「まちに開かれた公園のような美術館」を建築コンセプトに2004年に誕生した金沢21世紀美術館も、今年で10周年。妹島和世と西沢立衛による建築家ユニットSANAAが設計した丸いガラス張りの建物は、今日も変わらず多くの来場者で賑わっていますが、中でも最も人気の恒久展示作品が、入口(本多通り口)正面の中庭にある『スイミング・プール』です。通称「レアンドロのプール」と呼ばれるこの作品は、ひょっとしたら日本で一番SNSでシェアされているアート作品? と思われるほど、人々に広く親しまれています。そして5月、この超ポピュラーな作品の作者、レアンドロ・エルリッヒの個展『レアンドロ・エルリッヒ ―ありきたりの?』がスタートしました。レアンドロっていったいどんな人? なぜこんな作品を作っているの? 意外と知られていなかったレアンドロ・エルリッヒの全貌が、とうとう明らかになります!
あの、レアンドロがやってきた!
1973年アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれのレアンドロ・エルリッヒは、金沢21世紀美術館をはじめ、『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』や『瀬戸内国際芸術祭』、東京都現代美術館などで紹介され、日本でも人気のアーティストです。視覚の錯覚や私たちの認識を利用して、普段何気なく過ごしている日常にクエスチョンを投げかけ、観る人の想像力を引き出す作品を生み出しています。
展覧会初日には、あの「レアンドロのプール」の作家とあって、地元のマスコミも殺到。地元のファンにも囲まれて、プチ・レアンドロフィーバーといった盛り上がり。ブエノスアイレスから家族や親戚を引き連れ、開館以来10年ぶりに金沢を訪れたレアンドロは、「なぜだろう、まるで家に帰ってきたみたいにくつろぐんだ……」と感慨深い様子。美術館スタッフや友人とも再会し、まるで同窓会のような温かい雰囲気の中で、「ムイコンテント(とっても嬉しい)、アリガトウゴザイマス!」を何度も繰り返していました。「10年という歳月の流れにも負けず、『スイミング・プール』が今も人々に愛されていることを誇りに思います」というレアンドロのスピーチはちょっと感動的でした。
金沢21世紀美術館の恒久展示作品に『スイミング・プール』が選ばれたのは、まだ美術館の建設も始まっていない2001年。当時美術館建設準備室のチーフキュレーターだった長谷川祐子さん(現・東京都現代美術館チーフキュレーター)が、『ヴェネチア・ビエンナーレ』アルゼンチン館で同作品を発見。レアンドロに新しい美術館のための『スイミング・プール』を依頼したのが始まりでした。このとき、レアンドロ28歳。若手アーティストを起用した異例の大抜擢だったのです。
レアンドロ:『スイミング・プール』は僕の扉を開いてくれた作品です。僕にとって初めての恒久展示で、そこから僕はアーティストとしての国際的なキャリアを歩み出すことができました。美術館もまだ建設段階で、つまり金沢21世紀美術館と僕は同じ出発点に立っていたんです。誰にとっても1つの冒険でした。若い作家にとって、キュレーターをはじめ、市の職員や、設計を担当したSANAAが信頼してくれたことはとても重要でした。その判断と熱意のおかげで、僕らの間には強くて恒久的なつながりが生まれたと思います。
『スイミング・プール』2004
©Leandro Erlich Studio photo: Atsushi NAKAMICHI / Nacása & Partners
キュレーターの先見の明と、それに応えたアーティスト。信頼関係が産んだ『スイミング・プール』は予想を超える人気を博し、メディアにも無数に登場する、まさに美術館の顔となりました。水面の上と下で人が出会う、誰にでも親しみやすいこの作品は、「開かれた美術館」の象徴にも思えます。シンプルゆえにいつまでも色褪せない魅力をたたえた、やはり名作といっていい作品です。
「ふつう」や「ありきたり」の状況に対する、ひそやかな挑戦
今回の個展では、恒久展示の『スイミング・プール』をはじめ、新作を含む17点を展示。レアンドロの作品の特徴である、「わかりやすさ」「親しみやすさ」だけでなく、その奥にあるアーティストの関心を多角的に感じさせるような構成となっています。
『住宅Ⅰ』2004 Courtesy of Leandro Erlich Studio
レアンドロは、私たちが当たり前と認識している空間や、そこで習慣的に取られる人々の行動に目を向けます。プール、エレベーター、階段、壁、舗道、窓など、日常空間を構成するさまざまな要素は、それがありふれたものであればあるほど、誰もが無意識に同じようなことを考えます。鏡は姿を映すもの、階段は昇り降りするもの。こうした認識を普段、人はあえて疑ったり考えたりはしません。でも、もしも鏡に自分の姿が映らず、階段が上下方向ではなく横向きに伸びていたら、私たちは現実をどのように把握するでしょう? レアンドロは、私たちの日常を作り上げている見えない論理を、巧みに反転させたり再構築することで、現実の不確実性をあらわにします。それは、ありきたりな状況へのひそやかな挑戦なのです。
そのための、よりリアリティーある「ふつう」を演出するために、レアンドロは努力を惜しみません。今展でも、日本や金沢の慣習、展示空間を考慮して、ディテールまで精巧に作り上げた「ふつう」の階段、エレベーター、窓、部屋、舗道などによる大規模インスタレーションを展開しています。
中でもエレベーターは、作家活動の初期から何度も登場する題材で、今回の展示でも2作がエレベーターにまつわるものでした。『エレベーター・ピッチ』は、エレベーターの中で人間が取るさまざまな行動を観察する作品。エレベーターのドアが開く度に、目を合わせない他人、買い物の戦利品を見せ合う女子たち、イライラと閉ボタンを押しまくる人、恋人同士など、さまざまなシーンが代わる代わる現れます。
『エレベーター・ピッチ』2011 courtesy of Leandro Erlich Studio
もともとは日本のデパートで発想を得たというこの作品、映像はブエノスアイレスで撮影したものですが、密室であり同時に公共空間でもあるエレベーターの特性を浮き彫りにしています。そこでの人間の行動は、まるで演技をしているようにぎこちなくユーモラスですが、実際の私たちも似たような行動をとっているに違いありません。「何も特別なことは起きないことがすべてだったりします」というレアンドロの言葉も意味深です。また、5月17日から公開される『エレベーターの迷路』は、エレベーターの構造に眼を向け、密室の中に永遠に広がる迷宮をしつらえています。
『エレベーターの迷路』2011 courtesy of Sean Kelly Gallery and Art Front Gallery ©Leandro Erlich Studio
「建築を空間を作るための規則としてではなく、物語を語る1つの手法として捉えました」(レアンドロ)
螺旋階段を吹き抜けごと90°横に倒した『階段』は、正面に立って作品を観ているのに、真下に向かって階段の吹き抜けを覗きこんでいるような錯覚を覚える作品。さらにその階段空間の中にも鑑賞者が入っていくことが出来るので、その場にいる人たちは仕組みがわかっていても、次第に「あれ……、やっぱりなんか変?」という違和感をじわじわと感じることになります。
また、鏡を使った新作『見えない庭』は、実像と虚像が混ざり合った不思議な作品。丸い展示室に建つ多面体の温室の周囲を歩くと、次々と現れる4つの庭。あれれ? ほどなく鏡のトリックに気づくけれど、それでも何度もぐるぐると温室の周りを回ってしまいます。頭ではわかっていても感覚的に魅了される感じは、ちょうど『スイミング・プール』の体験と似ています。
それにしても一体、いつこうした作品のインスピレーションが湧くんでしょう?
レアンドロ:毎日の経験から。日々の生活で想像したことや自分の身に起きた出来事など、いろいろな場所でインスピレーションは生まれます。それと、ユーモアのセンスは僕の人間性の一部ですね。
父も叔母も兄も建築家という環境で育ったことも、空間への興味に影響を与えたそうです。
レアンドロ:ただ僕は建築を空間を作るための規則としてではなく、物語を語る1つの手法として捉えました。
物語には登場人物がつきもの。ここで、レアンドロの作品の絶対的特徴である、観客の参加という点が出てきます。そういえば、『スイミング・プール』が展示された10年前と今で、何が変わったか? という質問に対してこんなことも言っていました。
レアンドロ:インターネットが爆発的に普及したおかげで、アルゼンチンというアートの世界では周辺の国で活動している私のようなアーティストの情報も世界中に届くようになりました。ただ、ネットは便利ですし、その恩恵もたくさん受けていますが、私の作品はどうやっても体験しないと絶対わかりません(笑)。
また「インターネットは便利だけど、必ずしもコミュニケーションの質を良くしたとは思えない」とも。フィジカルな感覚を信頼し、体験によって自然なコミュニケーションを誘発するレアンドロらしい意見です。
子どもでも親しみやすい、軽やかで異質な現代アート?
小難しい言説の飛び交う現代アートの世界において、子どもでも親しみやすいレアンドロ作品の持つ軽やかさは、ある意味異質でもあります。しかし、観客による作品への参加やインタラクションについて、レアンドロは「自分のアートの個性であり、絵描きの筆のようなもの」と言い、さらにこう付け加えます。
レアンドロ:一般的に理解しにくいアート作品がすべて哲学的に重要かというと、そうとは限らないし、とても入りやすくてわかりやすい作品が哲学的に重要ではないかというと、必ずしもそうではない。真面目なアート作品だからと言って神格化する必要はないんです。
一部の現代アート作品にとっては、痛烈とも言えるコメントです。それと同時に「楽しい」だけではない、その裏にあるレアンドロ作品の魅力も少しずつ見えてきます。
ガラス仕切りの向こう側にある、楽器が浮かんでいる部屋に、観客が亡霊のように映り込む『リハーサル』では、観る人が鑑賞者から演奏者へ。「皆さんガラスに向かってポーズを取ってください」とお願いしなくても、観客は状況をすぐに理解して、エアギターならぬエアチェロやエアバイオリンに夢中になります。
しかし、この作品の別バージョンのタイトルは『精神分析医の部屋』。音楽リハーサルとはずいぶん異なるイメージが浮かびます。こういったドライなユーモアセンスも、レアンドロらしさの1つ。ところでレアンドロにとって、「観客」とはどのような存在なのでしょうか。
レアンドロ:作品の完成をイメージするときは、いつも観客のことを考えます。観客の役割や立ち位置など、あらゆることを想定しながら状況を慎重に配列していくのです。僕は観客を信頼しています。観客は誰でも理解する力と自分のアイデアを持っている。単純なトリックを発見し、フィジカルに参加することで、ものごとを捉え直し、自分自身のクリエイティビティーを発揮することができるんです。
しかし一方では、意外なことに「観客を楽しませようと思ったことはない」とも言います。
レアンドロ:アート作品を作る行為とは、手紙を書いて送るようなものです。メッセージを送ったら、アーティストとしてのアクションはそこで終わり。その結果を観客が自由にシェアしてくれたらいいと思います。ただ、実際に作品を観た人が関心を持ってくれると、やっぱり誇りに思うし、幸せを感じます。
レアンドロにとって観客とは、自分の作品を観せる対象というよりも、作品を成り立たせるための優秀なパフォーマーであり、そういう意味では仲間のように近しい存在なのかもしれません。
「慣れ親しんだ『ものの見方』を変えることによって、魅了される経験を取り戻し、自分は何も知らないということを知る。そのことが大人にとっての驚きなんです」(レアンドロ)
今回の展覧会で新鮮だったのは、レアンドロの詩的な一面を観られたことでした。「クラゲ」「蟹」「ライオン」などの名前がついた、ガラスの層に雲をプリントした『雲』シリーズ。空を見上げて雲のかたちを何かに例えるというおそらく誰もが経験のある遊びを思い出しますが、どれが蟹でどれがライオンなのかは、人それぞれの想像に委ねられます。
なんの変哲もない舗道とアスファルト(を再現した)細長い『舗道』では、水たまりにブエノスアイレスの団地が映りこんでいます。日本とブエノスアイレスの時差はきっかり12時間。小さな水たまりのなかに、地球の反対側に暮らす人々の日常があり、それがときおり水雫の波紋でゆらめくとてもファンタジックな視線です。
そして、「雪が降る景色、暖炉の火が燃えるさまを人はどのくらいの間見ていられるだろう」とレアンドロが問いかける映像作品『ログ・キャビン』。参加型作品の賑わいからしばし逃れて、一人静かに想像を巡らせる思索的な時間も、新しいレアンドロ作品の楽しみ方です。
ありきたりな日常にゆらぎを与えるレアンドロの作品は、私たちに日常を新鮮な眼で見渡すきっかけを与えてくれます。
レアンドロ:子どものときは、驚きや発見によって世界を広げていくけど、大人になると現実の受け止め方は硬直して、大方のことはすでに知っているように振るまい、驚きや発見は減ってしまう。だけど、慣れ親しんだものでも見方を変えることによって、驚きや魅了される経験を取り戻し、新しい物語に出会うことができる。私たちはすべてを理解しているわけではない。2000年以上も前にギリシアの哲学者が言ったように「自分は何も知らないということを知る」、そのことが大人にとっての驚きなんです。
これはそのままレアンドロ・エルリッヒという作家に対する私たちの思い込みにも当てはまるのではないでしょうか。一見「楽しくて、わかりやすい」表面の奥には、私たちの見知った世界をひっくり返すさまざまな問いかけがあります。
レアンドロ:ものごとを1つに決めつけたくはない。現実は他にもたくさんあって、それもまた現実かもしれないからね。
レアンドロの空間に足を踏み入れ、立ち止まって見渡してみる。すると世界は謎に満ちた刺激的な場所に、突如変貌するかもしれません。
- イベント情報
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- 『レアンドロ・エルリッヒ ―ありきたりの?』
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2014年5月3日(土・祝)~8月31日(日)
会場:石川県 金沢21世紀美術館 展覧会ゾーン
時間:10:00~18:00(金・土曜日は20:00まで)
休場日:月曜(休日の場合その直後の平日。8月11日は開場)
料金:一般1,000円 大学生800円 小中高生400円 65歳以上800円
- プロフィール
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- レアンドロ・エルリッヒ
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1973年ブエノスアイレス(アルゼンチン)生まれ、モンテビデオ(ウルグアイ)在住。2000年の『ホイットニービエンナーレ』をはじめ、2001年、2005年の『ヴェネチア・ビエンナーレ』、サンパウロ、リバプール、イスタンブールといった多くの国際展に出展。世代や国境を超えて人々が共有できる体験の場を創造してきた。日本国内では美術館のみならず、『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』『瀬戸内国際芸術祭』などでも作品を発表。本展は、日本におけるエルリッヒ初の個展となる。
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