金髪にルージュという容姿とは裏腹のキュートな歌声で、生々しく「女」の生き様を歌う、理姫さん率いる5人組バンド、アカシック。思わず口ずさみたくなるポップなメロディーと、予測不能でドラマチックなアレンジ、ソリッドでエッジの効いたバンドサウンドは、一度聴いたら病みつきになります。そんな、どこまでも「ちぐはぐ」な要素が混じり合いながら、絶妙なバランスを保っているのがアカシックの魅力。6月3日にリリースされたメジャーデビューミニアルバム『DANGEROUS くノ一』にも、エキセントリックでかっこいい「女」が次々と登場します。専門学校時代に前身バンドを結成するも一度解散し、再び集結して現在に至るというアカシック。そんな紆余曲折には一体どんな事情があったのでしょうか。今回は、バンドのコアメンバーである理姫さん、奥脇達也さん、黒川絢太さんに話を聞きました。
テキスト:黒田隆憲 撮影:豊島望
アカシック
理姫、奥脇、黒川の3人で2011年に結成。誰もが口ずさみたくなるキャッチーなメロディーと、ヨコハマ生まれ繁華街育ちのボーカル・理姫による彼女のキャラクターが全面に出た独特な詞の世界観で話題を呼ぶ。2014年に1stミニアルバム『コンサバティブ』をリリース。その後、Hachi、山田康二郎が加入し現在の5人体制となり、2ndミニアルバム『プリチー』をリリース。2015年6月3日、unBORDEよりミニアルバム『DANGEROUS くノ一』でメジャーデビュー。
音楽専門学校で出会った三人
三人とも「不純な動機」で音楽の道へ?
アカシックは、ボーカルの理姫さん、ギターの奥脇達也さん、ベースの黒川絢太さんが、音楽専門学校で結成した前身バンドをきっかけに誕生しました。しかし、作詞担当の理姫さんも、作曲担当の奥脇さんも、子どもの頃は全く音楽に興味がなかったそうです。
理姫(Vo):私は生まれも育ちも横浜なんですけど、子どもの頃はテレビで流れてくる音楽を聴くくらいで。浜崎あゆみさんとかモーニング娘。さんのCDは持ってましたけど、まさか自分が歌うようになるとは思ってなかったですね。中学と高校の頃に所属していたソフトテニス部は、ものすごく厳しくて。全員ショートカットで、日焼け止めを塗るのも禁止だったんですよ。先輩もすっごい怖かった。で、普通に大学に進学しようと思って受験勉強を頑張ってたら、同い年のギタリストと知り合って。彼が「音楽の専門学校へ行くからお前も来い」って言い出して、私の分まで願書を用意してくれたんですよ。「これに記入して送り返せばいいだけだから」って(笑)。頑張ることに疲れちゃってたのもあって、「それでいいや」と思って私も行くことにしました。結局その人は、入学してからすぐに学校を辞めちゃうんですけど(笑)。
奥脇(Gt):僕も小学生の頃は、ヒットチャートすら全然知らなかった。でも中学生になると、「音楽を聴いてるのがかっこいい」みたいになるじゃないですか。僕はかっこつけなので、「誰よりも詳しくなってかましてやろう」と思ったんですよね。それでマニアックな音楽にいきなり手を出して……と言っても、2PACとかだったんですけど(笑)。楽器を弾くようになったのも、「俺、ギター弾けるんだ」って言いたくて、家の倉庫に眠ってた親父のギターを引っ張り出してきたことがきっかけです。
黒川(Ba):僕は美容師になりたくて、高校3年生のときに美容学校を受験したのですが、落ちたんです。「美容学校って落ちるんだ」ってびっくりして(笑)。それで、当時憧れてた先輩が音楽の専門学校に行ってるという話を聞いて、「今から進学できるのは音楽の専門学校しかない」と思って親を説得しました。卒業1か月前くらいまでなにも決まってなくて、滑り込みセーフって感じでしたね。
「そのうち売れるっしょ」
バンドを始めた頃は「馬鹿」だった
高校卒業後、専門学校で出会った三人はすぐにバンドを結成します。まだ1曲もレパートリーがないうちからライブをブッキングし、どうにかこうにか4曲仕上げてステージに立ちました。特にこれといった野心も、「これから一緒に頑張っていこう!」といった結束力もなく、そのままバンドは「ただ、なんとなく」続いていきます。
理姫:楽しかったんですよね。今とは全く違う種類の、特殊な楽しさ。
黒川:ずっと夏休みが続いてるみたいな。
奥脇:そうそう。「そのうち売れるっしょ」って気楽に考えてました。ライブハウスとかに出てたら、なんかサングラスかけた業界の人が声かけてくるだろうって(笑)。
理姫:そうだね。馬鹿だねえ(笑)。その頃周りはみんな就活とかしてたのに。
そのまま1年くらい活動を続けていくうちに、理姫さんの中で少しずつ意識が変わっていきました。「楽しければそれでいい」という気持ちはなくなり、当時の日本のインディーバンドを片っ端から聴いていくうちに、「このバンドをどうにかしなきゃいけない」という思いが強くなります。
理姫:当時は神聖かまってちゃんとか、相対性理論とかミドリとか、そういう日本のインディーズにものすごく影響を受けましたね。しかも20歳くらいのときって、気分によって考え方がコロコロ変わるじゃないですか。「自分たち、一体なにやってんだろう」って思ってたら、もう今まで作ってきた曲とか全部捨てたくなって(笑)。その勢いに任せて過去曲を一切葬り去って出直したんです。
奥脇:その頃の理姫はメチャクチャでしたね。僕がライブの前日に夜なべをして作った物販用のCDを、理姫が当日ステージ上から客席に向かって投げたり(笑)。
理姫:お互い、喧嘩とかもしょっちゅうしてたよね。
奥脇:仲悪かったからね。すっごい嫌いだった。
理姫:私もすっごい嫌いだったー!
奥脇:なんか似てるところもあるから余計にムカついたんですよね。
理姫から突然の解散宣言
その後、約2年間音信不通の状態に
ある日突然、奥脇さんの元に理姫さんから1通のメールが届きます。
奥脇:いきなり理姫からメールがきて。「バンド、終わりでーす!」って(笑)。「は?」って思いましたね。
理姫:「このバンド、絶対売れないだろ」って思ったんですよ(笑)。自分たちで初めてレコーディングして「CD」って形にしてみたら、このバンドに対する期待よりも絶望のほうが大きくなってしまったんです。このまま時間だけ費やしていくくらいなら、早いうちに辞めたほうがいいやって。
奥脇:「俺たち、これくらいものしか作れないのか」って思っちゃったのは俺も同じ。だから、理姫が「解散します」って言ってびっくりしたけど、「まあそうだよな」って。
その後、理姫さんは2年半くらい音楽活動から遠ざかっていました。あまりにも音信不通だったため、奥脇さんや黒川さんの周囲では「死亡説」まで流れていたとか。その頃理姫さんは、専門学校時代の仲間とは一切連絡を取らず、化粧品や洋服を買いまくる日々を送っていました。
理姫:意識的に「音楽」から遠ざかろうとしてたんですよね。バンドをやってたことも隠して、バンドをやってる人がいなさそうな場所ばっかり行ってました。バンドに対して軽いトラウマになっていたんだと思う。遊んでる間は、とにかく楽しかったし、バンドへの未練もなかったですね。「ここから先の自分は別の人生を歩んでいくんだろうな」って信じてました。そうしたらまた私の人生を変えるバンドマンに出会っちゃうんです(笑)。
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