「フジワラノリ化」論 最終回 あのノリ化は今!? 其の五 石原慎太郎/小雪/石川遼/島田紳助

石原慎太郎の連載回をアップし始めたのは東日本大震災からわずか10日ほど後のことだ。石原が「この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。積年たまった日本人の心の垢をね。やっぱり天罰だと思う」と暴言を吐いてから間もない。翌月には都知事選挙が控えていた。空疎な言動に、いよいよ気付くべきラストチャンスだった。しかし、蓋を開けてみれば、投票数の約4割を得ての圧勝と聞いてうなだれた。石原の対抗馬が東国原と渡邉美樹に両分されたのも大きかった。単純に計算すればこの2人の得票数は石原を上回っていた。この論考の最終回のタイトルを「『なんだかんだで石原さん』の理由」としたが、今回も毎度お馴染みの消去法によって、厚顔が晒され続けることになってしまった。「選挙どころではない」と、現役の自分に焦点が合うように選挙を進めたのが功を奏し、やりたい放題の4年がまた新たに始まってしまった。我欲発言の記憶が薄らいだころに、新書本「新・堕落論―我欲と天罰」を上梓した。このサイトを見ているのは若い世代が多いと想定して熱っぽく語りかけてみるが、「若い世代が弱劣化しているから、教育勅語を復活させろ」を書く首長に、君はまだ黙り込んでいられるのだろうか。なんだかんだで石原さんっしょと、投票できるのだろうか。生活保護受給者が戦後の動乱期より多い205万人に達したことをどう思うかと記者に聞かれ、「それだけの数の生活保護を受ける人たちを国民が支えてるっていうのも、国の一つの力の表示だと言える」とする。精一杯生きる誰それを見つめてやることが、これほどできない男がいるだろうか。大金を注ぎ込んで失敗した五輪招致に再び手を出すことを決意した彼は「やるからには勝つ」と反省はどこへやら。でもその勢いこそ必要なんだ、言い切るパワーが今の日本には必要なんだと、彼のハッタリを信奉する人は多い。震災後、今こそ東京が引っ張っていくという発言を重ねていた彼を見て、そうだ、彼のような指揮力のある男が必要だと改めて信じ込んだ人も多いのだろう。ならば、お伝えしておくが、彼は震災後も、週に2、3日しか登庁していない。大忙しの芦田愛菜だって、もうちょっと小学校に行ってるんじゃないか。これまでもそのサボり癖はしばし問題視されてきたが、相変わらず引きこもりがちな老人を、彼に投票した260万人の都民はどうやって肯定していくのだろう。自分の生活に置き換えてみて考えて欲しい。週に2、3回しか出勤しない社長の言うことを聞けるだろうか。たまにしかこない部長に「おい、この部だけ業績が悪いぞ。危機的状況だよ。どうしてくれる」と言われて、一緒に頑張れるだろうか。ふざんけんじゃないと口を揃えるに決まっている。その部長と同じ振る舞いを「なんだかんだで立派」と支持しているのだ。ほんとうに、ほんとうに、信じられない。

小雪を書いて以降の変化と言えば、妊娠を発表し、ウイスキーのCMを降板したことくらいだろうか。小雪がウイスキーのCMに選ばれる意味について「発泡酒とアリナミンVのCMで登場する松下奈緒は、紛れもなく「理想の嫁」だ。小雪のウイスキーからは、どうしたって不倫臭がただよってくる。清潔だが清楚ではないのだ」と書いた。妊娠によって、CMの降板を余儀なくされた。その後任は菅野美穂だ。サントリートリスのCMに吉高由里子が登場したことと合わせて考えると、ウイスキーの企業側が、オッサンの飲み物から脱するための人を選んだと考えるのが自然だ。NHK放送文化研究所の調査によると「好きなお酒ランキング」、1983年の調査で2位だったウイスキーは2007年には9位と、大幅に後退している。演技を離れると天真爛漫が売りになる2人に、ウイスキーの未来を託す大きな賭けでもあるのだろう。小雪が母になった時、ママさん女優を全面に出してカムバックして来る可能性は低い。篠原涼子のように、井川遥のように、淡々と職場復帰するだろう。その時に、「世は小雪に『雰囲気』を求め続けてきた。小雪は偶然にも、自発的に『雰囲気』で居続けられるアイテムを女優外のプライベートで育んできた。となると、これまた自然に、小雪は『雰囲気』で生き長らえていくのだ」と書いたこれからへの予測は少しずれる。世の中は、(それこそ女性蔑視ではないかと思うのだけれど)「子供がいるにもかかわらず」が大好きだ。その手の視線は当然小雪にも向かう。そのとき、小雪は「雰囲気」を守れるのか。どうしたって生臭さが立ちこめてくるのではないか。篠原や井川であれば、「お母さんにあずけてます」的な発言が似合う。小雪の場合、そういう生活感が似合わない、仕えない。やはり「姉に見てもらっています」なのだろうか。「雰囲気」が現実によって剥がれた後の小雪の動きに注目したい。

石川遼について、加筆すべきところはほとんど無い。彼女がいると報じられてからの、芸能事務所ばり親の対応が週刊誌を賑わしたが、その辺りについては、「其の二 自慢の息子を語りたがる親たち」で詳しく書いたつもりだ。超・優等生としてメディアに登場した石川遼の神通力を自身が自身で崩そうとしている。携帯で撮ろうとしたギャラリーを睨みつけたり、ミスショットに対してはグラブを地面に叩き付ける仕草を繰り返す。ニキビ面で初々しく小さな白球に挑んでいたあの頃の清涼感はもはや無い。福原愛の熱愛報道が明らかになったとき、そうか愛ちゃんもそういう年になったかと驚嘆した。しかし、石川遼の熱愛報道にその驚きはなかった。幼なじみが相手であることが主因だが、「うん、遼君は大人になってるね」という肯定があちこちから飛び交っている。辛酸なめ子が、安達祐実と離婚したスピードワゴン・井戸田に向かって「(芦田)愛菜ちゃんはどれくらいキレイになりますか?」と質問していた。素晴らしい設問だ。石川遼という健康体の維持には、ゴルフ好きのお父さん達の視線に加え、頑張る若いイケメン選手のみスポーツ選手を容認するお母さん達という視線が必須だった。「本格的にカッコ良くなっていく石川遼」を見届けようとする最中での熱愛報道、しかし長年の幼なじみと聞いて、「何かもうなんとも言えない優等生感」は持ちこたえる。石川遼という優良物件は、ちょっとだけ軋む音を弾き始めた。しかし、改築は進む。その時に、親の執拗な援助はもういらんと、親から巣立つべきだと、誰様だお前は、という進言を申し伝えておく。

「フジワラノリ化」論 最終回 あのノリ化は今!? 其の五 石原慎太郎/島田紳助

島田紳助を最終回にしたのに、意味は無い。ただ、最終回が彼、ということを今から振り返るように定義付ければ、芸能界の面々の小粒っぷりを彼が象徴していたから、とすることができるだろう。茶の間がギョーカイ化し、ギョーカイが茶の間化したと、この連載を通じて何度か繰り返し書いてきたが、ギョーカイのルールや権威をそのまんまテレビの前に接続した筆頭は彼だ。仲間内のヒエラルキーをいじくりまわして笑いを興し、反転させて場を泳がせ、沈着して涙、この三文劇場の中毒性の虚無に、彼の引退をもってようやく気付いた方も多いだろう。暴力団との付き合い、その報道をめぐって島田紳助と吉本興業が出版社を相手取って訴訟をおこしている。名誉毀損に該当する記載があったかどうかは裁判を見守るしかない。ただし、島田紳助は最後の悪あがきのやり方を間違っている。なぜならば、暴力団関係者の接点が実際にどれほど深いものであったかを、多くの人々は興味として一切持っていない。暴力団関係者との写真は絶対にないと言い切って間もなく写真が出てくる、この薄っぺらさを前に、名誉毀損の有無うんぬんは枝葉末節だ。ギョーカイの権威の押し売りに、皆、ようやく気付いた。「島田紳助って、こんなもん」だったのだ。あれだけ書いておいてなんだけれど、島田紳助についてなど、もう一切考える必要なんてないのだ。使い終わったティーパックをもう一度使えば、すさまじく薄い紅茶になる。今、島田紳助をどう捉えても、その薄い紅茶にしかなり得ない。

さて、フジワラノリ化論も終焉だ。最終回の冒頭に記したように、未だ何も具体的な内容は決まっていないが、この場での新連載をお待ちいただけると有り難し。そして、特に行き先が決まっているわけでもないが、週刊でノリ化的人々を引き続き追っていければなあと思っている。整理された情報ばかり背負ってきれいさっぱりに登場する芸能人を、素直に受け取ってはいけない。だって、この年末に涙ぐんで登場する小林幸子など前もって予測できるじゃないか。こういう眼識を誰に頼まれずとも、今後とも鍛えていきたい。これまで本コラムに刺激的なイラストをぶつけて下さった、なかおみちおさん、樅田裕美さん、そして編集担当のK女史に感謝しつつ、やっぱり最後に、コラムタイトルを背負って下さった藤原紀香氏に一方的な感謝を。



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