アニメや電子音楽などをはじめ、日本の文化に関心を持ち、深い想いを抱いているポーター・ロビンソン。
たとえば、長谷川白紙も出演したオンラインフェス『Secret Sky 2020』でポーターは、アニメ『ちょびっツ』のオープニングテーマであるRound Table“Let Me Be With You feat. Nino”や、パソコン音楽クラブ“hikari feat.長谷川白紙”、宇多田ヒカル“Heart Station“を印象的にプレイしていた。また高木正勝を「ヒーロー」と呼び敬意を寄せていることに加えて、不定期で更新されているSpotifyのアーティストプレイリストでも、その趣向をうかがい知ることができる。
これらのことは一体どんな意味を持つのだろうか? この記事をまとめて私は、ポーターの感覚には単なる個人の趣味嗜好を超えた何かがあるはずだという確信を強めた。そしてその感覚は、この国で生まれた音楽が海を越えてリスナーの耳に届くためのヒントになるかもしれない、とも考えている。
ポーター・ロビンソンは日本の音楽のどんな部分に独自性を感じ、なぜ心惹かれているのだろうか? そして日本の地で育まれたそのサウンドとフィーリングは、『Nurture』にどのように息づいているのか?
この記事ではその2点について、5つのテキストで迫ってみた。
ポーター本人、そしてキーパーソンともいえる長谷川白紙と高木正勝にも協力を仰いで実施した3つのメールインタビュー、ライターの黒田隆憲による『Nurture』のレビュー、2000年前後の国内の電子音楽が持っていた「有機性」、つまりポーターと日本の電子音楽の橋渡しとなるような感覚について考えを巡らせた原雅明によるコラム——これらの5つの文章を通じて、ポーター・ロビンソンが日本の音楽に見いだした感覚を言語化することを試みた。
ポーター・ロビンソン『Nurture』を聴く(Apple Musicはこちら)
当記事企画と連動したプレイリストを聴く(Spotifyを開く)
メールインタビュー:長谷川白紙が捉えた、ポーター・ロビンソンのサウンドのかたち。3つの質問とその回答
質問:長谷川白紙
回答:ポーター・ロビンソン
翻訳協力:後藤美波(CINRA.NET編集部)
長谷川:『Nurture』、本当に素晴らしかったです。現代の電子音楽のなかでポーターが特異点として存在し続けていて、さらにアップデートを続けていらっしゃることが本当に感動的でした。『Secret Sky』のときも、ポーターというアイコンに認めていただいたことと、そのなかに参加できたことがとてもうれしかったですし楽しかったです。
ポーター:今回、僕のアルバムを聴いてこのような示唆に富んだ質問を考えてくれた長谷川白紙さんに大変感謝しています。僕が最も尊敬しているミュージシャンのひとりにインタビューしていただけるなんて光栄に思います。本当にありがとうございます。
長谷川:“do-re-mi-fa-so-la-ti-do”では、ドラムンベースマナーの範疇で解釈できるようなBPMとリズムパターンが使われていながら、そのマナーには反するような、軽くて高域にまで主張のある非常に独特なキックが使われています。これを聴いたとき、この音があなたにとって新たなシグネチャーサウンドとなっているように感じました。
この曲に限らず『Nurture』では全編に渡って、現代において、長く伸びたディケイ(音の減衰を意味するパラメータのこと)と共に、もしかしたら強くなりすぎたかもしれない低音の特権的な象徴性を解体し、見つめ直すようなサウンドデザインがされているように思えます。このような理解についてはどう思われますか? そして、とりわけ低音という側面において、どう考え、どのように取り扱っているかを、現代のトレンドと関連付けてお聞きしたいです。
ポーター:“do-re-mi-fa-so-la-ti-do”になる最初の音とアイデアを探っているうちに、この「子どものような」雰囲気を実現したいと思うようになりました。遊び心のある、自由なドラムを使いたかったんです。テンポやパターンはドラムンベースに似ていますが、僕はこの曲を全く違うふうに捉えていました。
ドラムンベースにおいて、通常ドラムは特定の機能を果たす必要がありますよね。ドラムはサウンドの「いちばんヘビー」なパーツであり、力強さや踊りやすいフィーリングを生み出す役割があります。でも僕は、重いドラムのサウンドは曲を抑制しすぎる気がしてそういうアプローチは全くとりたくなかった。ヘビーでパワフルなドラムは「大人っぽい」じゃないですか。“do-re-mi-fa-so-la-ti-do”では、ドラムはほとんどソロみたいに自由な感じにしたかった。
ポーター:『Nurture』のサウンドデザインとベースの役割についてですが、「ベース」はダンスミュージックと他の音楽を区別するもののひとつだと思います。クリアに際立って力強いベースのサウンドがある曲は、いかにも「EDM」らしいですよね。定義は人それぞれだと思いますが、実際、僕は『Nurture』を「EDMアルバム」だとは捉えていません。もっと触り心地がよくて、ささやかなスケールの、ファンタジーではなくて現実に基づいたもの、もっと近くに感じられるもの——『Nurture』はそんなふうにしたかった。それに伴い、ベースの音も支配的でなく、生のベースのような感じにしたかったのです。
ただ同時に、僕は自分のアイデアに対して、長いことEDMプロデューサーとして活動してきたことによるフィルターを、いまも無意識的にかけてしまうところがあって。ヘビーなサイドチェイン(外部からの信号をトリガーとして、エフェクトをコントロールする機能のこと)とか、コードに対してルート音に沿ったベース、存在感の大きいドラムサウンドなどには、常にその影響が感じられると思います。実際、“Get Your Wish”は両方の観点からつくりました。ヴァースには生のベースによるメロディックなサウンドがあり、コーラスでは空間を満たすような巨大で単調でサイドチェインのかかったベースサウンドを用いています。
長谷川:“Musician”の歌詞では、<How do you do music? / Well, it's easy:>のあとに<You just face your fears>と続きます。恐怖や暗黒、見たくもないようなものを正視することは、音楽という営みの最も根源的な側面のように思えますが、あなたはどのように考えてこの歌詞を書きましたか?
ポーター:多くの人が“Musician”のこの一節について僕に聞いてくるのですが、いつも少し罪悪感が湧きます。なぜなら『Nurture』のほとんどすべての歌詞は極めて真摯で心のこもった意味で書かれているのですが、この1行については、僕自身の甘い考え方を批判しているからです。全文は、<どうやって音楽を作るの? / そんなの簡単だよ: / ただ自分の恐れに立ち向かって / 自らのヒーローになるんだ / 君は何でそんなに取り乱しているんだろう>です。過去のインタビューなどではこう話してきました——「音楽をつくるのは簡単です。高い基準を設定して、自分の恐怖心と向き合って、根気よくやること」。実際これってすごく的確なアドバイスだと思うんですよね。
ただ『Nurture』のための曲を書いてた数年間は、なんかバカバカしくなってしまったんです。自分がそんなアドバイスをしているにも関わらず、すごく苦労していたから。だからこの一節は、過去の何も知らない自分が、「なんで苦しんでるんだ? 自分のアドバイスに従えばいいだけなのに、何をパニクってるの?」って自分を叱ってるみたいな感じ。それに対して僕は「そんな簡単なわけない」ってイラついてるわけです。
ポーター:いま振り返ってみるとちょっと笑えますね。使い方が間違ってるかもしれないけど、これって「Chuunibyou(中二病)」みたいな感覚なのかな? この曲で僕は完全に、ちょっとイタいティーンエイジャーの誠実で情熱的な感情を伝えようとしていました。でも実際、「どうやって音楽を作るのか? ただ自分の恐怖に向き合って、自分自身のヒーローになる」って本当にそう思うんですよね。長谷川さんの言う「恐怖や暗黒、見たくもないようなものを正視することは、音楽という営みの最も根源的な側面」っていうのは、すごくよく言い表しているし、根本的に正しいと思う。
真の創造性は、未知の領域を進んでやったことがないことをやろうとするときに発揮されるものだと思います。僕は以前やったことがあることを再構築しようとしても、インスピレーションを得ることが困難で、あまりいい曲が書けません。たとえば僕は、「よし、“Divinity”や“Sad Machine”みたいなポーター・ロビンソンのクラシックソングを作るぞ。フックになるサウンドで曲がはじまって、イントロにドロップがあり、BPMは90、サイドチェインのかかった16分音符のコードが入ってて……」って考えることもできる。そうやって似たようなものを作ることはできるけど、それでは全然僕の心は躍りません。リスクが全くないような気がするんですよね……。僕は何か新しい世界に足を踏み入れないとワクワクしないんですよ。
ポーター:つまるところ、こう言えると思います。自分自身のヒーローのようになること、音楽において繰り返しリスクをとること、普段の生活のなかで自分の恐怖に向き合うこと。こういったことは全部僕の音楽制作の助けになったし、人生においても助けになっていると思います。だから別バージョンの僕がこの教訓について「言うは易し、行うは難しだ」と感じたとしても、その言葉自体は正しいと思うんです。だから僕は多くの人がこの歌詞に共感してくれたことが嬉しいです。
長谷川:今作では全編にわたって、ボーカルにかけられたピッチシフトや、ビットクラッシュのかかったような音などが醸成しているノイズの質感、空気感が印象的です。このアルバムを聴き進めるごとに、わたしはこのノイズの質感がだんだんと木々のざわめきや川のせせらぎのように聴こえてきました。
そしてそのような、人為的な介入——音を離散的なデータとして扱うことやピッチを変更すること——によってもたらされた音響が逆説的に自然のサウンドスケープに近づくという構造が、“Wind Tempos”や“dullscythe”の冒頭において半ば引用的に、そして象徴的に登場していると考えています。そこでお聞きしたいのですが、あなたが生まれ育った故郷はどのようなところで、そこにはどのような暗騒音が流れていましたか? そしてそれは、あなたの音楽にどのように影響したでしょうか?
ポーター:この解釈があまりにも完璧で、思わず笑ってしまいました。僕はこの音を「自然」のようでありながら、一方でどこか人工的で、シミュレーションされたようデジタルなものにしたいと思っていました。僕は自然を現実ではなく、理想的なものとして描きたいと思っています。自然は常に完璧なものではなく、とても残酷なものでもあります。だから「自然」の概念を「健康」や「均衡」、「あるべき姿」といった概念の代わりに使いたいと思ったのです。それが少し理想的であることはわかっていたので、それを音にも反映させたかったのです。
ポーター:有機的な響きのピアノと甘いメロディーを歌う声のコントラストも好きだったのですが、声がとても加工されているように聞こえました。これが、このアルバムで自分の声のピッチを上げるためにデジタルエフェクトを使いはじめた大きな理由です。僕はもともと高い声が好きなのですが、それに加えて、このエフェクトのリアル感のなさが気に入ったのです。質問いただいた僕の生まれ育った故郷に関する感覚は、ミュージックビデオやシングルのアートディレクションにも表れていると思います。イメージはとても美しいのですが、その舞台は無限に広がる黒い空洞のなかなのです。見えている美しいイメージはこう言っています——「私たちは美しいものを描くことを選びます」。
メールインタビュー:「生きていくうえでのすべての感情をひとつにしたもの」。ポーターが日本の音楽に見いだす感覚
質問・構成:山元翔一(CINRA.NET編集部)
翻訳協力:後藤美波(CINRA.NET編集部)
―あなたは日本の電子音楽、ボーカロイド音楽、アニメソング好きでも知られています。それらの音楽をあなたはどのように聴いていて、そこにどんな独自性や魅力を見いだしていますか?
ポーター:日本の音楽には、とくにコードとメロディーにおいてある種の美しさとメランコリーを感じます。表現するのが少し難しいんですが、僕の好きな日本の音楽には感情の強さを感じます。
また、日本のメロディーは「純粋さ」を強く感じることが多く、曖昧さや無駄がほとんどないように感じます。ピアノで即興演奏をしているときに、コード進行とメロディを一緒に弾いてみて、「これは日本的だな」と思うことがあります。
そして、日本の音楽から強く連想されるコード進行をいくつか挙げることができます。とはいえ、日本の音楽は決して一枚岩ではないので例外はあると思います。
―Spotifyのアーティストプレイリストでピックアップされていたレイ・ハラカミや長谷川白紙、Serphのような日本の電子音楽、kz(livetune)をはじめとするボーカロイド音楽といったような日本の音楽のかたちについて、あなたの目線で見たときにどんなユニークネスがあるのでしょうか?
ポーター:それぞれが感じさせるものが違うので、個別にお話します。
レイ・ハラカミの場合、僕が彼の音楽を知ったのは、彼が亡くなってからずいぶん経ってからでした。『lust』(2005年)というアルバムを聴いたとき、物悲しさと安らぎを強く感じました。レイ・ハラカミの音楽を聴いていると、曇った灰色の空の日の帰り道を歩いているときのような、「mainichi(毎日)」の感覚を感じます。
僕は“last night”という曲がとても好きで……繰り返しのグルーヴ構造は、ハウスやテクノを思わせるのですが、音はハイエナジーではなく、ボサノヴァのような……その2つが組み合わさって、僕にはとても瞑想的な体験をもたらしてくれるのです。
レイ・ハラカミ“last night”を聴く(Apple Musicはこちら)
ポーター:長谷川白紙の音楽は、僕の音楽に対する視野を大きく拡張してくれました。長谷川さんは進化したカオティックなジャズのハーモニーという、僕にはとても考えられない音楽テクニックを用いています。
実際、その「カオス」と「拡張される」感覚というのは、カバーアート(2018年発表の『草木萌動』)でも見事に表現されていると思います。でも長谷川さんのすべての音楽がそうであるというわけではなくて──“シー・チェンジ”(2020年)なんて涙なしには聴けません。本当に美しくて人間らしいんです。
長谷川白紙“シー・チェンジ”を聴く(Apple Musicはこちら)
ポーター:Serphの場合、Serphや別名義のReliqを聴きはじめたのは2019年前後で、グラニュラーシンセサイザー(サンプルを非常に小さな単位へと分割し、多重にクロスフェードさせてプレイバックする技術を用いたもの)の音に強く興味を持ちはじめていた頃でした。
Serphの音楽は、自由に流れていくようで、コラージュのように組み立てられている。剥き出しのクリエイティビティを思い起こさせます。なかでも“Buttercup”という曲はとても印象的でした。あの曲の最初のクライマックスは、僕にはとても強く響いたのですが、同時にそれはこれまで全く聴いたことがないものだったんです。
Serph“Buttercup”を聴く(Apple Musicはこちら)
ポーター:kzは、非常に洗練されていて、一つひとつのセクションがしっかりしている音楽を書く方で、とても意図的で巧みな音楽だと感じています。
ボーカロイドの曲でも、ClariSのために作った曲でも、オリジナルの曲でも、すべての曲の一つひとつのセクションがとてもキャッチーで洗練されています。そこに音楽家としてとても共感するんですよね… …。
僕はいつも、一つひとつのメロディーが適切なフィーリングを正確に伝え、曲のなかの各セクションが目的に沿って最大限に機能することができるように、自分のアイデアを可能な限り明確にしようとしています。ライブのビジュアルを作っているときも同じで、エモーションがはっきりと伝わるように、本当に高いレベルの明確さを実現したいと考えています。
“Musician”の歌詞にこんなフレーズを使いました。<But sincerely: Can't you feel what I'm feeling?(でも心から、/ 僕が感じていること分からないの?)>。これは僕の哲学をよく表していますね。それがkzの音楽を聴いていて僕が感じることです。感情がはっきりとしていて、力強いのです。
ポーター:これらのアーティストの共通点については、僕には説明できません。ただ心の底から好きで、聴いているといい気分になる。「他の人に自分のいまの気持ちを感じてもらえるように、自分も音楽を作らなきゃ」って気にさせられるんです。
―あなたはご自身のDJ時に日本のアニメソングをプレイしたり、日本のアニメ会社「A-1 Pictures」と“Shelter”のミュージックビデオを作成するなど、アニメファンであることもよく知られています。ご自身の音楽に影響を与えていたり、インスパイアを受けていたりするアニメ作品はどんなものがありますか?
ポーター:以前にも話したことがありますが、『おおかみこどもの雨と雪』(2012年公開、監督は細田守)は僕の人生を大きく変えました。この映画のおかげで現実の世界の美しさを知ることができたし、僕に大きな影響を与えた高木正勝さんの音楽とも出会えました。
ポーター:20歳くらいのころに再びアニメに興味を持ったのは、『あの花』(2011年放映の『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』)の影響が大きいです。ストーリーにとても感動しましたし、とくにOSTの“青い栞”と“Last Train Home~still far”に惹かれました。
REMEDIOS“Last Train Home~still far”を聴く(Apple Musicはこちら)
ポーター:最近では、『ワンダーエッグ・プライオリティ』(2021年放映)や『さよならの朝に約束の花をかざろう』(2018年公開、監督は岡田麿里)が好きで、『天気の子』(2019年公開、監督は新海誠)も大好きです。
ほろ苦い感じ、つまり現実の美しさを感じさせるような憂いや悲しみを湛えた作品で、音楽的要素が強いものが断然好きです。だから好きな音楽がないアニメには、なかなか入り込めないです。
―“Wind Tempos”ではあなたがヒーローと呼ぶ高木正勝とコラボレーションをしています。高木さんの音楽と、日本の電子音楽、ボーカロイド音楽、アニメソングには共通する何かがあるような気がしています。あなたの目線からは、それらがどのよう見えますか?
ポーター:何かを切望する気持ちや、希望、憂い、喜び、悲しみ、生、死がすべてひとつにまとまっているようなフィーリング——高木正勝さんの音楽と日本のエレクトロニックミュージック、ボーカロイド音楽、アニメソングのあいだに表現されているような感情を言い表すならこういうことかなと思います。
僕はこの感覚について、とくに自分の音楽について語るとき、「希望に満ちた / 希望的」と表現するときがあります。なぜなら「希望」という言葉には、人生の憂いや悲しみへの理解があると同時に、「きっとすべてがうまくいく」という願いや信念が含まれていると思うんです。思わず涙が出そうになるようなフィーリングです。それは生きていくうえでのすべての感情をひとつにしたもののように思います。
高木正勝“めぐり”を聴く(Apple Musicはこちら)
―水曜日のカンパネラとコラボとコラボした“fullmoon lullaby”についてお伺いさせてください。コムアイのボーカルフロウや歌声には、アメリカやイギリスのポップスではあまり見られない動きと響きがあるよう感じます。それは日本のフォークロア音楽に通じる部分もあるとように思うのですが、あなたがそれらの特徴をどのように感じて、どのように捉えているのかお伺いしたいです。
ポーター:“fullmoon lullaby”のあのボーカルメロディーを書きあげた経緯をとくによく覚えています。当時、中島美嘉さんの“雪の華”(2003年)という曲にハマっていて、特にサビの部分のメロディーが好きでした。日本の音楽のこういう感じのメロディーは、僕の耳にはどこか古来のもののように聞こえることが多いんですが、それが美しくもあって好きなんです。
中島美嘉“雪の華”を聴く(Apple Musicはこちら)
ポーター:そういったメロディーの起源を理解したくて、演歌も少しずつ聴くようになっていました。水曜日のカンパネラの“メロス”では、サビ前のパートでほんの少しですが、そのようなフィーリングを感じました。そのサウンドをどうにか表現したかったんです。
実は、コムアイさんの声は、僕のサイドプロジェクトVirtual Selfの曲で起用する予定でした。僕はコムアイの声が大好きです。とても繊細で、生々しくて、時代を超越した響きがあります。彼女の声は完全にクラシックだと思います。
ポーター:だからVirtual Selfの曲で、どこか日本古来のメロディーのように感じられながら、昔のavexのコンピレーションに入っているような2000年代の「サイバートランス」のトレンドを混ぜたようなものをつくりたかった。
しかし、真のクリエイティブとは、計画どおりにはいかないものだと思います。一緒にやってみたら、僕らが作っている曲はもう少しオーガニックで『Nurture』のようにナチュラルなサウンドになったので、僕はその方向性を受け入れました。
ポーター・ロビンソン“fullmoon lullaby”を聴く(Apple Musicはこちら)
―あなたが日本のアンダーグラウンドな電子音楽に加えて、SEKAI NO OWARIのような日本人の多くが知るアーティストの楽曲をピックアップしていることが気になりました。どういった経緯でSEKAI NO OWARIの音楽に注目されたのでしょうか?
ポーター:僕がSEKAI NO OWARIを知ったのは、何年も前に「プロデュースの仕事をしないか?」と声をかけてもらったことがきっかけでしたが、そのときはスケジュールの都合で結局実現しませんでした。
その数年後、SEKAI NO OWARIの“ムーンライトステーション”(2015年)を聴いて、とても感動しました。この曲は本当に素晴らしいです。先ほど述べた、日本のエレクトロニックミュージック、ボーカロイド音楽、アニメソングに共通するフィーリングがあるんですよ。このコードとメロディーはほぼ完璧に僕の好みです。彼らの素晴らしいライブパフォーマンスをいくつか見ましたが、それらも本当に感動しました。
もちろんSEKAI NO OWARIと、Serphやレイ・ハラカミの音楽はまったく違います。人々の生活のなかでの役割や想起させる感情も違うでしょう。それは西洋の音楽でも同じです。
僕はビリー・アイリッシュみたいな非常にポピュラーなものも、Burialのようなアンダーグラウンドなサウンドもどちらも好きで聴いています。人がつくった音楽によって生み出される世界のなかに入っていくのがすごく好きなんです。
―ここまで話してくれたような、あなたが日本の音楽に見出している独自性や魅力は『Nurture』のなかでも垣間見ることができます。そういった感覚はご自身の音楽にどのように息づいていると感じますか?
ポーター:2015年に、高木正勝さんのような日本の曲や、アニメのOP・ED曲、それからClariSなどを聴きながら車を走らせていたときのことをよく覚えています。喜びで泣いてしまいそうな希望に満ちた気持ちで、「僕もいつか、誰かをこんな気持ちにさせられる曲を作れたらいいな」と考えていました。
ポーター:同時に、その頃は1stアルバム(2014年リリースの『Worlds』)が出た直後で、完全にスランプに陥って、音楽が全く作れなくなってしまったんです。
再び音楽をつくる自信やインスピレーションを徐々に取り戻すにつれて、この「希望」というテーマが何度も出てきました。希望とは、とてもとても大切なものです。SNSではこの世界に無数に存在する問題が常に報じられ、議論されているから、簡単に絶望に押し潰されそうになってしまう。
でも自分の生活のなかで意識的に希望を育むことはとても大切です。希望がなければ、前に進む理由も、自分を向上させる意味も見失ってしまいます。
多くの日本の音楽に見られる、喜びで泣いてしまいそうな希望に満ちたフィーリングが僕の音楽に滲んでいるのはそういう理由からだと思います。喜びや悲しみ、生と死、希望、すべてに同時にピントを合わせるような感情です。
この感情は、希望を見つけようとすることや、僕たちの世界が美しい場所だと信じることを学ぶという、歌詞のテーマと完璧にマッチしています。ある意味、その感情は僕がまさに必要としていたものでした。
レビュー:『Nurture』に息づく、日本の音楽からのインスピレーション
テキスト:黒田隆憲
ポーター・ロビンソンのニューアルバム『Nurture』は、新型コロナウイルスのパンデミックで疲弊してしまった私たちの生活に、ひとつの希望を与えてくれる作品だ。日本の電子音楽やアニメソング、ボーカロイド曲などにインスパイアされた、叙情的なメロディーラインと細部まで考え抜かれた精緻なアレンジ。その一方で、どこまでも風通しのいいサウンドスケープ。バーチャルとリアルが融合した、まるで「架空の自然界」とでもいうべき世界観は、ひとりのアーティストがこの数年のあいだに経験した栄光と挫折、そして再生のストーリーを鮮やかに彩っているようでもある。
本作には、「育む」「養成する」という意味を持つタイトルが付けられた。今からおよそ7年前にリリースされた前作『Worlds』(2014年)で世界的なヒットを記録し、ここ日本でも数多くのライブやツアーを大成功に収めるなど、「新世代エレクトロニックシーンを牽引する天才DJ」の名を欲しいままにしてきたポーター。若くして名声と人気を手に入れた彼は、その重圧によって深刻なスランプに陥っていたという。
ポーター・ロビンソン『Worlds』を聴く(Apple Musicはこちら)
音楽さえやめようと思うほどの「うつ状態」から彼を救い出したのは、恋人や家族、友人の存在だった。働き詰めで新たなインスピレーションを得る暇もなかった生活を改め、人と会い、新しいことに積極的に挑戦するなど「リアルな人生」を体験することで、ようやくスランプから抜け出すことができたという。
前作『Worlds』では手の届かない、美しい別世界の構築を目指したポーターだったが、本作『Nurture』では「いまいる現実」が美しいものだと自分に理解させる必要があった。長谷川白紙とのメールインタビューで、彼はこのように述べている。
「長谷川白紙が捉えた、ポーター・ロビンソンのサウンドのかたち。3つの質問とその回答」より(ページを開く)「僕はこの音を、『自然』のようでありながら、一方でどこか人工的で、どこかシミュレーションされたようなデジタルなものにしたかった(中略)現実ではなく、理想としての自然を描きたい」
今回、すべての楽曲の作詞や作曲、歌唱、楽器演奏を自ら担当。鳥のさえずりや川のせせらぎなど環境音を取り込みつつ、ときには(“Blossom”や“Mirror”など)ピッチを変えて女性パートまで自分で歌う必要があったのは、そうして作り上げた14曲(とボーナストラック)により、彼にとっての「理想の現実世界」を「育む」ためだったのだろう。
盟友Madeonとのコラボ曲“Shelter”をはじめとするポーターが最も得意とする類のエレクトロチューン“Get Your Wish”から、まるでヘンリー・マンシーニの“Moon River”にも通じる美しい楽曲“Blossom”まで幅広い音楽性を内包する『Nurture』。そこには、日本の音楽や文学に対するポーターの憧憬を感じ取ることができる。
そもそも作曲をはじめたきっかけが日本のゲーム、特にコナミのアーケードゲームである『Dance Dance Revolution』のBGMだったことはよく知られているが、本作には中田ヤスタカやレイ・ハラカミ、Serph、kz、高木正勝といった日本人アーティストからのインスピレーションが、随所に散りばめられている。
たとえば前述の“Get Your Wish”は、「少しばかりボサノヴァ風の音楽を作ろう」という地点からスタートした楽曲とのことだが、これはポーターがフェイバリットに挙げているレイ・ハラカミの“last night”と構造がよく似ている。本企画のメールインタビューでポーターは、“last night”について「繰り返しのグルーヴ構造は、ハウスやテクノを思わせるのですが、音はハイエナジーではなく、ボサノヴァのような……その2つが組み合わさって、僕にはとても瞑想的な体験をもたらしてくれる」とも述べている。
一方、“Wind Tempos”や“dullscythe”のコラージュ感覚は、ポーターがお気に入りだというSerphの“Buttercup”にも通じるものを見いだせる。さらに、Kero Kero Bonitoとコラボした“Musician”の歌詞を通じて語られるポーターの哲学は、kzの音楽からポーター自身が感じることでもあるそうだ(編集部によるメールインタビューより)。
「『生きていくうえでのすべての感情をひとつにしたもの』。ポーターが日本の音楽に見いだす感覚」より(ページを開く)「自分の好きな日本の音楽には感情の強さを感じます。また、日本のメロディーは『純粋さ』を強く感じることが多く、曖昧さや無駄がほとんどないように感じます」
日本の音楽のそうした特徴は、ポーターがこのアルバムで目指した「理想の現実世界」にとって欠かせない要素だった。では、本作のもうひとつの要素である「風通しのよさ」は一体どこからきているのか。それは、彼が「音楽界におけるヒーロー」と呼ぶ高木正勝からのインスピレーションである。
ポーターが初めて高木を知ったのは、彼が手がけたアニメ作品『おおかみこどもの雨と雪』(2012年)のサウンドトラックだった。聴いたその瞬間から高木の音楽は、『Nurture』が目指したかった方向性そのものに大きな影響を与えた。
その秘密を探るため、彼は兵庫県の山間にある高木の自宅を訪れ2週間滞在している。一緒に「共作」するまでは至らなかったが、そこでセッションをしたり農作業を手伝ったりしたことは、ポーターのクリエイティビティに計り知れない影響を与えたようだ。
たとえば“Sweet Time”の美しいピアノイントロには高木の気配を感じるし、実際に“Wind Tempos”ではそのときのセッションで高木が弾いていたトイピアノの音を0.5秒ほどサンプリングし使用している。
また、高木家滞在時にポーターは、2000年代初期の日本のアンビエントミュージックが入ったフラッシュドライブを高木から手渡され、帰国後それをずっと聴いていたというから、そこから得たヒントも本作には反映されているはずだ。
Billboard Japan「<インタビュー>ポーター・ロビンソン 苦悩を乗り越え完成させた『Nurture』を語る」より(外部サイトを開く)「自分が作る音楽はあらゆる面で日本の音楽や文化に影響を受けているから、日本の皆さんが気に入ってくれることを心から願っている。(中略)ものすごく日本の音楽とカルチャーに影響を受けているから、日本の人達がどう反応してくれるかは自分にとって本当に重要なことなんだ」
ポーター・ロビンソンにとっての「理想の現実社会」を「育む」ために、必要不可欠だった日本の音楽や文化。本作『Nurture』は私たち日本人にとって、自国の文化・風俗の魅力や美しさについて再発見する喜びも与えてくれるアルバムと言えるのかもしれない。
メールインタビュー:ポーターを次のステージに導いた、高木正勝の感覚とその背景にあるもの
質問・構成:山元翔一(CINRA.NET編集部)
ポーター・ロビンソンが「ヒーロー」と呼び、敬意を寄せる高木正勝。ポーター自身にとって大きな出会いとなった『おおかみこどもの雨と雪』のサウンドトラックを完成させた際、「(ニュータウン / 新興住宅地での)この暮らし方で、僕から出てくるメロディとしてはもうこれで限界かもしれない」と考えたことを高木は過去のインタビューで明かしている。兵庫県・丹波篠山の山奥の集落に移住する直前のことだ。
なぜポーター・ロビンソンが日本の音楽に惹かれているのかを考えているうちに、なぜ高木正勝は住み慣れた京都・亀岡の街を離れて丹波篠山に移り住んだのかが気になるようになった。そしてそれは、AOKI takamasaとのユニット・SILICOMをはじめ、エレクトロニックなサウンドアプローチを取っていた高木が虫や鳥たちの声といった環境音とありのままの生ピアノの音で作品を作るようになったことと、どのような関係があるのか。
「何かを切望する気持ちや、希望、憂い、喜び、悲しみ、生、死がすべてひとつにまとまっているようなフィーリング」——ポーター・ロビンソンは、高木正勝の音楽と日本の電子音楽、ボーカロイド音楽、アニメソングに通底するものについてこう語った。その感覚は一体どこから立ち上ってくるのだろうか? そのヒントを探るべく高木正勝にメールインタビューを実施した。
―高木さんのキャリアを俯瞰してみると、『Tai Rei Tei Rio』(2008年に上演、2009年に作品として発表)のプロジェクトをひとつの境に、2000年代後半から2011~2012年あたりにかけて少しずつ、いわゆる電子音楽と呼ばれるサウンドやスタイルから遠ざかられていることに気がつきます。「電子音よりも生ピアノの音のほうが自分にはあっている」と感じられた感覚的なきっかけがあればお答えいただけませんでしょうか?
高木:何をもって「電子音楽」とするのか難しいのですが、僕自身は、昔も今も制作スタイルはほとんど変わっていませんし、特に区別もしていません。打ち込みやプログラミングは苦手なので、何でも演奏したほうが早く、ピアノでも、シンセサイザーでも、ソフトでも、何でも演奏して録音してきただけだと思っています。
初期の頃は、ピアノを録音して、それをCD-Rに焼いて、記録面にマジックで落書きしてました。それをCDプレイヤーで無理矢理再生すると、エラーが出て不思議な音に変わるんですね。「ドドドドド、レレレドドド」みたいにまともに再生されないのですが、その音が面白くて、録音して編集して曲に仕上げていました。これだって演奏なんです。ピアノを演奏しているのと変わらないと思います。
高木正勝『Journal for People』(2002年)を聴く(Apple Musicはこちら)
高木:違いがあるとすれば、時間をかけて音の素材を集めて、時間をかけて編集するかしないか。ここが大きく違います。ピアノの演奏は、5分なら5分。演奏して終わり。
年齢が上がっていくにつれて、そのままの時間をそのまま残せたらなと、そうありたいと思って、最新作の『Marginalia』というピアノシリーズは、全く編集していません。窓を開けて鳥や虫が鳴いているのと同時にピアノを弾いているのをそのまま記録しています。
高木正勝『Marginalia IV』(2021年)を聴く(Apple Musicはこちら)
高木:『Tai Rei Tei Rio』のときに変化があったとするなら、あのコンサートの直前に、スティーヴ・ジャンセンのライブにピアノ演奏で参加したのですが、後日にリリースされたライブのDVDを見てびっくりしたんですね。たくさん演奏していたのに、ピアノの音がごっそり消えていたんです。
映像には必死に演奏している僕の姿があるのですが、スティーヴが気に入らなかった演奏を全部カットしたんですね。そのこと自体は構わないのですが、その現実を歪める行為に何の意味があるのか、深く考えるきっかけになりました。
他にも、同じくライブの記録ですね。歌を丸々、録音し直したりする現場も目の当たりにして、やっぱり変だなと。
それ以降、できるだけ、ありのままを形にしようとしてきたと思います。僕にとっては、そのままというのがいちばん面白いです。失敗したあとに這い上がって別のステージに辿り着く、その過程が面白いと思っています。
人それぞれに得意なことがあると思いますが、僕は全身を使ってピアノや鍵盤を演奏したほうが、やりたい表現にたどり着くのが圧倒的に早いので、できるだけ身体を使うようにしています。
―自然に即した音のあり方をご自身の音楽にも取り込んでいった結果、いちばん高木さんの身体感覚と近い生ピアノに向かっていくことになったと。
その高木さんの音楽創作における価値観の転換が起こった当時の日本の音楽の状況について、高木さんはどのように感じていらっしゃったのでしょうか? というのも、2000年代後半あたりから、日本の音楽シーンの潮目が変わったのではないかということを個人的に感じています。相次ぐ雑誌の廃刊、SNSやインターネット文化の勃興など、メディア環境の変化なども大きくあると思うのですが、電子音楽を取り巻く環境を社会の状況や時代の感覚などを踏まえて、高木さん自身がどのように感じていらっしゃったか教えていただきたいです。
高木:それぞれの視点で違った景色があると思いますが、僕にとっては活動をはじめた2000年前後が音楽シーンとしていちばんワクワクしました。自分が二十歳頃で何もかも新鮮だったのもありますが、メジャーな世界とマイナーな世界がきちんと分かれているように思えて楽しかったです。
個性的な音楽レーベルやイベント、アーティストや作品がそれぞれきちんと孤立していたように思います。孤立しながらも、メジャーでないならみんな同志みたいな、そんなに単純ではないですが、それくらい幅広く、マイナーであることを楽しむ世界がありました。
指摘されている2000年代後半に向けて起こったことは、「メジャーとマイナーの世界が入り乱れて、最終的にメジャーに飲み込まれていった」と言ったほうが実感に近いかもしれません。熱湯と水で別れていたのが、程よいお湯になったといいますか。
高木正勝『COIEDA』(2004年)を聴く(Apple Musicはこちら)
高木:結果、それぞれがもともと好んでいた世界に深く入っていったように思います。同じ場所にいたと感じていた人が、バラバラに、それぞれが好んでいた世界に、もともとメジャーが好きな人はそちらに、バンドが好きな人はバンドを、クラブが好きな人はクラブに、実験的な人はより実験的に。
やんわりあった連帯感が感じられなくなりました。それぞれが新しい関係性に入っていった。僕はそういうふうに受け止めていましたが、ただの僕の変化かもしれませんし、世の中もそういうふうに変わったのかはわかりません。
僕自身は、2011年の震災以降は、依頼された仕事にがむしゃらに向き合いながら、個人的な音楽はより個人的に作るようになりました。
高木:SNSやYouTubeの登場で、さらにメジャーな世界への指向が一気に膨らんだ気がしますが、その反動か、マイナーな、超個人的な世界が各地にポツポツと現れてきて、ここ数年、フワッとあの当時の空気感に戻りつつあるなと感じています。
―高木さんが丹波篠山への移住以降のインタビューでお話しされている、生活との連続性の上にある音楽の感覚は、ある種、民俗学的なものであるように感じています。
民族音楽学者の小泉文夫さんは『音楽の根源にあるもの』(1994年、平凡社より刊行)のなかで日々の労働や気候、言語など様々な要因が折り重なり合い、日本の芸術や諸芸能にも通じる「リズム」が形成されているということを言及されています。民謡や労働歌のような生活や労働と直接的な結びつきの強いものに限らずとも、日本に暮らしているからこその独自の音楽感覚というものが存在しているのではないか、と私は考えているのですが、高木さんのご意見を伺いたいです。
リズムや構成、旋律や和音、音のテクスチャーなど……ピアノ演奏や電子音による楽曲のなかにもその感覚が溶け込んでいるのだとしたら、ご自身の楽曲、他の音楽家の楽曲問わず、高木さんがそれをどのように認識されているのでしょうか?
高木:小泉さんの本からは僕もいろいろと学びました。おっしゃってること、そのとおりだなと思います。
小泉さんの導き出した『音楽の根源にあるもの』をもとに世のなかにある数多の音楽を聴くと、それが民族音楽であろうと新しい音楽のスタイルであろうと、その音を奏でた人間の日々の暮らし方が感じられるようになると思います。
毎日、どんな姿勢で、どんなふうに身体を動かし、何に関心があり何を大切にし、音を使って何をもたらしたいのか、何を愛し、何を夢見ているのか、だいたい感じられると思います。僕が好んで聴く音は、やはり僕自身の生き方に馴染みがある音です。
―Spotifyのアーティストプレイリストでポーターは、高木正勝さんの“あまみず”をはじめ、レイ・ハラカミさんやSerph、サカナクション、長谷川白紙さんの楽曲をピックアップしていました。そのセレクトには無視できない一定の視点があるように感じています。ポーターがそれらの音楽に惹きつけられている理由について、高木さんはどのように思われますか?
高木:彼が“あまみず”をよく選んでくれる理由はわかるような気がします。“あまみず”は村に引っ越してきて作った曲ですが、この村の日常をそのまま曲に詰め込みたかったので、オンマイクではなくオフマイクで録音していました。
オンマイクは、録音現場でよく見かける口のすぐ前にマイクがある状態ですね。オフマイクは、そうではなくて、離れたところにマイクを置いて、周りの音も一緒に録音するやり方です。
普通はこの音をメインに使うことはないと思うのですが(ボヤけた音といいますか)、僕は好きで、どの音が主役かわからないっていうのが好きです。
僕が苦手な音は、「これが主役です」ってわかる音で、ずっと主張してるみたいで、あまり面白くないんですね。いろいろな関係性のなかにメロディーが立ち上がってくる感じが好きで、ポーターもそこに反応してくれたんだと思っています。
高木正勝“あまみず”を聴く(Apple Musicはこちら)
―高木さんが電子音を主に用いて楽曲制作をされていたときに表現されていた感覚はどんなものだったか、ご自身で振り返ってどのように感じますでしょうか?
高木:ここでいう「電子音」というのは、コンピューターで加工しつくすような音のことだと思いますが、今でも必要があれば使っています。加工し尽くせるので、自分の手垢のようなものを消していけるんですね。若いときはそういうのが好ましく思うものかもしれません。
SNSで若い人たちが写真を加工しているのに似ていると思います。それがだんだんそのままが美しいと思えるようになっていくのかと思います。僕は、間違いを含めて、より「そのまま」に向かいたいです。コンピューターなどの道具がないときに、ふっと身ひとつになったときに残っているものが大事だと思えるようになってきたのだと感じます。
僕はそのときそのときで、自分が聴きたい音楽を作っているだけなので、作ったら自分の音楽をかなり聴き込んで楽しんでます。たくさん発見があり学ぶことが多いです。そうやって、音楽を作り続けることで、少しずつ目の前に広がる世界にいろいろな角度から触れようとしているのだと思います。
―『Nurture』についてのインタビューで、ポーターが高木さんに2000年代初期の日本のアンビエントミュージックが入ったフラッシュドライブを手渡されたと語っています。このときのポーターにどんなことを感じて、フラッシュドライブを渡されたのでしょうか?
高木:ポーターが家に来たときに、制作中の曲を聴かせてくれました。いま思うと『Nurture』の途中経過だったと思うのですが、僕の耳にはあまり面白くありませんでした。なんというか、構造がはっきりとしていて、わかりやすすぎると言いますか。
正直な感想を彼に伝えましたし、年齢差もあるので、「もう少し歳を重ねたら、こういうところが気になると思うよ」と、普通に話しました。彼のほうも指摘したような点で悩んでいたようで、ポップな曲、明快なメロディーがある音楽を作りたいけれど、どう仕上げていくべきか探っているように思いました。
高木:それで、ヒントになりそうな音楽をいくつか流したら、面白がって聴いてくれて。主に2000年周辺の日本のエレクトロニカなどです。あとは、メロディーが素晴らしい曲も昔の曲ですが渡した気がします。それもある曲で活かされているように感じます。細かな選曲に関しては僕も覚えていませんし、彼とのプライベートなやりとりなので秘密にしておきます。
たくさんの曲を手渡したのは、ポーターの作っている音楽が、以前ヒットした“Shelter”に比べて、大味な方向に進んでいるなと思ったからだと思います。新しいデモは力強いけれど、そこにポーター自身の繊細な持ち味が活かされたらいいだろうなと、そうなったら僕のような40代に入った人でも楽しめる感じになると思うと、そういう話をしました。あとは、2000年あたりは、ものすごく緻密なことをやっている人が多くて、最近の日本しか知らないならもったいないなと思ったのだと思います。
AOKI takamasa『SILICOM』(2001年)を聴く(Apple Musicはこちら) / 高木から手渡された楽曲についてポーターは、「聴いているうちにインスピレーションが湧いてきて、まったく違う雰囲気の世界への扉を開いたような気分になったのを覚えています」とメールインタビューで答えてくれた
―『おおかみこどもの雨と雪』のサウンドトラックとの出会いが、『Nurture』を制作するにあたって大きかったとポーターは語っています。“めぐり”に感じた親密な感覚を自分の音楽に取り入れたかったそうなのです。高木さんは『Nurture』を聴いて何かシンパシーを感じる部分がありましたでしょうか?
高木:ポーターが聴かせてくれたデモが手元にないので比較できませんが、完成された『Nurture』の音は、とても豊かに変化したと感じます。尖った表現もしているのに、全体的に音が暖かく優しい、くせになる不思議な音だと思います。随分と時間をかけて取り組んだのだと思います。
音を聴いて、当たり前ですが、やはりアメリカに住んでいるんだなと感じました。それも大都会ではなくて、郊外で。その感じを言葉にするのは、なかなか難しいです。今回のアルバムは日本の空気感も混じっていて、それがとても面白いと思います。
これから自分の家庭を持ったり、いろいろな変化が訪れるでしょうが、あの歳頃の青年が、自分が聴きたい音楽を自分の手で生み出せた喜びが溢れているように思います。想いが明確だと、メロディーがシンプルに清々しいものになります。
―“Wind Tempos”には2015年にポーターが高木さんのお宅に訪れた際に収録されたサンプル音が使用されています。この楽曲は『Nurture』のなかでも色合いが少し異なるといいますか、高木さんの音楽性に通じるところが色濃くあるようにリスナーとしては感じます。“Wind Tempos”について高木さんはどのように感じられましたか?
高木:家に遊びに来てくれて、数日、演奏や録音をしましたが、その記録がたったの0.5秒になっていて、ものすごく面白いアイデアだと思いました。
僕がこのアルバムに参加した実音は、それだけなんですが、特に“Wind Tempos”を聴くと彼との時間を思い出します。音楽的にもやりとりしたことがすべて詰まっていますし、曲を通して改めて彼と会話している気持ちになります。
コラム:2000年前後の日本の電子音楽が表現していた独自の感覚、そのかたちについて
テキスト:原雅明
エレクトロニックミュージックと言われて、人が思い浮かべるサウンドはさまざまだろう。いまでは、アニソンからサウンドインスタレーションに至るまでのあらゆる場面において耳にすることができるが、その多様性がいつ獲得されたのかというと、1990年代だった。この時代に、エレクトロニックミュージックは多くのサブジャンルを生み出し、表現の幅を一気に拡げたからだ。
1980年代に登場したテクノやハウスのスタイルは瞬く間に成熟し、革新的でアンダーグラウンドだった四つ打ちのフォーマットはメジャーのプロダクションのなかにも浸透していって、時には古めかしく聞こえるようにもなった。その変化と受容のスピードは、他の音楽に類を見なかった。そして、1990年代末から2000年代初頭に大きなピークを迎えた。エレクトロニックミュージックが一度壊れかけた時期だった。
Aphex Twin『Selected Ambient Works 85-92』(1992年)を聴く(Apple Musicはこちら)ヤン・イェリネック『Loop-Finding-Jazz-Records』(2001年)を聴く(Apple Musicはこちら)
1960年代から1970年代にかけてのフリージャズがそうであったように、そのとき、エレクトロニックミュージックを音楽として成立させていた定型のビートやメロディは解体された。代わりに聞こえてきたのは、極端に抽象化された音響であり、音楽の背景に沈んでいた残響やノイズだった。それらがうねりを作り、グルーヴも成した。あるいは、テクノロジーの進歩に伴って複雑さを増したプログラミングが、ビートと上モノという基本的な構成要素の区別すらも曖昧にするトラックの組立を可能にした。楽器演奏だけでは作り出せないレイヤーが生む楽曲構造や立体的な音像も形成されていった。
1940年代末のピエール・シェフェールによるミュージックコンクレートからはじまった歴史が時折振り返られながら、エレクトロニックミュージックは、現代音楽の一部として、あるいはロックやジャズに導入される新たな要素として語られ、位置付けられてきた。それらは大掛かりでお金のかかる表現でもあった。
Kraftwerk『The Man-Machine』(1978年)を聴く(Apple Musicはこちら)
だが、1980年代以降のエレクトロニックミュージックは、たった一人で必要最小限の機材によって制作することが可能になった。その手法やスタイルは世界中に伝播し、特にダンスミュージックとDIYカルチャーを活性化させた。さらに、ダンスミュージックとしての機能性から離れて、自由度の高いフォルムを志向するエレクトロニックミュージックが登場しはじめた。それは、この音楽がダンスフロアに直結したサウンドから、多様なリスニング空間にフィットするサウンドへと変化していくことを示唆してもいた。
デリック・メイ“Strings of Life”(1988年)を聴く(Apple Musicはこちら)
そのとき、エレクトロニックミュージックは、それ自体として能動的な表現を獲得したように思われた。とりわけ、ソフトウェアが可能にした簡易な制作プロセスは、音楽の未来を夢想させたのだ。後に、グリッドにはめ込むトラック制作ゆえの画一化されたサウンドを生み、必ずしもいい結果をもたらしたわけではなかった。しかしながら、ソフトウェアの普及が契機となって生まれた表現は、現代音楽の実験としてではなく、エレクトロニックミュージックそのものをレフトフィールドでフリーフォームな音楽へと加速させることになった。
それと共に、よりパーソナルな音楽表現のためのプラットフォームが形成されていった。そして、このようなエレクトロニックミュージックは、1990年代後半には「エレクトロニカ」と呼ばれはじめた。
Boards of Canada『Music Has the Right to Children』(1998年)を聴く(Apple Musicはこちら)Autechre『Confield』(2001年)を聴く(Apple Musicはこちら)
現在では、メロディーやハーモニーが際立ち、優しさや心地よさといった形容と共にあるエレクトロニカは、この20年余りのあいだにその言葉の意味するところを変化させたように思われる。しかしながら、「パーソナルな音楽表現から顕れた」という点においては、連続性を積極的に見出すことができる。
それは、1990年代から2000年代にかけての日本のエレクトロニックミュージックが欧米のシーンと接点を持ちながらも、独自に育んできた表現だとも言える。欧米のエレクトロニックミュージックが持つバックグラウンドやカルチャーとは異なる、日本における表現のリアティの在処を示しているからだ。
たとえば、竹村延和の『こどもと魔法』(1997年)や『Sign』(2001年)、彼のChild’s View名義による『ほしのこえ』(2000年)、ススム・ヨコタの『Magic Thread』(1998年)や『Sakura』(1999年)、そして、レイ・ハラカミの『unrest』(1998年)、『opa*q』(1999年)、『red curb』(2001年)。
Child’s View(竹村延和)『ほしのこえ』を聴く(Apple Musicはこちら)ススム・ヨコタ『Magic Thread』を聴く(Apple Musicはこちら)
レイ・ハラカミ『unrest』を聴く(Apple Musicはこちら)
2000年を挟んだ数年間にリリースされたこれらの諸作は、それぞれに異なる表現を確立しているが、サウンドには相通ずる感覚や感触が顕れている。淡い音色と繊細なテクスチャー、一定のビートを刻みながらも変化を許容するリズム、生々しく躍動する電子音、アンビエンスを尊重した録音などから感じ取れる有機性が、そのことを伝えている。
ストイックでミニマルなエレクトロニックミュージックに別のコンテクストを加えて音楽性を拡げることは1990年代に盛んに行われてきたのだが、そうしたアプローチとは決定的に異なってもいる。その有機性は、定型のフォルムから逸脱しようとする志向と、再構築しようとする志向がせめぎ合いのなかで共存して生まれたものだった。
レイ・ハラカミ『red curb』を聴く(Apple Musicはこちら)
一聴すると聴き心地のよい響きや躍動感があるのだが、その裏には相反するものが蠢いている。放っておくとランダムに散霧してしまいそうな電子音の連なりを辛うじて組み立てていく、そんな危うさが存在した。
とくに、竹村延和やススム・ヨコタが、それ以前に発表し、海外でもリリースされた自身の音楽との違いは、クラブシーンを向いた音楽から個の表現に向かったことを明確に示してもいた。
ススム・ヨコタ『Sakura』を聴く(Apple Musicはこちら)
日本のエレクトロニックミュージックに海外からの関心が寄せられている状況については、限られた情報からしか伺い知ることができないのだが、かつては違和感を与えることもあった有機性が、ようやく評価されようとしているのかもしれない。一方で、失われたかに思われた有機性がいまも綿々と流れていることに、不意に出会った日本の新たなエレクトロニックミュージックによって気が付かされることもあるのだ。そのことの大切さを、いま改めて考えてもいる。
当記事企画と連動したプレイリストを聴く(Spotifyを開く)
もくじ:
1 「メールインタビュー:長谷川白紙が捉えた、ポーター・ロビンソンのサウンドのかたち。3つの質問とその回答」2 「メールインタビュー:『生きていくうえでのすべての感情をひとつにしたもの』。ポーターが日本の音楽に見いだす感覚」
3 「レビュー:『Nurture』に息づく、日本の音楽からのインスピレーション」テキスト:黒田隆憲
- リリース情報
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- ポーター・ロビンソン
『Nurture』 -
配信版:2021年4月23日(金)配信
国内盤:2021年4月28日(水)発売
価格:2,420円(税込)
SICX-1541. Lifelike
2. Look at the Sky
3. Get Your Wish
4. Wind Tempos
5. Musician
6. do-re-mi-fa-so-la-ti-do
7. Mother
8. dullscythe
9. Sweet Time
10. Mirror
11. Something Comforting
12. Blossom
13. Unfold
14. Trying to Feel Alive
15. fullmoon lullaby(日本版ボーナストラック)
- ポーター・ロビンソン
- プロフィール
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- ポーター・ロビンソン
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アメリカ・ノースキャロライナ州出身プロデューサー / DJ。2014年にデビューアルバム『Worlds』をリリース。同作は全米ダンス / エレクトロニックアルバムチャートで首位を獲得。2016年8月、盟友Madeonとのコラボレーション楽曲“Shelter”を発表。同曲はSpotifyバイラルトップ50(日本)で1位を記録。ポーター原作・原案、『青の祓魔師』『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』などで知られる大手アニメーションスタジオ「A-1 Pictures」全編書下ろしによる、アニメーションのミュージックビデオも大きな話題に。2020年5月、オンライン上にて音楽フェスティバル『Secret Sky』を開催。総視聴者数が400万人を越え、ポーターのセット時には25万人が一斉にオンライン参加した。2021年4月23日、自身名義では7年振ぶりとなるアルバム『ナーチャー』をリリースした。
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