1980年代初頭のデビュー以来、ニューヨークを拠点に活動を続け、いまや米インディペンデント界最大の巨匠と呼ばれる映画監督ジム・ジャームッシュ。彼の新作『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』は、デトロイトとタンジールを舞台に、現代に生きる吸血鬼のカップルを描いた異色ラブストーリーだ。軽やかなユーモア、知的遊戯、ディープな音楽愛など、その固有のスタイルにはますます磨きが掛かりつつ、同時に混迷の21世紀をサバイブするための葛藤や模索が見られる。常にハリウッドからは距離を置き、30年もの長いキャリアにわたって「小さな映画」を撮り続けてきた男は、今、何を考えているのか? オフィシャルインタビューとして取られた本人の発言をもとに、新作に込められた彼のアティチュードを読み解いてみよう。
ジム・ジャームッシュ本来のスタンスを自己言及するかのような傑作
もし映画が一切の商業的制約から解放され、資金の調達、完成後のプロモーションなど煩わしい現実を必要としなかったら、ジム・ジャームッシュという監督は隠遁者としてマイペースに映画を撮り続けたかもしれない。きっとカメラを回さない日は、彼のシネエッセイ的な短編連作『コーヒー&シガレッツ』(86年〜03年)のように、気の合う仲間たちと詩や音楽について、とりとめのない話を交わしながら――。
ジャームッシュの4年ぶりの長編となる新作『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』は、そんな彼の精神的ありよう、本来のスタンスを自己言及するかのような傑作に仕上がった。主人公のアダム(トム・ヒドルストン)は、米デトロイトの街の片隅でひっそり暮らすアンダーグラウンドミュージシャン。年代物のギターをつま弾き、匿名で音楽を発表する。彼の作品は高感度のマニアたちを熱狂させているが、ごく親しい者以外、正体は誰も知らない。まさに「生ける伝説」だ。しかも活動は夜間のみ。なぜなら彼は、吸血鬼だから。そんな彼のアパートに、同志たる永遠の恋人イヴ(ティルダ・スウィントン)が遥か遠いタンジールから久しぶりに訪ねてくる……。
ヒット路線とはまったく無関係な「ヴァンパイア映画」
最近の吸血鬼映画といえば、ティーン向けのベストセラー小説を映画化した『トワイライト』シリーズや、『モールス』の題でハリウッドリメイクされたスウェーデン映画『ぼくのエリ 200歳の少女』など、思春期〜青春物の人気ラブストーリーが数々ある。しかしジャームッシュは「今のコマーシャルなヴァンパイア映画はあまり観たことがないんだ」と笑う。その流行の以前、約7〜8年には既に脚本が用意されていたという『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』は、大人の姿をした吸血鬼の男女が再会し、文化や歴史についてチェスなどに興じながら語り合う日々を過ごすだけの内容――つまり現在のヒット路線とはまったく無関係な作品だ。むろんこれまでのジャームッシュ映画と同じく、派手なVFXや特殊メイクも使われていない。
ジャームッシュ:それでも僕はヴァンパイア映画の歴史全体に愛情を持っているし、たくさんの素晴らしい作品を知っている。ティルダ・スウィントンと僕はこの映画を作ろうとずっと話をしていて、ジョン・ハート演じるキャラクターも最初から出来ていた。制作への道のりは険しかったけれども、この二人はどんなことがあってもこの企画から離れず、気長に待っていてくれたんだ。
メインストリームから外れたアウトサイダーたちを賞賛?
ジョン・ハートのキャラクターとは、中世英国の劇作家・詩人クリストファー・マーロウ(1564〜93)である。歴史上では29歳の若さで刺殺されたとされる伝説の人物だが、その没年にシェイクスピアがデビューしていることから、実はマーロウがシェイクスピアの正体ではないか? との大胆な仮説も存在する。ジャームッシュはこの文学史スキャンダルに着目し、実はマーロウは吸血鬼であり、老いた姿で今も人知れず生き永らえている設定を創作したのだ。ちなみにマーロウの戯曲をデレク・ジャーマン監督が映画化した『エドワードII』(91年)において、ヒロインのイザベラ・オブ・フランス役を、他ならぬティルダ・スウィントンが演じていたことも押さえておく必要があるだろう。
以上のことを踏まえると、ジャームッシュにとって吸血鬼とは反俗的存在の象徴、孤高のアウトサイダーのメタファーだと捉えるのが最も腑に落ちるのではないか。アダムとイヴ、そして彼らのカルトヒーローであるマーロウのように、人間界の表舞台に浮上しないオルタナティヴな天才。また劇中では、セルビア人の電気技師・発明家ニコラ・テスラ(1856〜1943)についても言及される。トーマス・エジソンと対立し、「歴史に消された科学者」と呼ばれることもある稀代の奇才だ。彼もまた実は吸血鬼で、どこかに現存しているのかもしれない……?
「答えはすべて映画の中にあるから、自分で説明したり、分析するつもりはない」と断ったうえで、ジャームッシュはこう続ける。「この映画の中にはアウトサイダーたち、メインストリームではないロックミュージシャンという概念、そして科学や文学といったすべての才能に対する称賛が込められている。なぜなら彼らは鬱屈を抱え、人間がする多くのことを嘆いているから」。
ジャームッシュが一貫して扱ってきたキャラクター像とは?
ここで、ちょっと過去作を振り返ってみよう。アウトサイダーというモチーフは、確かにジャームッシュが一貫して扱っているキャラクター像だ。ニューヨーク大学の大学院映画学科に在学中、卒業制作として撮った初長編『パーマネント・バケーション』(1980年)は、無職で流れ者、だがとてつもなく頭の切れる当時無名の青年、クリス・パーカーの魅力に触発されて生まれた。しかしジャームッシュ作品に登場するアウトサイダーは決して異端の天才ばかりではない。むしろ大げさな生活を好まない、平凡な市井の人間に独自の知性を見出すのが彼の真骨頂だろう。
おそらく典型的なジャームッシュ的人物とは、競争社会のシステムからできるだけ遠く離れ、身の丈で日々をしのいでいく脱力的アウトサイダーだ。例えば『ミステリー・トレイン』(89年)で永瀬正敏と工藤夕貴が演じる、横浜からメンフィスに旅してきたエルヴィス好きの若いカップル。『ナイト・オン・ザ・プラネット』(91年)でウィノナ・ライダー扮する「本当は整備工になるのが夢なの」と語るタクシードライバー。『ブロークン・フラワーズ』(05年)のビル・マーレイはコンピュータービジネスを当てた社会的成功者だが、昔の恋人たちを訪ねる内省の旅に出てから物語が動き始める。
ジャームッシュの人生における最大の皮肉となった『ストレンジャー・ザン・パラダイス』
また、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(84年)についての発表当時の発言を以下に引いてみたい。
ジャームッシュ:僕はアメリカ映画おきまりの出世主義みたいなものが大嫌いだ。この登場人物たちにはなんの野心もないし、インテリでもない。だからこの映画は実存主義映画なんかじゃない。彼らは意識的に自分の実存について、あるいは世界がどうなっているのかについて問いただしたりなんてしない。代わりに、ある種、現状を受け入れているんだ。次になんのカード・ゲームをやろうか考えるような気分で、この作品の中の世界をランダムに、目的なく旅してまわるだけで、哲学的解釈なんてもちだすことはない。(ピーター・ベルジトによる1985年のインタビュー / 訳:三浦哲哉『ジム・ジャームッシュ インタビューズ』東邦出版より)
実際、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』でジョン・ルーリーやリチャード・エドソンが演じる青年は、部屋でテレビディナー(コンビニ弁当のような簡素な食事)を食べる普通の若者たちだ。しかし本作がファッショナブルなものとして世間に受容され、いわゆる「出世作」となったのが、ジャームッシュの人生における最大の皮肉だろう。以来、彼にはその本質や志向とは真逆に、カルチャーセレブ的なイメージやレッテルが常に付いて回ることになる。
『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』にみるジャームッシュのジレンマ
その意味で、新作『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』は、ジャームッシュの表現者としてのジレンマという本音が最も率直に露呈された1本かもしれない。劇中でも示されるが、吸血鬼の皮肉とは、人間の血を吸わねば生きていけないことである。高潔なアダムは、俗悪にまみれた現代人たちを「ゾンビども」と吐き捨てつつ、医者と極秘に取引して血液を手に入れねばならない。映画もまた、人間から資本を調達しなければ形にならない。他のジャンルに比べてもカネのいる表現なのである。
逆にいえば、文化はカネによってあっけなく駆逐される――。この映画でジャームッシュが、デトロイトをメインの舞台に選んだのは非常に示唆的だ(彼は中西部オハイオ州北東の出身で、元々はデトロイト文化圏に属していると自己定義している)。ご存じのとおり、同市は2013年7月18日に財政破綻を声明した。アメリカが築き上げた帝国主義とその終焉によって見捨てられた街。だがデトロイトには素晴らしい音楽・文化産業の歴史が存在する。
本作のハイライトと呼べる最も美しいシークエンスは、アダムとイヴが荒廃したデトロイトの街を散歩するところだ。モータウンの話をしながら車を走らせ、パッカード工場跡の廃墟、ジャック・ホワイトの生家、元ミシガン劇場の跡地の駐車場を訪ねる……。まるで走馬灯のように偉大な時代の記憶が回り、夜の闇に歴史の層が幻視される。この一連のシーンは、かつて隆盛を誇った文化都市に対する哀悼のようなニュアンスだ。
イヴ=ティルダ・スウィントンの楽観主義が、運命を切り開く
かくして我々は必然的に、吸血鬼の静かなサバイバル劇を通して、次の問いに直面せざるをえない。そう、この先、映画はいかにして生き延びることができるのか? というアポリア(難問)だ。
ジャームッシュは、この作品に込められた楽観主義はイヴが担っていると語る。いや、正確に言えば、「まだイケるわ、大丈夫よ」という明るい感覚を持ち込んだのはティルダ・スウィントンなのだ。
資金が集まらず本作の制作が難航していた時、ティルダはこう言ってジャームッシュを励ましたという。「今はこの映画を作るのに、まだ時期が熟していないということよ。でもそれって、きっといいことだわ」。そして映画が完成した今、ジャームッシュは「彼女のそのオプティミスティックな感覚は、イヴの中に生きている」と語る。確かにうじうじと思い悩むアダムに対し、イヴのあっけらかんとした態度と決断が彼らの運命を開いていく。
ジャームッシュが『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』に込めた、映画の未来へのメッセージ
『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』は、一見、時代の中で滅びゆく種族の嘆き節というトーンが支配的になるかと思いきや、実は意外と痛快な後味を与えてくれる。ジャームッシュがYouTubeの信奉者であることは有名だが、彼は通常のラジオでオンエアされない長いダンストラックが若者に支持されるような状況が、いずれ映画にもやって来て、映画館の商業的制約から解放されることを期待しているらしい。『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の頃と変わらず「ある種、現状を受け入れている」のは、劇中の吸血鬼と同じだ。
反骨にして柔軟な、映画作家としてのしぶとい生きざま。この新作には、ジャームッシュ独特の映画の未来へのメッセージがそっと込められていると考えていいだろう。
- 作品情報
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- 『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』
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2013年12月20日(金)からTOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ渋谷、大阪ステーションシティシネマほか全国公開
監督・脚本:ジム・ジャームッシュ
出演:
トム・ヒドルストン
ティルダ・スウィントン
ミア・ワシコウスカ
ジョン・ハート
配給:ロングライド
- プロフィール
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- ジム・ジャームッシュ
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1953年、アメリカ、オハイオ州アクロン出身。作家を目指してコロンビア大学に入学し英文学を専攻。その後、ニューヨーク大学大学院映画学科に進み、卒業制作で手掛けた『パーマネント・バケーション』(80)で注目を集め、第2作目となる『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(84)では独創性、新鮮な演出が絶賛され、84年カンヌ国際映画祭カメラ・ドールを受賞し世界的な脚光を浴びる。以後もネイティブ・アメリカンの死生観をジョニー・デップ主演で描いた『デッドマン』(95)、ビル・マーレイ主演で中年男の悲哀を描いた『ブロークン・フラワーズ』(05)、制作に18年をかけ“コーヒー”と“タバコ”にまつわるエピソードを綴った短編集『コーヒー&シガレッツ』(03)など話題作を発表。長年インディペンデント映画界において、独創性に富み影響力のある人物として認められ、その作品は一貫して社会のアウトサイダー達を見つめ、独特のオフビートな作風で世界中の映画ファンを魅了し続けている。本作は監督自身が7年間温めていた企画で、4年ぶりの新作となる。
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