曽我部恵一と行く世田谷美術館『駒井哲郎1920-1976』展

駒井哲郎という、戦後日本で活躍し、56歳という若さで亡くなった銅版画家をご存知でしょうか? 若干15歳にして高度な版画技術を使いこなし、当時日本では、主に印刷技法として認知されていた銅版画を芸術表現の域にまで高め、独自のスタイルを確立した銅版画のパイオニアです。何気ない街並みの風景から、夢や幻想といった内面世界まで。また、全プロセスを自ら手がけた画集から、詩人や前衛作家たちとのコラボレーションまで。56歳という決して長くはない生涯に生み落とされた作品群は、ひとりの表現者の創造の喜び、そして葛藤や苦悩をも感じさせます。

そんな駒井哲郎の生涯にわたる膨大な数の作品を網羅する展覧会が、本人ゆかりの地でもある世田谷区の砧公園内にある世田谷美術館で行われています。前後期(I部、II部)に渡って展示される『福原コレクション 駒井哲郎1920-1976』の前期(I部)展を、今回、ミュージシャンの曽我部恵一さんと一緒に、じっくりふれてきました。おふたりとも仕事・暮らしの場として世田谷と縁深いのは偶然ですが、ジャンルや時代を超え、駒井哲郎という作家の生き方に曽我部さんは何を感じたのでしょう――。全国を縦断する『曽我部恵一BAND TOUR 2012』の真っ最中、よく晴れた5月の昼下がりに、曽我部さんはふらりとやってきました。


銅版画への目覚め――15歳の早熟な眼差しと「つくる喜び」

『福原コレクション 駒井哲郎1920-1976』に訪れた曽我部恵一

駒井哲郎は1920年(大正9年)、東京生まれ。病により56歳で亡くなる直前まで、戦後日本において銅版画の芸術性を高めたパイオニアとして知られます。第1章「銅版画への道 1935-1948頃」は、15歳で『エッチング』誌を通して銅版画と出会い、その発行者であった西田武雄のもとで手ほどきを受けた作品から始まります。このころはまだ、銅版画が日本で芸術としての地位を獲得していく過渡期だったそうです。それを聞き、曽我部さんが静かにつぶやきました。

『福原コレクション 駒井哲郎1920-1976』に訪れた曽我部恵一
曽我部恵一

曽我部:まだ評価の確立しない表現ジャンルに惹き付けられた10代の駒井さんは、どんな気持ちで制作していたんでしょうね。でも、ここにある作品はジャンルとかそんなことは関係なく、銅版画に出会った彼の「つくる喜び」に溢れているようにも思えます。

駒井哲郎《河岸》1935年 福原コレクション(世田谷美術館蔵)(展示期間:5月27日迄)©Yoshiko Komai 2010 /JAA1000185
駒井哲郎《河岸》1935年 福原コレクション(世田谷美術館蔵)(展示期間:5月27日迄)
©Yoshiko Komai 2010 /JAA1000185

生家のあった日本橋の船着場や、丸の内の建物などを描いた作品群は、10代とは思えない早熟なタッチで街をとらえています。また、第二次大戦をはさんだ20代後半に手がけた、書籍の挿画もありました。これらはリノカットという別手法で作られた版画として、また異なる表情を見せています。ちなみに、ブックワークも駒井が生涯にわたって手がけていくものになります。

駒井ワールドの爆発――小さな版画から溢れ出る夢の情景

第2章「夢の開花 1948-1953」では、写実的な風景描写から一転、作家の内面世界を描くような、幻想的なイメージが繰り広げられます。それまで油絵などが主役だった公募展シーンで「春陽会賞」を受賞した銅版画『孤独な鳥』(1948)。また、心の内側を描いたような「夢」にまつわる連作。国内外の先達に学んだ時期を経て、独自の駒井ワールドが花開く様子がよくわかる意欲品が並びます。サンパウロ・ビエンナーレ受賞作でもある『束の間の幻影』(1951)も、ひときわ存在感を放っています。

駒井哲郎《束の間の幻影》1951年 福原コレクション(世田谷美術館蔵)(展示期間:5月27日迄)©Yoshiko Komai 2010 /JAA1000185
駒井哲郎《束の間の幻影》1951年 福原コレクション(世田谷美術館蔵)(展示期間:5月27日迄)
©Yoshiko Komai 2010 /JAA1000185

曽我部:この時期、本当にがらっと作風が変わりますね。シュルレアリスムとかダダみたいな感じもありますが、駒井さん独自の世界が爆発したような印象を受けます。それまでの写真的な銅版画の世界から、あっという間に、ここまできちゃったんですね。

サイズ的には小品ながら、大型絵画にも負けない銅版画の世界観。そんな駒井の表現は、とりわけアーティストや評論家などの目利きたちを惹き付けました。美術評論家で詩人の瀧口修造もそのひとり。その縁もあって、駒井は瀧口が主宰する前衛芸術グループ「実験工房」で映像音響作品『レスピューグ』なども創作しています(メンバーの作曲家・湯浅譲二との共作)。

『福原コレクション 駒井哲郎1920-1976』に訪れた曽我部恵一

海外でのカルチャーショック――挫折と模索、そして新境地へ

続く第3章は、「夢の瓦解そして再生 1954-1958」。意味深なタイトルですが、ここでは、気鋭の銅版画家として名声を高めた駒井が、約1年留学した先のフランスでカルチャーショックを受けた混迷の時期から、試行錯誤を経て新境地へと進む時期の作品が見られます。

曽我部:今の時代に聞くと留学期間1年というのは短い気もしますが、ここにある作品を見ると、日本では体験し得なかった経験や想いが相当あったのだろうなと感じますね。

『福原コレクション 駒井哲郎1920-1976』に訪れた曽我部恵一

この時期の作品には、後に「ちょっとぶちのめされた感じ」と本人が記したヨーロッパ銅版画の奥深さや、留学先で訪ねた尊敬する作家・長谷川潔の影響が色濃いものがみられます。また、帰国後に思い悩むなかで、銅版画家を目指すきっかけとなった名画家・ルドンの作品をモチーフにした『樹木 ルドンの素描により』(1956)や、ふとしたいたずら描きから生まれた奇妙な作品『ある空虚』(1957)も印象的です。試行錯誤や原点回帰を通して、駒井は新境地へと向かっていきます。

銅版画のパイオニア――その才能ゆえの苦悩も?

第4章は、「充実する制作:詩画集『からんどりえ』まで 1959-1960」。混迷期を脱した駒井は、新作で複数の芸術賞を獲得します。表現の幅も広がり、安東次男との共作『からんどりえ』は、詩人と版画家による本格的詩画集としては日本初のものとして評価されています。

『福原コレクション 駒井哲郎1920-1976』に訪れた曽我部恵一

制作においては下描きをほとんどせず、自らのイメージを直接、銅板に刻み込んでいったという駒井。それは絵を版画におこしているのではなく、版画でしか表現し得ない完成イメージが既に頭の中にあり、それに向かって技法を駆使していくといった、もはや私たちの想像を超えたレベルの世界です。ふつうは版を複数回刷り重ねて実現する多色刷りを、指でインクを巧みに配して1回で刷り上げた『黄色い家』(1960)や、サンドペーパーなども用いた複数技法が豊かな表情を織りなす『Petiti Jardin(小さな庭)』(1960)など、銅版画の申し子にして異才、とでもいうべき意欲作が続きます。しかしここで、曽我部さんの口から意外とも思える言葉が語られました。

『福原コレクション 駒井哲郎1920-1976』に訪れた曽我部恵一

曽我部:本当にすごいですね。でも僕はここに、駒井さんの才能ならではの不幸、といったら失礼だけど、ここまで何でもできる力を持っていたからこそ、何をすべきか一生探し続けることになった苦悩も感じます。世の中の天才には、絵画も彫刻も版画も、何をやっても自分ならではの作品にしてしまうタイプもいる。でも駒井さんにとっての芸術は、やはり銅版画だったんでしょうね。発想を転換さえすれば、何でも出来る人だったのに、けなげに銅版画での表現に集中する姿…、情熱があるよね。音楽だったらロックなんだ、みたいなこだわりがある。番外編的な水彩作品はすごく気軽に描いている気がして、余計そう思います。だからこそ、生涯をかけて銅版画の可能性にこだわった生き方には胸を打たれるし、感動的です。

『福原コレクション 駒井哲郎1920-1976』に訪れた曽我部恵一

ジャンルは違えど、やはり長年「自分の音楽」にこだわってきた曽我部さんならではの視点がそこにはありました。当時、「銅版画のパイオニア」はどんな気持ちで名作を生み出し続けていたのでしょう。そこに想いを馳せながら美術館の空間に身を置くと、また違った風景が見えてきそうです。

最晩年の仕事――熟練と原点回帰と

展覧会ではこのほか、ご遺族の協力によって公開された、駒井が実際に使っていた制作道具の数々や、駒井門下の銅版画家による彼の作品の研究を紹介するセクションも。稀代の銅版画アーティストに、作品そのものとは別の面からもふれることができます。

『福原コレクション 駒井哲郎1920-1976』に訪れた曽我部恵一

なお今回、曽我部さんと訪れたのは、5月27日(日)まで開催されている『第I部 若き日のエッチャーの夢(1935〜1960)』。続く5月30日(水)〜7月1日(日)『第II部 夢をいざなう版の迷宮(1961〜1976)』は作品を総入れ替えし、晩年の作品中心の展示となる予定です。ただ、第I部の最終室でも、そんな晩年期の作品がいくつか紹介されていました。

そのひとつ、小説家の埴谷雄高による短編集『闇のなかの黒い馬』に使われた作品を見つけた曽我部さんは「…俺、この本持ってますね。これも駒井さんの銅版画だったんだ」と嬉しい偶然にちょっと驚いた様子。大学の学園祭に呼ばれてライブをしにいったとき、その学園祭内で開かれていた古本屋で手にした1冊だそうです。「僕のはこの特装本じゃなくて、ふつうの単行本でしたけど(笑)」。

『福原コレクション 駒井哲郎1920-1976』に訪れた曽我部恵一

駒井はこのほかにも、晩年も金子光晴らとのコラボレーションを意欲的に行っています。また、自身その作風から「白と黒の詩人」とも呼ばれた駒井ですが、前述のように多色刷りの作品も手がけており、晩年にはそうした表現も新展開を見せます。このあたりは、第II部の展示でじっくりと体験できそうです。なおそこでも、第I部の時期にあたる初期作品が一部展示されるとのこと。両方観られれば一番ですが、もし第I部を見逃した際も、また違う形で駒井哲郎の作家人生を知ることができるでしょう。

『福原コレクション 駒井哲郎1920-1976』に訪れた曽我部恵一

そして晩年の作品で、曽我部さんが好きだと語った1枚は、まるで15歳の初期作に戻ったようなシンプルなタッチで風景をとらえた『平原』(1971)でした。

曽我部:両者を見て、じゃあ、その間に試みた夢の作品や、さまざまな試行錯誤は何だったんだよ! って言う人もいるかもしれない。でもこれだけの変化を遂げた後に、まるで最初に戻ったかのようなこんな作品を作ったというのが、僕にはとても大きなことのように思えます。あの変遷がなければ、僕のこの感動もなかっただろうから。

『福原コレクション 駒井哲郎1920-1976』に訪れた曽我部恵一

最晩年の駒井は舌がんを患い、その転移が原因で56歳という若さで亡くなりました。当時、銅版画の腐食剤として主流に用いられていた硝酸の影響だという説もあり、まさに銅版画の可能性に挑み続けた作家人生でした。

そして歴史の1ページに――表現者の軌跡

展覧会をじっくり観てまわった約1時間。その余韻と共に、美術館の中庭にあるオープンカフェ・ボーシャンに移動し、曽我部さんに展覧会全体を振り返ってもらいました。

曽我部恵一

曽我部:今日の展示の中で一番僕が惹かれたのは、実は最初に登場した少年のころの作品群です。評価が高まった後の試行錯誤や苦心とは無縁で、ただ銅版画をつくる喜びに満ちているのが良かった。でも駒井さんは、その少年の心を持ち続けてもいたんでしょうね。他の表現手段を選んでも器用にこなせそうなのに、銅版画にこだわり続けたのは、そんな、男の子的な美学もあったのかと思います。


しかし同時に、曽我部さんは駒井哲郎にはいわゆる典型的な天才ともまた違うものを感じるともいいます。

曽我部:たとえばこれがパウル・クレーの生涯を追った展示とかなら、どんどん進化していって到達点を見て、ある意味、気持ちよく終わる気もするんです。でも駒井さんの場合は――まだ第2部を見てないから断言できないけれど――少し違う気がする。そういうタイプの天才ではない人がアートを志して、銅版画に人生のすべてを注ぎ込もうとする熱量。その壮絶さを観ることができて良かったと、僕は思いました。

作品集とは違い、美術館という場所で実物にふれる体験については、こんなふうに語ってくれました。

曽我部恵一

曽我部:今回の展覧会の図録作品集も、すごく素敵でした。でも僕はふだん、あまりアートの作品集って見ないんです。だって作品と写真は全然違うものだから。今日見た駒井さんの作品、1枚1枚がこの人の魂なんですよね。駒井さんの作品も、例えば1枚だけどこかに載っているのを見ても、今日みたいな体験にはなり得ない。そういう意味でも、本物に触れるのは大切だと思いました。


本物といえば、サニーデイ・サービス、ソロ、そして曽我部恵一ランデヴーバンドや、現在全国ツアー中の曽我部恵一BANDと、演奏のかたちは違えど「本物の音楽」にこだわり続けてきた曽我部さん。表現者として共感するところはあるのでしょうか?

曽我部:僕はここまで器用じゃないし、自分とは違う人という気はしますけれどね。それと、僕はまだ生きているから。今回、駒井さんの生涯を作品で追えるこの展示を見て、言い方は変なんですが「亡くなった人っていうのはすごいな」というのはすごく感じました。その作品を通して、その人がどんな人生を送ったのか、観る人がそれぞれの気持ちで考えられる。それも人生をまっとうして、完結していることゆえのすごさですかね。

曽我部恵一

最後に、音楽の世界では駒井さんのような人っていますか? と質問すると、こう答えてくれました。

曽我部:まだチャック・ベリーも生きてるくらいだから(笑)、これからでしょうね。それと、音楽でいうとアルバムの売上とかとは別のかたちで、しっかりした評価をしようという動きが美術の世界にはあるのかなと思うと、少し羨ましい気もする。その意味でも僕らのやってるようなロックは、これからですね。100年後あたりに……ロックはどうなってるのかな(笑)。

駒井哲郎の作品に何を見て、そこから何を得るか。変幻自在の技法から生まれる表現の豊かさ、また銅版画をやるために生まれてきたかのような彼の人生は、時代を超えて、観る者それぞれに感銘と気付きを与えてくれそうです。

イベント情報
『福原コレクション 駒井哲郎1920-1976』

2012年4月28日(土)〜7月1日(日)※前期・後期で作品総入替

第I部:若き日のエッチャーの夢(1935-1960)
2012年4月28日(土)〜5月27日(日)
第II部:夢をいざなう版の迷宮(1961-1976)
2012年5月30日(水)〜7月1日(日)

会場:東京都 世田谷美術館
時間:10:00〜18:00(入場は閉館の30分前まで)
休館日:毎週月曜日 ※5月29日(火)は展示替えのため休室
料金:一般1,000円 65歳以上・大学・高校生800円 中学・小学生500円
(入場券半券のご提示で、2回目のチケットご購入時に、ご観覧料が2割引となります)

世田谷美術館

講演会
『わが師 駒井哲郎を語る』

2012年6月2日(土)
会場:東京都 世田谷美術館 講堂
時間:14:00〜(当日、整理券を配布します)
講演者:中林忠良(版画家・東京藝術大学名誉教授)、渡辺達正(版画家・多摩美術大学教授)

『100円ワークショップ』

小さなお子様から大人の方まで、どなたでもその場で気軽に参加できる版画体験。
2012年4月28日〜6月30日の期間中、毎土曜日(随時受付)
会場:東京都 世田谷美術館 地下創作室C
時間:13:00〜15:00
参加費:100円

カフェ・ボーシャン CAFÉ BAUCHANT

世田谷美術館のリオープンに合わせて、美術館地下にカフェが新たにオープン。テイクアウトもでき、緑溢れる砧公園に立地する美術館カフェとして、公園利用者にも開放されています。
営業時間:10:00〜18:00(ラストオーダーは17:30)
休業日:毎週月曜日(その日が祝日の場合はその翌日)、年末年始


同時開催『世田谷アーティスト・コロニー「白と黒の会」の仲間たち』

2012年3月31日(土)〜6月17日(日)
会場:東京都 世田谷美術館 2階展示室
時間:10:00〜18:00(入場は閉館の30分前まで)
休館日:毎週月曜日(ただし4月30日は開館)
料金:一般200円 大学・高校生150円 65歳以上・中学・小学生100円

『曽我部恵一BAND TOUR 2012』

2012年6月2日(土)OPEN 17:30 / START 18:00
会場:北海道 札幌 BESSIE HALL
料金:前売3,000円 当日3,300円(ドリンク別)

2012年6月3日(日)OPEN 17:30 / START 18:00
会場:北海道 函館 club COCOA
スペシャルゲスト:スモゥルフィッシュ
料金:前売3,000円 当日3,300円(ドリンク別)

2012年6月7日(木)OPEN 18:30 / START 19:00
会場:山梨 甲府 桜座
料金:前売3,000円 当日3,300円(ドリンク別)

2012年6月8日(金)OPEN 19:00 / START 19:30
会場:静岡県 静岡 Sunash
料金:前売3,000円 当日3,300円(ドリンク別)

2012年6月9日(土)OPEN 18:00 / START 18:30
会場:静岡県 浜松 窓枠
料金:前売3,000円 当日3,300円(ドリンク別)

2012年6月10日(日)OPEN 17:30 / START 18:30
会場:愛知県 名古屋CLUB QUATTRO
スペシャルゲスト:前野健太
料金:前売¥3,000 当日¥3,300(ドリンク別)

2012年6月15日(金)OPEN 18:30 / START 19:00
会場:岩手県 盛岡 CLUB CHANGE
料金:前売3,000円 当日3,300円(ドリンク別)

2012年6月16日(土)
会場:秋田県 LIVE SPOT 2000

2012年6月17日(日)
会場:宮城県 仙台 CLUB JUNK BOX

2012年6月22日(金)
会場:新潟県 Live Spot WOODY

2012年6月23日(土)
会場:長野県 LIVE HOUSE J

2012年6月24日(日)
会場:神奈川県 横浜 club Lizard

2012年6月29日(金)
会場:大阪府 梅田CLUB QUATTRO

2012年7月1日(日)
会場:東京都 渋谷CLUB QUATTRO


『曽我部恵一 presents "shimokitazawa concert" 』

第十八夜:2012年6月21日(木)
第十九夜:2012年7月19日(木)
第二十夜:2012年8月16日(木)
第二十一夜:2012年9月20日(木)
第二十二夜:2012年10月18日(木)
第二十三夜:2012年11月15日(木)
第二十四夜:2012年12月20日(木)
会場:東京都 下北沢 440 (four forty)

リリース情報
曽我部恵一BAND
『曽我部恵一BAND』

2012年4月4日発売
価格:2,500円(税込)
ROSE RECORDS / ROSE 129

1. ソング・フォー・シェルター
2. 恋をするなら
3. 兵士の歌
4. クリムゾン
5. ロックンロール
6. 街の冬
7. 月夜のメロディ
8. 誕生
9. サマーフェスティバル
10. 胸いっぱいの愛
11. 夜の行進
12. サーカス
13. たんぽぽ
14. ポエジー
15. 満員電車は走る
※紙ジャケット仕様
※ROSE RECORDS ONLINE SHOP&ライブ会場でお買い上げの商品に限り、アルバム全曲の弾き語りバージョンをおさめたボーナスディスク付き2枚組仕様(限定生産)

プロフィール
曽我部恵一

1971年生まれ。1995年サニーデイ・サービスでデビュー。2001年よりソロ活動をスタート。デビュー曲「ギター」を、小西康陽主宰のレーベルからリリース。2004年メジャーレコード会社から独立し、東京・下北沢に「ローズ・レコーズ」を設立。以降独自のインディペンデント活動を展開している。現在は2006年に結成された「曽我部恵一BAND」を活動の主体とし、2012年4月に待望の3rdアルバム『曽我部恵一BAND』を発表。その他、アコースティック編成での「曽我部恵一ランデヴーバンド」や、2008年に再結成を果たした「サニーデイ・サービス」などで活躍。プロデュースでは、小泉今日子、TOKIO、中村雅俊から豊田道倫までを手掛け、中でも鈴木慶一のソロ作『ヘイト船長とラヴ航海士』は、2008年度レコード大賞優秀アルバム賞を受賞。下北沢のカフェ兼レコード店「CITY COUNTRY CITY」のオーナーでもある。



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