20世紀半ばの東京で、若き美術家と音楽家らが結成した、今も語り継がれる芸術グループ、それが「実験工房」(Experimental Workshop)です。「派」でも「会」でもなく、個々の創作を模索しつつグループとして精力的に活動。ダンス、演劇、映画などのフィールドでも新しい表現を開拓しました。その挑戦をかつてない規模で紹介する展覧会が『実験工房展 戦後芸術を切り拓く』。国内4か所を巡回してきた注目展が、最終会場の世田谷美術館で開催中です。そこで今回は、評論家・音楽家の大谷能生さんをゲストに同展を探訪。自身も言葉と音を操る活動を繰り広げ、菊地成孔、相対性理論、チェルフィッチュらとの多彩な協働も知られる彼と、時代を超える実験精神に迫ります。
批評家・音楽家の大谷能生さんと『実験工房展』の共通点
大谷さんは、待ち合わせ場所の世田谷美術館に「ふらりと」という感じでやってきてくれました。しかし開口一番、「実は鎌倉にある神奈川県立近代美術館(同展最初の会場)でも観たことがあるんですよ」と驚きの発言。聞けば同展の関連企画『再現コンサート』にも携わる電子音楽研究家の川崎弘二さんとも、著作をお手伝いするような関係だとか。さすがの活動範囲の広さ!
大谷:ただ、鎌倉での展示は美術館もクラシカルな建物(1951年竣工、実験工房の結成と同年)で、当時の雰囲気にも浸れるような感覚でした。今回は実験工房のメンバーが活動拠点としていた東京で、比較的新しい世田谷美術館が会場だから、また違う新鮮さがあるかもと楽しみにしてきたんです。
そこでさっそく会場へ。3部構成、533点の作品、資料で魅せる同展の序章は、実験工房というグループの特徴を紹介するダイナミックな空間から始まります。天井から吊るした大きな金属製モビールがたゆたう、北代省三の『蝕る日の軌跡』。日本のメディアアートの父とも呼ばれる山口勝弘が、幾何学的パターンを描き、ガラス板を重ねた『ヴィトリーヌ』。やはり抽象的ながら、こちらは画家の熱量が色彩を通じて伝わってくる福島秀子の油彩画。多彩な美術作品が並ぶその空間を、武満徹らが手がけたエクスペリメンタルな現代音楽が包み込みます。
大谷:これでピアノと舞台照明もここにあったら、まさに実験工房が当時行なっていた「発表会」みたいな感じになるんでしょうね。
「発表会」とは何ぞや? そしてこれらの作品を生み出した実験工房とは、いったいどんなアーティスト集団だったのでしょう?
美術、音楽、舞台、文学……出自も異なる個性の融合。1950年代に活躍した若き表現者たちの芸術グループ
実験工房は、1950年代に活躍した若き表現者たちの芸術グループ。特徴的なのは、多領域の才能が結びつき、活発なコラボレーションを展開していたことです。そこには美術家、音楽家から、写真家や詩人・評論家、照明家やエンジニアまで、ジャンルを超えた10数名が集いました。各々の個性が有機的につながった芸術表現を示した発表会に加え、舞台や映画でも先鋭的な取り組みが知られています。
前述の北代作品の前で、やおらモビールの前に両手をかざし、気を発して(!?)動かそうとする大谷さん。取材カメラマンへの気配りも忘れないお茶目さに感謝! ですが、すぐ後ろの写真パネルに同じような情景を見つけました。ジョン・ケージの楽曲と、能や日本舞踊を競演させた舞台『花柳寿々摂・寿々紫 リサイタル』(1957年、演出家・武智鉄二との協働)のパンフにある1枚です。多面体の活動を繰り広げた先達への、大谷流の偶発のオマージュ? 楽しい取材になりそうです。
岡本太郎や瀧口修造の薫陶を受けつつ、戦後のカオティックな交差点で生まれた、実験精神の胎動
「第1部 前夜」では、グループ結成前の動向を紹介。実験工房は自然発生的なアーティスト集団で、美術家の北代、山口、福島秀子が初めて出会ったのは、岡本太郎らも講師に名を連ねた「日本アヴァンギャルド美術家クラブ」による若者向けモダンアート夏季講習会でした。一方の音楽家メンバーたちは、まだ10代だった武満徹、鈴木博義、福島和夫(秀子の弟)が合唱サークルで知り合い、やがて福島姉弟が接点となって美術家たちと合流します。学歴も多様で、北代や武満は独学、山口はもともと法学を学んでおり、湯浅譲二のように医学を志した後に稀代の現代音楽家となるメンバーも。武満はピアノを買えなかった若い頃、街中でピアノの音が聴こえる場所を訪ねては弾かせてもらっていたという豪傑エピソードも知られています。そんな彼らの初期作品を観ながら、大谷さんが語ります。
大谷:アカデミズムの側から見れば、アウトサイダー的なアーティストの集まりだったのでしょうね。そしてグループ結成時、多くのメンバーがまだ20代前半の若さだった。ここでは「自分たちでゼロから新しいものを作ろう!」という気概を感じます。ある場所に人が自然に集まり、ああでもない、こうでもないという中から何かが生まれる。僕らの場合はその場所がクラブやライブハウスでしたが、創作の現場っていつの時代もそんな感じだよな、と親しみが湧きました。一方で、今でも音楽と美術が舞台芸術で共作することは多く、僕もやっていますが、これほどのジャンル越境グループに発展することは少ない。実験工房には、詩人など文学系のメンバーまで加わっていて、そこは羨ましくもあります。
実験工房メンバー集合写真(撮影:大辻清司)1954年頃 東京パブリッシングハウス蔵
また、既存の価値観にとらわれない一方、海外芸術の動きを知ろうと、戦後GHQが設置したCIE図書館(後のアメリカ文化センター)に通い合い、同時代の世界の動きを貪欲に吸収してもいたようです。
大谷:展示室各所で彼らの楽曲も聴けますが、音楽家メンバーについては、ある時期までかなり同じ感覚を共有する、スクール(派)感がある。共通点として、同時代の西欧の現代音楽から受けた影響があるからでしょう。当時の状況は僕にはわからないけど、自分も洋楽文化を「輸入」する感覚があった最後の世代だからか、そこには親近感も感じます。
実験工房のメンバーによる現代音楽を聴くことのできるコーナーも
なおここでは、彼らと先行世代の前衛表現者の接点として、岡本太郎や、後に「実験工房」の名付け親となった美術評論家・詩人の瀧口修造らの紹介も。国内外の先達に刺激を受けつつ、彼らは互いの交流を深めていきます。
THE BEATLESの10年前に東京に現れた異能集団? 突出した才能が偶然集まり、新しいものが生まれる。
「第2部『実験工房』の活動」では、彼らの手がけた多彩な表現活動を年代を追って紹介します。実験工房の活動は1951〜57年頃まで。斬新な舞台公演や、現代音楽のコンサートを行い、美術の世界でも先駆的な作品を数多く残しました。それらに触れられるこのセクションは、同展中でも主軸と言える、観応えのある空間です。
大谷:約7年しか活動期間がなかったことは意外です。でも、ほぼ10年後に現れるTHE BEATLESだって、主な活動期間は1963〜70年までと短く、以降は各メンバーが別々の道に進んでいったのともどこか似ている。ある時期、ある場所で、偶然か必然か突出した才能が集まって新しいものが生まれる。そんなことがあるんでしょうね。
実験工房の実質的なデビューは1951年、読売新聞社主催『ピカソ展』の関連イベントだった、創作バレエ『生きる悦び』の演出・構成でした。前述の瀧口の推薦でチャンスをつかんだ彼らは、各々の得意分野を活かしてシナリオ、作曲、美術、照明、技術までを自分たちで手がけ注目を浴びます。「実験工房」というグループ名もこのとき初披露したそう。展覧会場には同作品の舞台美術模型も並んでいます。
「それにしても『実験工房』って、彼らにぴったりのいい名前ですよね」としみじみ語る大谷さん。名付け親の瀧口修造はこれについて、「変則的に発達してきた日本の芸術が世界と呼吸を通じ合うには強い思想が要る」とし、それには「実験精神を養うことが必要」と論じました。さらに、その試みは実験室内だけの現象でなく、社会や現実に触れなければと述べ、実験工房の活動を支持したのです。
無駄な装飾をそぎ落としたSFのようなシュールな世界『月に憑かれたピエロ』
そんな彼らの代表的な舞台作品の1つが、仮面劇『月に憑かれたピエロ』。その記録写真の前で大谷さんが立ち止まります。そこには無駄な装飾要素をそぎ落としたSFのような、シュールな世界が広がっていました。
大谷:シェーンベルクの楽曲を、能楽を取り入れた動きと歌で表現した、と。……記録映像は残ってないんですよね。シェーンベルク独特の無調楽曲を、能の作法で歌うって「ホントにできたの!?」とも思う。この写真をじっくり観ていても……やっぱりどんな内容だったのか全然想像つかない(笑)。でも、この不思議さ、それがまた面白いですね。叶うものなら一度観てみたかったです。
『月に憑かれたピエロ』カラースライド 1955年 福島和夫蔵
ジャクソン・ポロックにも繋がる(?)絵画や、マルチメディア的作品の先駆けも
メンバー個々の充実した作品展示も目を引きます。中でも、展示冒頭で登場したモビールの絵画版を思わせる北代省三の連作『回転する面による構成』は大谷さんのお気に入りのよう。
大谷:今観ても「この先に展開があったかもしれない」と思わせてくれる魅力がある。ぱっと見は全然違うけれど、ジャクソン・ポロックのような抽象表現主義……アクションペインティングや、画面に中心を持たせず全体性で表現するオールオーバー的な展開にも行けそう。北代さんはやがて写真表現にも進んだそうですが、この絵の続きも観てみたかったなあ……と感じます。
北代の作品については、アメリカの美術家、アレクサンダー・カルダーのモビールからの影響も語られてきましたが、大谷さんの解釈も興味深いところです。
また、特定の「中心」を持たないという大谷さんの言葉は、実験工房という集団のありようも連想させます。代表は定めず、有機的なメンバー同士のつながりの中で「実験」を繰り返した彼ら。たとえば「オートスライド作品」シリーズは、テープレコーダーとスライドが組み合わさった教育用映写機を使い、美術家と音楽家メンバーたちが共作したマルチメディア作品の先駆け? 同シリーズではメンバーの1人、銅版画家の駒井哲郎も活躍しています。
瀧口修造が「眼のオルゴール」と称した、手作りデジタルアート的作品
もう1つ、大谷さんが観惚れたのは、やはり冒頭に登場した山口勝弘の『ヴィトリーヌ』シリーズ。着彩したガラスを重ね、前面に偏光ガラスをはめこむことで不思議な視覚世界を生んでいます。瀧口が「眼のオルゴール」とも称したこの作品は、手作りながらデジタルアート的な気配も。
大谷:作品の中にイリュージョンがありますよね。この『ヴィトリーヌNo.37』では、真ん中にある白い矩形の模様が一番手前に感じられるのを始めとして、描かれたものすべてに奥行きが現れる。斜めから観るとまた違う眺めが現れたり、その見え方が絶妙だなあと思う。
ここでも、何気なく発せられた「奥行き」というキーワードに連想がふくらみます。彼らの発表の場は舞台やギャラリーに留まらず、たとえば雑誌『アサヒグラフ』のコラム欄では、タイトルカットを毎号担当。大衆誌にアバンギャルド表現が同居するという特異な試みでした。ほかにも日本自転車工業会のPR映画として松本俊夫監督と共作したシュールな『銀輪』など、その実験精神を示す場は、狭義の美術界に留まらなかったのです。そしてこれは、活動の終焉期まで変わることのない彼らの態度でした。
時代の光と影を共有しながら、やがておとずれた実験工房の終焉。各々の進化・深化の道へ
「第3部 1960年代へ」は、実験工房の活動以降グループ活動が収束してからの、各メンバーを取り巻く動向を紹介。1957年、新宿風月堂画廊で行なわれた『実験工房のメンバーによるサマー・エクスヒビション』展を最後に、実験工房名義の活動は終了します。しかし、個々の活動を深化させつつも、彼らの結びつきは続きました。そして1970年の『大阪万博』では、山口、秋山、武満など多くのメンバーが各パビリオンで才能を発揮することになります。
当時の様子を伝える豊富な資料を眺めながら、これまでとは少し違うトーンで大谷さんが語りだしました。
大谷:ここにあるのは、時代が大きく変わっていった頃の貴重な資料だと思います。僕が関わっている音楽の世界でいえば、湯浅さんの“ホワイト・ノイズのためのエセムプラスティック”など、個の表現を深化させた名作も紹介されていますね。ただ、実験工房がグループで繰り広げていたような前衛表現の流れは、『大阪万博』あたりを区切りに消えていった印象が僕にはあるんですね。あまりに個性的過ぎたのか、または戦後のムーブメントだったものが「時代の必然」としてそうなっていったのか……。そこはよくわからなくて、だからこそ興味の湧く部分でもある。
『武満徹の音楽』(装画:瀧口修造)1966年 世田谷文学館蔵
会場では、『大阪万博』の前年にメンバー多数が関わった大規模イベント『クロス・トーク/インターメディア』も紹介。同万博が「人類の進歩と調和」を掲げたのに対し、こちらは「アートとテクノロジーの新たな融合」を目指したものでした。これらは若き日の彼らが夢見たものが、ある転換点に到達した出来事だったかのかもしれません。一方、北代は巨大イベントとしての万博の光景に違和感を覚え、以降は模型飛行機や凧の制作研究という大胆な路線変更を選び、ある者はシーンの第一人者となり、またある者は表現手段を変えながら、彼らはそれぞれの「実験」を続けていったのです。
実験工房時代、北代は最初のダンス公演『生きる悦び』を振り返ってこんな言葉を残しています。「私たちはともかく試してみることに成功したのです。このことは私たちの得た最も大きな収穫でした」。社会も芸術も変容し続ける中、彼らの実験精神は今も観る者の眼に瑞々しく映り、何かを伝えてくれます。
北代省三『生きる悦び』舞台模型 1951年頃 横田茂ギャラリー蔵
「ある意味ではプリミティブとさえ言えるけど、それは『価値観をひっくり返してやるぜ』という核があるから。『こういうの、ナメてかからないほうがいいよ』って言いたい(笑)」
展覧会を観終えた大谷さんに、あらためて感想を伺いました。一緒に展示室を回る中で、大谷さんが北代や山口の作品を前につぶやいた「この後をもっと観てみたかった」という感想は印象的でした。いわば歴史を振り返る回顧展に「その先」を期待した大谷さんの心理とは?
大谷:質問の答えになるかわからないけれど、一度「終わったこと」にされているものの中にも、まだ「見えていない / 見るべきもの」が結構あるんじゃないか。そんな気持ちを強くしました。多くの出展作品が現存していない『読売アンデパンダン展』とかも含めて、1950年代近辺の日本のアバンギャルドを再考する動きはもっとあっていいとも思う。たとえば今ならそれを、渋谷駅の岡本太郎の壁画の前でやるとかね(笑)。
実際に、近年は日本の戦後美術が国際的に再評価される動きもあります。2009年にロンドン、2011年にはパリで実験工房の回顧展が実現。また、彼らと同時期に関西で活動した具体美術協会も、今年ニューヨークで特別展が開催されています。もちろん、今回の展覧会もその動きの1つと見ることはできるでしょう。
ところで、映像や電子音楽なども取り入れた実験工房の活動は、テクノロジーと表現の関係をも考えさせてくれます。そのあたりをどう見ていたのかも聞いてみました。
大谷:テクノロジーが進歩した結果、人が道具に使われてしまうことも多々ありますよね。僕も音楽の作り手同士の会話で、使っているアプリケーションのスペックをよく聞かれる。バージョンが古いとすかさず「あれって音悪くないですか?」みたいな(苦笑)。でも、本来ならやりたいことが先にあって、道具はそれを助ける存在であればいいと思う。実験工房のオートスライドだって、教育機材だったものを持ってきて、あんな前衛芸術を作っちゃったわけでしょう。
そう語る大谷さん。人の手では簡単に制御できないレベルのテクノロジーが溢れる今だからこそ、彼らの実験的精神とその表現の「生々しさ」のバランスに惹かれたようです。
大谷:その意味でもこの展覧会は、単に「過ぎた時代の記録」という先入観で観ないほうがいい。ある意味ではプリミティブとさえ言えるけど、それは実験工房のメンバーたちに「価値観をひっくり返してやるぜ」という核があるからだと思います。今、その辺りが欠けている人には「こういうの、ナメてかからないほうがいいよ」って言いたい(笑)。
「ナメていたかもなあ」と思った方(?)、また心の中に自分の「実験工房」を持ちたい方は、ぜひこの展覧会を訪れてみてはいかがでしょう? なお、ジャンルを横断した実験工房を多角的に捉えるため、同展では多分野の専門家による講演会や現代音楽の演奏会も開催されます。また会場の2階には、関連展示としてその後のメンバーの活動を紹介する一室も。ジャンル・時代いずれにおいても、広がりのある展覧会となっています。
- イベント情報
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- 『実験工房展 戦後芸術を切り拓く』
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2013年11月23日(土・祝)〜2014年1月26日(日)
会場:東京都 世田谷美術館 1階展示室
時間:10:00〜18:00(入館は17:30まで)
休館日:月曜(祝・休日の場合は開館、翌日休館)、12月29日〜1月3日
料金:一般1,000円 大高生・65歳以上800円 小中学生・障がい者の方500円記念講演会
『北代省三の軌跡』
2013年12月22日(日)14:00〜15:30
会場:東京都 世田谷美術館講堂
講師:佐藤玲子(川崎市岡本太郎美術館主任学芸員)
定員:150名
料金:無料
※当日10:00から整理券配布実験工房展関連企画
再現コンサート(実験工房 ピアノ作品演奏会/ミュージック・コンクレート 電子音楽オーディション)レクチャー付き
[第1部]『実験工房 ピアノ作品演奏会(1957)再現コンサート』
2013年12月14日(土)14:00〜
会場:東京都 世田谷美術館講堂
出演:河合拓始
音響:有馬純寿
[第2部]『ミュージック・コンクレート 電子音楽 オーディション(1956)再現コンサート』
2013年12月14日(土)15:30〜
会場:東京都 世田谷美術館講堂
トーク:
湯浅譲二
中嶋恒雄
川崎弘二
音響:有馬純寿
定員:150名
料金:無料
※当日10:00から整理券配布『中川賢一の流儀 ―今、ひもとく武満とメシアン―』
2014年1月12日(日)13:00〜16:45(休憩1時間含む)
会場:東京都 世田谷美術館講堂
[第1部] 武満徹ピアノ作品集
ピアノ:中川賢一
[第2部]オリヴィエ・メシアンの『アーメンの幻影』
アナリーゼ・ピアノ:中川賢一
ピアノ:稲垣聡
定員:150名
料金:3,500円『100円ワークショップ』
展覧会会期中の毎土曜
時間:13:00〜15:00(時間中随時受付)
- プロフィール
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- 大谷能生 (おおたに よしお)
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1972年生まれの批評家、音楽家。著書に『大谷能生のフランス革命』『東京大学のアルバート・アイラー ―東大ジャズ講義録』シリーズ(菊地成孔との共著)『貧しい音楽』『持ってゆくうた 置いてゆくうた』など。その他、mas、sim、mjqtなどのバンドで活躍している。映画『乱暴と待機』では音楽を手がけており、「相対性理論と大谷能生」名義で主題歌も担当した。最新の著作は『ジャズと自由は手をとって(地獄に)行く』。
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