『ヘアカットさん』が第54回岸田國士戯曲賞にノミネートされるなど、数ある若手劇団の中でも最も注目を集めるうちのひとつと言っていいカンパニー、岡崎藝術座。昨年の『古いクーラー』でのフェスティバル/トーキョー(以下、F/T)公募プログラム参加に続き、今年はF/T主催公演として新作『レッドと黒の膨張する半球体』を上演する。今回、この劇団の主宰を務める演出家・神里雄大さんと、前回に引き続き登場していただく遊園地再生事業団の宮沢章夫さんによる対談を行った。独特のユーモアに定評のあるお2人の対談は、世代による演劇観の違いも浮き彫りになる、貴重な内容となった。
宮沢章夫
1956年静岡県生まれ。劇作家・演出家・作家。90年、作品ごとに俳優を集めて上演するスタイルの「遊園地再生事業団」の活動を開始、『ヒネミ』(92年)で岸田國士戯曲賞受賞。10年間で10数本の舞台作品を発表後、2000年に3年間の休止期間に入る。03年、戯曲+映像+パフォーマンスのコラボレート作品『トーキョー・ボディ』、05年『トーキョー/不在/ハムレット』をそれぞれ発表し、第二期ともいうべき活動を開始。また、99年芥川賞候補にもなった『サーチエンジン・システムクラッシュ』(文藝春秋)などの小説、エッセイ、評論などの執筆活動や早稲田大学文化構想学部教授など、活動は多岐にわたる。
u-ench.com PAPERS神里雄大
1982年ペルー共和国リマ市生まれ。演出家・作家。2003年「岡崎藝術座」を結成し、2006年『しっぽをつかまれた欲望』(作:パブロ=ピカソ)で利賀演出家コンクール最優秀演出家賞を最年少受賞。2009年、『ヘアカットさん』が第54回岸田國士戯曲賞最終候補にノミネートされた。2009年、白神ももこ(振付家・ダンサー)と、新ユニット"鰰[hatahata] "を結成した。演劇作品の演出のほか、近年は小説やイラスト、詩の分野においても活動の幅を広げている。
welcome to OKAZAKI ART THEATRE
「ふざける」というのは、いかにそれまでの枠組みから逃れるか(宮沢)
―宮沢さんと「岡崎藝術座」の出会いからお伺いできますか?
宮沢:僕が神里くんの存在を初めて知ったのは、岸田國士戯曲賞の候補になった戯曲を読んだ時でした。戯曲を読めば、舞台を観るのよりも冷静な視点で、作者が何をしようとしているのかを客観的に把握できる。って、まあ、舞台を観ない言い訳のようだけど(笑)、これは別役実さんも言ってます。だから正しい(笑)。そういう意味では、すごく面白く読んだんです。あれはなんていう作品でしたっけ?
神里:『ヘアカットさん』ですね。
宮沢:まず、タイトルがふざけていますよね(笑)。そして、戯曲冒頭のト書きが非常に優れていて、「原則として客席を凝視すること」というものでした。これは感心しましたね。舞台が始まったら役者が客席を凝視しているって、どんな芝居だと(笑)。基本的にふざけている姿勢、もちろんいい意味ですよ、そこに好感を持ちました。
左:宮沢章夫、右:神里雄大
神里:僕自身は結構、真面目なつもりだったんですが…(笑)。ただ、「神里は適当に書いているくらいがちょうどいい」とよく言われるんです。はじめは気合を入れて書いているんだけど、だんだんいい加減になってきますね。
宮沢:神里くんは俳優から始めたんですか? 戯曲を読むと役者業を知っていて書いている感じがしたんですが。
神里:大学に入るまではずっと野球をやっていたんですが、プロになれないということはわかっていたので、バンドサークルに入ったんです。でもチャラチャラした感じについていけなくて、演劇を始めました。
―過去には神田川を泳ぐような公演も行なっていたそうですね。
神里:ええ。古いバーを拠点に公演を行なっていたんですが、何回か公演をすると、どうしても空間に制限があるため作品に限界が出てきてしまったんです。そこで、場所を変えようと思い外に出たら神田川があったので、「よし、泳ごう」と思ったんですよね。
宮沢:すごい思考回路ですよね(笑)。ふざけているというのは、いかにそれまでの枠組みや文脈から逃れるかということでもある。演劇の歴史において、山ほど、いろんな試みがやり尽くされてる。たとえば劇場の外に出るという行為も寺山修司がやっていますよね。とはいえ、神里くんたちの世代はそれもわかった上で、さらに何かをしようとしている。演劇に新しいものはない、その上でこれまでの演劇とは異なる次元に飛び出そうとしている印象を受けるんです。
過去公演:岡崎藝術座『古いクーラー』より
神里:僕自身は、あまり周囲と異なったことをやろうとは考えていないんです。そもそも、演劇についてもほとんど知りませんし。寺山修司も知らないし、有名な鈴木忠志さんのメソッドも「腰を落としとけばいいんだろう」くらいの理解しかないですし。
宮沢:それ、すごく正しいよね(笑)。
神里:ただ、「新しいものをやる」というよりむしろ、「これまで受け継がれてきた表現の延長をやる」という責任はあるだろうと思っています。今までの演劇史の蓄積を持ったまま、次の時代へのページをめくりたいと思っているんです。
演劇は、今ここにある空気を反映する(宮沢)
―1986年というチェルノブイリ事故が起こった時代を描いた遊園地再生事業団の新作『トータル・リビング 1986-2011』は、震災を受けて創作されました。神里さんは震災をどのように捉えたのでしょうか?
神里:震災後の日本政府の対応を見ていると、「これはダメだな」と思ったんです。わかっていたけれども認めたくなかったダメさが露呈した感じですね。ただ、震災には引っ張られますが、これまでやってきたこととズレてはいない印象はあります。
―新作『レッドと黒の膨張する半球体』もやはり、震災の影響を受けて書かれている部分もあるのでしょうか?
神里:影響されている部分はありますし、客席も敏感になっていると思いますね。「海」という単語を使えば、すぐに津波を連想してしまうかもしれませんし。
宮沢:こういった事件が起こると、作者だけではなく観客側が意識してしまうことはしばしば起こりますよね。僕自身は、オウム真理教の事件があった時期、どんな作品を見てもオウムに見えてしまった。F/Tのオープニング作品として上演されたロメオ・カステルッチの『わたくしという現象』には、たくさんの椅子が動いていくシーンがありましたね。あれはもう、津波にしか見えなかった。もちろん作者も意図していると思うんですが、演劇ってそういうものなんだと思います。今ここにある空気を反映するんですね。
『トータル・リビング 1986-2011』舞台写真 ©引地信彦
―『レッドと黒の膨張する半球体』というタイトルは非常に意味深ですよね。
神里:当初は『へこき虫、場所チョイス/ため息(Reservation)』というタイトルだったんです。ただ、それじゃちょっとな…と思い、F/Tっぽくマジメにしました(笑)。
宮沢:『ヘアカットさん』とか『リズム三兄弟』といった過去作品、あれ、ぼくなんか思いつかないんだけど、あのタイトルはどう発想したんですか?
神里:『ヘアカットさん』は、歩いていたら床屋があったから付けたんです(笑)。僕の場合、やりたいことが先にあって、そこに頭の中へ飛び込んできた単語がタイトルになることが多いですね。『レッドと黒の膨張する半球体』は、作品について深く考えていたときに出てきたイメージをタイトルにしています。ちょっと長すぎるんじゃないかとは思っていますが…。
どのような身体を使うにしろ、ちゃんと死ぬ覚悟を持って舞台に立たなければいけないと思っています(神里)
―遊園地再生事業団も岡崎藝術座も、それぞれベクトルは異なるものの、身体のあり方についてとても真摯に考えている劇団だという印象を受けるんです。お2人それぞれが、身体について大事にしようと考えているのは、どういった部分なのでしょうか?
宮沢:綺麗であることですね。ただ、完璧に訓練された隙のない身体は、どうしても魅力的に思えません。むしろ、ダメな人の身体がすごく好きなんです。俳優の中からどうやって「ダメな部分」を見つけるか、それが美しさにつながるんだと思います。ただ、今回の『トータル・リビング 1986-2011』を上演してから、あらためて、また異なる身体の技法を模索しなければと、考えなければと思ったんですけどね。
『トータル・リビング 1986-2011』舞台写真 ©引地信彦
神里:僕は「俳優は態度だ」と思っているんです。ですから、真摯にやることが最も重要なんじゃないでしょうか。どのような身体を使うにしろ、ちゃんと死ぬ覚悟を持って舞台に立たなければいけないと思っています。コミュニケーションをちゃんと取ろうとした場合に、いろんなことをナメていては絶対にできない。俳優は、知らない相手や知らない状態、空間、時空といったものに畏怖と尊敬をしっかり持っていないといけないんです。
宮沢:人は他者と出会うとき畏怖の感情を持ちますが、いつの間にか他者じゃなくなることもあります。常に、他者に向かってどのように表現するかを意識することが大事なんじゃないでしょうか。観客について言うならば、通りすがりに見に来た人も観客席にはいますよね。「私」をよく知っている人やファンのためだけではなく、そういった他者に向かって行うものが「表現」と言えるんじゃないでしょうか。神里くんが言った「真摯に舞台に立つ」とはそういうことでしょう。そのような態度でなければ、表現は強度を持てないと思いますね。
「世間」から理解されないときに、いかに自分のやりたいものを押し通すかが大事(宮沢)
―ところで神里さんはペルー生まれということですが、南米で幼少期を過ごしたことは神里さんの中で大きな影響を与えていますか?
神里:大きいと思いますね。日本の学校に通うようになると、「自分は特別でノーマルじゃないんだ」という意識を持ちましたので。
宮沢:特別な育ち方をしたことで、自分をそういう環境に置いた親に対する反発は生まれなかったんですか?
神里:反抗期のようなものはあまりなかったですね。親や弟と普通に喧嘩はしましたが、それよりもむしろ家の外の人間に対して「アイツらはダメだ」といった反発心を抱いていました。
―宮沢さんは親や周囲に対する反発心を持っていたんでしょうか?
宮沢:そうですね。僕の場合、音楽で言えば親は歌謡曲を聴き、学校ではクラシックを聴かされたので、親や学校に対抗するためには洋楽を聴くしかなかったんです。そうなると洋楽が流れるのはラジオだった。すごく聴きましたよ、小学生から中学生のころ。
神里:「反発」という言葉の使い方が違うんでしょうね。もちろん嫌なことも山ほどありましたが、反発というニュアンスじゃなくて、僕にとっては正当なリアクションでした。周囲を見ても「親に反発しない若者」と世間で言われるほど、親と仲がいい人たちばかりではありませんでしたし。だから、僕と宮沢さんとではそれほど変わりはないんじゃないでしょうか?
宮沢:親との関係もそうなんですけれど、阿部謹也さんが書かれたものに多くを教えられるんですが、日本の場合、家や個人と、社会の間に「世間」があると。これが厄介な存在なんです。世間は生活のいろいろな側面から干渉してきます。かつてはそれがもっと強固でしたが、社会の仕組みが変わりつつあるとはいえ、まだ「世間」は少なからずある。もちろん、かつて共同体が確立していた社会では、共同体が内部の子どもを全体で育てるというシステムがあったし、そこで「世間」は一定の機能を果たしていたから、それも大事な要素だった。ただね、演劇なんかやってると、圧倒的に「世間」から理解されないよね。闘うべき相手はもっと上にいると思ったらすごく身近にいる。世間。その仕組みのなかで、いかに自分のやりたいものを押し通すのかこそ、闘争だよね。
『レッドと黒の膨張する半球体』 イラスト:神里雄大
精一杯、好きにさせてもらおうと思います(神里)
―今回、遊園地再生事業団は初めてのF/T参加、岡崎藝術座もF/T主催公演としては初の参加となります。実際に参加をされてみて、F/Tをどのように感じていますか?
宮沢:これまでは観客として、F/Tに参加している世界中の面白い作品を見てきました。まさか自分でやるとは思っていなかったので、そう口にすると恥ずかしいけど、正直、プレッシャーのようなものもありますね。F/Tが海外から招聘する劇団は、みんな好き勝手に実験的な演劇を繰り広げている。そういう演劇をF/Tは呼んでくる。だから僕たちも、その大胆な表現のフィールドで出られるし、さまざまに試みをさせてもらえるという、贅沢さを味合わせてもらえてると感じています。
神里:演劇をしていて一番楽しいのって、「好きにやらせてもらえる」ことなんですよ。その点、F/Tは好きにやらせてくれる環境を作ってくれている。今回の公演でも精一杯好きにさせてもらいますので、どんなふうに好きにやっているのか、ぜひ見ていただければと思っています。
『レッドと黒の膨張する半球体』
2011年10月28日(金)〜11月6日(日)全10公演(11月1日は休演日)
会場:東京都 西巣鴨 にしすがも創造舎
作・演出:神里雄大(岡崎藝術座)
料金:一般前売3,500円 当日一般4,000円 学生3,000円 高校生以下1,000円(要学生証提示)
※ 学生・高校生以下は当日、前売ともに同料金
レッドと黒の膨張する半球体 | フェスティバル/トーキョー FESTIVAL/TOKYO トーキョー発、舞台芸術の祭典
『トータル・リビング 1986-2011』
2011年10月14日(金)〜10月24日(月)全15公演
会場:東京都 西巣鴨 にしすがも創造舎
作・演出:宮沢章夫(遊園地再生事業団)
料金:前売一般4,500円 当日一般5,000円 学生3,000円 高校生以下1,000円(要学生証提示)
※ 学生・高校生以下は当日、前売ともに同料金
トータル・リビング 1986-2011 | フェスティバル/トーキョー FESTIVAL/TOKYO トーキョー発、舞台芸術の祭典
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