作曲を務めるCrimsonにおける
ちゃんMARIの楽曲制作方法
Crimsonは2005年、鹿児島でちゃんMARIさんを中心に結成されました。初めの頃はピアノトリオとボーカルという編成でジャズテイストの強い音楽をやっていた彼らは、ボーカル(川中梢)がギターを持つようになってから、ポストロック路線へ。2009年には、南九州最大のロックフェス『volcano09』に出演、『SUMMER SONIC』にも2度の出演を果たしています。
ちゃんMARI:たくさんの人の前で演奏するのがとにかく楽しくて。野外で演奏したこともなかったので、「こんなに開放的な気持ちになれるんだ!」と、初めての感覚を経験しました。現在Crimsonの活動はあまり活発に行っていないのですが、曲作りは続けています。自宅ではLogicを使っていますね。室内楽とバンドでは、曲の作り方が全く違います。バンドの場合は、「大体このくらいの長さの曲にしよう」と、最初に尺を決めてから作り始めるんです。そこから、思い浮かんだメロディーに肉付けして楽曲を完成させる場合もありますし、リズムを先に考えてから、メロディーや他の音を積んでいく場合もありますね。
ゲスの極み乙女。を初めて組んだ時の印象は
まさかの「微妙だなあ」
そして2012年、indigo la Endの川谷絵音(Vo,Gt)を中心に、ほな・いこか(Dr)、休日課長(Ba)、そしてちゃんMARIさんによってゲスの極み乙女。が結成されます。
ちゃんMARI:川谷くんがやってるindigo la Endを初めて見たときは、かっこよくて本当にビックリしましたね、「なんだこのバンドは!」って。それと同じくらいの時期に、(ほな・)いこかさんとも出会いました。彼女がやってるバンドのマイクロコズムの企画イベントに、Crimsonとindigo la Endが出たこともあるんですよ。しかもそのときindigo la Endのベースを弾いていたのが休日課長だったから、そこでゲスのメンバーが全員揃っていたんですよね。でも、そのときはまさか一緒にバンドをやるなんて思いもよらなかったです。最初はバンドを組む気はなくて、「一緒にスタジオに入って音鳴らしてみようか」くらいの気楽なノリで集まったんですよね。四人が初めてスタジオに入ったときは、全然上手くいかず、「微妙だなあ」という印象だったんです。でも、そのあとご飯を食べに行って、「バンド名は何にしようか」っていう話になって、そこで名前を決めちゃったから、ここでやめるわけにはいかないなと思って続けました(笑)。
それにしても変わったバンド名ですが、これはちゃんMARIさんの美大生の友人が作ったトートバッグに書かれていたフレーズを、川谷さんが気に入り命名したもの。メンバーの名前も彼によって付けられました。
ちゃんMARI:最初のうちは、「こういうバンド名だからこういう曲をやってみよう」とか、「メンバーの名前がこうだから、キャラはこうしよう」とか、名前ありきのところで中身を考えていくことが多かったですかね。最近は、そういうことはあまり気にしなくなりました。メンバーの印象は、川谷くんは頭の回転がとにかく速い。言葉がすぐ出てくるんですよね。求心力があって、彼の才能をメンバー全員がリスペクトしています。いこかさんは、ドラムを叩く姿がとても綺麗だし豪快だし、一緒にバンドをやる前からいいなと思っていました。優しい人でもあります。課長とは、一緒にやるまではあまり面識がなくて、最初のリハではすごく緊張しましたね。今はもう……(笑)。いつもいこかさんを口説いてるところとか、面白いなあと(笑)。でも、意外と真面目な人です。
今は毎日が楽しくて仕方がない!
2013年、ファーストミニアルバム『ドレスの脱ぎ方』でデビューしたゲスの極み乙女。。同年末のセカンドミニアルバム『踊れないなら、ゲスになってしまえよ』を経て翌2014年には、ワーナーミュージック・ジャパン内のレーベルunBORDEと契約し、サードミニアルバム『みんなノーマル』でメジャーデビューを果たすなど、結成からわずか2年で大躍進を遂げました。8月6日には、峯なゆか原作、壇蜜主演のドラマ『アラサーちゃん 無修正』オープニングテーマ“猟奇的なキスを私にして”をリリース。収録曲“アソビ”もスマートフォンのTV-CMソングに抜擢されるなど、お茶の間にゲスの曲が流れる機会は増える一方です。
ちゃんMARI:最初はホント、好き勝手にやりたいことをやっていただけなので、まさかメジャーデビューしてお茶の間にまで届けられるようになるとは思っていなかったですね。2年前と比べると状況は大きく変わりましたけど、でも音楽に向き合う時間が前よりも増えたことは嬉しい。今は毎日が楽しくて仕方ないです!
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