世界屈指の映画監督クリストファー・ノーランの創作の秘密

クリストファー・ノーランという監督はとても人気がある。11月22日から日本公開となる新作『インターステラー』(米国では11月5日公開)は、『ダラス・バイヤーズクラブ』で今年の『アカデミー賞』主演男優賞に輝いたマシュー・マコノヒー、ノーランの前作『ダークナイト ライジング』(2012年)でヒロインを務めたアン・ハサウェイを迎えた壮大な感動巨編。世界的な食糧危機に陥り、地球の寿命が尽きかけていることを知った人類が、新天地の星を求めて宇宙へと旅立つ――。その重大な任務を背負った1人の父親でもある男を主人公に、家族のヒューマンストーリーも期待される話題作だ。これまで独創的な設定と、緻密なストーリーテリングによって見る者を虜にしてきたノーランが、人間愛と真っ向から向き合い「父親であることの意味を描く」と本作で明言した。そこにどんなヒューマニティーとリアリティーを提示してくれるのか。考えるだけでワクワクするではないか!

今やノーランが、作家性と娯楽性を兼ね備えたハリウッドのトップディレクターの1人として認知されている事実は、誰も疑いようがないだろう。思い返せば1990年代後半、米国では『マルコヴィッチの穴』(1999年)のスパイク・ジョーンズ、『アンソニーのハッピー・モーテル』(1996年)や『天才マックスの世界』(1998年)のウェス・アンダーソン、『ハードエイト』(1996年)や『ブギーナイツ』(1997年)のポール・トーマス・アンダーソンなど、まだ20代後半の若さのカルチャーエリート的な資質と実力を備える眩い新人監督たちが登場した。そして彼らと同時期に、同世代で英国から低予算のインディペンデント映画『フォロウィング』(1998年)で長編デビューしたのが、70年生まれのノーランだ。以降、むろん先の三名も名匠になったが、現在ハリウッドで一番ポピュラーに巨大化したのはノーランだと言っていいのではないか。本稿では「作家性」と「娯楽性」を軸に、ゼロ年代以降、最も刺激的な飛躍を果たしたシネアストの創作の秘密を探っていこう。

「夢」の先入観を破壊した、『インセプション』の多層的な空間設計

まずクリストファー・ノーランの「作家性」を考察するにあたっては、代表作の1つである『インセプション』(2010年)を真っ先に召喚するのが最適だ。実は彼が単独でオリジナル脚本を手掛けたのは『フォロウィング』と本作だけなのだが、これはアルゼンチンの作家、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編集『伝奇集』にノーランがインスパイアされたもの。近未来の産業スパイが夢の中に入り込み、ライバル会社の要人の潜在意識からアイデアを盗み出し、危険なアイデアを植え付けるために暗躍する内容で、レオナルド・ディカプリオや渡辺謙らの国際色豊かな豪華キャストを迎えたSF大作だ。とりわけ特徴的なのは「夢」の世界の描写である。それはボルヘス流の幻想的なマジックリアリズムではなく、なんと明確に階層化された空間設計を持つ、前代未聞の「夢」の表現だ。

『インセプション』でエレン・ペイジ扮する設計士(アーキテクト)がシステム管理しているという夢のモデルは、「もう1つの現実」のような世界が幾層にも折り重なる、極めて整備された建築的様式のものである。夢の中の夢の中の夢……という多層性の中で、スパイたちのダイナミックなアクションやサスペンスが展開されるが、それは端的に言うと、まるでオンラインゲームのような光景だ。複数のプレイヤー(スパイ)たちが同一のゲームの中に同時参加して、いろんなステージを行き来する。その構造や描写は従来の夢の表現、例えばフロイディズムに規定された非合理や混沌などとは一切無縁だ。

「思考実験」的な創作がもたらす、人間のまったく新しいリアリティー

『ユリイカ』(12年8月号)のクリストファー・ノーラン特集号には優れた論文がそろっているが、精神科医の斎藤環氏はノーランを「心理主義に、初めて死亡宣告を下した監督」として高く評価する。その先端に位置する『インセプション』については、精神分析的にはありえない夢の設計を「思考実験」として採用することにより、「心理学や精神医学とは無関係に構築された『心の理論』が、物語にビルトインされることで、まったく新しいリアリティーがもたらされる」と論じた。

また文芸批評家の福嶋亮大氏は、「ノーランの映画は徹頭徹尾奇術であり、したがってその映像はつねに虚無を抱え込んでいる」とし、だがそのニヒリズムが「表現の暴走」をもたらしていることを称賛する。「彼はニヒリストであるからこそ、パズル作りに関して決して手を抜くことがない」。そして『インセプション』を「パズルのお化け」と端的に定義する。

『インターステラー』クリストファー・ノーラン監督(左)とマシュー・マコノヒー(右) ©2014 Warner Bros. Entertainment, Inc. and Paramount Pictures. All Rights Reserved.
『インターステラー』クリストファー・ノーラン監督(左)とマシュー・マコノヒー(右) ©2014 Warner Bros. Entertainment, Inc. and Paramount Pictures. All Rights Reserved.

ノーランが巨大な虚構を作る理由は、「現実世界の不確かさ」にある

さらに、ノーランに対してやや否定的なニュアンスを投げかける映画研究者の三浦哲哉氏は「不毛」との言葉を提示しつつ、「時間は空間化され、好きなように操作できるけど、創造の芽も失われている。(中略)そこから先に待っているのは緩慢に引き延ばされた死だけであるかのようだ」と『インセプション』に至るノーランの作風を要約し、その基本的な映画術を「解答にいたるまでの迷宮をあたうかぎり複雑に、知的な緊張を保つように組織立てること」と解析する。

以上、引用させていただいた三人の論者は、それぞれ評価の温度差はあっても、本質的には同じことを言っているように思える。つまり、ノーラン映画の根底にあるのは現実世界の不確かさや価値体系の崩壊であり、福嶋氏の言い方を借りれば「虚無そのものを表現の養分とする」一種のメタ認識だ。このノーランのベーシックな世界観を、筆者は「壊れた世界」と呼んでみたい。彼はもはや世界が壊れていることを前提に、巨大な虚構の快楽=映画というゲームに身を投じたクリエイターのように思える。

9.11以降の世界を象徴し、ノーラン的主題が凝縮された『ダークナイト』のジョーカー

この「壊れた世界」の在り様を最も明快に表象しているのが、9.11以降の世界をシンボリックに提示したと評されるネオヒーロー映画の画期的傑作『ダークナイト』(2008年)であろう。特に主人公バットマンの最大の難敵となる「ジョーカー」のキャラクター造型に、ノーラン的主題が凝縮されていると考えられる。

本作の撮影後、28歳で急逝したヒース・レジャーがまさに魂を削る壮絶な怪演で扮したジョーカーは、ニーチェ的な超越性を備えた「絶対悪」の化身というより、善悪の価値体系を失効させる「壊れた世界」そのものと言えるのではないだろうか? イデオロギーの幻想が残る世界を攪乱し、あざ笑って粉砕するトリックスター的な異分子としてゴッサム・シティに降りてくる。これはノーランがアメコミというジャンルのお約束にどうアプローチしたか、との構図と重なるものだろう。

劇中で「壊れた世界」の象徴性が最も際立つのは、ジョーカーが自分の顔の傷をめぐってウソのトラウマ語りを披露するところだ。俺がこうなったのは父親のせい、あるいは妻のせいだ、などという「ありがち」な自己正当化の類いを「冗談」にしてしまうのである。これは先行モデルとしてティム・バートン監督が『バットマン』(1989年)や『バットマン リターンズ』(92年)で提示したルサンチマン型ジョーカー像の批評的転覆であろう。つまり、傷ついた過去が今の人格を形成するという原因論・決定論に基づく「物語」を徹底的に解体し、ジョーカーを自由自在で遊戯的な「ゲーム」的存在に仕立てたのだ(そしてバットマン、同作の悪役である「トゥーフェイス」という従来の物語的文脈に沿った価値観のあり方を揺さぶる)。

映画表現を更新する、ノーラン独自の方法論

周知のとおり、『バットマン』の舞台となるアメリカ東海岸沿いの架空の都市、ゴッサム・シティはもともとニューヨークの戯画であり、『ダークナイト』がポスト9.11の様相(ジョーカー的な価値体系の崩壊と、トゥーフェイス的な正義と悪の反転)を意識したアメリカンコミックスヒーロー映画であることは明らかだろう。だがそれは、ノーランという作家に「壊れた世界」の感覚がプリセットされていたからこその達成に違いあるまい。

例えば「記憶障害」を初期設定として、自分の身体に情報のタトゥーを入れていく男の堂々巡りを整然と語り切った『メメント』(00年)も、荒唐無稽な発明による瞬間移動芸のトリックの内幕を描く『プレステージ』(06年)も、まさしく世界喪失を前提とし、恣意的なルールをこしらえて美しく虚構を自己完結させた「ゲーム」的映画である。ある種、デジタルな世界観をとっかかりに、人間や世界の本質に到達していくノーランの「まったく新しいリアリティー」が、他の監督たちと区別化され、映画表現を更新する存在と目されている決定的な要因ではあるまいか。

フィルムで撮影、完全にアナログ志向の映画作り

さて、「壊れた世界」「デジタルな世界観」などのキーワードと共にノーランの「作家性」を見てきたが、一方で「娯楽性」に目を移すと、実はある意味、真逆の様相を呈しているのである。一言でいうと、彼の映画作りは完全に「アナログ志向」なのだ。

まず、このデジタル撮影が世界的に行き渡った時代において、ノーランが頑なにフィルムにこだわった撮影を続けていることは有名である。ドキュメンタリー映画『サイド・バイ・サイド――フィルムからデジタルシネマへ』(12年 / 監督:クリス・ケニーリー)では名だたるベテラン映画人たちを差し置いてアンチデジタルの急先鋒として登場しており、実際にフィルムメーカーのコダックに製造継続を働きかけるなど、今や「フィルム存続」の最重要キーパーソンとなっている。

この『サイド・バイ・サイド』で製作とインタビュアーを務めたのは俳優のキアヌ・リーヴスなのだが、彼が主演した大ヒットSF『マトリックス』三部作(99年~03年 / 監督:ラリー&アンディー・ウォシャウスキー)を、重層的な仮想現実のステージを扱った映画として『インセプション』の先行作と見なすのは可能だと思う。ところが当時斬新なVFX映像革命が話題になった『マトリックス』と異なり、『インセプション』ではCGを最小限しか使っていない。東京の超高層ビルやカルガリーの山、モロッコのタンジールのエキゾチックな街、そしてパリ、ロンドン、ロサンゼルスなどあらゆる場所でロケーションしながら、一見CGに見えるシーンも大掛かりなセットを作ってリアルに撮影され、古典的な特撮の視覚効果で仕上げられた。

『インターステラー』 ©2014 Warner Bros. Entertainment, Inc. and Paramount Pictures. All Rights Reserved.
『インターステラー』 ©2014 Warner Bros. Entertainment, Inc. and Paramount Pictures. All Rights Reserved.

映画の「伝統主義者」としての顔

またノーランは流行の3Dには手を出さないが、IMAXには誰よりも積極的である(『ダークナイト』の一部で、長編映画で史上初めてIMAXカメラを使用した)。それはIMAXのビッグサイズな映写・上映システムが、例えば往年の『アラビアのロレンス』(1962年 / 監督:デヴィッド・リーン)や『2001年宇宙の旅』(68年 / 監督:スタンリー・キューブリック)などのシネラマ(ワイドスクリーン映画の1種)上映を彷彿させるからではないか。

すなわち筆者は先ほど「ゲーム」という言葉でノーランの世界観を記述したが、映画の見せ方に関しては、逆に彼はゲーム的なサイズ感を嫌い、大文字の「映画らしさ」を志向している。ちなみに先述した『ユリイカ』特集号に掲載されているノーランのインタビュー記事のタイトルは「伝統主義者」なのだ!

どんなに超大作の現場でも発揮される、インディペンデントな創作スタイル

おそらくノーラン映画の「娯楽性」に関しては、「壊れた世界」の上に巨大なフィクションをぶっ建てる、現場監督としての驚異的な馬力こそを語るべきなのだろう。彼がリスペクトを表明するスタンリー・キューブリックや黒澤明のような「設計主義者」の顔を持ちつつも、決して頑固なコントロールフリークではなく、当日の天候次第でシーンを変更したり、現場の意見を取り入れ、俳優から本気の熱演を引き出す、柔軟で臨機応変な「遊び」を実践している人でもある。また彼は『007』シリーズをこよなく愛しており、ガジェット好きなどの無邪気な部分に影響が色濃く見られる。さらにセカンドユニットを極力置かず、どんな超大作でもあくまで自分の指揮する撮影班で撮り進めていくインディペンデント精神あふれるスタイルは、少年の頃から父親の8mmカメラで自主映画を撮ってきたという生粋の「映画小僧」ならではの姿勢と言えるだろう。

こういったノーラン映画の「遊び」の部分に、抜群の嗅覚を働かせた意見を1つご紹介したい。俳優の染谷将太氏が、12年度の年間ベストテン映画に『ダークナイト ライジング』を選出した際のコメントである(『映画秘宝』13年3月号)。

「クリストファー・ノーラン監督の映画って、客観的に見ることができないんです。現場目線にどうしてもなってしまう。あの監督、CGをあまり使わずに実写で極力撮ろうとするじゃないですか。(中略)映画だなぁ~って思いますね。映画のスタッフとノーランの作品について話していると、すっごい盛り上がるんですよ。だからノーランの作品は観ていてワクワクするし、話しても熱くなる。(中略)70ミリフィルムで撮ったりするんですよね。自分もそういう緊張する現場に立ってみたいです」

以上、筆者も『インターステラー』を未見の状態で書き上げたことを最後に付け加えておきたい。今回のまだ見ぬ新作は、私生活で4人の子を持つノーランが初めて「父親であることの意味」を描いた作品だと自ら話している。

『インターステラー』 ©2014 Warner Bros. Entertainment, Inc. and Paramount Pictures. All Rights Reserved.
『インターステラー』 ©2014 Warner Bros. Entertainment, Inc. and Paramount Pictures. All Rights Reserved.

またカナダやアイスランドなど極寒の地でロケを敢行し、やはりCGは避け、巨大な宇宙船のセットを複数制作。撮影技術顧問に、実際の宇宙飛行士を招聘したらしい。フックとなるフレーズは「人類は滅亡するために、生まれたわけではない」ということで、リアリティーのある「壊れた世界」の上に構築された、新たなヒューマニティーを予感させる。

『インターステラー』宇宙船のセット ©2014 Warner Bros. Entertainment, Inc. and Paramount Pictures. All Rights Reserved.
『インターステラー』宇宙船のセット ©2014 Warner Bros. Entertainment, Inc. and Paramount Pictures. All Rights Reserved.

ある種冷酷に思えるほど客観的なやり方で人間心理を追求し続けたノーランが、初めて父と娘の温かい人間愛を描くことになる本作。映像で見る限り、壮大な宇宙空間を舞台に繰り広げられる冒険、人類の存亡を懸けたミッションに挑む人間ドラマが、圧倒的スペクタクルで描かれているだけでなく、「必ず、帰ってくる」と娘に誓った男の挑戦と葛藤が垣間見える。その先にある興奮と感動の映画体験に期待しつつ、公開の日を楽しみに待ちわびたい。

作品情報
『インターステラー』

2014年11月22日(土)から新宿ピカデリーほか全国公開
監督:クリストファー・ノーラン
脚本:クリストファー・ノーラン、ジョナサン・ノーラン
製作総指揮:キップ・ソーン、ジェイク・マイヤーズ、ジョーダン・ゴールドバーグ
出演:
マシュー・マコノヒー
アン・ハサウェイ
ジェシカ・チャスティン
ビル・アーウィン
ジョン・リスゴー
ケイシー・アフレック
デイビッド・ギヤスィ
ウェス・ベントリー
マッケンジー・フォイ
ティモシー・シャラメ
トファー・グレイス
デイビッド・オイェロウォ
エレン・バースティン
マイケル・ケイン
配給:ワーナー・ブラザース映画

プロフィール
クリストファー・ノーラン

映画監督・映画プロデューサー、脚本家。1970年、ロンドン生まれ。幼少時はロンドンとシカゴの両方で過ごし、ヘイリーベリー・アンド・インペリアル・サービス・カレッジを卒業後、ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンに入学。イギリス小説を学ぶ傍ら、短編映画の制作を始める。98年の『フォロウィング』が長編第1作目。2作目となった『メメント』で一気に注目され、ロサンゼルス映画批評家協会賞やインディペンデント・スピリット賞などを受賞する。2005年には『バットマン』シリーズの監督に抜擢され、『ダークナイト』(2008年)、『ダークナイト ライジング』(2012年)でも監督を務める。14年、最新作『インターステラー』を公開。



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