青鼻が印象的なメイクと山高帽子。そんなコミカルなルックスや、ファニーな仕草とは裏腹の、まるで無重力で演奏しているかのような超絶的なピアノパフォーマンス。PE’Zのヒイズミマサユ機、またもや椎名林檎率いる東京事変(第1期)のH是都Mなのではないかという憶測が飛び交う、正体不明のキーボーディスト・H ZETT Mさんは、ジャズトリオバンド・H ZETTRIOとしても精力的に活動中。ジャンルの垣根を取り払い、オーディエンスとの距離を縮めつつも、独自のユーモアを交えながらジャズの本質をしっかりと引き継ぎ伝えようとする姿勢は、同業のミュージシャンをはじめ多くの人たちから愛されています。幼少の頃からピアノを習い始め、日常の一部のように演奏し続けるH ZETT Mさんの音楽への一途な思いは、どのように形成されていったのでしょうか。子どもたちとの「合同ピアノレッスン」を終えたばかりの彼に話を聞きました。
テキスト:黒田隆憲 撮影:豊島望
H ZETT M(えいち ぜっと えむ)
身長体重不明、年齢不詳、スリーサイズ非公開、鼻=青。 謎の天才ピアノ・マジシャン。PE’Zのヒイズミマサユ機、またもや椎名林檎率いる東京事変第一期の鍵盤の「H是都M」なのではないかという憶測が飛び交うも、本人はぼんやりと否定。超絶技巧に加え無重力奏法と形容される超人的パフォーマンスは、実験音楽と高度な芸術性とが融合している。謎の赤鼻ベーシストH ZETT NIREと銀鼻ドラマーH ZETT KOUと、H ZETTRIOを結成。『FUJI ROCK FESTIVA ’14』では超絶演奏テクニックを見せつけ、「笑って踊れるジャズ」は初見の若い観客たちの度肝を抜いた。海外フェスにも積極的に出演し、国外でも注目を浴びている。2月にリリースした『Get Happy』と『Something Special』は共にiTunesジャズランキングの1位を獲得している。
絵を描くように音符を描いていた
奇異な曲作りをしていた小学生の頃
物心がつく前から、自宅にあった足踏みオルガンで遊んでいた彼は、4歳になるとピアノ教室へ通うようになります。絵を描くのも大好きで、車や家などをスケッチするほか、オリジナルのヒーローを描くなど、夢見がちな少年でした。
H ZETT M:なぜピアノを始めたのかあんまり覚えてないんですけど、別に音楽一家だったわけでもないので、きっと自分で「やりたい」と言ったんでしょうね。ピアノをやり始めてしばらくすると、教室にあったエレクトーンに興味を持つようになりました。ボタンがたくさんついてて、ピカピカ光ってるのがかっこいいなと思ったんですよね。自分で曲を作るようになったのは小学校の中学年の頃。最初は五線紙の上に、適当に丸印を描き込んでました。それがどういう音なのかもわからずに、絵を描くように丸印をたくさん描いて、「曲ができた!」って言ってたんですよ(笑)。ちゃんとした楽譜になっているわけでもないし、もちろん自分で演奏できるわけでもないので、本当にわけのわからない代物なんですけど。とにかく、そういうのをたくさん描いていました。
芽生え始めた機材オタクの好奇心
そのうち譜面が読めるようになると、曲作りもどんどん楽しくなっていきます。初めて作った曲は、「晴れてよかったね」といった歌詞のついた童謡ふうのメロディーでした。ちなみに、今も演奏している“果て”は、中学生の頃に作ったそう。
H ZETT M:今はなき「ピュアさ」みたいなものが、その頃の曲にはあるんですよね。作った曲は全て譜面に残していて、段ボール箱に入れて保存してあります。打ち込みをやり始めたのもその頃です。当時の僕はとにかく楽器カタログを見るのが大好きで、シンセがズラーっと並んでいるだけの雑誌をずっと眺めてました。初めて手に入れたシンセはKORG「M1」でしたね。いろいろなメーカーの、いろいろなシンセをたくさん見てきたんですが、「M1」は他のシンセと比べると操作ボタンが極端に少なくて、「なんだ、このスタイリッシュな外観は!」と衝撃を受けたのを覚えています。
頭の中で思い描いた音のイメージを、具体的に再現できる打ち込みにハマったH ZETT Mさん。中学2年のときには、『ジュニアエレクトーンフェスティバル’91 全日本大会』にて銅賞に輝きました。
H ZETT M:その頃は、雑誌で紹介されてた音楽を片っぱしから聴いてましたね。TM NETWORK、布袋寅泰さん、ユニコーンなど、日本のロックが特に好きでした。それと、機材に入っているデモ演奏がとにかく大好きだったんですよ。「この音源モジュールに入っている、このデモ演奏かっこいい!」みたいな(笑)。そこからインスピレーションを受けて作曲することもありました。洋楽は、英語があんまり入ってこなくて好んで聴いてなかったのですが、音楽教室の先生からいろんな曲を教えてもらうようになって、キース・ジャレットやハービー・ハンコックのようなジャズの巨匠たちを知りました。わかりやすい8ビートのロックがちょっと退屈に感じてきて、ジャズとかフュージョンとかの「キメがバリバリ、シンセがビヨヨーン!」ってなってる音楽のかっこよさに惹かれていきました。
ピアノを弾くことは
歯を磨くことと同じ「日常の習慣」
そんなH ZETT Mさんが、音楽でやっていこうと思ったのは高校に入る頃でした。高校入試を音大の付属高校だけに絞り、他の道への選択肢は一切考えなかったそう。
H ZETT M:4歳の頃からずっとピアノを弾いてるので、もう習慣になっちゃってるというか。歯磨きやお風呂と同じですよね。「音楽が好きだったからやめたくない」っていうのとは、ちょっと違うんです。「弾けなくて辛い」とか「嫌だ」って思うことはたくさんあったんですけど、毎日2時間くらい弾くことが習慣になっていて、嫌だと思いつつも気づいたらピアノの前に座って練習しているみたいな。
H ZETT Mさんが入学した高校は、とにかく男子生徒が極端に少なかったそう。1学年の生徒数がおよそ160名で、その中で男子はたったの2名! 全学年を合わせても、20名にも満たない数。そんな中で彼は、選りすぐりのメンバーでバンド活動を始めました。
H ZETT M:それだけ女子に囲まれても、全然モテなかったですけどね(笑)。クラシック系の高校だったんですけど、そんな少ない男子の中でも、「クラシック以外の音楽のほうがかっこいいじゃん」って人が校内に3、4人はいるわけですよ。そういう人たちと意気投合してバンドを組み、ジャズやフュージョン中心で、時々オリジナル曲をやるようにもなっていきました。
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