『文化庁メディア芸術祭』に関わるクリエーターたちの声をお届けしている本連載。第2弾となる今回は、サカナクションの"アルクアラウンド"のミュージックビデオを監督し、昨年度文化庁メディア芸術祭のエンターテインメント部門優秀賞を受賞した関和亮氏と、音楽はもとよりそれに付随するアートワークまで高い評価を受けるミュージシャンのカジヒデキ氏の対談が実現。ディレクターとミュージシャン、撮る側と撮られる側とも言える立場の異なる2人が、ミュージックビデオのおもしろさや制作へのこだわりなどについて語ってくれた。「予算の多い少ないではなく、アイデアが大事」という視点は、音楽と映像の未来を鋭く照らしているように思えた。
関和亮
1976年長野県生まれ。98年、株式会社トリプル・オーに参加し、00年より映像ディレクターとして活動する。04年ごろよりアート・ディレクター、フォトグラファーとしても活動、PerfumeのPVやアートワークも手掛ける。手がけたおもなミュージックビデオに、柴咲コウ『無形スピリット』、ねごと『カロン』、NICO Touches the Walls『手をたたけ』など。
ooo webカジヒデキ
1967年生まれ。96年8月に『マスカットE.P.』でソロデビュー。97年1月にリリースしたファースト・アルバム『ミニ・スカート』がオリコン初登場4位とヒットを飛ばす。その後も聴き手が暖かな気持ちに包まれるポップソングを多数制作、発表している。2003年7月には、初のベスト・アルバム『enjoy the game』を発売した。2008年の映画『デトロイト・メタル・シティ』ではエンディングテーマである"甘い恋人"をプロデュース。また近年では「カジヒデキとリディムサウンター」名義でアルバム『TEENS FILM』を発表するなど、旺盛な活動を続けている。
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ミュージックビデオ『アルクアラウンド/サカナクション』
サカナクションのヴォーカル、山口一郎が歩いていく姿をカメラが追う。行く手には、彼の歌う歌詞のオブジェが次々に現れる。歩く移動の速度と歌詞のオブジェの出現が絶妙にシンクロする映像世界が観る者を魅了する、アナログな手法の光る傑作ミュージックビデオ。
あえて「アナログ感」のある手法で撮ること
―今日は関さんのディレクター目線と、カジさんのミュージシャン目線、いろいろな角度からミュージックビデオ(以下、MV)について語っていただきたいと思います。
カジ:1990年代と2000年代では、考え方もだいぶ変わりましたよね。生々しい話ですけど、僕がデビューした1990年代は比較的予算をかけたMVが多かったんですが、2000年代になってからは予算が少なくなり、ロケーションで工夫する感じになりましたね。知り合いなどを通じて「あそこだったらきれいに撮れる」と情報を集めたりして。でも、関さんの作られたサカナクションの“アルクアラウンド”のMVは、初めて観たときから強烈な印象がありました。
カジヒデキ
関:ホントですか! ありがとうございます!
カジ:ワンカットで撮る見せ方もすごいですよね。すごく時間がかかったんじゃないですか?
関:あれは大変でしたね。最近は大変って言いすぎるのもよくないので、あんまり言いたくないんですけど(笑)。
―20回とか撮られたんですよね?
関:20回以上は撮ってますね。曲が始まってから終わるまで、4分くらいはカメラをまわしっぱなしで。ひとつ作業を間違えたりとか、カメラが追いつかなかったり、また演者が画面からいなくなったり、そういうことが起きるたびに「もう1回やりましょう」って。
カジ:ワンカットで全部撮る手法で、あえてアナログっぽい感じを狙っていますよね。
関:そうですね。さっきの1990年代と2000年代の話じゃありませんが、最近「お金をかける」っていうよりは、アイデアやロケーションでカバーする「アナログの強さ」みたいなものを再認識しています。もちろんそういうMVは以前からあったと思うんですけど、ここ2〜3年は特にそういう傾向があるのかなと思っていて。じゃあ、あえてここはアナログ感のあるやり方で撮ってみるのもおもしろいかなと思い、チャレンジしてみました。
関和亮
「なんだこれ?」と思わせられるような作品を
―おふたりにとって、MVとはどんなものですか?
関:現在の状況では、「宣伝ツール」だという意識が少なからずあるんですけど、僕が中高生の頃にMVを見始めた1990年代は、音楽だけじゃなくその人そのものを表す作品、という目で見ていました。そのミュージシャンの色を端的に表わすツールだと思うんですね。僕、My Bloody Valentineというバンドが大好きなんですけど、マイブラのMVってヒドいんですね。歪んだ音を映像にしたみたいな感じで(笑)。当時は理解できなくて、「うーん、色がきれい…」と無理やり納得していたんですが、やっぱりカッコよかったですね、音の雰囲気にも合っていたし。
カジ:僕は中学生のときにMTVができて、アメリカのMVを見ていたんですけど、20才くらいからクリエイション・レコーズとか、いわゆるイギリスのインディーズに影響を受けたんです。彼らは、「自分たちは何者なのか」という意識をMVで出そうしているのが色濃く感じられました。そのアーティストが表現したいものを、映像を作る人も一緒になって応えていたんじゃないかなって。実際のところはわからないですけど、あの感じが「アート」っぽかったですね。1990年代はそういう思考が強かったのかなと。
関:そうですね。そのあたりから、ちょっとMVにお金をかけだして、僕が撮り始めたときはもうボンボン100万枚クラスのヒットが出ていたんです。すごく大きな規模で撮影をしていて、華やかな世界だなぁって思っていましたね。現在はまた時代が戻ったというか、本当に自分の好きなものをどうやって表現しようか、という意識が強くなってきています。僕が作ったMVも、お金はかけないけどちょっとしたトリックを使ってみたり、自分の好きなものをとにかくかき集めてきて汗かいて頑張りました、という作品なんです。
カジ:南波志帆さんのMV(“こどなの階段”)も、すごくおもしろいなと思ったんです。ガーリーな感じや、たくさんの部屋が横でつながっているようなセットがおもしろいですよね。撮影スタジオの選び方も関さんがコーディネートしているんですか?
関:そうですね。生々しい話をすると、撮影ってどこかで諦めなきゃいけない部分がいっぱいあるんです。「こういうのがやりたい」と思って絵を描いてもそんな場所はないとか、お金が足りないとか、時間がかかりすぎるとか。どうしたら一緒にやっている人たちに「よし、これでやろうじゃないか!」って言ってもらうのかが、監督の最初の仕事なんです。南波さんのときも、本当なら巨大なセットを作ればいいんですが、いくらお金があっても足りないので、できるだけ細長いスタジオを探したんですね。それでも時間が足りなくて、「明日スタジオ決めないとダメなんです」「もうちょっと待って!」とやりとりしながら、根気よくギリギリまで粘りました(笑)。
―そういう影の努力がやはりあるんですね。
関:そのあたりは、ミュージシャンは知らなくていい部分なので、あんまり見せたくないんですけどね。
カジ:PerfumeのMVもすごいですよね。すごくいい感じに撮っているのに、どこかしら奇妙な感じがするというか。
関:それは最初からテーマにしていたことなんです。ポップな曲で歌って踊る女の子は他にいくらでもいるし、どうしたらその人たちと差別化できるのかを考えたときに、ビジュアルを変えていこうとか、コンテンポラリーダンスのような複雑な踊りを引き立たせるにはどうしようとかいろいろ考えました。きれいにかわいくフリフリの服を着せてっていうのは絶対にやらないと最初に決めて。なぜかわからないのに宇宙服を着ているとか、「なんだこれは!?」と思わせたいという点は意識していましたね。
ミュージシャンが心底ノッた作品は、いいものになる
―カジさんの印象に残っているご自身のMVはなんでしょうか?
カジ:1999年に出した“Queen Sound Babbles Again”のときは、スウェーデンのストックホルムにいる監督さんにお願いしたんですけど、すごく印象に残っています。当時、スタンリー・キューブリックの『シャイニング』がマイブームだった頃で、監督さんに「デカダンス(退廃)を感じさせる作品にしたい」っていう話をしたんです。すると監督さんがそれに応えてくれたんですが、スウェーデン人の女性と僕が絡むシーンがあったんですよ(笑)。しかもその女性は下着が見える衣装だったんですけれども、ちょっとどぎつい下着を着ていて。僕はそんなキャラでもなかったので、違う衣装に変えてもらうということがありました。
関:MVは名刺みたいなものですからね。あんまりキャラじゃないことするのも、違いますよね。
カジ:でも、絡みのシーンはどうしても撮らなきゃいけなかったので、なんとか頑張りましたよ。監督さんは僕の過去作品をいくつか見てもらっていたんですけど、キャラクターまでは知らなかったと思いますので、すごくチャレンジしてくれました。あのときはちょっと困りましたけど、結果的にはすごく好きな作品になりましたね。
―本人が出演するMVって、ミュージシャンにチャレンジしてもらわなきゃいけないこともありますよね?
関:そうですね。「水の中に潜って」とか、「ここからここまで走って」っていう要望を遠慮していたら何もできませんので、たとえ嫌われてしまいそうだとしても言いますね。それでダメと言われたら、違うことを考えれば良いわけなので。
―そのあたりは、監督とミュージシャンの間で戦うこともあるんでしょうね。
関:そうですね。ただ、MVはミュージシャンさんから依頼を受けて作るものなので、やっぱり第一はミュージシャンのものだという意識がどうしてもあるんです。映画ならば違うのかもしれませんが、「こうでなければならない」という考えを無理して通すよりは、お互いに納得したり、そのミュージシャンに合うものにしていきたいと思いながら制作しています。
―MVのおもしろさって、監督だけの作品ではなく、音楽がありアーティストがいて、その状況をどのようにプロデュースされているかを見ることなんですよね。単にビジュアルがきれいだということではなくて、いかにその音楽をおもしろく見せるか、というアイデア勝負をこそ見たい気がします。
関:MVに求められる大半のことって、かっこいいとかきれいとかすごくキャッチーなことなんですけど、そういうMVはすでにたくさんあるので、逆にニッチなところに目をつけた作品のほうが際立つのかなと思ったりもしています。「なんだこれは!?」「どうやってるの?」っていう心理を見ている人に与えるのも、ひとつのキャッチとしていいんじゃないかなと。まぁ、そこまで変なものを作っているつもりもないんですけどね(笑)。
―関さんがミュージシャンに求めるものはなんでしょう?
関:それぞれのミュージシャンに合わせて、けっこう悩むんですよ。この方には赤がいいのか、モノクロがいいのかとか。そういうときに、「こういうほうがいいよね」って一緒になって考えられることを求めますね。すべてを任せてもらえるのもうれしいんですが、ノリノリになって一緒に作ってくれれば撮影時の雰囲気も全然違いますしね。
誰でもクリエイターになれる時代に、大きな刺激になる文化庁メディア芸術祭
―最近はレコード会社がYouTubeの公式チャンネルを作ることもありますね。テレビで一瞬映るのと、ウェブでじっくり見るのとでは違いがあると思うんですが、そのあたりはどう考えていますか?
カジ:YouTubeが発達して、これまで普通は見られなかったような、遠くの小さなライブハウスの映像が見られることはすごいと思います。ただ大きなスクリーンで見せられるほうが、作品から受ける驚きは大きいのかなと。そういう世代なのかもしれないですけどね。
関:僕は、年齢的にカジさんの世代といまの若い子との間だと思います。若い頃は、いろんなものを見たり聞いたりしたくても、長野の田舎で育ったために情報もないしレコード屋もない。昔、東京にわざわざ行って、渋谷のノアという店で海賊版のVHSをよく買ってたんですよ。
カジ:僕もそこで買ってましたよ(笑)。すっごくブレた映像のライブビデオなんかがありましたよね。
関:そうなんです!(笑)。映像を見られることがすごくうれしかったんですよね。いまはそれがYouTubeで見られるじゃないですか。僕は作り手であることとは関係なく「こんなの見れる!」っていう感覚は好きなんですよね。
カジ:YouTubeでおもしろいなと思うのは、MVでもライブでもなく、普通の部屋で撮影したような映像でも、すごくいいものがあるじゃないですか。あれはすごいなと思いますね。
―それこそiPhoneで撮った動画が、意外にいい味を出したりしますからね。もしかしたら、そういう作品が文化庁メディア芸術祭で賞を獲る日が来るかもしれないですね。文化庁メディア芸術祭は、出演するアーティストだけではなく制作者側にも注目が集まる良いチャンスだと思うんですが、作り手側としてはMVのどういうところに注目して見てほしいですか?
関:何も考えないで作っているものではないので、この曲を僕はこのように解釈して映像にしました、という意図が伝わるといいですね。もちろん音楽の捉え方は、聴く人や場所によっても絶対に違うので、ひとつに決めつけてしまうことはできませんけど、僕の解釈を楽しんでもらえたら嬉しいです。
カジ:確かにいろんな捉え方もありますが、ありすぎて散漫になってしまう場合もあると思うんです。それが映像になることによりポイントが絞られ、ばっちりハマるとものすごく強い表現になりますよね。その相乗効果って、何百倍も何千倍にもなるようなものだと思うので、すごく大切だなといつも思うんです。
―文化庁メディア芸術祭というイベントについては、どう捉えられていますか? 関さんは実際に受賞もされていらっしゃいますが。
関:文化庁メディア芸術祭をきっかけに作品を知っていただいたことが多く、自分にとっても非常に大きな経験になっています。僕自身が他の人の作品を見る機会にもなり、「こんなに様々な人がいるんだ!」って驚きました。昔、ICCというメディアアートを展示している施設があって、よく行っていたんです。実際中に入ると、電子音がふぁ〜んと鳴っているだけとか、取っ付きにくいイメージがあったんですよね(笑)。でも最近はゲーム感覚のものがあったりと、メディア芸術が生活に入り込んできている。それこそAR(拡張現実)とかWiiとか、本当に身近になっていますよね。
―では最後に、文化庁メディア芸術祭を楽しみにしている人にメッセージをいただけますか?
関:普段はあまりメディア芸術に関わらない人も多いと思うんですが、実は生活に密着しているものがたくさんあるので、あんまり難しく捉えずに見るとおもしろいんじゃないかと思います。
―小難しく考えず、遊園地に遊びに行くような感覚で見てほしいですよね。
カジ:いまは誰でもクリエーターになれる時代だと思うので、こういう作品を見たら自分も始めたいって思ったりするんじゃないでしょうか。すごくいろんなジャンルの作品があるので、興味を持ちやすいと思いますよ。本当に質の高い作品ばかりなので、既に何かを作っている人も、上を目指したい気持ちがより強くなるんじゃないかと思いますね。
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