過疎高齢化の進む日本有数の豪雪地、越後妻有(新潟県十日町市、津南町)地域の広大な土地を美術館に見立て、2000年から3年に1度開催されている世界最大級の国際芸術祭『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』。農業を通して大地と関わってきた「里山」の暮らしが今も豊かに残っている地域で、「人間は自然に内包される」を基本理念として集められた作品群を巡る旅は、地域作りの先進事例として、国内外から注目を集めています。
誰にとっても未体験の試みだった第1回『大地の芸術祭』(2000年)は、ここ10年ほどで一気に数が増えた地方活性化のためのアートプロジェクトの潮流を作り出した先駆的な実験でもありました。しかしその歩みは平坦ではなく、現地の自治体や住民による厳しい批判との戦いの月日でもあったと言います。
過酷な自然環境の中で生きる人々に対する、総合ディレクター・北川フラムの熱い想いから始まったという『大地の芸術祭』は、15年間の歳月を経てどのように変わったのでしょうか。また、多くの反対意見に北川さんはどう立ち向かってきたのでしょうか。開催準備に追われる『大地の芸術祭』の様子を一足早く、北川さんに案内していただきました。
※記事掲載後、大地の芸術祭事務局の意向により作品解説部分を一部修正いたしました。
(メイン画像:『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』 草間彌生『Tsumari in Bloom』2000年 photo:Osamu Nakamura)
東京23区を超える面積に、380点もの現代アート作品が並ぶ「世界最大級の芸術祭」
「世界最大級の芸術祭」という少し大袈裟な紹介をしましたが、その表現は間違いではなく、開催場所となる越後妻有地域の面積はなんと約762平方キロメートル(東京23区の総面積が約623平方キロメートル)。そんな里山地域に2012年の開催時には、48万人余りが訪れました。今年も約200の集落に380点の作品(新作180点)が設置されています。
『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』 Ilya & Emilia Kabakov『The Rice Field』2000年 Photo:Osamu Nakamura
とてつもなく大規模な『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』の巡り方には、決まった順番はありません。「どこから訪れたらいいの?」と途方に暮れてしまいそうになりますが、とりあえず最初に訪れておくべきスポットが、JR十日町駅から徒歩圏内の越後妻有里山現代美術館「キナーレ」。原広司+アトリエ・ファイ建築研究所の設計による同館は、インフォメーションセンターや温泉、地域の文化を伝える常設展示などを含む、『大地の芸術祭』を巡る旅の起点と位置付けられる施設です。
越後妻有里山現代美術館「キナーレ」 photo by Osamu Nakamura
ここで合流していただいたのが、本日の案内役であり『大地の芸術祭』総合ディレクターの北川フラムさん。『大地の芸術祭』のほかにも、2010年に始まり、2013年開催の第2回には100万人以上の来場者数を記録した『瀬戸内国際芸術祭』も指揮するなど、数多くの芸術祭を手がけてきた地域型アートプロジェクトの先駆者です。
彼がまず案内してくれたのが、「キナーレ」内部にある回廊空間で設営されている、現代アート界の巨匠・蔡國強(ツァイ・グオチャン)さんによる新作『蓬莱山』。蔡さんは、第1回から毎回出品している『大地の芸術祭』の常連です。中央の池には緑の島が、回廊の天井には藁を編んだようなオブジェが浮いていますが、これは一体?
『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』 蔡國強『蓬莱山』制作中の様子
『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』 蔡國強『蓬莱山』
北川:タイトルの『蓬莱山』も示す通り、ここでのテーマは「理想の島(ユートピアアイランド)」。近年、東アジアでは島を巡るトラブルが相次いでいますが、蔡さんはこの問題を軽やかに扱って、「理想の島とは何か?」を問うている。回廊に浮かぶ藁でできたオブジェは、船や人、鳥のかたちをしていて、地元の人たち含めたボランティアの力も借りて作られています。最終的には千体近くになる予定なんですよ。
蔡さんは同作以外にも、生まれ故郷の中国福建省から移築した「登り窯」を利用する「ドラゴン現代美術館」(津南エリア)で館長兼キュレーターを務めるなど、『大地の芸術祭』に幅広く関わっています。北川さんの口ぶりから感じられるのは、そんな蔡さんへの圧倒的な信頼感。のどかな地方の片隅に作られつつある大作の予感に、早くも興奮を感じます。
地元住民から疑念の目を向けられ、強い反対意見もあった中で、芸術祭を成功させた原動力とは?
里山地域全体を使った芸術祭では、ただ作品を観てまわるだけでなく、その道中での地域との触れ合いも楽しみの1つです。キナーレから外に出て、徒歩で向かったのは、十日町の市街地。住宅に囲まれた街の一角では、土着的な素材を使った壁画などで注目を集めるアーティストの淺井裕介さんが、特産品の織物に使われる素材「チョマ」(苧麻)をテーマに幻想的な絵画を制作中。一方、そこから少し離れた店舗では、その建物が、元々どのような造りであったかをわからなくするような不可解な作品を準備中の現代芸術チーム「目」の姿がありました。
『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』淺井裕介 制作中の作品
『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』現代芸術チーム「目」 制作中の作品
アーティストたちの話を聞いて印象的だったのは、制作中の地元住民とのエピソード。「朝から作業をしているのですが、夕方になると子どもやお年寄りから『今日も暑かったねえ』なんて声をかけられる」と淺井さん。「目」のメンバー、荒神明香さんは、近所の人に相談すると、とても親身になって素材を提供してくれることもあったと話します。
しかし、こうした交流は昔からあったわけではありません。そもそも『大地の芸術祭』の始まりは、新潟県が地域活性化のために計画した「里創プラン」にあたって声をかけられた北川さんが、日本有数の豪雪地帯である越後妻有地域を訪れたことにあります。そこで彼が見たのは、厳しい自然の中で自分たちの営みを1500年以上も守ってきたにもかかわらず、農業の切り捨てや都市への人口集中の犠牲となった人々の姿でした。
「彼らのコミュニティーに対して何かできることはないか?」。そんな北川さんの思いを原動力に企画された『大地の芸術祭』は、しかしその当初、地元住民から圧倒的な疑念の目を向けられました。もともと1999年に予定されていた第1回は、関係6市町村すべての長の反対を受けたこともあり延期。なんとか2000年に開催にこぎつけるも、スタート直後は客足が伸びず、「バスが空気を運んでいる」と揶揄されたと言います。
『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』 Richard Wilson『Set North for Japan(74°33’2”)』 photo:Shigeo Anzai
そんな経緯を踏まえるならば、都市部の人からでさえ「よくわからない」と言われることもある現代アーティストたちと、地元住民が日常的に交流をする十日町市の今の光景は、『大地の芸術祭』が積み上げてきたものの大きさが詰まっているように思います。そして、強い反対意見もあった中で、15年にわたり芸術祭を率いてきた北川さんのパワーにも驚きを覚えるでしょう。なぜそんなことが可能だったのか、と。しかし北川さんは「むしろ、自分の意見が通りにくい場所でこそ仕事をしなければ」と言います。
「大切なのは意見の違いではなく、『遊び』の感覚や、『わけがわからないけれど面白いもの』への興味をもとに、違う思想の持ち主が関わり続けること」
1946年生まれの北川さんがそのような考えに至った背景には、若いころに熱中した社会運動への反省があるようです。
北川:自分の意見「A」を「正義」とし、違う意見「B」を持つ人に「Aになれ」と求めるのが従来の社会運動でした。こうした構図は社会運動だけでなく、自分の属するジャンルや思想に固執しがちな多くの人にも当てはまるはず。僕は自分の仕事に誇りは持っているけれど、それを「正義」とは思わない。AとBの違いがあるのは、生きてきた環境が違えば当たり前。でもじつは、同じ時代や社会に生きていることなど、共通点も多いんです。それをベースにする方法を探らないと。
『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』 鉢&田島征三 絵本と木の実の美術館 photo:Takenori Miyamoto + Hiromi Seno
3年ごとに開催される『大地の芸術祭』。3年間、つまり約1100日のうち、芸術祭はわずか50日間。残り1050日を、北川さんは地元住民への説明会や彼らの農作業の手伝いなど、人との交流に当て続けてきました。そして少しずつ理解を広げていったのです。
北川:越後妻有という人の土地を借りてやる以上、議論が生まれるのは当然。むしろ、意見を交わし合える場所や機会を持たせてもらえることのほうが重要です。今でも「北川が嫌い」という人はいるけど、それでもいい。僕のことが嫌いでも、芸術祭に出ているアート作品のことは面白がってもらえる。大切なのは意見の違いなんかではなく、「遊び」の感覚や、「わけがわからないけれど面白いもの」への興味をもとに、違う思想の持ち主が関わり続けることです。
また北川さんは、「狭いジャンルに閉じこもるのは良くない。僕の場合、アート界にも建築界にもどっぷり浸かっていないから、自由に動けたところがある」とも語ります。こうした従来からあるジャンルの枠組みに対する問い直しは、じつは近年の『大地の芸術祭』でも重要なポイントとなっているそう。というのも初期の芸術祭においては、都市部で生まれた最先端のアートを地方へ「持っていく」ことが多かったのに対し、現在では「現地にもとからある土地と人間との関わり」をアートとして再提示する傾向が強くなっているからです。北川さんがその筆頭に挙げるのが「食」です。
「『食』や『農』『土木』など、自然の中で生きるための知恵、技術すらもアートと呼んでしまおうと」
この日昼食を食べたのは、芸術祭開催エリアの中でも西側にある、まつだい雪国農耕文化村センター「農舞台」。地元で採れた野菜など使い、地域のお母さんたちが調理をしてくれるビュッフェ形式の食事が魅力ですが、「食」とはそもそも人と土地の関係性の中から生まれるもの。そしてそれは、北川さんが考える「アート」の定義とも重なります。
越後まつだい里山食堂 地元で採れる野菜を使ったビュッフェ形式の食事
北川:そんな地域に根ざした「食」のあり方を、もう「アート」と呼んでしまおうと(笑)。回数を重ねるに従い、芸術祭の中での「食」の重要性は高まっていますね。
「土地と人間の関わり」の別の例には、「農の仕組み」や「土木」があります。
たとえば、下条飛渡エリアにある「Soil Museum もぐらの館」に展示された中里和人さんの写真作品『MABU(光ノ境界)』。廃校を利用した同館では、日置拓人さんや佐藤香さんなど、日頃から土を素材に制作を行う9組の作家の作品が展示されますが、中里さんが写すのは川の水を引くために掘られた「マブ」という農業用のトンネルです。この「マブ」や急斜面に築かれた「棚田」は、山間部の越後妻有に特有の「農の仕組み」ですが、そこにも北川さんはアートの姿を見るのです。
『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』 中里和人『MABU(光ノ境界)』
一方、「土木」の側面を象徴するのは、津南エリアの土石流跡に設営中の磯辺行久さんによる『土石流のモニュメント』。「辰ノ口」と呼ばれるこの場所では、2011年3月12日に起きた長野県北部地震の影響で、大きな土砂災害が発生しました。現在、建造されている円筒型の砂防ダムの奥から雪なども巻き込みつつ流れた土砂は、目の前の国道353線を越えて、延長100平方メートルにも及んだと言います。今回、磯辺さんが設置した260本の黄色いポールは、その到達範囲を示しています。
『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』 磯辺行久『土石流のモニュメント』(イメージドローイング)
北川:しかし「辰ノ口」、つまり「龍の口」という地名に学んだ人々は、そのエリアに住居を建てていませんでした。おかげで大規模な土石流にも関わらず、人的被害は出なかったんです。磯辺さんの作品は、地名から危険を察することのできた、土地に対する人の付き合い方を教えてくれるでしょう。また、建造中の砂防ダムのような「土木工事」は、一般的に悪いことのように語られ、僕自身もある時期までそう思っていましたが、考え方が変わりました。工事を行わなければ、ここで人は生きていけません。これも厳しい土地で生きるための、1つの大切な「技術=アート」なんです。
アートとは、自然の中で生きるうえでの知恵。「食」や「土木」といった対象までをも範疇に入れることで、『大地の芸術祭』の目指すアートは広がっているようです。
「アーティストが真剣に作品を作る姿は、農作業にコツコツと向き合ってきた人たちと共鳴する」
現地の人たちとアーティストを結びつけるもの。それは、作品の面白さであると同時に、アーティストの「労働する姿」でもあると北川さんは言います。
北川:一見、よくわからない都市の若者であっても、彼らが真剣な顔をして作品を作る姿を見れば、住民の人たちの心は動くんですよ。そこには、コツコツと地道に大地へと向かい合う自分たちの姿と重なるものがあるからだと思います。
『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』 古郡弘『うたかたの歌垣』
そんな圧倒的な「労力」の結晶としてあるのが、松之山エリアの「じょうもんの湯 おふくろ館」に展示された古郡弘さんの『うたかたの歌垣』。じつはこの作品、2007年に彼からある作品プランを見せられた北川さんが、その内容に満足がいかず断ったあと、6年以上の歳月をかけ、あらためて作り上げられたものだと言います。完成したのは一種の茶室ですが、驚いてしまうのはその素材。
北川:屋根は、彼が長年にわたって集め続けた無数の「カラスの羽」からできています。そして建物の壁の基礎となっているのは、紙を紐状にした「こより」。気の遠くなるような仕事ですね。じつは今日初めて完成作品を見たのですが、「やった!」という感じです。
一方、『大地の芸術祭』が掲げる「労働」に関わるもう1つの目標に、都市に集中する「労働力」を、地方へと運ぶことが挙げられます。2012年に廃校した中学校の校舎を活用する越後妻有「上郷クローブ座」は、そんな狙いが隠された施設です。
ここは、元体育館内に建設中の大規模な舞台を始めとして、練習場所に困る劇団やカンパニーに滞在制作の場を提供するレジデンス機能なども備えたパフォーミングアーツの拠点です。寝泊りするための部屋はもちろんのこと、元音楽室を利用した広々とした練習場、炊事室などがあり、制作に没頭できる環境が整います。
北川:しかし、ここで体験できるのは制作だけではありません。午前中には練習を行って、午後には近所の人の農作業をお手伝いする。そしてそれを、再び制作に活かしてもらうといったかたちを目指しているんです。始めは理解してもらえなかった地域の人たちも、施設ができるにつれてどんどん乗り気になっていますね。
地方だからこそ可能な体験がある。このことは、中里エリアの廃校を利用した新しい美術館「清津倉庫美術館」にも見られる側面です。
ここで展示を行うのは、青木野枝さん、遠藤利克さん、戸谷成雄さん、原口典之さんら、重厚な作品が持ち味の現代アートの巨匠たち。展示のテーマは「素材の力」だと言います。残念ながら訪れたときには、遠藤さんと原口さんの作品のみ展示されていましたが、10メートルはあろうかという巨大な木を船の形にくり抜き、さらに燃やして炭化させた遠藤さんの作品や、もともと地中に埋まっていた鉄のオブジェを移設して、ワイヤーによりギリギリのバランスで固定化した原口さんの作品など、旧体育館を目一杯に生かした圧倒的なスケールの体験ができました。こうした空間の贅沢な使用も、都市ではなかなかできない地方が持つアートへの可能性でしょう。
取材の終盤に回ったのは、ゴミの不法投棄場所を禅庭のような空間に仕立てたカサグランデ&リンターラ建築事務所の『ポチョムキン』や、シンプルな窓枠が風景の美しさをあらためて教えてくれる内海昭子の『たくさんの失われた窓のために』といった、過去数回に渡り人気を集める『大地の芸術祭』の代表的な作品群。その佇まいは、もはや土地にしっかり根付いているように感じられます。
『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』 カサグランデ&リンターラ建築事務所『ポチョムキン』
『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』 内海昭子『たくさんの失われた窓のために』
「人にとってもっとも辛く寂しいことは、自分だけが知っている知恵や得意分野を失うこと。それを知ったとき、『大地の芸術祭』を何としてもやらなくては、と決意したんです」
そこで取材終了後、北川さんにあらためてお聞きしました。途方もない規模の『大地の芸術祭』を15年間にわたって続けることができた、そのモチベーションとは何だったのでしょうか?
北川:1990年代の半ばに越後妻有を訪れたとき、気付かされたことがあったんです。こうした地域に住む人だけでなく、人にとってもっとも辛いことは、自分だけが知っている知恵や得意分野を失うことなのだ、と。たとえば子どもにも教えていなかった、自分だけが知っている山野草が採れる場所を奪われたらどうか。それほど寂しいことはないでしょう。けれどこうした土地に住む人にはそんなエピソードがある。それを知ったとき、『大地の芸術祭』を何としてもやらなくては、と決意したんです。
たしかに取材の中でとても印象的だったのは、それぞれのアーティストの技術や表現力が発揮された作品であると同時に、越後妻有にもともとあった人々の知恵を「アート」としてフックアップしようとする視点の面白さでした。それは、高度に効率化・情報化された都市生活の中では忘れがちなものを、そっと示してくれます。
『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』のプロジェクトによって一部復田された星峠の棚田
北川:『大地の芸術祭』は、観る展覧会であるよりも先に、1つの「旅」なんです。山間部に散らばる作品の間を、車で数十分もかけて移動しなくてはいけない芸術祭の体験は、まさに非効率そのもの。しかし、子どもからお年寄りまでもが一緒になって、作品について「わからないねえ」「あんなの僕でも作れるよ」と語りながら山を巡ることは、それ自体とても楽しい。本来的な意味での旅が失われている現在にあって、そんな不便すらも楽しめる場であることが、『大地の芸術祭』の大きな魅力なのだと思います。
効率性では測ることのできない何か。それは、当初は反対していた地元の人々の理解を、アートという「わけがわからないけれど面白いもの」を通して獲得してきた『大地の芸術祭』の歩みを思い出させます。今年の夏、この山に囲まれた土地の中で、参加者は何を発見することになるのか。それが楽しみになる取材でした。
- イベント情報
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- 『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2015』
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2015年7月26日(日)~9月13日(日)
会場:新潟県 越後妻有地域各所
料金:
前売 一般3,000円 高・専・大学生2,500円
当日 一般3,500円 高・専・大学生3,000円
※中学生以下無料
- イベント情報
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- 『大地の芸術祭 2015 YEN TOWN BAND @NO×BUTAI produced by Takeshi Kobayashi』
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2015年9月12日(土)OPEN 17:00 / START 18:00
会場:新潟県 まつだい「農舞台」
料金:前売5,000円(全自由・入場整理番号付)
※『大地の芸術祭』作品鑑賞パスポートチケット付
※『大地の芸術祭』作品鑑賞パスポートをお持ちの方は別途ライブチケット(2,000円)の購入が必要
- プロフィール
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- 北川フラム (きたがわ ふらむ)
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1946年新潟県生まれ。アートディレクター。東京藝術大学卒業。主なプロデュースとして、『アントニオ・ガウディ展』(1978-1979)、『子どものための版画展』(1980-1982)、『アパルトヘイト否!国際美術展』(1988-1990)など。地域作りの実践として『瀬戸内国際芸術祭』『大地の芸術祭』の総合ディレクターをつとめる。
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