決断の後押しをしたのは、木嶋みのりが物語の前半で言っていた「どんなに嫌でも病名を知らなきゃ治療だって始まらないじゃん」という言葉だ。どんなにトップの人間に責任がかかろうとも、組織や国に巣食う「腐敗」の大元を認めなければ、何事も解決には向かわないのである。

この総長の姿勢は、単純に言ってみれば、いまの日本にもっとも必要なことではないだろうか。総長の行動は、神崎が大事にしていた「好感度」とは対極のものである。本作を最後まで見てみると、当初、何も持たない神崎の身を守る手段であったはずの「好感度」が、真実を隠蔽する手助けをしてしまうことや、必ずしも身を守ってはくれないということが示されている。

現実の世の中は、目に見えるよりも「複雑」

本作の結末が、「ドラマらしく」腐敗した組織の膿がすべて出し切られて、リーダーが責任をとり、問題は山積ながらも、きっとこれからは少しずつでもよくなっていく、というような世界を示したことに対して、いささかうまくまとまりすぎた印象があるのは否めない。

ドラマの最後は「相変わらず世界は複雑」というナレーションで締め括られるが、そう言わなくてはならなかったのは、実際の世の中では組織の腐敗を認めることもできず、問題が明るみに出ていても、対処されていないということが大きいのかもしれない。そういう意味では、われわれの生きている社会にはフィクションよりもつらい現実がある。

『ワンダーウォール』が放送された時と比べて、『ここぼく』が放送された現在は、社会のさまざまな問題について、その根源が少しずつ明らかになってきている。

しかし、それをリーダーや責任者が認めるとこまではいかず、そこには、まだまだ見えない壁が存在している。エビデンスが明確になってもそれがシュレッダーにかけられてしまうような世の中だ。だからこそ、世の中が目に見えるより複雑であることを、われわれは常に忘れてはいけないのではないだろうか。



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