「フジワラノリ化」論 第17回 石原慎太郎 恫喝老人にサヨナラを言う方法  其の四 もし高校野球の女子マネージャーが石原慎太郎の『太陽の季節』を読んだら

其の四 もし高校野球の女子マネージャーが石原慎太郎の『太陽の季節』を読んだら

石原慎太郎『太陽の季節』あらすじ
ボクシング部の高校生・竜哉は盛り場で出会った英子と肉体関係を結ぶ。竜哉に惚れ込んだ英子だが、竜哉は英子との関係が徐々に億劫になり、英子を自分の兄である道久に5千円で売りつける。しかし、英子が竜哉の子を身籠ったことが発覚。妊娠中絶手術を受けさせる。手術は失敗し、英子は死亡する。

岩崎夏海「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」あらすじ
女子高校生のみなみが、大して強くない高校野球部のマネージャーになり、その野球部を甲子園に連れていくという目標を果たすストーリー。その目標のために野球部をマネジメントするべきと考えたみなみが、ドラッカーの『マネジメント』を読み、その中に記されている内容を忠実に実行して野球部を強くしていくストーリー。

「フジワラノリ化」論 第17回 石原慎太郎

すみれが通っていたのは、「東京都立サンライズ高校」という公立高校だった。通称「サン高」は、東京の郊外にある、ここ数年の間に十数階建てのマンションが林立し始めたニュータウンのど真ん中にある高校だ。昔からここに住んでいた人は少なく、同級生のみんなも比較的最近越してきた人ばかり。すみれが高校野球部に入ってマネージャーをやろうと思ったのも、伝統があるわけでもない未知数の学校にせっかく入ったからには、精一杯その未知の可能性を広げられる部活に入って、みんなで一緒に大きな夢を見ようとしたからなのだ。すみれが大切にしている本がある。卒業式の日、中学校の恩師が渡してくれた通称「もしドラ」と呼ばれている本だ。高校野球のマネージャーがマネジメントについて勉強しながら、弱小野球部を甲子園に導くという青春小説。私も絶対に! すみれの心はひとつに決まっていた。

それなのに、野球部に入っても、マネジメントを活かす機会は一向にやってこなかった。泥んこまみれのボールを磨いて、全員分の汚れたユニフォームを洗う。最低限の身の回りの世話をするだけの毎日が続いていた。それをみんなが褒めてくれるわけでもなく、むしろ、そんなの当たり前だと冷たい眼を向けられた。みんな、懸命に甲子園を目指していたけれど、「もしドラ」のみなみのように私が陣頭指揮をとる日なんて、いつまで経ってもやって来そうになかった。部室を出るのもいっつも最後の最後だった。肩を組みながら楽しそうにはしゃいで帰っていく部員たちの後ろ姿を見ながら後片付けをするのが辛かった。やりきれない思いだけが募っていった。

ボクシング部の達也に声をかけられたのは、いつものように部室に居残ってユニフォームをたたんでいたときのこと。たまに会釈をする程度だったすみれにとっては特に気になる男の子ではなかったけれど、女の子の間では割と人気の高い男の子だった。突然の告白だった。すっごく疲れてて、すっごく淋しかったからなのだろう、ずっとおまえのことが好きだったと言われてすぐに、すみれはコクンと力強く頷いてしまった。達也は不良っぽい風貌だったし、他校の女の子ともしょっちゅう遊んでるって噂が流れていたからまさか自分のことを好きになってくれるなんて思いもしなかった。単純に嬉しかった。でも、同時に心配になった。男の子が何を考えているかなんて、すみれにはちっとも分からなかったから。これまでも女の子といっぱい遊んできた達也と釣り合いが取れるかどうか、心配になったのだ。

自分の部屋に帰って本棚を眺めていて、ドラッカーの「マネジメント」の横にある1冊の本を手にした。職員室で恩師に「ドラッカー」をもらった時、それじゃあ俺からも、と、体育教師の石原先生が差し出してくれた『太陽の季節』という小説だった。石原先生は「この小説の中に、男とは何か、男とはどう生きるべきかが詰まっている」と言っていた。石原先生は、リーダシップがあると評判の先生で、時たまとんでもない暴言を吐いて反感を買うんだけど、いつも強気な態度を崩さない先生だった。他の男性教師の中に「男とは」なんて話しかけてくる人はいなかったこともあって、すみれは石原先生の言うことをずっと信じ込んできた。石原先生からもらった『太陽の季節』を読み始めてすぐに、すみれには一つの信念が芽生えていた。
―迷ったら、この本に帰る。答えは、必ずこの中にある。

翌日、すみれと一緒にマネージャーをしている優花に達也とのことを相談すると、猛反対された。あの人は根っからの遊び人だし、付き合ってすぐにポイ捨てするなんてことを平気で繰り返してるんだよ、普段はおとなしい優花が声を荒げた。そんなに心配してくるなんてと、嬉しくなった。でも、優花が「親の間でも先生たちにも評判悪いしさあ」と漏らした一言には納得がいかなかった。いつまでもそうやって大人社会が認められた何かだけを信用するのはおかしい。『太陽の季節』にはこうあった。「大人達が拡げたと思った世界は、実際には逆に狭められているのだ」。胸のすく思いがした。これまでの私には自由が足りなかったんだ。

達也は悪いことを右から左へ全て経験してきた男の子だった。お酒、バクチ、喧嘩、一緒にいてヒヤヒヤすることばかりだった。でも、すみれにはそれがとにかく刺激的だった。野球部で日の当たらない仕事を繰り返すだけの変化に乏しい毎日がたちまち一変した。筋骨隆々の野球部のみんなをあれだけ見ているのに、達也の振る舞いのほうがよほど肉体的だった。私と付き合っていようとも、相変わらず平気で他の沢山の女の子と会っているようだった。でも心配じゃなかった。だって『太陽の季節』には「女は男にとって欠くことの出来ぬ装飾具であった」と書いてあったから。達也が男として輝くために、それは必要不可欠だと思ったのだ。肉体的な交渉も激しいものだった。とても友だちには話せなかった。みんながこういう経験をしているのか、それともやっぱりこれは異常な経験なのか分からなかった。ここでも『太陽の季節』の有名なシーンに助けてもらった。「彼は勃起した陰茎を外から障子に突き立てた。障子は乾いた音をたてて破れ、それを見た英子は読んでいた本を力一杯障子にぶつけたのだ。本は見事、的に当って畳に落ちた」。人と人が体を通わせることの獰猛さを思い知らされた気がして、勇気が沸き立つのだった。

体を壊して学校を休んでいる夕希を見舞いに行くと、夕希はこれまで見たことの無い形相で怒っていた。「ホント、信じられない。すみれ、みんなで一緒に甲子園に行くって言ってたよね。私も何とか予選会までには体を治すつもりで頑張ってきた。それが何よ、あんな男とくっ付いて。すみれ、何考えてんのよ。信じらんないっ。顔も見たくない、出てってよ」。すみれには彼女の怒りが子供じみたものに見えた。大人の享楽を覚えた自負が彼女の体に染み渡っていたのかもしれない。すみれは、達也との熱い繋がりを終えた後に、いつも『太陽の季節』のあの箇所を反芻する。「彼女はあの夜初めて孤りきりでなかった。その瞬間、竜哉をむさぼりつつ、英子は自らのありたけを与えることが出来た。彼女は思った。?私はやっと愛することが出来たんだわ?と」。そう、そうなの、達也と私もこうやって繋がることが出来ているんだ、2人の関係を小説に重ねることで心を落ち着かせた。

すみれはそもそも純文学なんていうジャンルの本を読むのがとても苦手で、この『太陽の季節』を読むのにもとっても時間がかかった。だから、「私はやっと愛することが出来たんだわ」のところにぶつかると、嬉しくなったのと同時に正直これ以上読むのは大変だから後で読むことにしようと、しばらくほっぽらかしにしていた。達也の態度が急変したのはそれから幾日も経たない日のこと。ケータイにも出ないし、メールも何通出しても返事は来ない。学校ですれ違っても急に素っ気ない態度に変わった。どうしたらいいのか、わけが分からなくなった。自分に落ち度は無いと思ってたから、1度しっかり話し合おうって心に決めて、達也を食堂に呼び出した。食堂の隅っこに座った達也は私に向かって信じられない言葉を吐いた。「なあ、まるで俺の彼女みたいに振る舞うのやめてくんないかな。マジでうざいんだけど。お前のことなんか何とも思ってねえからよ。女なんていくらでもいるし。ああ、そういえばさ、俺の親友がお前のこと結構可愛いって言ってたからさ、どう、アイツと付き合ってみれば?」。何も言葉が出なかった。こぼれてくる涙を拭うことしか出来なかった。達也は薄ら笑いを浮かべながら席を立った。信じられない。それでもどこかでまだ達也が好きだった。何とか、達也を信じ直したかった。

家に帰ると、泣き崩れたままベッドに倒れこみ、『太陽の季節』の続きを読むことにした。男を愛することを教えてくれた1冊に今一度すがりたかったのだ。続きを読めば救われるに違いないと思ったのだ。間もなくすみれの希望は打ち砕かれた。愛し合っていたはずの2人、あろうことか男が女を男の兄に売り飛ばしたのだ。「よし、あの五千円であいつを売ってやらあ」「よし、買った」。達也が去り際に私を親友に紹介してやると言ったのを思い出した。男とはこういう生き物なのか、愕然とした。話は進み、女に赤ちゃんが出来ていることを知った男はこう答える。「子供をダシに使うなんか、日頃新しいこと言ってるくせに古い手だぜ」、すみれは本を床に放り投げた。その後中絶手術に失敗しその女が命を落とすことになるのだが、その箇所に至らぬまま、すみれはその本を破り捨てた。もう身勝手な男に翻弄されるなんてこりごりだ、そう強く思うのだった。悔しくて悔しくてたまらなかった。

石原先生はどうして私にこの本を渡したのだろう。「男とはどう生きるべきかが詰まっている」と先生は言っていた。本当にそうだろうか。男の勝手は、女の心情をこんなにも杜撰に潰して許されるんだろうか。いや、許されるはずはない。教室の机で突っ伏していると、心配になったのか、優花が話しかけてくれた。おおよその状況を把握してたんだと思う、他愛も無い話で必死に盛り上げてくれる。最近、野球部で起きた面白いエピソードの数々。みんなそれぞれ、とってもちっちゃなエピソードなんだけど、今のすみれにはとても愛おしく思えた。石原先生は何に対しても、「○○とはこういうものだ」と厳しく決めつけてくる先生だった。服装のこと、言葉遣いのこと、成績のこと、こうじゃなきゃいけないといつも繰り返していた。当時はそういう強い決めつけが真っ当で正統的に感じられたのも確かだ。でも本当にそうだったのかな。「高校生のくせに部活をしないなんて、ふざけてる」、そんなことも言ってたけど、よくよく考えれば、単なる好き嫌いじゃないか。『太陽の季節』にはその好き嫌いが身勝手に濃縮されていたと、すみれは今更ながら大きな後悔におそわれた。

恐る恐る久しぶりのグラウンドに向かうと、みんながこっちを向いて声をかけてくれた。「おーい早く準備しろよー」「マネージャーが遅れてどうすんだー」。中には「男と別れたんだって」と陰口を叩く人もいたけど、それはそれ。人は色々な考え方を持っている。それで当然だ。すみれはその色んな声のひとつひとつが嬉しかった。夕希はまだ私に怒っているらしいけど、しっかり話し合えば分かってくれると思う。正しい組織というのは、判断を誤った個人を、時間をかけて治してくれるものだ。自分にとっては、このグラウンドがその場所だ。みんなだって大小かかわらずいろんな悩み事を積んでいるに違いないけれど、みんなここにいれば、同じ白球を必死に追いかける。石原先生が東北地方で大地震が起きた後、「我欲を1回洗い落とす必要がある」と言っていたことを思い出した。何を言ってるんだか。そんなもの、私たちはここで毎日のように洗い落としている。選手たちの威勢の良い掛け声に、私のちっぽけな悩みが溶けて消えていくかのよう。このみんなと、甲子園に行くんだ、そう強く心に決めたのだった。「ファイットォォォ!」、すみれの元気な掛け声がグラウンドに響き渡った。



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